| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

逆さの砂時計

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

Side Story
  少女怪盗と仮面の神父 13

 かたん……と小さな音を立てて、ミートリッテの皿の手前にフォークが横たわった。
 「ハウィス。」
 「な、なに……?」
 膝の上で両手を揃えて俯くミートリッテに、ハウィスの緊張感が一気に高まる。
 「あのね。私、こういう事はあんまりくどくど言いたくないんだけどね。」
 「う、うん……?」
 口調は至って物静か。
 けれど、彼女の全身からじんわりと滲み出る得体の知れない気迫は隠し切れておらず。
 顔を引き攣らせたハウィスの背中が、綺麗な直線を描いて固まる。
 「今時ね。塩と砂糖を何度も何度も間違える人なんて、いないと思う。天然なの? わざとなの? 遠目でも確認できるようにって、それぞれの器の蓋に大きく名前を書いてあるでしょ? 確認しなかったの? わざとなの? っていうか、匙で掬う感覚で判らないのはどうして? やっぱり天然なの? それとも、グリーンサラダに砂糖中心で炒りゴマと牛脂をマッチングさせて新しい味を発掘しようって試み? だとしたらごめんね? それ、私にはちょっと無理があるみたい。他に合わせる調味料があればまた違った甘みとして許容できたと思うんだけど、そもそも砂糖のさりさり食感とゴマのぶちぶち食感に加えて牛脂のぬちゃっとした塊感が斬新すぎて……サラダって何だっけ? って、思考が一瞬異世界まで吹っ飛んで迷子になっちゃった。あはは……此処、私が知ってるネアウィック村で間違いないよね? はらほろひれはれ村とかじゃないよね?」
 ゆぅらりと上がったその顔は……満面に笑みを湛えていた。
 ただし、命の危険を感じる重厚な怒気を纏わせて。
 「あのね、ハウィス。」
 「は、はい!?」
 「ドレッシングはちゃんと全部しっかり混ぜてから掛けなきゃ駄目だよ。油は液状の植物油を使って。あと、千切りキャベツが百切りキャベツになってるよね、これ。せめてもう半分は細くできたと思うんだ。他は良いよ? トーストの端が黒焦げになってたって、ガリッとかゴリッとかありえない音が聞こえたって、それはもうしょうがないもん。うん。美味しいね、このミルクスープ。ホットミルク塩味を皿で出すのも斬新。ハウィスはアイディアの宝庫だね。うふふ。見習いたいなぁ、その挑戦思考……」
 「ごめんなさい、もういっそ全力で怒鳴って……!」
 烈火の如く怒り狂いつつも静かに穏やかに紡がれるミートリッテの言葉達に堪え切れず、両手で顔を覆って震え出すハウィス。顔も見られないくらい怯えてしまったようだ。
 「……怒鳴ったりなんかしないよ。ハウィスが時々物凄いドジっ子になるって事を忘れて寝坊した私が悪いんだもん。昨晩は本当に忙しくて疲れてたんでしょ? こういう時こそ私がやらなきゃいけなかったのに、ごめんね」
 「ミートリッテ……」
 恐る恐る覗いた指の隙間で、可愛い愛娘が苦笑う。
 ハウィスは別に料理下手ではない。ミートリッテほどではないが、そこそこ美味しい物を作れる。
 ただ、極度に疲れていたり眠かったり考え事に没頭していると、手元が半端無く狂うのだ。砂糖と塩を取り違えるのはその筆頭で、だから容れ物の目立つ場所に疲れ目にもはっきり映る大きさで名前を書いて置くようにした。七年経っても効き目は全く無いようだが。
 「でも、次は無い。」
 刹那の鋭い眼光を受け、ハウィスは再びピシッと姿勢を正した。
 「キヲツケマス」
 「うん。」
 ミートリッテは眉を限界まで寄せ、唇を山の形にして、死を覚悟したような……それでも生き抜くと決意したような複雑な表情で、甘くベッタリしたグリーンサラダと塩味のホットミルクと黒焦げたトーストに向き合い、何一つ残さず総てを平らげた。
 食後。片付けを終えたミートリッテは、胃薬をそっと差し出したハウィスの頭を無言で優しく撫でてからそれを受け取り……飲んで、歯を磨き、家を出た。



