逆さの砂時計
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Side Story
少女怪盗と仮面の神父 13
かたん、と小さな音を立てて。
ミートリッテの皿の手前にフォークが横たわった。
「ハウィス」
「な、なに?」
膝の上で両手を重ねてうつむくミートリッテ。
テーブルを挟んで正面に座っているハウィスの緊張感が、一気に高まる。
「あのね。私、こういうことはあんまりくどくど言いたくないんだけどね」
「う、うん……?」
口調は至って物静か、だが。
彼女の全身から滲み出る得体の知れない気迫は隠し切れておらず。
顔を引き攣らせたハウィスの背中が、綺麗な直線を描いて固まる。
「今時ね。塩と砂糖を、何度も何度も取り違える人なんて、いないと思う。天然なの? わざとなの? 遠目からも確認できるようにって、それぞれの容器のフタに大きな字で名前を書いてたでしょう? 確認しなかったの? というか、匙で掬う感覚で判らないのはどうして? 感触、違うよね?
それともグリーンサラダに砂糖中心で炒りゴマと牛脂をマッチングさせて新しい味を発掘しようって試み? だとしたら、ごめんね? それ、私にはちょっと無理があるみたい。他に何か合わせる調味料があれば、また違った甘みとして許容できたと思うんだけど。
そもそも、砂糖のさりさりした食感とゴマのぶちぶち食感に加えて牛脂のぬちゃっとした塊感が斬新すぎて、サラダって何だっけ? って、思考が一瞬異世界まで吹っ飛んで迷子になっちゃった。
あはは……ここって、私が知ってるネアウィック村で間違いないよね? はらほろひれはれ村とかじゃないよね?」
ゆぅらりと上がったその顔は……満面に笑みを湛えていた。
ただし、命の危険すら感じる、重厚な怒気を纏わせて。
「あのね、ハウィス」
「は、はい!?」
「ドレッシングはちゃんと全部しっかり混ぜてから掛けなきゃダメだよ? 油は液状の植物油を使って。それから、千切りキャベツが百切りキャベツになってるよね、これ。せめてもう半分は細くできたと思うんだ。
他は良いよ? トーストが黒焦げになってたって、ガリッとかゴリッとかありえない音が聞こえたって、それはもう、どうしようもないもん。
うん、美味しいねえ。塩味のホットミルクを平皿で出すなんてのも斬新。ハウィスはアイディアの宝庫だね。ぜひとも見習いたいな、その挑戦思考」
「ごめんなさい、もういっそ全力で怒鳴って……!」
烈火の如く怒り狂いつつも静かに穏やかに紡がれるミートリッテの言葉に耐え切れず、両手で顔を覆って震え出すハウィス。
顔も見られないくらい怯えてしまったようだ。
「……怒鳴りはしないよ。ハウィスが時々物凄いドジっ子になるってことを忘れて寝坊した私が悪いんだもん。昨晩は、本当に疲れてたんでしょう? こういう時こそ私がやらなきゃいけなかったのに、ごめんね」
「ミートリッテ……」
恐る恐る覗いた指の隙間で、可愛い愛娘が苦笑う。
ハウィスは料理が下手なわけではない。
ミートリッテほどではないが、そこそこ美味しい物を作れる。
酒場の客に提供して喜ばれる程度には、味も香りも見た目も悪くない。
ただ、極度に疲れていたり眠かったり考えごとに没頭していたりすると、手元が半端なく狂うのだ。
砂糖と塩を取り違えるのは、その筆頭で。
だから、砂糖を入れた容器と、塩を入れた容器の目立つ所に、疲れ目にもはっきり映る大きさで、それぞれの名前を書いておくようにした。
七年経っても効き目はまったく無いようだが。
「でも、次はない。」
刹那の鋭い眼光を受け。
ハウィスの背中が、再び歪みない直線を描いて硬直する。
「キヲツケマス」
「うん。」
ミートリッテは眉を限界まで寄せ。
唇を山の形にして、死を覚悟したような……それでも生き抜くと決意したような複雑な表情で、甘くベッタリしたグリーンサラダと、ほんのり塩味のホットミルクと、黒焦げたトーストに向き合い。
何一つ残さず、すべてを平らげた。
食後。
片付けを終えたミートリッテに、揃えた両手で胃薬を差し出すハウィス。
腰を折り曲げている彼女の後頭部を無言で優しく撫でたミートリッテは、供物のように捧げられたそれを受け取り。
水で飲み下し、丁寧に歯を磨き、家を出た。
「あうぅ~~。口の中がベタベタフェスティバルぅ……すっきりしないぃ。微妙に唇も痛いぃ……って、これは自己責任か」
小道具入りのバッグを肩に掛けて。
ここ最近では一番暑い陽射しの下を、てくてくと歩く。
「ハウィスのドジなんて、久しぶりに見たよ。うう、破壊的食感が歯先から抜けないぃ……」
しかし。
料理に対してぐちぐちと文句を言いながらも唇の端が上がっているのは、ハウィスのドジのおかげだった。
振り払おうとしても頭の片隅に居座り続けた嫌な想像図が、たった一口で異世界へ放り出されたのだ。向こうに行ったきりで戻ってこなかったのは、ミートリッテにはもちろん、直前までさりげなくこちらの様子を窺っていたハウィスにも都合が良かった。
いっそ、そのまま、どこにあるのかも知れない『はらほろひれはれ村』に永住してくれれば良い。
あんな思いに苛まれるのは、もう御免だ。
(……忙しかった、か。それだけ酒場に人が集まってたのよね? もしかして深夜のうちに動いてたのかな、自警団)
村の変化に気を配りながら、ゆっくり歩く。
ピッシュ同様、仕事を休みにした職場が多いのだろうか?
