逆さの砂時計
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Side Story
少女怪盗と仮面の神父 10
教会で日付けを跨ぎ、家で迎えた朝。
「ねぇ……今日の夕方くらい、ハウィスが出勤する少し前になるんだけど、神父様の家庭訪問に付き合ってくれる?」
朝食中の唐突な質問に、ハウィスは
「良いわよ」
「良いの!?」
間髪を容れず、あっさり頷いた。
「噂の美形神父様でしょ? 昨日の不自然な観光はそれが目的だったのね。たった半日で……なかなかやるじゃない、ミートリッテ」
唇の端を上げて親指を突き出したハウィスは、明らかに誤解している。
「ちっがぁああう! そういうんじゃなくてっ! あの神父は、私を宗教に勧誘しようとしてんの! 怪しいヤツなの!」
「ふーん? そう思うんなら断れば良いじゃない」
「何度も断ったけど、全然聴いてくれないんだもん! 家に来るのだって、あっちが一方的に決めちゃったんだしっ!」
昨夜の攻防を思い出して、ミートリッテの頬がぷくーっと膨れる。
あの後、アーレストは結局、深夜は危ないからと言って、ミートリッテの反論を強引に断ち切り、ご丁寧に家の手前まで送り届けた。
というか、無理矢理付いて来た。
接触対象じゃなかったら、海に蹴り落として「不審者が居るぞーっ!」と自警団に訴え出るところだ。
その場合、怒られるのは多分ミートリッテのほうだが。
「明日の夕方頃にお邪魔しますね」と、不要な土産言葉まで残す始末で、諦める気配が全然ない。
こんなことでハウィスに迷惑など掛けたくはなかったが、未成年の立場に戻るより他にはもう、打てる手が見当たらない。ミートリッテに勧誘できる余地がある限り、アーレストはどこまでも延々とつきまとうのだ。
いろんな意味でゾッとする。
「ははーん……? 騎手を落とす為に馬を狙ってるわけか。一般には賢いと思われてる方法だけど、ミートリッテを相手にするなら無駄手間ね」
「でしょ? いくら説得したって、私が宗教なんか」
「体当たりしちゃえばコロッと堕とせるのに」
ダメだ。
ハウィスも聴いてない。
「はーうぃーすぅぅー……」
恨みがましい目線を受けた女性は、楽しそうに肩を揺らして笑った。
「はいはい。要するに、神父様も宗教も嫌なんでしょ。私がちゃんと話してあげるから安心なさい。……でも、だったらどうして、神父様が居るような場所へ行ったの?」
コーンポタージュに差し入れたミートリッテの匙が、ピタッと止まる。
「宗教関係者の引き込み体質なら小さな子供でも知ってるわ。しかも、噂の神父様は着任したばかりだからか、教会の敷地からはあまり出てこないそうじゃない。関わりたくないなら近寄らなければ良かったのに」
ピッシュがくれたマーマレードを木製のジャムナイフでトーストに乗せて塗り広げるハウィスの手元を見ながら、浅く息を吐いた。
「宗教自体にはないけど、教会には興味があったんだもん」
「教会に興味? 初耳ね」
ハウィスの口元で、サクッと気持ち良い音がする。
今日のトーストも上手く焼けていた。
「正確に言うと教会じゃなくて、教会でも使われてる物に興味があったの。ちなみに、わざと隠してた」
「……どうして?」
トーストを味わい、喉に流してから首を傾げるハウィスに合わせて、口に運んだコーンポタージュを咀嚼し、飲み込んだ後、顔を逸らして答える。
「恥ずかしいから。」
「……恥ずかしい?」
ハウィスを横目に覗くと、意味が解らないのか、しきりに瞬いていた。
「今はこれ以上言わない」
「なぁに? 気になるじゃない」
「アリア信仰に用は無いとだけ明言してこの話は終わりです。根を掘り葉を毟るつもりなら、貴女の愛娘は今この瞬間即座にグレます。そして、以後の食事当番を一生拒絶します」
「なっ!?」
酷く動揺したハウィスが、椅子を蹴倒して立ち上がる。
「ズルい! 私の楽しみを盾にするなんて!」
「それがお嫌でしたら、どうか今後も、優しく見守ってくださいませね? ハウィスおねぇさま?」
「くっ……! 卑怯技ばっかり身に付けて、この娘は! 酷いわっ!」
ハウィスはミートリッテの料理が大好きだった。
味付けと火の通し加減が、毎回ちょうどいいらしい。
酒場で出される賄い料理よりずっと美味しいし好みだとまで言われれば、悪い気はしなかったが……
まさか、本気で泣くほど好かれてるとは思ってなかった。
ハウィスの頬にぽろぽろ溢れる大粒の涙を見て、内心うろたえてしまう。
「私の興味に首を突っ込みさえしなければ、ちゃんと作るよ。だから、ね? 落ち着いて食べよう?」
表面上はゆったりと微笑み。
テーブルの上にあるハウィスの分のコーンポタージュを指し示す。
「覚えてらっしゃい……。私のご飯を脅かした罪は重いわよ!」
すんっと鼻を鳴らして椅子を起こし、座り直すハウィス。
これは一応、褒められているのだろうか。
(なんか可愛い……けど、罪って。そこまでなの?)
