逆さの砂時計
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Side Story
少女怪盗と仮面の神父 4
ネアウィック村には二つの崖が在る。
一つは村の南端であり、教会が敷地を乗せている西寄りの崖。
もう一つは、先端際まで森が繁る東寄りの崖だ。
要は三日月の両端が崖なのだが、東寄りの崖は十代前半の子供でもちょっと勇気を出せば飛び込める高さで、ミートリッテが考える「崖ドボーン」の基準には届いておらず、少々物足りなかった。ちなみに、此方では実践済みである。
西寄りの崖には教会……つまり大人の監視の目が常時光っていたので、此処で試すつもりは最初から無かった。「西の崖下は万が一落石があると危険だから近寄らないように」との忠告に従い、遠くから見ていただけ。
ミートリッテにとってハウィスは勿論、村の人達もみんな恩人なのだ。心配を掛けてまで自分の願望を達成しようとは思わない。
思わないが……
「うん。やっぱり、シャムロックなら問題無いわよね! なんたって領内のお尋ね者なんだし。たまたま通り掛かった犯罪者が足を滑らせても、誰も困らないわ!」
いつになく浮ついた足取りで住宅区を通り抜け、中央広場から砂浜へと続く階段を下っていく。
多くの男性は漁へ、女性は教会へ出撃している所為か、思っていたよりは人影が少ない。
波の音や風の音、海鳥の鳴き声や砂浜で遊ぶ子供達の笑い声が、がらがらな家と家の間で妙に大きく反響した。
東寄りの海岸では、停泊用に作られた複数の足場が主の帰りを静かに待っている。
それを見て頬を膨らませたのは、昨夜の海賊の船がその近くに停まっていたからだ。無論、住宅区からは見えない崖の向こう側ではあったが……おかげで、帰る時は真っ暗な森を手探りで抜けなければならなかった。ハウィスから誕生日に貰った真新しいネグリジェの裾が、一部汚れて破れてしまった事。一生赦すまい。
幾ら見張りも舟を漕ぎ出しそうな深夜だからといったって、船着き場が設置された海岸付近に堂々と船を着けるとか。厚顔無恥にもほどがある。海賊としては当然だ。村を襲わないだけマシだろう……なんて戯れ言には、断じて聞く耳持たない。
本当に気付いてなかった見張り役も、早めにどうにかしたほうが良い。
他大陸とは交流が無く、バーデルとの外交にも利用されない小さな港だし……と、村民全員が油断しているのだ。緊張感がまるで足りてない。
相手が奴らじゃなかったら、ネアウィック村は平穏な今日を迎えられなかったというのに。
『此処らにゃ、昔世話になった借りがあるからな。お宝もその時隠したモンさ。しゃあねぇから、今回は海賊業無しで回収してやろうって言ってんだ。オネェサマの為にも頷いてくれよ』
脳内で勝手に再生された海賊の言葉で、ミートリッテの額に青筋が浮かぶ。
「なぁにが借りよ! 女の人達に圧倒されて逃げ出しただけでしょうが、ヘボ男共め……っ……いや、まぁ……解らなくもないけどさ……」
ついさっきまで居た空間を思い出し、暖かい潮風を受ける体がぶるりと震えた。
こんな思いを、あと何回しなくてはいけないのだろうか。仕事はさっさと終わらせても良いが、海賊との受け渡しは五日後の深夜。それまでずっと指輪を隠し持っているのは、対自警団的に危険度が高い。教会が荒らされたらしいなどと噂にでもなったら、神父に熱を上げてる女衆もどう出るか。下手を打てば自分の四方八方が塞がれてしまう。
そう。
正直、ミートリッテはかなり追い詰められていた。いろんな意味で。
一番の要因が地元民の女心だとは想像もしてなかったが。
「はぁああぁー……。家に帰って寝たい……じゃない! 崖を見に行くんだってば! 崖!」
ぶるぶると勢いよく首を振り、下がりに下がった思考を払い除ける。
両手を左右それぞれの肩に引き寄せて拳を握り、目蓋を閉じたまま「よしっ!」と気合いを入れ、キッ! とネアウィック村の南端を見据えた。
てかてか光る海面に目を焼かれそうになって「ふぎゃっ」と情けない悲鳴を上げたのは、ご愛嬌だ。