住宅区からは出ようとしないが、老若男(いや、女は少ない)、いろんな人間が動き回っている。
東寄りの崖付近に近海組の漁船が停泊してるのも確認したし、見るからに見張りです! と主張する格好の自警団員もそこかしこでちらほら見えた。
(立ち位置の指定まではされてない? それとも巡回中? どっちでも良いけど、今はまだ見つけないでね……本当、お願いだから)
自らの職務に勤しんでいる善良な自警団員には不適当なことを心の底から祈り、ついでに、船ごとどこかに隠れてる海賊にも
(見つかるんじゃないわよ、くそったれのバカ男共!)
と罵倒し、教会へと続く長い坂道を上る。
その途中。
「ミートリッテ!」
「げ。ヴェルディッヒ?」
教会から歩いてきたらしい、現在三番目くらいで接触したくない幼馴染に声をかけられ、咄嗟に逃げ出しそうになった。
「げって何だよ。朝一から失礼な!」
「ああ~……ごめん。なんでもないわ。気にしないで。それより、自警団の仕事はどうしたの? 持ち場を離れてて良いの? あ、さてはサボりか? この、給料泥棒め!」
「……お前、感じ悪くないか?」
お怒りごもっとも。
ミートリッテも、海賊が絡んでさえいなければ、こんな態度は取らない。
しかし、自警団員と話し込むのは状況が許してくれないのだ。
つっけんどんになるのも仕方ない。
「残念ながら、今も仕事中だ。俺は巡回がてら村のみんなに警戒を促す係。ハウィスさんに聴いてるだろ? 村の近辺に危険な集団が潜んでるって話」
「ええ。……あれ、どうして詳細を伏せてるの? 個々の身体的特徴とか、集団が国境を越えて侵入してきた目的とか、あらかじめ教えておいたほうがいざって時に誘導しやすいし、みんなも逃げやすくなるでしょうに」
ミートリッテの疑問に、ヴェルディッヒは両肩を軽く持ち上げて答えた。
「目的はともかく容姿や特徴を村のみんなにまで知られたら、奴らが潜伏を続ける理由を失うからだ。せっかく虐殺行為無しで隠れてくれてるんだし、被害を出さずに済むなら、そのほうが両国的にもありがたい。俺達が詳細を表に出さないと明言した上で警戒体勢を整えてるのは、
『詳細は教えてないから、みんなには手を出すな』
『手を出すなら両国の軍が容赦しない』って、奴らに向けた暗号なんだよ。
現状維持、あるいは即刻退けって意味さ」
(お前達が村の近辺に潜んでいるのは判っている。ここで悪さをするなら、アルスエルナとバーデルが協力して叩き潰すから覚悟しろ、か。うーん?)
「それさ、露骨にアルスエルナ王国とバーデル王国の協力体勢が整うまでの時間稼ぎだよね? 虐殺行為をするような人間が大人しく聞き入れてくれるとは思えないんだけど。逆に「やれるもんならやってみろ」って、潜むのをやめて襲ってきたりしない?」
「…………」
(え。ちょっと? 何故ここで黙る? 気まずそうに目を逸らす!?)