匙に乗せたコーンポタージュを口に含む。
コーン独特の濃厚な甘い香りが、ミルクの柔らかい舌触りと混ざり合い、舌先から鼻の奥までふんわりと広がった。
隠し味の香辛料が野菜に含まれる若干の青臭さとくどさを消し、甘さ故の飽きを感じさせない効果も発揮している。
噛めば噛むほど旨味は増し、飲み込む瞬間には液状ながら充分な食事感を得られた。
が。
空になった匙を見つめる作り手の感想は
(……いつも通りだなぁ)
稀には昨日のオニオンスープのように我ながらと感心する出来にもなる。
しかし、取り上げられたら泣いて非難してしまうほどの物なのか?
改めて食べ始めたハウィスを見て、疑問に首が傾く。
普段から自分で作っていて、他所で食べる機会も滅多にない。
それ故、ミートリッテの味覚には比較対象があまり存在せず、ピッシュに教えられたジャム作りの腕も手伝って、実はかなりの肥え舌・料理上手なのだが、自覚はしていなかった。
「……ああ、そうだ。昨夜、お客様とも話してたんだけど、近々村の警備が厳しくなるそうよ。自警団の邪魔になるから、夜の散歩は控えなさいね」
来た。
シャムロックが気を配らなきゃいけない、もう一つの側面だ。
さすがは大人が集まる夜の店。情報伝播は一番乗りか。
「警備の強化? なんで?」
素知らぬ顔で問い返すと、ハウィスはグッと眉を寄せて。
怒っているような悩んでいるような、複雑な表情になった。
「それが、いきなりすぎて全然解らないの。危険な集団が村領の内外周辺に潜伏してるせいだ、とは言ってたけど……名前や特徴が噂になったら相手を刺激するかもって理由で、詳細は開示しないそうよ。怪しい人間なんて影も感じなかったのに、バーデルの軍人が入ってきた時は自分の目を疑ったわ」
「へ? 隣国の軍人が、営業中の酒場に行ったの?」
「ええ。近海組は毎日漁帰りにウチの店を使うでしょ? 個人宅への拡散に便利だからって村長様が案内したのよ。自警団員と一緒に宣言するだけして帰ったけどね。ああ、どうせ来るならお金も落として欲しかったーっ!」
真面目が凝り固まった印象の軍人達を思い出した。
あれが緊迫した内容を告げに現れたと聞けば、白けた酒場の空気も想像は容易い。きっと、軍人達が引き上げた後は注文数が激減しただろう。
仕方ないとはいえ、営業側から見ればひたすら迷惑な訪問者だ。
そんな人達を相手にお金を落として欲しかったと思えるハウィスは、実に商魂たくましい。
それにしても
(詳細を開示しないって、おかしくない? 刺激も何も、いつだって気分で行動するのが当たり前な海賊の正体を隠してても、村のみんなが咄嗟に反応しづらくなるだけだよね? 心構えとか、逃走経路の意識とかを考えれば、絶対に前もって教えといたほうが良い筈)
ただでさえ後手に回ってるクセに。
そんな悠長な対応で本当に大丈夫なんだろうか……
などと、うっかり軍人側を心配してしまったが。
直後、海賊が捕まっても困るんだったと気付いて頭を抱える。
本心では、『賊』が付く有害生物なんかさっさと捕まえて欲しいのに。
奴らの喉が一斉に潰れない限りは、願うことすらままならない。
世は無情だ。
「バーデル王国の国境警備隊も増員するそうだから、もしかしたら果樹園の仕事にも影響が出るかもね。話を聴いたピッシュの判断次第だけど」
「明日までは保管庫での作業が中心になる予定だし、大丈夫じゃないかな。でも、長引くのは困るかも。収入が減るぅーっ」
もちろん、シャムロックにとっては収入以前にハウィスの安全が掛かった大問題。
どうせ引き渡す日時は決まっているのだし。
それまでの間はどこか遠くへ消えててくれないかと、真剣に思う。
(……無理だろうな。見張りだもんね。その見張り力で軍の動きを察してるとしても、村の周りからは離れてないよね。多分)
あの指輪の価値がどれほどかは知らないが、小賢しい絡め手を使ってまで回収したがっているのだ。海賊達に手放す意思がないのは明白。
それはきっと、軍人が居ても居なくても変わらない。
いや。最悪、軍が現れたせいで血生臭い惨劇を繰り広げかねない。
(そうか。現時点で私が軍人や自警団に近寄る気配を見せてもダメなんだ。村領から遠ざける為に海賊の情報を売る気だ、と誤解される可能性がある。んがああぁあ! どこまでも面倒くさいいぃっ!)
