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逆さの砂時計

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純粋なお遊び
  合縁奇縁のコンサート 19

vol.26
【強者の傲慢=弱者の怠慢=大衆の無関心6】

 「あんさつ、しゃ……? おとうと?」

 立て続けに流し込まれた膨大な量の情報が、理解に届かず耳の奥でぐるぐる回る。
 王族付きの護衛が席を外したと思ったら、今度は細長い剣を肩に乗せて笑ってる不気味な人影が窓の外から此方を覗いてて、トドメには母親違いの弟だと?
 何だよ、これ。
 何の冗談だよ。
 なんなんだ、コイツら。
 なんなんだよ、此処は!?

 「セイレスお母様と別れた後、ガナルフィードお父様は王都に移住したの。其処で出会ったのがキースのお母様、シャメリアさん。だけどシャメリアお母様は体が弱くて、キースを産んだ直後に亡くなられてしまったのよ」
 腰が抜けて動けないオレの視界の端で、にこやかな顔のまま窓の外へと視線を移し直す女。
 コイツ、なんだって平然としてられるんだ?
 外に居る奴は、ベルヘンスとかいう護衛とは違う。正真正銘抜身の武器を持ってんだぞ!?
 危機感とかどうなって……
 「お父様はキースの世話を一人で(こな)しながらなんとか生活していたけれど、慣れない育児に仕事とご近所付き合いも重なって、精神的にも肉体的にも相当追い込まれてしまったようね。二年ほど前、キースを殺そうとした現場を都警団に押さえられて、キースは直ぐ様この孤児院で保護。お父様はその数日後、獄中で自殺したと報告されたわ」
 「………………っ!?」
 死ん、だ?
 母さんとオレを捨てて失踪したクソ野郎が、二年前に自殺してた……だと?
 「首を強く絞められた後遺症で、キースは今でも言葉を上手く操れない。実の父親に殺されかけた恐怖だって、そう簡単には克服できないでしょう。なのにあの子、お父様が亡くなったと知る瞬間まで必死で庇っていたわ。お父さんを助けてください、お父さんは何も悪くないんですって。まだ五歳にもなっていなかった子供が、よ? 遣り切れないわよねぇ」
 ……死んだ……。
 母さんとオレを捨てて。
 他所の女にガキを産ませて。
 そのガキまで殺そうとした挙げ句。
 自殺して
 ……死んだ。

 「……んだよ、それ……」

 死んだ。
 死んだ。
 死んだ?
 死んで、いた……?
 ……もう、何処にも、居ない……?

 「なんだよ、それは……!」

 何処にも、居ない。
 母さんがどれだけ苦しんでいたかも、オレがどれだけこの手で殺してやりたいと……助けてくれと思っていたかも、何一つ知らないまま。
 自分勝手に、死んでいた。

 二年も、前に。

 「なんだってんだよ、クソがぁっ!!」

 もう、何処にも居ない。
 母さんも……
 ……父さんも……
 居ない。

 「遣り切れないのはキースだけじゃないわ。自殺する前日の夜、お父様は取り調べの際にこう話していたそうよ」

 『自分は……セイレスに何もかも任せっきりで……なのに、アイツの不貞の理由が、自分にあったなんて……考えもしなかった……。考えたくもなかったんです……。だから、アイツを責めて、捨てて……。……頼れる人間が身近に居ないって感じる事が、こんなにも辛い、なんて、知らなかった……。自分は、キースに……セイレスに……クァイエットに……何も、してやれて、なかった……。もう、何もして、やれないんだ……』

