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逆さの砂時計

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Side Story
  少女怪盗と仮面の神父 7

 夕闇に吹く風は、昼間よりも少しだけ穏やかだ。
 葉っぱ攻撃は相変わらず止まないが、顔や体にぶつかる勢いは比較的大人しく、歩きやすい。
 加えて、陽光が落ちて活発に動く生き物が減った所為か、葉擦れの音や波音が周辺に一層大きく反響している。それだけ、小さな音でも響きやすくなったという事だ。教会の外に誰かが居た場合、足音や金属音などは誤魔化せないかも知れない。
 シャムロックの速さの基は、持ち前の俊足と幾つかの道具の使い分けだ。中には大きな音を立ててしまう物もある。海賊共の間抜けぶりが招いた已むを得ない作戦の大筋変更だったが……夜間が毎日こうであるとしたら、いっそ変更して良かったと言える。
 他所でなら、顔さえしっかり見られなければ仮に誰かと手足が接触しても問題は無かった。
 だが、地元ではそうはいかない。数十歩分距離を置いた影の形だけでも気付かれる可能性がある。
 「知り合いの目には映らない」が絶対条件だっただけに、この環境下で変更前の作戦を押し進めるのはかなり難しかっただろう。初日の早い段階で切り替えられたのは、不幸中の幸いか。
 明るいとも真っ暗とも言えない空の下、窓から零れる灯りを目指してアプローチを真っ直ぐ進む。
 昼間と同じく扉は閉まっているが……やはり、鍵は掛けてなかった。
 片側の取っ手を掴んで一呼吸置き、そぉっと開いてみる。