「あれー? ミー姉がいるー」
縦横無尽に走り回る子供の集団と、彼らを見守る数人の大人達。長閑かな光景を横目に白砂をさくさく踏み進めていると、波打ち際で沖を眺める少女に遭遇した。
年の頃は十二から十三。幼い子供特有の丸みを帯びた白い顔や体は頼りなく、感情の動きが殆ど見えない表情と柔らかく揺れるフリル付きの蒼いワンピースが相俟って、アーレスト神父とは毛色が違う可愛らしいお人形然とした印象を受ける。
彼女は海の碧に映える華やかな金色の長い髪を風に流し、右の青と左の紫で色彩が異なる両の瞳をこてんと傾けた。
「やっほー、アルフィン。なんかすっごい久しぶりね。元気してた?」
ミートリッテが右手を軽く振って近付くと、アルフィンも体の向きを変え、抱えているイルカのぬいぐるみの胸ヒレを振って応えた。
「うん。ミー姉はいつも忙しいもんね。今は仕事上がり?」
「ええ。ちょっと崖まで観光に」
「……崖?」
きょとんとするアルフィンの前で両手を重ね合わせ、薄く紅に色付いた自身の頬に甲を当ててうっとりと頷く。
「そう、崖。魅惑的で刺激的で甘美な響きよね。崖……」
「ごめん。何を言ってるのかさっぱり解らない。」
「なんで!?」
「なんでって……尋かれても困るよ、ミー姉」
無表情でイルカを抱き締めるアルフィンに、今度はミートリッテが腕を組んで首を傾げた。
「うぬぅ……崖を話題にするとハウィスにまで苦笑されるのよね。どうしてかしら。あんなに素敵な謎物質、滅多に無いのに」
「謎物質?」
「謎でしょ? なんだかよく解らないけど、みんながみんな落ちちゃうんだよ? 危ないって判ってる筈なのに! 高い所なんて他にもたくさんあるのに! 長く険しく疲れる道をわざわざ時間を掛けて登ったと思ったら、何故か落ちるんだよ!? 下りるんじゃなくて、落ちるの! いったい其処に何があるのかって、気になるでしょ普通。そしたら、生きてる間に一回は落ちてみたくなるじゃない? 面白そうだもの! ね? アルフィンも興味が湧いてきたでしょ!?」
「ううん。全然。」
「くッ! 切れ味優れた無関心さが胸に痛いわ……っ」
力説? から一転、頭と肩がガクリと落ちる。
劇話でよく使われる舞台の割りに崖に対する周囲の反応は薄く、ミートリッテの「崖ドボーン」熱は空回りするばかりだった。
「私には解らないけど、いつかミー姉と好きなものが一緒な人に会えると良いね。一人ぼっちは寂しいもん」
イルカを潰すほど腕に力を込めたアルフィンは、再び海に向き直って沖をじっと見つめだす。
「……早く帰って来たら嬉しいね、グレンデルさん」
「うん」
母親を早くに亡くし、漁師の父親は一ヶ月以上帰って来ない場合もある。一人暮らしも手慣れたしっかり者のアルフィンだが、やはりこうした横顔を見ると切ないものを感じてしまう。
ミートリッテが両親を亡くした年頃に近いから……だろうか。
「じゃ、私は崖を見に行くわ。風に当たり過ぎちゃ駄目よ?」
つやつやでさらさらな髪をわしゃっと撫でて、目的地へと足を運ぶ。斜め後ろから聞こえた「ミー姉も気を付けてね」の言葉に、「はーい」と声だけで答えた。
海は好きだ。
緩やかな曲線を描く空と海の境を眺めていると、その先に未知の世界が広がってる気がしてわくわくするし、低く響く波音は子守唄のようで落ち着く。
強すぎる風は吹き飛ばされそうでちょっと怖いけど、髪が揺れる程度なら心地好い。白い砂の上をなぞる透明な海水が、足下から離れるほど青さを深めるのも神秘的で興味深い。
なにより、両親が眠っている場所だ。
海岸に来ると会える気がする……とか感傷に浸るつもりはさらさら無いが、一緒に過ごした時間を思い返して笑ったり拗ねたり、ちょっとばかり擽ったくはなる。
飛び込みたい衝動も、もしかしたら根っこには両親への執着があったのかも知れない。
最後に甘えられたのは何歳の時だったか……記憶の中で抱き締める両親の顔はいつも、土気色をした無表情だ。
温かい海水に抱かれれば何かが変わるだろうか?
