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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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第四章、序の2:誓約 ※グロ注意

 
前書き
 本文後半部にて、節足が複数ある虫を彷彿と髣髴とさせる部分があります。苦手な方は無理をなさらず、前半部分のみを御鑑賞の後、ページを切り替える等の対応をして頂きたく、御報告申し上げます。 

 
 気の長そうな西日が王都に注ぎ、白光は徐々に茜色の兆しを帯びているようにも見えた。光は街の全体に行き渡り、当然の事ながら、内縁部の傍らでひっそりと佇んでいるブランチャード男爵の屋敷にもそれが注がれていた。
 窓から注がれる陽射を受けて明るくなった鏡を見て、キーラはしきりに髪型の乱れを直している。既に何度も指や櫛で梳かされてなだらかな美しさを誇っているのだが、それでも不十分のように思えて、水色の長髪に何度も指を通らせて様々な角度からそれを鏡に映している。表情は明るみを抱き、浮き足立ったように落ち着きが欠けていた。

「お母様っ、髪型大丈夫かな?乱れていないよね?」
「落ち着きなさい、キーラ。普段通りでいればいいのよ」

 何度も繰り返すやり取りに傍に居た彼女の母は穏やかな微笑を浮かべていた。太陽と鏡の二つの光を受けて自らの美を整える娘の姿は、親心の贔屓を抜いて考えても、傾城の美に達するかといわんばかりに美麗であり、純真な姿であった。塞ぎ込みがちで悲観的になっていた昔の姿からは想像もつかぬほど、母の娘は純朴に胸の気持ちを華やがせていた。
 その契機となり、今やその高鳴りの対象となった青年は彼女らが居る二階の真下、即ちリビングにて当主ミラーと向き合って座っていた。机を挟んで一対一で座り込む当主は、上機嫌そうに仄かな酒気を漂わせている。

「・・・ケイタク殿。我が館を訪ねたからには理由があるとお見受けするが、如何に?」
「正にその通りで御座います、ブランチャード男爵。此の度皇帝陛下から私に下賜された職務につきまして、お願いがありまして此方に訪問させていただきました」
「確か、北嶺調停官補佐役だったな?中々の重職ではないか、思う存分やると良い。若き失敗は何れ成功の大花となり、君の人生をより華々しく彩ってくれるからな」
「は、はぁ・・・努力致します」
 
 初めて相対するキーラの父君のテンションに、慧卓は戸惑いを浮かべながら返事をした。鼻をつんつんと突き回る麦酒の香りが、まるで蚊が飛び交うかのように平常心を乱していく。

「それで、その、お願いなのですけど・・・」
「ふむ。君は娘と仲良くやってくれているのだ、遠慮せずに言い給え」

 どっかりと腕を組んで深く首肯したミラーは、威厳を生ませるように背凭れに体重を乗せる。動作だけ見れば確かに威厳はありそうだが、実際は酒飲みが酔いに任して浮かれているようにしか見えない。
 しかし如何にも緊張気味の慧卓はそれを指摘する暇も無いようであった。何度か胸中で深呼吸をし、口の中で話すべき言葉を確かめた。そして、酒気と乱心の下に一気に言う。

「娘さんを俺に下さいっ!!!!!」
「きょえええええぁぁぁあああぁああっ!!!!」

 裂帛の奇声を挙げながらミラーは椅子を振り上げると、机に足を乗っけて断頭斧のように振り落とした。鳥が頸を絞められるような鋭い悲鳴が響き渡り、家の内外に動揺を齎す。

「今何かすんごい悲鳴が聞こえましたけど」
「嬉々として言うんじゃない・・・」

 屋敷を警備していたユミルは、ふと舞い降りた修羅場に期待の笑みを膨らませるパウリナを見詰め、暑さに負けるように力無く突っ込みを入れた。





「・・・あの、大丈夫でした?」
「・・・うん」

 修羅の怒りを買ってしまった慧卓は、頭頂部に走る鈍痛を耐えながら潔くキーラによる治療を受ける。椅子の足による殴打は本気のものではなかったが、小さな瘤が出来るには充分な威力である。そのお陰でキーラの自室で温かな看病が受けられるのだから、人生の先行きとは不透明である。
 室内は整理と清掃が行き届いた清潔さに満ち、本棚がびっしりと厚い本で埋まっていた。慧卓は畏れ多くも彼女の寝台に座って、治療を受けている。