 「……不貞……? 母さん、が?」
 「それが、ご両親が離婚を選んだ理由よ」
 誰だって最初は親じゃない。子供を産んだ瞬間に役割を切り換えられるほど器用な生き物でもない。時間と経験を積み重ねながら、少しずつ変わっていくものよ。
 そんな、家族として皆で積み重ねていくべき時間と経験の総てを、お父様はセイレスお母様一人に背負わせてしまっていた。
 我が子の命と将来、母としての役割、妻としての役割、ガナルフィードさんがガナルフィードさんである事、セイレスさんがセイレスさんである事……その総てを一人で背負えるだけの強さが、セイレスお母様には無かった。
 覚悟が有っても抱えきれない責任感や疲労、分かち合えない寂しさや、何故自分ばかりがと考えてしまう怒りや、誰も理解してくれないという鬱屈した思いや、そんな自分への嫌悪感。終わりが見えない辛さに延々と付き纏う、底無しの泥沼に沈んでいくような息苦しい悲しみと恐怖。
 そうした孤独(やみ)を、ご自身が身を以て経験するまで、お父様は全く理解できていなかったの。
 「経験が無い物事の本質に理解を示すのは、とても難しい事よ。周りが理解の無さを責めたところでどうしようもない。だって、本質を理解できていなければ、何故責められているのかも、本人には決して解らない……責められること自体が、本人にとっては理不尽なのだから。ただ、お父様はセイレスお母様の孤独に寄り添えなかった。そして、お父様にも我が子を一人で支えられるだけの強さが無かった。それだけがお父様の事実で、お父様が貴方達兄弟に遺した真実」

 『ごめんな……。こんな駄目な奴が親で……本当に、ごめん……』
 
 「母さん、が……不貞……?」

 そんなの……知らなかった。
 ずっと、父さんが身勝手な理由で一方的に出て行ったんだと思ってて、恨んで……なのに。
 なんでそんな、今更……………………

 「…………ああぁぁあ!! クソッ!」

 頭の中がごちゃごちゃして気持ち悪い。
 首をぶんぶん振り回しても、髪が乱れるだけで、ちっとも落ち着かない。
 情報が所々一致してるってだけで、本当の話かどうかも判らないのに、何処かで納得してる自分にイライラする。

 『ごめん、なさい、クァイエット……、ごめんなさい……あなた……』

 最後のあれは、こういう意味だったのかよ、母さん……ッ!


 「……生きるって、難しいわね。呼吸や食事や運動の連続だけじゃ赦されないんだもの。本当に……難しい」
 「! ちょっ、おい!?」
 オレが頭を掻き毟ってる間に、女が窓際へ身を寄せた。
 外側の不気味な人影もそれに気付いてか、唇をニタリと歪めて歩み寄って来る。

 「おい、待っ……!」
 お前さっき暗殺者がどうたらこうたら言ってなかったか!? 剥き出しの刃物を持ってニヤニヤ笑ってんだぞ、そいつ!? うっかり近付いたらヤバイ奴なんじゃねぇのかよ!?
 そう叫んで制止させようと動かない体でもがいてる間に、窓を挿んだ内と外で二人分の輪郭が重なり