そんな泡よりも儚い期待は
「……空しい……」
遠浅の海に見事蹴散らされたのだが。
「うぅぅー……目立った障害物は無いのになぁ……。あっちの崖は深いくせに、なんでなのさーっ!」
見上げる崖の高さは二階建て家屋三戸分相当どころではなく。海に突き出した先端の下方は浸水しているものの、少し離れた砂浜から地面が透けて見える深さしかない。目測では、一番深くてもミートリッテの腰上くらいか。
こんな条件で「崖ドボーン」を実行したら、結果は多分「崖グシャ」。それでは何も面白くないし、本気で村人達に大迷惑なただの自殺だ。
ミートリッテはあくまでも海水に飛び込みたいのであって、地面に叩き付けられたい訳ではない。
よって、ネアウィック村での「崖ドボーン」は諦めざるを得なくなった。おまけに、海賊の『依頼』で使える逃走経路も一つ姿を消したことになる。
折角見付けた楽しみが無くなり、またしてもどんより気分に落ちてしまった。
「儘ならぬものね」
はふぅ……と深い溜め息を吐き。さてどうしたものかと、ミートリッテの思考をシャムロックの物に切り替える。
南側が塞がれたとなれば、侵入と逃走に使える道は北側の坂一本のみ。人目を避ける為、一旦村を出て西の山から坂道に繋がる地点まで登り、帰りはその逆を辿るしかなさそうだ。
教会の敷地を出入りするのは深夜と早朝の間、アーレスト神父が確実に眠っている頃。入口の扉に付けられた鍵は針金で簡単に開ける型だった。少なくとも侵入には手間取らないだろう。肝心な礼拝堂内での動きは暗闇の感覚次第。
となれば、次は西の山を探ろうか。果樹園よりもっと遠くに使える足場があれば良いのだが……あの辺りには十分気を付けないと、判りやすい境界線を敷いてない割りにバーデルの国境警備隊がうろうろしてる所為で、一歩間違えれば不法侵入者扱いだ。
そんなに領土を主張したいなら、木に網を吊るすなりなんなりしといて欲しい。境界をわざとあやふやにして、迷い込んだ人間の身代金だの保釈金だのを狙ってるんじゃないの? 迷惑な! ……と思ったが、それを言うとアルスエルナ側も地図上の線に合意しただけで、結局現地には手を打ってない。どっちもどっちか。
いや。村付近に警備隊すら置いてないアルスエルナは、自衛の面で弛すぎる。国端にこそ重要な政治線を引くべきであろうに、地方依存も甚だしい。
税収分働き手をしっかり上手に使える領主が在任していれば問題無いのだろうが、残念ながらお貴族様方の大変優秀なおつむは自身の懐を温める方向にしか働いてない。でなければ、南方領民が財政難に頭を悩ませる必要も、怪盗シャムロックが暗躍する必要も無かったのだから。
まぁ……だらしないとも思える薄政ぶりのおかげで、バーデルの浮浪者だったミートリッテがアルスエルナの領土内でハウィスに拾われたのだけど。
彼の国出るは易し、入るは難しである。
本当にこんなスカスカ状態で大丈夫なのか、アルスエルナ王国。その内バーデルに侵攻されるぞ。実際に海賊来ちゃってるし。先行きに不安しかないってのは、国としてどうなんだ。
「……とにかく、国境線だけは越えないようにしなきゃ。……はぁあー……しんどいよぉ……」
此処でも微妙な匙加減を求められ、シャムロックは容赦無い鈍痛を訴える自らの頭を抱えた。
が。
「……へいき。わたしはへいき。だいじょうぶ。だって、うごけるもの。てもあしも、あたまもゆびさきも。ぜんぶぜんぶうごくもの。だったら、うごけ。うごかせ。わたしはいきてる。なんのしょうがいももってないなら、うごけるかぎりうごきつづけるの。うごけなくなるまで、なにもあきらめたりしない。そうよ……私はハウィス達の為なら何だってするって決めたんだから。この程度で投げ出してたまるもんか!」
(そうでしょう? ミートリッテ)
直立不動のまま焦点が定まらない視線を空へ放り、両手をだらりと垂らして風を遣り過ごす。
ふと、小さな白い鳥がぼやけた視界の端を掠めて飛んで行った。
何処へ向かうのだろう? その先で美味しいご飯が食べられると良いね……と微笑み。
ミートリッテは、砂に残る自分の足跡を遡った。
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