「御免なさい。お父様は私の事になると直ぐにああなってしまうのです・・・特に最近は」
「そ、そうなんだ・・・なんかほろ酔い気味だったから変に思ってたんだけど」

 そうとは言っても、慧卓は自らの言葉に些か過激なニュアンスが入っていた事を認めていた。多感なキーラの父君に対して言うべき言葉では無かった。吐瀉のショックと酒気の煩わしさが平常心を奪っていたのだ、そう心中で己を弁明する。
 そこまで思ってから、キーラに対して敬語を用いなかった事に気付いて謝罪した。

「あ、失礼しました、敬語も使わずに話すだなんて」
「い、いえいえ、寧ろ敬語なんていりませんよ。友人同士のお話なんですから、ね?」
「そ、そうですか・・・じゃぁ今から敬語無し、だな」
「はい・・・あ。う、うん・・・それで、リビングではどんな話をしてたの?その、叫びの所だけは・・・聞こえたんだけど・・・」

 キーラは一度視線を逸らしてから、再び慧卓に上目遣いに目を向けた。気恥ずかしげに目元を細めている様子に、慧卓は俄かにうろたえつつも順を追って話していく。

「え、えっと、順を追って話すけどさ。俺が騎士になってさ、最初の任務が下されたんだ。北嶺調停官補佐役ってやつでな」
「す、凄いね・・・叙任数日でそんな大役を?・・・でも、ケイタクさんなら不思議じゃないかぁ」
「そうなの?」
「まぁ、私から見ればそうだよ?」
「・・・その任務なんだけどな、調べれば調べる内に物凄く重要で大変な役職だって事が分かったんだ。俺一人じゃ如何にもならないくらいにさ。でも規定によれば役職に就く人間は職務の妨げにならない範囲内なら助っ人を同伴させても良いって解釈出来るよ、ってブルーム郷が教えてくれたんだ」
「それ、確か五十年くらい前の王国裁判所の判例だと思うよ。仕官の副官はどの程度の範囲内なら、他人を職務へ同行させていいのかっていう感じのもので・・・。拡大的に解釈するなら補佐役も副官と同等に近い役割を担っているんだから、ある程度の融通は利くだろうって感じで教えて戴いたんでしょ?」
「・・・す、凄いな、何でそんなの知ってるんだ?」
「勉強してたから、少しは知っているよ」

 小さく誇らしげに笑みを見せるキーラに、慧卓は一人納得した。確かにこの本棚から見る限り、広範な知識を学んでいるのは確実そうである。

「続きなんだけどさ、その任務、俺一人じゃ如何にも出来ない。だから男爵にお願いに来たんだ。キーラが欲しいって」
「・・・欲しい・・・」
「えっ?あ、言葉に別に他意は無いぞ?ただキーラが来てくれるなら、俺の任務は結構楽になると思ったからで・・・」
「・・・其処はもう少し匂わせてくれてもいいと思うんだけど?」
「こ、今度からそうする・・・それで、そのだ、キーラ。もしよければの話なんだけどさ・・・俺と一緒に北嶺へ来てくれるかな?も、勿論無理にとは言わないさ!ただ来てくれれば嬉しいなぁって・・・」

 勧誘の言葉が尻すぼみとなってしまう。同僚や友人達を誘うのとは訳が違って、キーラは何の関係の無い帰属の令嬢である。更に父君を怒らせてしまった経緯を経て尚頼むのは、如何にもおこがましいと自認していたからだ。
 キーラは視線を床に遣って逡巡しながら、慧卓の横に座って話し掛ける。

「いきなりで、一体如何返事をしたら良いのか分からないんだけどね・・・取り合えずだよ・・・私以外にも誰か来るの?」
「仕事上一緒に来なきゃ行けないのはアリッサさん。それに北嶺の途中まではキーラのお父様が一緒だ。あの人は北嶺監察官の任を受けてクウィス男爵の領内に留まって、俺達と王国中枢との間を取り持つ役目を負うんだ。中間管理、みたいな感じかな?」
「・・・お父様の方、もっと分かりやすく言ってくれる?」
「えっとだ・・・俺達現場の意見を上方に通り易いようにしてくれたり、或いは逆に上方の要求を俺達に伝えたりしてくれる。そういう御役目さ」