 「貴方達はどんな生き方を選ぶのかしら?」

 女の手が窓枠に触れるか触れないかの刹那
 「う、っぅわあああああぁぁあ……!」
 オレ自身の絶叫と同時に勢いよく開いた窓の音が、両耳を容赦無く貫いた。







vol.27 【それでも、全てが愛おしい】

 燭台だけが照らし出していた蔵書室の内に、少しだけ明るさを増した月の光が入り込む。
 出口を得た室内の空気が一斉に飛び出し、冷たい夜風と入れ替わった。
 だが、其処に清々しさや心地好さは無い。
 鋭く尖った針先に足裏を乗せるような危うい緊張感が、夜風に誘われて蔵書室内の隅々まで広がっていく。
 「はぁい、プリシラ次期大司教サマ。お楽しみの時間は終了?」
 「そうねぇ……。楽しみたくても、相手が気絶しちゃったらどうしようもないもの。残念だけど、今日は此処でお開きだわ」
 窓枠に寄り掛かった二人の女性が、机の下で仰向けになって目を回しているクァイエットを眺めつつ、朗らかな口調で談笑する。
 色々なものが限界を超えたらしい彼は、悲鳴と共に意識まで手放してしまっていた。
 「あらあら。ただ窓を開いただけなのに気絶しちゃうなんて、失礼なお子様だこと」
 「その剣が怖かったのよ。彼は空き巣の常習犯だけど、人を殺傷した経験は無いもの。混乱窮まった瞬間に殺されるかも知れない恐怖心が加われば、誰だってこうなっても仕方ないんじゃない? 私達には理解できない感覚だけど」 
 「ふぅん? そんなんでよく此処に乗り込んで来れたわね。伸びてる間に解体(バラ)されるとは思わなかったのかしら」
 「気絶した後どうにかされるかも……なんて考えが及ぶ程度の下地も無いのよ。悪振りたいだけで、根は純粋な子だから」
 「青臭いの間違いでしょう。いっそ今摘んであげたらどう?」
 「これでも素質は認めているのよ? 現在(いま)は未熟な果実でも、丁寧に手を入れてあげれば、美味しく完熟させられるわ。というコトで、彼のお世話もよろしくね。先生」
 「面倒臭い種ばっかり」
 「でも、これはこれで面白いでしょう?」
 「まぁね。案外使えるのも多いし、そこそこ退屈凌ぎにはなってるわ。でも」
 突然、ヒュン! と風を裂いた刃がプリシラの横顔に迫り、肌に接触する直前で停止した。
 こめかみから流れる金の髪が僅かに揺れて、数本はらりと床へ落ちる。
 「私の本命は貴女よ? プリシラ次期大司教サマ」
 少しでも突けば傷が付く位置で光る切っ先。
 それでも女性二人はクァイエットに目を向けたまま、薄っすらと微笑んでいる。
 「何が気に入らなかったのか知らないけど、外までしっかり漏れてたわよ? 思わず嬉しくなって様子を見に来たくなるくらい、はっきりと。ねぇ、もうそろそろ諦めたらどう? 諦めて認めて、此方へ堕ちていらっしゃいな。そうしたらお望み通り、仔猫と一緒に殺してあげるから」
 「そんな言い方じゃ私がおまけみたいだわ。本命と言っておいて、つれない女性(ヒト)ね」
 「ふふ。安心して。貴女の先に仔猫が待っているのだから、間違い無く貴女が私の本命(ひょうてき)よ。現状はね。だから、我慢してないで、とっとと認めてしまいなさい。貴女の怒りは人間として正しい物。無理に押し込めたり否定したりする必要なんか無いの。そうでしょう? プリシラ次期大司教サマ」
 待ちに待った食事(メインディッシュ)を口に運ぶ寸前のような悦びに歪んだ顔で、自らの唇を舐める女性。
 ふと目蓋を半分落としたプリシラは
 「クロちゃんの件があったからとは言え、あの程度でぐらつくなんて……私もまだまだねぇ。でも、残念」
 突き付けられている刃を右手で鷲掴み、乱暴に払い除けた。
 「私は今でも私よ。この先も、私は私を保ち続ける。貴女の刃があの子に届く日は来ない。この命が尽きるまで永遠に、ね」
 「……っ」
 いとも容易く素手で払われた剣に少しだけ目を丸くした女性が、自分を真っ直ぐに見下ろす力強く揺るぎない藍色の眼差しを捉え、両肩を微かに震わせる。
 プリシラが放つ圧倒的な存在感が、暗殺者の業が染み付いている体を勝手に畏縮させる。
 それすらも愉悦だと言わんばかりの表情で息を呑み、震えている。
 「……あは。そう強がらなくても良いのに。貴女は智を尽くして社会をより良くしようとしてるのに、人間は利己的な理由で貴女を否定する。自分自身の都合でしか動こうとしないばかりか、誰かの為を思っての計らいを陸な知識も根拠も無く無駄なモノと非難して邪魔ばかりしてくる。そんなの、怒って当たり前じゃない。怒らないほうがどうかしてるわ」
 「初めから知を蓄えて生まれてくる人間はいない。経験が識を重ね、視野と理解を拡げていくの。理解できない物事に慎重な姿勢を取るのは生物の本能。私が最善だと判断しても、そう見えない人が中には居る。それだけの話よ」
 「脆弱で怠惰な連中に、知と経験の重要性が理解できると本気で思ってる? あいつらは自分可愛さとその時々の気分でそれっぽい言葉を並べ立てて、他者を排除した自己領域を守ってるだけよ。己の総てで誰かを思い遣る行動を続けてきた貴女は、絶対的に正しい。貴女の背後に利己を縛る権力を透かし見て、その恩恵の下で生きていながら顧みることもせず、一方的に悪徳と蔑む連中こそが、この世の真の害悪よ」
 「私は他の人より多くの物に恵まれているだけで、決してこの世の全てを知っている訳でも見通せる訳でも無い。私が知らない、私の最善より良い彼らなりの遣り方が在ってもおかしくはないし、計算では成し得ない事象が在る事も確かよ。彼らの言い分を聴きもせず、努力を盾に思い通りにならなかったと癇癪を起こすなんて、幼稚で傲慢だわ」
 「相手次第でもあるんじゃない? 連中は、貴女が積み重ねてきた背景を知ろうとしたかしら? 貴女が伝えようとした物事を学び取り、共感なり対論なりができるだけの素養を獲得しようとしてるかしら? 知らぬ存ぜぬ、だが自分は正しいと言い張るだけの愚者に付き合ってたら、貴女のほうが壊れてしまうわよ」
 「あら? 心配してくれているの?」
 「ええ、とぉっても心配してるわ。折角見付けた上質な獲物なのに、くだらない連中の所為で腐っていくんじゃないかって。ま、そうなったらそうなったで仔猫を殺しやすくなるから構わないのだけど」
 「やっぱり、つれない女性(ヒト)だわ」
 「壊れ腐る前に堕ちて来るのなら、剣の腕で抱き締めてあげるわよ?」
 「お生憎様。貴女のお仲間になる予定は一切無いし、万が一私が壊れたとしても、あの子はそう簡単には殺せない。もしかしたら、私より厄介かも知れないわよ?」
 「どうして? 私には、貴女のほうがよほど恐ろしく感じるけど?」
 腕の震えを抑えながら数歩分後退る女性に、プリシラは更に目を細め、明るく無邪気な笑みを満面に咲かせた。