 ……まぁ、そうだろうなと思ってはいたが……

 (早く帰って夕飯の仕度をしようよ、みんな……)
 案の定、女衆が礼拝堂の床を占拠している光景に大きな変化は無かった。ミートリッテは早めに済ませてきたが、彼女達は食事の間も惜しんで居続けてるんじゃなかろうか。美形に対する女の執念、恐るべし。
 そして
 「こんばんは、ミートリッテさん」
 「……こんばんは、アーレスト神父様」
 相変わらず、素晴らしい隙間抜けの特技(勝手に決定)を披露してくれるアーレスト。
 本気でその技を伝授していただきたい。
 「……ああ。お昼頃と随分印象が違うと思ったら、着替えていらしたのですね。お化粧もされているのでしょうか」
 しかも記憶力が良く、目敏い。
 一斉に押し掛けた何十人もの女の中でミートリッテを正確に覚えていた上、間近で見ないと判らない程度のうーっすらとした化粧に気付くとか。
 貴方、怪盗に向いてますよ。とは、聖職者相手に冗談でも言うべきじゃないな。
 「……ええ。似合いますか?」
 ミートリッテがにこりと微笑めば、逆光でよく見えないが、アーレストもにこりと微笑み返した気配。
 「よくお似合いです。今の貴女を前にしては、どんなに美しい花も、瑞々しさや鮮やかさを失ってしまうでしょう。とても愛らしい」
 (ひッ!?)
 取っ手に掛けていた手を取られ、甲に恭しい口付けが降ってきた。
 こういう時、女なら大抵は「あらまぁ」とか言いつつ頬を薄紅に染め、内面で狂喜乱舞するものなのだろうが。
 ミートリッテは取られた手を咄嗟に引き寄せ、体重を乗せた拳で綺麗な顔面を変形させてしまいそうになった。
 (き……きき……っ、気っ色悪ぅーッ! 今の何!? なんなの、今の!? 愛らしいとか口付けとか、これが聖職者の言動!? 昼に会った時の態度と全然違うじゃない! めっっちゃくちゃ空空しいんですけど!?)
 アーレストに触れられた場所から凄絶な寒気が走る。小さな虫が全身を這い回っているかのようなぞわぞわ感が、物凄く気持ち悪い。
 ワンピースが露出を控えた造りになっていて助かった。(やすり)並みに立った鳥肌を見られる心配が無い。
 「…………お上手ですね。」
 さすがに顔面を殴るのはまずい。
 奇声を上げて暴れまくりたい衝動を理性で必死に抑え込み、なんとか笑顔を取り繕う。
 「思うままを告げただけですよ。ですが……ああ、いけませんね。貴女のような可愛らしい方を見ていると、つい口が弛んでしまう。女神に仕える者の言としては、軽薄に聞こえてしまったでしょうか?」
 聞こえました。あまりにも白々しくて心臓が冷たいです。温暖な地域が瞬時に寒冷地帯と化しました。猛吹雪に襲われたみたいで、とてもとっても寒いです。
 などと、正直に言えたら心底スッキリするのだが。
 雪なんて一度も見たことないけど。
 「いえ……ありがとう……ござい、ます」
 「ふふ、良かった。どうぞ、お入りください……あ。荷物、お預りしましょうか?」
 「いえ、これは大切な物なので。お構いなく。」
 手を取られたまま、アーレストの優雅なエスコートで礼拝堂へと足を踏み入れる。光でくっきりと形を得た彼の爽やかな微笑みを見上げて、ミートリッテは確信した。
 (遊び人だ……この人絶対、真性の遊び人だ!)
 上流社会の挨拶には慣れていないミートリッテでも、それが儀礼的なものか裏があるのかくらいは嗅ぎ分けられる。
 あんなの、社交辞令なんかじゃない。
 獲物を見付けた狼の誘い文句だ。
 『アーレスト神父は女遊びに長けている』
 一番の障害は女衆の目線だと思っていたが、どうやらその認識も改める必要が出てきた。
 この神父、女衆に捕らわれた憐れな囚人なんかじゃない。とんだ食わせ者だ。多分、一筋縄では攻略できない。物腰の柔らかさに気を抜いたら、あっさり呑まれてしまうだろう。
 昼に見せた真面目そうな態度はなんだったんだ。仕事熱心な性格に合わせて考えていたのに、差が酷すぎる。まるで別人。詐欺じゃないか。
 (……だからって、此処まで来たら退くに退けないんだけどさ。アーレスト神父がどんな人間でどんな癖があるのか、細かく観察するのも目的の内だし、多少の誤認は上書き修正していけば良いわ)
 『戦』はまだ始まったばかり。気後れしちゃいられないと、心持ちをしっかり立て直す。
 「御前へ伺っても?」
 「ええ、勿論。日に何度祈りを捧げても、女神アリアは歓迎してくださるでしょう」
 背後で扉を閉め、するりと離れていくアーレスト。その辺りは変わらないんだと安心して見送れば、ミートリッテへの敵意に満ち満ちていた女衆の視線が色を変えて神父一人に集中する。
 (みんな単純だなぁ。色目なんか使って、喰われちゃっても文句は言えないよ? と思ったけど、これだけ牽制し合ってれば抜け駆けも摘まみ喰いも難しいか。って……あれ? こんな状態じゃ、外側の人間も自分達も身動き取れな……そうか。好きなものに群がる行為自体が、個々の防衛にも繋がってるのね。へぇー。これも生物の本能なのかしら。凄いな、女社会の仕組み。倣いたくはないけど)
 変な感心を抱きつつ、愛想が良い神父を囲い込む女衆を避けて、壁沿いに女神像の足下まで進む。
 壁掛けに床置きに。無数の燭台が照らし出す空間は、下見の下見で訪れた時よりほんのり薄暗い程度。ただ、一定ではない揺らぎが影を動かし、何処か不安定さと不気味さを演出している。
 (……?)