「……んー……まあ、な。それはよっぽど大丈夫だ。多分」
「いや、多分って何!? 全然大丈夫そうに思えないんだけど!? 何を根拠にそんな自信が!?」
横方向にふよふよ泳ぐ新緑色の目が、ミートリッテの不安を一層深める。
ヴェルディッヒ達の選択は、相手を高圧的に挑発したも同然の行為だ。
今回は、海賊の狙いが『昔借りを作ったネアウィック村での指輪回収』にあったからまだ良いものの、普通に海賊として来ていたら、今頃村は手酷く荒らされてたんじゃないのか。
そして、今からでもそうされる可能性がまったく無いとは言えないのに。
「奴らの頭がとにかく現実的で、行為を冒すリスクとそれで得られる結果を極めて冷静に秤へ乗せられる型だから……か」
「言っちゃ悪いけど、小さな村の自警団と、まだ国境線を越えてくる権限を持ってない警備隊如きの、何が危険なの?」
「そっ……それは失礼な疑問だぞ、ミートリッテ! 俺達は毎日、真面目に鍛練を積んでるんだ! もうちょっとこう、尊敬とか信頼とかしてくれても良いじゃないか! とにかく、お前も用事が済んだらふらふらせず速やかに帰宅しろ! 解ったな!? じゃ、俺は仕事に戻るっ!!」
「ちょ……ヴェルディッヒ!?」
半眼でじとーっと睨むミートリッテに、ヴェルディッヒは焦りを隠さず、顔ばかりか体まで反らし。
突如、猛然と走って逃げた。
「……信頼も何も、余計なことをとしか思えないんだけどなあ。収拾能力に期待できるほどの実績も無いくせにハッタリなんかでやる気を倍増させて、本当に襲ってきたらどうすんのよ」
しばらくの間、ミートリッテはその場で唖然と立ち尽くし。
ヴェルディッヒの姿が見えなくなった頃、ハッと我に返った。
気を持ち直す為、一旦深呼吸してから、軽く頭を振る。
(自警団や警備隊の考えは解った。詰めの甘さや不備が多そうだし、海賊が安い挑発に乗ってしまわないかは少し不安だけど、こっちの対海賊面には、常時注意を払わなくても良いかも知れない。対シャムロック面では引き続き用心しておこう)
それより、今一番の課題は。
「あ。おはようございます、ミートリッテさん」
「……おはようございます、神父様」
今日も絶好調な強風に曝され。
軽い息苦しさの中で辿り着いた、教会のアプローチの、その中央。
長い髪を首筋で一つに束ねたアーレストが、のんびり空を見上げていた。
他に人影が無い。取り巻き不在……教会の中に居るのだろうか。
ちょうど良い。
「あの。一つ良いですかね?」
もう、礼儀正しい一般民の口調は投げ捨てた。
アーレストにはタメ口でも良いくらいの心境だが。
そこは年上相手。一応の体面は保つ。
「はい、なんでしょう?」
「私、アリア信仰なんか本気でどうでもいいんです。でも、教会の内部には興味がある。だから先日私にくれた自由を先に行使させてくれませんか? そしたら、この先も協力を約束します。宗教なんて気にしたこともないし、どれだけ力になれるかは未知数ですけど」
お勉強上等。
お説教もどんと来い。
ただし、その前に褒美を寄越せ。
アリア信仰への勧誘は散々断った。
それでもと押し切ったのはアーレスト側だ。
なら、これくらいは許されても良いだろう。
(てか、断られたら本気で困る。時間が無いのよ、私には!)
首を傾けてじっとミートリッテを見ていたアーレストは
「……はい。それで変えられるものもあるでしょうから、止めはしません。私はしばらく外に居ます。この鍵が開ける場所なら、お好きにどうぞ」
首に下げていた鍵付きのネックレスを外し、ミートリッテに手渡した。
銀色の細い鎖が、ちゃり……と鳴る。
「監視、してなくて良いんですか?」
厳密にはまだ部外者である子供を、あっさり受け入れた神父は
「何故、そんな必要が? 貴女の音は綺麗で心地好いのに」
意味不明な言葉と共に、どこまでも透明な笑顔を返した。
しかし。
(……なんだろう。顔色が悪い?)
家まで強引に押しかけてきた時と比べて、覇気が感じられない。
てっきり有無を言わせず着席させられるかと思っていたミートリッテは、思わず彼の額に右手のひらを押し当て、金色の虹彩を覗き込んでしまった。
「ミートリッテさん?」
驚くアーレストの声にも退かず、自分の額にも反対の手を当ててみる。
「熱はない、かな。けど、風邪を引きかけてるのかも。風に当たりすぎないほうが良いですよ。王都ではどうなのか知りませんけど、ネアウィックでは基礎体力で勝負が基本なんです。薬は一応ありますが、優秀なお医者様には期待しないでくださいね。どうぞお大事に。では、お邪魔してきます」
海岸で拾われた時はハウィスに看病してもらったなあ……。
などと思い出を振り返りながら、小刻みに瞬きをくり返すアーレストへ、にっこりと笑って一礼し、背を向けた。
だから、ミートリッテは知らない。
彼が、あの時と同じ……
今にも泣き出しそうな微笑みを浮かべて、うつむいたことを。
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