 キーラは床から視線を外して慧卓を見詰めた。付け加えて言う。

「他に誘った人も結構居るんだけど・・・色の良い返事はまだ返って来ない。今日中じゃ多分来ないと思うな。後は、建物の入り口の前に居る二人だけ。彼らは同行するのが確定している」
「・・・入り口の二人はデキていそう・・・今の所、ライバルはアリッサさんだけ・・・」
「へ?」
「い、いやっ、何でもないよっ?」

 宙を泳ぐ蝿のように小さな声であったため、幸か不幸か慧卓にはそれが届かなかった。頸を一つ捻ってから、慧卓はゆっくりとした口調で言葉を掛けていく。

「それでだ、思ったんだけど、キーラってかなりの勉強家なんだろ?当然色んな書籍から沢山の情報を汲み取るのに慣れているだろうし、それがどれ程大切かという問題についても理解もある。だからもし俺の補佐に回ってくれるなら、手に入って来る情報の解析や伝達を手伝ってもらいたいんだ。
 ・・・それに後は、一緒に身の回りを整えたりとかさ。俺、騎士の割に自分の生活に無頓着だがから」
「・・・・・・ふーん、そうなのか」

 キーラは生返事でそう返して再び考え込んだ。慧卓にとっては胃に重みが掛かる静謐が生まれ、ただ只管に返事を待つ以外に出来る事が無くなった。一分かそこいらを考えている内にキーラは何か思い付いたのか、その表情をはっとさせて、次の瞬間には冷ややかな雪庇のように冷たいものとさせた。そしてその表情に似合うような冷静な声で、表情の変化に動揺している慧卓に向かって言う。

「・・・一個だけ、約束をいい?」
「・・・なんだ?」
「・・・もし、無事に職務を成し遂げて、王都へ帰還出来た暁には・・・」

 一拍の間を空けて、キーラは言い放った。

「王国の騎士ケイタク=ミジョーとして、ブランチャード家の一人娘との婚約を考えてくれる?」
「・・・え・・・」

 思いもよらぬ言葉に、慧卓の脳裏は一時の間、凍結するかのように思考を止めた。キーラの言葉を理解した時、溶岩のように思考の波が流れていくが、一方で身体の熱が高まる事は無かった。己に対する婚約の告白を届けた彼女の表情が、その優しみのある顔立ちとは対照的な、冷徹な貴族の顔を浮かべていたからだ。

「・・・冗談の心算でも無いよ。これは貴方にとって凄く大事な話なんだから。・・・ケイタクさんが請け負った御仕事、ケイタクさんは必ず成し遂げるって私は信じている。でもその後で王都に帰ってきた時には、きっと今まで以上に謀略や策謀に巻き込まれると思う。私には分かる。
 有能で、若さに溢れ、だけど身寄りが無い唯の騎士。それが未来の貴方。謀略や陰謀に巻き込まれるのは当然だと思わない?派閥への参加、間諜による誘惑、それに政略結婚。貴方に秘めた価値を狙って、皆食指を伸ばしてくるよ。たった一人で、それらをかわせられる?」

 貴族の令嬢だけあって、説得力はかなりのものであった。慧卓は胸をどきっと鳴らして言う。

「・・・お、俺だけじゃ無理かもしれないけど、皆と一緒ならーーー」
「貴方を真っ直ぐに庇ってくれる人は居ないわ。クマミ様と仲が良いとは聞いているけど、あの人はもう騎士団長。たった一人の騎士を庇うよりかは、己の騎士団を謀略から守る方を優先する筈。他の人だって・・・コーデリア様だって、同じよ。誰だって貴族達を敵に回すような事はしたくない。宮廷から、王都から居られなくなっちゃうもの。・・・貴方には、後ろ盾が無いの。
 ・・・でも私なら、その盾を掲げる事が出来る。私の家なら、貴方を庇える。だから、私を利用して。ブランチャードという貴族を利用して。ケイタクさん自身のために」

 聞けば聞くほど彼女にとって、そして彼女の家にとって何の益の無い提案であり、慧卓は困惑を浮かべてしまうより他無かった。遠くない将来において陰惨な貴族らの謀に巻き込まれる事が確実視される、たった一人の騎士を家名に懸けて囲おうとしているのだ。味方も少なく、己の力も弱い状態で。仮にこれを受けるとしても、矮小な木端貴族に先手を取られた他の貴族達の恨み嫉みは想像を絶する程のものであろう。今後の安寧を求めるならば、双方にとって正しく修羅の道への誘いであった。慧卓を追い詰めるような口調を抜きに考えても、である。
 何故このような告白を、と問おうとして、慧卓はキーラの瞳の動静に気がついた。装われた冷たい仮面の内側で、理性の瞳がふるふると揺れていた。自らを凌ぐ高貴に対する恐怖が、彼女の奥底にある常識の糧を突き崩そうとしているのだ。にも関わらず、彼女はその恐怖に正面から相対している。勇気によって手の震えが止まり、段々と瞳が落ち着いていく様子すら窺えた。明らかに、彼女は決意をしていた。そしてその決意に判を押すのは自分であるのも理解出来た。
 何が彼女をそうまでに奮い立たせるのか、俄かに感ずるものがあった慧卓は、意を決する。この無鉄砲な申し出を断る程、自分は利口ではないらしい。