 祭壇の前で何気無く女神像の左手首を確認すれば、細い鎖がきらりと光った。
 何度か瞬きを繰り返したミートリッテは、眉を寄せて首を傾げる。
 (……アリア信仰って、女神像を飾り付ける習慣でもあるのかしら?)
 目立つ。
 指輪自体は小さいからか、目には映らないが。とにかく鎖が目立ってる。
 真昼の逆光では判り難かったのに、今は顔を上げれば自然と視界に入ってしまう。
 (腐れ男共の話を真に受けるなら、少なくとも前任の神父が滞在してた間はずっと引っ掛かってた筈よね?)
 これまで殆ど教会に来なかった信仰心の薄い女衆はともかく、この場所で暮らす神父達が気付かなかったとは思えないが……実際、肩越しに背後の集団をちらりと窺ってみた限りでは、アーレスト含め誰一人として鎖を気にしてない。
 海賊の言う「世話になった昔」が具体的に何年前なのかは聞いてないが……今日になるまで外されてないのだから、これが普通なのか。
 神でも「女」だから装飾品が好きって設定で、奴らもそれを知ってて違和感が少ない此処に隠した?
 ふわふわした語りが大好きな宗教も、意外に俗っぽい側面があるらしい。
 (だとしたら好都合、なんだけどな)
 家から持って来た小道具入りのバッグを小脇に抱え、両手の指を組んで祈りを捧げる。
 (ごめんなさい、女神アリア。貴女の存在やら教えやらは全然丸っきり髪の毛一本分も信じてないけど。私はこれから、貴女を信じて働いてる? アーレスト神父を騙します。此処でだけ正直に謝っておくので、どうか許してください)
 自分の悪行を正当化する気休めの祈りなんて、本物の信徒が知ったら怒り狂いそうだ。
 苦笑いで指を解き、体の向きをくるんと反転。左右対称でずらりと並ぶ長椅子の最前列左、通路側端へ腰を下ろした。
 荷物を隣に置き、賑やかな声を斜め後ろに聴きながら女神像を見上げる。女衆が一人残らず家に帰るまで、ただただ じっと見上げる。
 (……退屈だ。でも、この瞬間を含めて『戦』なんだから! 今の私は真剣に悩む信徒の一人。みんなが帰った後、神父が話し掛けてくるまでは、悩んでる格好を崩しちゃ駄目!)
 変更前の作戦は「誰にも見付からず密かに盗み出す」が大綱だった。
 しかし、怪盗の動きが封じられるならと変更した後の作戦では、「誰の目にも自然な形で持ち出す」が肝だ。
 そう。盗むのが難しいなら、同意を獲て持ち出せば良い。
 まさか莫迦正直に女神像の指輪を下さいとは言えないが、鎖に直接触れる機会さえあれば本物と偽物を入れ換えるくらいは可能だ。
 指輪が見えてなくて良かったと思う。
 遠目にもゴテゴテの細工が必要だったら、五日間じゃ到底足りなかった。銀の台座に丸くて青い石を乗せるだけなら、ミートリッテでも簡単に作れる。
 急な出費は財布に痛いが……指輪を入れ換える為、鎖に触れる為に、女神像に何回登っても不敬を問われない方法を考えてきたのだ。
 許可をもぎ取る対象と同じ空間でぼんやりして、嘘を見透かされる訳にはいかない。
 (さっきは不意を衝かれたけど、もう二度と油断しないから。人情でも物理的な弱点でも何でも良い。私が精神面で優位に立つ為に、貴方の弱味を探らせてもらうわよ。アーレスト神父!)
 目線はあくまでも女神像に定めたまま、耳は集団に傾ける。
 村の様子や、今日の天気や、何処の誰がどうしたこうした。
 女声が紡ぐ言葉はたわいない内容ばかりで、アーレストも特に変わった返事はしていない。所謂、井戸端会議だ。
 もしかして、一日中こんな調子で似たり寄ったりな会話をしてたんだろうか。人の話を聴くのも神父の仕事……にしたって、軽く拷問だな。きっと、解決させたい問題を相談されてるのとも違うのに。お気の毒。
 「神父様は王都からいらしたのですよね。其方ではどのようにお過ごしでしたの?」
 (うわぁー。今までそんな言葉遣いしてなかったよね。何枚着込んでるの? 猫の皮)
 「無二の親友達に大変有意義な時間を与えられました。彼の地での経験は、これから先を生きる希望と言えます。貴女方とも大切な時間を共有させていただければ幸いです」
 笑顔を深めたのだろう。女衆の黄色い悲鳴が波打った。
 (……微妙に濁してない? それで良いの?)
 声の応酬を楽しみたいのであって、内容はどうでも良いのか。
 「神父様のご親友となれば、さぞ優秀な方々なのでしょうね」
 「ええ。私など、彼女達の慧眼や勤勉さの前には霞同然です。であればこそ、親友達の存在は何よりも誇らしく……愛おしい」
 空気が固まった。
 親友が女で、愛おしいと形容されたからか。
 もしや既に女の影が……と、僅かに滲む沈黙。
 ミートリッテだけが眉を寄せて「ん?」と小さく喉を鳴らした。
 (愛しいじゃなくて、わざわざ愛おしいって強調した? 「愛おしい」ねぇ……可愛いとか愛情を示す他に、可哀想とか不憫とか同情的な意味もあったような。考え過ぎ?)
 一音下げた言葉がやけに気になって、思わず神父に顔を向けてしまった。
 「!?」
 後悔先に立たず。
 アーレストと目が合ってしまった。
 筋違える勢いで首を逸らし、跳ねた心音を呼吸で宥める。
 (なに、あれ)
 「私も惚けてはいられません。ご指導、よろしくお願いしますね」
 「こちらこそ……」

 ……何故……女衆は盛り返せたんだ?
 神父は今、泣きそうな悲しい顔で笑っていたのに。

 
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