「そんなにキツいなら、昨日贅沢しなければ良かったのに。ごちそうさま」
「ふぇ? あ」
気付けば、ハウィスが苦笑いで両手を合わせていた。
料理は綺麗になくなっている。
「……違うよ。お金のことで頭を掻いてたんじゃないの。仕事量が減ったら必然的に神父様との不毛な勧誘対決が増えそうで、それが物凄く嫌なだけ。早く終われば良いのにね、バーデル軍人の捕り物劇」
ミートリッテも慌てて朝食の残りを平らげ。
二人分の食器を重ねて、洗い場へ下げる。
「そうね。……よりによって、こんな時に来なくても良いのに……」
「ん? 何か言った?」
「まったく同意見だと言ったのよ。物騒な臭いがしてたら、店の売り上げがガタ落ちしちゃうもの」
「あはは、深夜営業には痛手だよね」
「笑いごとじゃないわよっ! 万が一「警備強化中は営業停止だ!」なんて言われたら、生活費の回収も難しくなるんですからね!」
「それは困る」
「でしょう?」
ミートリッテは食器を洗いながら。
ハウィスはテーブルに両肘を乗せ、甲に額を押し当てながら。
「「はあぁ……大迷惑……」」
盛大なため息を、同時に吐き出した。
朝食後、支度を済ませて果樹園へ走ったミートリッテを待っていたのは
「明日から三日間、休業する」
という、農園主ピッシュの宣告だった。
「明日からですか? でも、作業が間に合わないですよ!」
しかも、明日から三日間。
依頼の期日まで丸ごとお休みとは、何の皮肉か。
「果実が傷むまでのギリギリの線が三日だ。その代わり、今日は少し多めに頑張ってくれると助かる」
「もちろんです! せっかくここまで丁寧に完熟させたオレンジをみすみす腐らせはしません!」
経験上、食べ物を粗末に扱うのは赦せないミートリッテ。
同じ農業従事者としての誇りを感じたピッシュは、満足気に頷いた。
「頼むよ」
「はい!」
今日の作業は完熟オレンジの選別だ。
色、形、大きさで等級を分け、それぞれ決められた数毎に梱包する。
とにかく数が多いのと、微妙な色の違いを見極めるのが大変で。
選別作業には膨大な時間を要求されるのが常だ。
特に今回は、三日分をできるだけ凝縮しなければならない。
一日中缶詰になる覚悟を整えて保管庫へ踏み込み、顔だけで振り返った。
「そうだ。ハウィスが『ありがとう、これからも愛娘の世話をよろしく』と『程好い甘さでとても美味しかったわ』って言ってましたよ」
「それは良かった。で、ミーは?」
どうだったかと聞かれて、申し訳なさにうつむく。
「実は、まだ食べてません。一度に減らすのが勿体なくて」
本当は、アーレストのせいで気分が悪い時に食べたくなかっただけだ。
贅沢の最高峰とも言える品。
記憶に残る一口目は、気分良く頂きたい。
「ああ、だから昼食用に持ってきたのか」
「え!? なんで分かったんですか!?」
思わず作業服のポケットを確認してしまう。
一見すると物が入ってるように見えないが、そのポケットの中には確かにピッシュがくれたマーマレードの小瓶と、ミートリッテが今朝作った無糖のビスケットが数枚入っていた。
「秘密。食べたら感想を聞かせてくれ」
ミートリッテの頭を軽く叩いて、ピッシュも保管庫に入る。
「はい!」
秘密って、なんだろう?
と好奇心を刺激されつつ。
ミートリッテは雇い主の背中を追いかけた。
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