 「あうぅ。口の中がベタベタフェスティバルぅ……すっきりしないぃ……。微妙に唇も痛いぃ……これは自己責任か」
 小道具入りのバッグを肩に掛けて、最近では一番暑い陽射しの下をてくてく歩く。
 「ハウィスのドジなんて久しぶりに見たよ……。うう、破壊的食感が歯先から抜けない……」
 しかし。
 文句を言いながらも唇の端が上がっているのは、ハウィスのドジのおかげだった。
 振り払おうとしても頭の片隅に居座り続けた嫌な想像図が、たった一口で異世界へ放り出されたのだ。そのまま戻って来なかったのは、ミートリッテには勿論、直前まで気遣わしげに様子を窺っていたハウィスにも都合が良かった。いっその事、何処にあるのか知れない「はらほろひれはれ村」に永住してくれれば尚良い。あんな思いに苛まれるのはもう御免だ。
 (……忙しかった、か。それだけ酒場に人が集まってたのよね? もしかして、深夜の内に動いてたのかな。自警団)
 村の変化に気を配りながら、ゆっくり歩く。
 ピッシュ同様、仕事を休みにした職場が多いのだろうか? 住宅区からは出ようとしないが、老若男(いや、女は少ない)、いろんな人間が動き回っている。
 東寄りの崖付近に近海組の船が停泊してるのも確認できたし、見るからに見張りです! と主張する格好の自警団員も其処彼処でちらほら見えた。
 (立ち位置の指定まではされてない? それとも巡回中? どっちでも良いけど、今はまだ見付けないでね……本当、お願いだから)
 自らの職務に勤しんでいる善良な自警団員には不適当な事を心の底から祈り、ついでに、船ごと何処かに隠れてる海賊達にも(見付かるんじゃないわよ、くそったれの馬鹿男共!)と罵倒し、教会へと続く長い坂道を上る。
 その途中。
 「ミートリッテ!」
 「げ。ヴェルディッヒ?」
 教会から歩いて来たらしい、現在三番目くらいで接触したくない相手に声を掛けられ、咄嗟に逃げ出しそうになった。
 「げって何だよ。朝一から失礼な!」
 「あぁー……なんでもないわ。気にしないで。それより、自警団の仕事はどうしたの? 持ち場を離れてて良いの? あ、さてはサボりか。この、給料泥棒め!」
 「……お前、感じ悪くないか?」
 お怒りごもっとも。ミートリッテも、海賊が絡んでなければこんな失礼な態度は取らない。
 しかし、長々と話すのは状況が許してくれないのだ。つっけんどんになるのも仕方ない。
 「残念ながら今も仕事中だ。俺は巡回がてら村のみんなに警戒を促す係。ハウィスさんに聞いて知ってるだろ? 村の近辺に危険な集団が潜んでるって話」
 「ええ。……あれ、どうして詳細を伏せてるの? 予め教えてくれたほうが、みんなも逃げやすいでしょうに」
 「村のみんなにまで容姿や特徴を知られたら、奴らに潜伏する理由が無くなるからだ。目的はともかく、折角大虐殺をせずに隠れてくれてるんだし、被害が出ないならそのほうがありがたい。俺達が詳細を表に出さないと明言した上で警戒体勢を整えてるのは、『詳細は教えてないから、みんなには手を出すな』『手を出すなら両国の軍が容赦しない』って、奴らに向けた暗号なんだよ。現状維持、或いは即刻退けって意味さ」
 (お前達が村付近(ここ)に居るのは判っている。此処で悪さをするなら、アルスエルナとバーデルが協力して叩き潰すから覚悟しろ……か。うーん?)
 「それ、露骨にアルスエルナとバーデルの協力体勢が整うまでの時間稼ぎだよね? 大虐殺するような人間が大人しく聞き入れるとは思えないんだけど。逆に、やれるもんならやってみろって襲って来たりしない?」
 「…………。」
 (え。ちょっと? 何故此処で黙る? 気まずそうに目を逸らす!?)
 「……んー……まぁ、な。それはよっぽど大丈夫だ。多分」
 「いや、多分って何!? 全然大丈夫そうに思えないんだけど!? 何を根拠にそんな自信が!?」
 横方向にふよふよ泳ぐ新緑色の目が、ミートリッテの不安を一層深める。
 ヴェルディッヒ達の選択は、相手を高圧的に挑発したも同然の行為だ。今回は海賊共の狙いが「借りを作ったネアウィック村での指輪回収」にあったからまだ良いものの、普通に海賊として来ていたら今頃村は手酷く荒らされてたんじゃないのか。そして、今からでもそうされる可能性が全く無いとは言えないのに。