「・・・・・・キーラ、約束する」
「・・・何を?」
「この旅路の間、お前に絶対に傷を負わせない。俺がお前を守り通す。騎士として、男として、お前を守護の瞳で見続ける。・・・その後で、婚約の返事を出そう。・・・後悔は、させないから」

 そして、己が本当の馬鹿に思えてならなかった。彼女と彼女の家に、一族存亡の覚悟を強いる可能性を与えたからだ。同時に、此処まで守護して貰った熊美達に対する申し訳無い気持ちもあった。必死に守ってくれたにも関わらず自分から自滅の可能性を生んでしまうのだから。
 それでも彼女の告白を拒絶する事など出来ない。これほどまでに真摯に思われたのだから、自分の方こそ真摯になるべきである。そう直感で感じたからこその言動であり、それこそ、偽らざる己の本心であった。答えをはぐらかす事だけが、精一杯の理性の要求でもある。
 キーラは大きく深呼吸をしてから、震えそうになる喉を正して言う。

「本当に、いいんだよね?」
「ああ。必ず答える」
「・・・誓って」

 キーラはそう言って、瞳を閉じる。慧卓は一瞬の躊躇いを覚えて口を噤みかける。そしてそのままの口で、己の唇をキーラの口端に落とした。上唇が微かに、キーラの柔らかく熱帯びた唇を捕えた。

「・・・上手く言葉には出来ないけど・・・これが今の俺に出来る、精一杯の気持ちだ」
「・・・ちょっぴり残念だけど、凄く伝わったよ、ケイタクさん。だから、私も誓います。私キーラ=ブランチャードは、この旅路に問わず、この命ある限り、貴方の支持者であり続けます。貴方にどんな時であろうとも、我がブランチャード家は救いの手を差し出します。貴方に、ブランチャードの名誉を託します。・・・だから自分を滅ぼそうとしないでね、ケイタクさん」

 静かに囁いて、キーラは慧卓の胸元に己を倒れさせる。彼女のたおやかな背を抱擁した慧卓は、顎で髪の毛のなだらかさを感じ、彼女の誓いを受け止めた。

「貴方が誰を想おうと、私は負けないよ。だって貴方の事が、好きだもん」

 己が感じたものは、漠然としたものから確然としたものへと変わった。愛の告白を受けて胸が高鳴るが、それは過去に覚えた別の高鳴りに比べれば小さいものである。舞踏会で清楚に美しく己を飾ったコーデリアを見て覚えた高鳴りと比べれば。慧卓は己の恋心を自覚しつつも、胸の中に飛び込んだ少女を抱くより他が無く、静謐に流れる時間に己を委ねていった。
 


 
 屋外で警護していたパウリナが壁に凭れ掛かって静かに時を数えている。隣ではユミルが、段々と臙脂に染まる暮れの空をぼぉっと見遣っていた。
 そうしていると、ふと、屋敷の扉が開かれてミラーが顔を出してきた。

「・・・君、いいかね」
「・・・パウリナ、少しの間頼む」
「はい」

 パウリナに警護を任せてユミルは屋内へ通され、リビングへと案内される。椅子に座り込むように催促されて従うと、反対側にミラーが、ついで上階より降りてきたミントが座り込んだ。ミラーが問う。

「君も彼と同行するのかね?」
「はい。彼と共に北嶺に赴きまして、己の武を以って彼を守護する所存であります」
「・・・頼みがある。我が娘についてだ」

 居住いを正そうと肩を動かしてから、ミラーは確りとした貴族の当主の瞳で、ユミルに傾聴を迫った。

「あの娘の此処最近の心境の変化はとても大きい。ほんの少し前まで閉塞感に囚われていたような子が、今ではすっかりと恋の赤い蕾を咲かせるまでに至ったのだ。その変化は、親としてとても喜ばしい事だと思う。
 だがそれには大きな欠点がある。あの娘が他の男にその情を向ける可能性が極めて低いのだ」
「・・・ブランチャード家の一人娘という立場でありながら、私共の不徳もあって、彼女に対する宮廷の視線はとても冷めたものとなっているのです。それこそ、跡取りの候補すら挙がらない程に」
「だから我が一家にとって、あの青年は希望の綱なのだ!ブランチャードという血筋を後世に残す、未来への息吹なのだっ!あの青年がもしも何か重大な傷を負って、それが彼の死を招いてしまったら、キーラはっ・・・!!」

 真に迫る表情で二人は口を閉ざす。陰惨な深謀遠慮に惑わされて生まれた己の警戒心のためか、二人の表情が嘘か本当か見抜けなかった。しかしどのような方角へと邪推しようとも、ユミルは断る術を知らない。貴族の当主直々に、厄介事に巻き込まれてくれと頼まれたのだ。立場の弱い唯の一臣民である彼が、如何してそれを断れようか。

「・・・分かりました。私とパウリナが、命に代えてでも彼をお守り致しましょう。彼が主神の下に参るのは、寝台に横たわり、己の子孫に囲まれるその時でありましょう」
「・・・済まない、宜しく頼むっ」
「お願い致します。あの子の為にも、どうかあの御方を守って下さい」

 必死に頭を下げる二人を見て、ユミルは益々困惑の念を抱いてしまう。貴族の頭はこれほどまでに軽いものなのか、彼らだけが特別なのか、判断のしようが無い。だが一つ理解できる事がある。己の言葉によって、己の足に貴族の期待の鎖が繋がれてしまったのだ。

(・・・とんだ重責になってしまったな。冒険家、いきなり休業か)

 己とは正反対に、旅路に待ち構える浪漫に胸膨らませる相方が簡単に想像出来てしまい、ユミルはどうしようもない思いで視線を逸らした。静謐が痛いまでに頸を痒くさせてしまうのを感じるも、耐えて、耐え抜いていく。高貴な者達の礼を受けるのは、実にむず痒い思いがしてならなかった。



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 夜が雨上がりの天気のように明ける頃。東方の光が、闇を煙らせた空をほんの僅かに照らす。閉ざされた薄手のカーテンから光が毀れるかのように、王都の街から暗闇が払われていった。石は誰よりも早くに起床の光沢を放ち、木々は遍き朝日にざわめいている。城壁を警護する老年の兵士は、一日の始まりを告げる光を、目を細めて見遣っていた。
 だがその光は、石木の街の下に広がる陰惨な一室には届かない。内縁部のコンスル=ナイトの宿舎、その床下を貫く狭苦しい階段を降りていくと、一体何処にそんな空間があったのか、広大な闘技場のような空間が広がっていた。松明の炎だけが石造りの冷たい壁を強く、天上を弱く照らす。真夜中の星の光にも似た薄暗さによって、広場に立つ二つの生物の姿が映し出された。片方は黒衣の男である。男と分かるのはそのがたいの良さと、女性には到底抱えきれぬであろう、巨大な棒切れに鉄の支柱を差し込んだだけの巨大な鎌を携えていたからだ。普通の男とて、それを持てるかは酷く怪しいものであるが。項垂れた黒衣からは表情が窺えず、数十メートル先に佇むもう片方の生物の事など気にする素振りすら見せない。
 彼が対面しているその生物とは、実に奇怪な風貌をしたものであった。鳥のように細い頸によって、足を幾本も生やした鎧の如き厚い胴体を支え、スライムのように爛れて瞳を失くした頭部を繋ぎとめている。体全体が木の皿のような鈍い茶色をしており、所々、漆のような薄黒いまだら模様が光っていた。2メートル近くの胴体を支える足は人間の手足を模したかのような外開きの間接を持っており、鶏冠のように突っ張って半開きとなった口元からは銀糸が幾筋も垂れ、焦げ付いた肉のような咥内を覗かせる。地面に落ちる度に粘着質なぴちゃぴちゃとした音が響く。その音は時計の針のように、互いの生気を伝え合っている。何時互いを狙って飛び込むとも知らぬ緊張感が、広大な広間を支配していた。

(・・・心臓に悪いな)