 「奴らの頭がとにかく現実的で、危険と結果を極めて冷静に秤へ乗せられる型だから……か」
 「言っちゃ悪いけど、小さな村の自警団と、まだ国境を越える権限を持ってない警備隊如きの、何が危険なの?」
 「そっ……! それは失礼な疑問だぞミートリッテ! 俺達は毎日、真面目に鍛練を積んでるんだ! 少しくらい、尊敬とか信頼とかしてくれても良いじゃないかっ! とにかく、お前も用事が済んだらふらふらせずに直帰しろ! 解ったな!? じゃ、俺は仕事に戻るッ!」
 「ちょ……ヴェルディッヒ!?」
 半眼でじとーっと睨むミートリッテに、ヴェルディッヒは焦りを隠さず、顔ばかりか体まで反らし。突如、猛然と走って逃げた。
 「……信頼も何も、余計な事を……としか思えないんだけどなぁ。収拾能力に期待できる実績も無いくせに、はったりなんかでやる気を倍増させて……本当に襲って来たらどうすんのよ」
 暫く唖然としていたミートリッテは、深呼吸してから軽く頭を振る。
 (自警団や警備隊の考えは解った。詰めの甘さや不備が多そうだし、海賊達が安い挑発に乗ってしまわないかはちょっと不安だけど、こっちの対海賊面には常時注意を払わなくても良いかも知れない。対シャムロック面では引き続き用心しておこう)
 それより、今一番の課題は
 「あ。おはようございます、ミートリッテさん」
 「……おはようございます」
 今日も絶好調な強風に曝され、軽い息苦しさの中で辿り着いた教会のアプローチ。
 その中央、長い髪を首筋で一つに束ねたアーレストが、のんびりと空を見上げていた。
 他に人影が無い。取り巻き不在……教会の中か。丁度良い。
 「あの。一つ良いですかね?」
 もう、礼儀正しい一般民の口調は投げ捨てた。アーレストにはタメ口でも良いくらいの心境だが、其処は年上相手。一応の体面は保つ。
 「なんでしょう?」
 「私、アリア信仰なんか本気でどうでもいいんです。でも、教会の内部には興味がある。だから、先日私にくれた自由を先に行使させてくれませんか? そしたら、この先も協力を約束します。どれだけ力になれるかは未知数ですけど」
 お勉強上等。お説教どんと来い。ただし、その前に褒美を寄越せ。
 アリア信仰への勧誘は散々断った。それでもと押し切ったのはアーレスト側だ。
 なら、これくらいは許されても良いだろう。
 (てか、断られたら本気で困る。時間が無いのよ、私には!)
 首を傾けてじっとミートリッテを見ていたアーレストは
 「……はい。それで変えられるものもあるでしょうから、止めはしませんよ。私は暫く外に居ます。この鍵が開ける場所なら、お好きにどうぞ」
 首に下げていた鍵付きのネックレスを外し、ミートリッテに手渡す。銀色の細い鎖が ちゃり……と鳴った。
 「……監視してなくて良いんですか?」
 厳密にはまだ部外者である彼女をあっさり受け入れた神父は
 「何故そんな必要が? 貴女の音はとても綺麗なのに」
 意味不明な言葉と共に、何処までも透明な笑顔を返した。
 しかし。
 (……なんだろう。顔色が悪い?)
 家まで強引に押し掛けてきた時と比べて、覇気が感じられない。
 てっきり有無を言わせぬ勢いで着席させられるかと思っていたミートリッテは、思わず彼の額に右手のひらを押し当て、金色の虹彩を覗き込んでしまった。
 「ミートリッテさん?」
 驚くアーレストの声にも退かず、自分の額にも反対の手を当ててみる。
 「熱は無し、かな。けど、風邪を引きかけてるのかも。風に当たりすぎないほうが良いですよ。王都ではどうか知りませんけど、ネアウィックでは基礎体力で勝負が基本なんです。薬はありますが、お医者様は期待しないでくださいね。どうぞお大事に。では、お邪魔してきます」
 海岸で拾われた時はハウィスに看病してもらったなぁ、などと思い出を振り返りながら、小刻みに瞬きを繰り返すアーレストへ にこっと笑って一礼し、背を向けた。

 だから、ミートリッテは知らない。
 彼が、あの時と同じ……悲しげな微笑みを浮かべて俯いた事を。

 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