 広間を一望する高みに座すバルコニーにて、双方の対立を見下ろしていた禿頭の中年男は、肝を冷やし続けていた。バルコニーが安全のため鉄格子に覆われているとはいっても、怖いものは怖いのである。最近肥え始めた肉肌が震えているのが見て取れた。両者の危険性を理解していたからこその緊張でもあるのだと、男は己に言い訳をする。この広場に流れる風が宿舎からのみならず、墓地からの風も含まれているというのも、更に心を冷え込ませるものであった。
 その時、背後の方からたんたんと、階段を降りて来る音が響いてきた。振り向くと、騎士一人を連れ従う形で、レイモンド執政長官が現れた。

「・・・っ、執政長官殿!」
「敬礼はいらん。それより様子は如何だ?」

 広間を見下ろしながら、小太りの禿げは言う。

「まだ、なんの動向も見受けられません。二者、失礼、一者と一物は睨み合ったままです」
「・・・一物?」

 上司の呟きが嘲りに聞こえてか、男は顔をさっと赤らめて怒った瞳を逸らした。広間に佇む二つの怪物を形容した結果がこれである。但しその表現は正しいものだ。片方は執政長官が衆目から秘匿する悪魔のような人間であり、もう一方は魔術大学学院長の歪んだ置土産である。どうして双方がそうなってしまったのか、聞きたくもない事であった。
 レイモンドは広場のそれを見下ろして不満げに鼻を鳴らすと、男は驚いた表情でこれを見遣った。普段は感情的にならぬ上司なだけに、人間らしい態度が珍しく思えた。長官は言う。

「埒が明かんな。時間も限られておるというのに・・・何故動かん?」
「そ、それは・・・単に食欲が無いからではしょうか?どちらも肉食生物に部類するものでありますゆえ、目の前に餌を落とせば動くやも・・・」
「・・・ならば、投下してみれば如何だ?」
「え、餌ですか・・・しかし、一体何を投下すれば良いのか見当が・・・」
「・・・おい」
「はっ」

 騎士に呼び掛けてレイモンドは続ける。人と虫の区別が出来ぬような、冷徹な口調であった。

「墓地から死体を取って来い。なるべく新鮮な奴にしろ。先日の騒動で運ばれた憲兵の死体がある筈だ。あれを投下する」
「っ、し、執政長官殿っ、それはーーー」
「貴様には頼んでいない。・・・我が騎士よ、良いな?」
「し、承知致しましたっ!」

 慄いた表情のまま騎士はさっと身を翻して掛けていく。重厚な扉がぎぃっと開くのを横目に、男は怪物を仰ぎ見る瞳で上司を見詰めた。レイモンドは有無を言わさぬ強い口調で言う。

「・・・この計画に妥協は許されんのだ。それが人の生死を冒涜するものであるにしろ、小さき問題に過ぎん。あの計画が成就すれば紅牙大陸は真の統一を果たす。これはそのための通過点だ、分かるな?」
「は、はっ。秩序ある平和の為に、手段を行使する手を一つ増やす。その思想は理解できておりますが・・・しかし・・・」
「理解だけでは留まらん、納得しろ。・・・それとも、貴様が落ちるか?」
「めっ、滅相も無い!私は心より貴方々の崇高な御計画に賛同しておりますっ、はいっ!帝国の為ならば、この命、常に捧げる次第でありますともッ!!!」

 興味なさげに視線を二つの化け物に戻した事に安堵しつつも、心は一向に安らかにはならない。隣に立って得体の知れぬ深謀を覗かせる老人が、ただただ恐ろしい存在に見えてならなかった。

(・・・わ、私は、一体何をしているのだ?何故此処まで手を突っ込んでしまったのだ?唯一時の栄華があれば、それで充分だった筈なのにっ・・・!!)

 欲に釣られて入り込んだ世界が是ほどまでに凄惨で人道から外れるものと知っていれば最初から入りはしなかったと、男は数年前の無知な己に言い聞かせてやりたい気持ちでいっぱいであった。禿げた頭に苦悩の脂汗を浮かせていると、墓地への扉が再び開いた。付き添いの兵士まで動員したのか、荷車に幾つもの死体を載せて数人の男がそれを運搬していた。形程度の保存処理がされているため死体は腐っておらず、俄かに腹を膨らませて肌を黒ずんだものにしているだけだ。
 広間に立ち込める刺々しい気に圧されて兵士等が顔を引き攣らせる。それらをさっさと帰して、騎士は勇気を奮って言う。

「も、持って参りました」
「宜しい。其処の穴から順々に落としていけ」
「はっ・・・」

 騎士は壁に掛かっていた鎖の取っ手を下げる。鎖の隣の石壁がずずずと上昇していき、荷車一台が楽々と入れるほどの大穴を見せた。それはきつい傾斜を抱きながら広場の方へと貫いている。騎士はその傾斜に従うように荷車を押し込んだ。がたがたと車輪を叩かせ、重なり合った死体を震わせて荷車が降下していく。
 最下部の部分、滑り台のように盛り上がった場所を基点として、荷車が軽くひゅんと宙へ飛んだ。車体を軽く捻らせながら荷車が地面に落下して転がっていき、盛られた死体がばたばたと地面に撒かれていく。黒い体液が地面に撒かれた砂を穢し、ごろごろ転がった車が地面を掘り進んで、両者の真ん中で止まった。

「おっ、落ちましたぞ・・・」
「黙っておれ。直ぐに結果が見える」

 その転倒は無論、かなりの大音量を伴って壁と空間を揺るがしていた。不動のままの黒衣の男が頸を俄かに上げて反応する。フード越しの殺意の瞳に気付いたか、奇怪なる化物は反射のように足を震わせて、瞬間、蜘蛛のように生々しく足を蠢かせて男に接近していく。足に連動して身体が内側から盛り上がり、頸が所在無さげに揺れる。

「ほぉっ・・・!」

 嫌悪感が走る動きにレイモンドは感嘆の息を漏らした。化物は口から体液を零しながら荷車を前に止まり、音を辿るように頭を振って、死体が転がった方向へと足を向けた。そして最も近き位置にある死体に辿り着いて、足を屹立させて己の身体と得物を固定する。そして吸盤のような口を、その頭部に匹敵するかといわんばかりの大きさまで広げて、一気に死体に喰らいついた。ぐちゅっという肉質のある音を掻き分けるように黒ずんだ血液が溢れ、化物の頭部を濡らしていく。死体がびくびくと震え、その厚みを無くしていく。腐敗した肉肌から数本の触手が突き破り、花弁のように先端を開いて肉を咀嚼しているのだ。
 
(な、なんて事を・・・!)

 禿げ男は顔を青褪めさせて口元を抑える。込み上げる嗚咽を懸命に堪えるのを嘲るように、レイモンドは歓喜に瞳を震わせて、人間のような態度を示した。

「流石マティウスだっ、見事な仕事をしおったぞ、あいつは!!」

 気狂いを見る瞳で部下等が見遣るがレイモンドは意に介さない。彼らが見下ろす中、化物はあっさりと腐肉を貪り終わり、骨となった皮切れから触手を抜き取った。そして二体目の死体へと近付こうとした瞬間、黒衣の者がいっきに駆け寄って行く。

(来たっ!?)

 男が急いで目を向けるも、疾風の如き俊足の男に視線が追いつかない。それが追いついた時には、男は勢い良く跳躍しながら凶悪な鎌を頭上へと振り上げていた。宙を凪ぐ鋭い音に化物は反応して、即座に左方へと身体を滑らせた。鎌が深く地面へと突き刺さって砂を煙らせるも、男は直ぐに鎌を抜き取った。そしてそれを更に振り抜こうとした瞬間、化物の身体と足が男の身体を押し倒した。息をもつかせぬ、昆虫のような動きである。
 幾本の足で男を固定して抵抗させないようにし、残りの足は地面に確りと立っている。柔軟な間接のお陰で男と化物の距離は一気に縮まり、口元の触手から粘ついた唾液が男のロープへぽたぽたと落ちていった。男が鎌を動かそうとするも、足の膂力のお陰で手首が固定され、上手く力が入らない様子であった。そして化物が死体へしたように一気に喰らいつこうと口を広げた瞬間、男は地鳴りのような唸り声を漏らし、強引に腕を振り上げた。瞬間、固定を強いてきた化物の足の間接がばっきりと逆方向へ折り曲がり、束縛を振り解かれる。男は目前へ迫っていた化物の頭部に、横合いから深々と鎌の切っ先を突き刺す。
 
『GiiiGeeeeeeee!!』

 耳障りな悲鳴を漏らして化物は身体を震わせ、執念の篭った動きで男の抵抗を妨げようと数十本もの細い触手を露出させた。男はそれを無視し、もう一度、鎌を突き刺す。鎌の切っ先が横合いから頭部を貫いて現れ、化物の悲鳴がより高調子のものとなった。耳障りなそれは、明らかな苦悶の色を示している。
 男はそれに留まらず鎌から手を離して、右手で化物の頸を掴み取り、左手でその付け根を握った。そして引き千切るためにそれを引き離しに掛かる。化物の生理的な嫌悪感を催す抵抗が激しくなり、触手だけに留まらず、多量の足を蠢かせていく。足が砂と男の身体を蹴り、鎧の萎縮と盛り上がりが激しくなり、触手から死体から抜き取った体液と肉片が逆流していく。男は笑みのように喉を震わせて、為政者の如き堂々さで、その細い頸をばりっと胴体から抜き取った。頸元から細い神経のようなものが千切れた状態で現れる。閃光のような電撃が化物の身体へと流れて、足先をびくびくと震わせる。
 己へ掛かる重みが無くなったのを感じると、男は化物の身体を蹴りつけて宙へ飛ばした。数メートルほどの軽い跳躍をした後、化物の身体は背中からどんと地面にぶつかった。露呈した柔らかそうな腹を痙攣させ、爛れた触手を震わせて、その命をゆっくりと終末へ向かわせる。

「・・・す、素晴らしい・・・実に素晴らしい」
「・・・あ、あの、その・・・男の方が勝ちましたが・・・これで終わりでしょうか?」
「まだだ、白痴め!あれを見てもまだ分からんかっ!?」

 レイモンドの指摘を得て、男ははっと目を開かせた。男がゆらゆらと化物の方へと忍び寄ってぐったりと膝を突かせてフードを掻き揚げ、禿げ男は初めて、其処に人の顔がある事を知った。顔中に黒い血管が浮き出ており、複雑な魔術の術式が焼印のように刻まれている。とてもまともな様相とは思えない。
 それを裏付けるように、男は口を頬が裂けんばかりに開かせて、化物の腹へ食いついた。仮にも甲殻類の如き身体をしているのだからそれ相応の硬さを持っているだろうに、男はまるで紙を切るかのように腹の皮を裂き、中の黒ずんだ肉の塊を食い千切る。男が貪る膨らんだソーセージのような形状のそれは、よくよく見れば、人間の腸のようにも見えなくはなかった。空いた手で化物の胸を掻き破り、中の臓器を引き寄せてみれば、それは明らかに人間でいう所の胃の形を象っていた。掌に収まらぬ巨大な胃をぐっと握り、灰汁を絞るかのように血を流れさせながら、男は躊躇いもなく喰らいついていく。いたく上機嫌な感じを漂わせながら、男は凄惨な食卓に舌鼓を打っていった。

「素晴らしい・・・同属を食する感覚はさぞや魂を歓喜させる事だろう・・・理解出来るぞ、化け物っ・・・!!」

 その言葉を聴いて禿げ男は、己が何故卒倒してくれないのかと呪いたい気持ちで一杯となった。つまりである、今獲物を食い散らかす男は明らかなる人間なのは間違いない。だが食されているあの化物も、人間なのだとレイモンドは言っているのだ。人間であった名残が手足の形や腸の形状なのか。化物へとされてしまった事への怨念が、あのような悲惨で生々しい悲鳴を上げさせるのだろうか。
 レイモンドは喜色にしわがれた頬を赤くさせて、ばっと背を向けた。

「・・・気分が晴れた。帰るとしよう。・・・騎士よ」
「は、はっ・・・」
「この事は黙っておれよ?信頼しておるからな・・・」
「・・・はっ・・・」
  
 禿げ男よりかは俄かに健康そうな顔色をした騎士は重々しく首肯し、傷ついたような表情をしながらレイモンドの後を追っていく。不確かな足取りが、若人のような浮き足を追って石床を踏み歩いていった。 

「・・・どうなってしまうんだ、俺は・・・」

 残された男は悔恨にも、諦観にも似た思いでそう呟いた。死肉を喰らう粘着質な音楽が流れる中、男はただただ己の将来の絵図を想像しようとするも、その全てに執政長官の顔がちらついて霧散してしまう。さりとてこのまま立っている事もままならない。再び上司の要請に応えられるよう、この広間を清潔なものとする職務が残っているのだ。
 男は自分の頬を何度か叩いて、冷えた鉄のように重い足を動かしていく。過去に誓った忠誠が頑丈な鎖となって男の理性の首を締め付けている。ただの人の食事がこれほどまでに精神を消耗させるものかと、男は億劫そうに心の中で呟いた。
 
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