 「だってあの子は、この私が認めた唯一の後継者ですもの。私より劣る人間なんかに害せる訳が無いじゃない」

 見た者の毒気を抜く幸せそうな温かい笑顔。
 たんぽぽの綿毛よろしく散っていく緊張感。
 目には映らない色とりどりの花が大乱舞する中、然り気無く貶められた女性は特大の苦虫を噛み潰し、肺の換気でもしたいのかと思うほど深く長い息を吐き出した。

 「………………親バカ。」

 「失礼ね! 私に出産経験は無いわ! せめて姉バカと言って頂戴!」
 「どっちでも同じでしょ」
 「全然違うわ! 心持ちが全然違うのよ!」
 「心底どうでもいいわよ、そんなの」
 「私が納得できないの!」
 「いいから、その手。さっさと消毒しなさいよ。今晩だけで何人斬ったと思ってるの?」
 「さあ? 軽く見積もって二十人くらい?」
 「……軽い見積もりで言い当てないで欲しいわ。なんとなく腹が立つ」
 「楽しかったでしょう?」
 「おかげさまでね」
 「それはなにより。はい、今回の報酬」
 袋状になっている右袖に左手を突っ込み、取り出した白い封筒を女性に手渡すプリシラ。
 暗闇の中で赤黒く見える封蝋には、水を撥ねて飛び上がっている丸みを帯びた可愛いらしい海洋生物(いるか)の絵が刻まれていた。
 「外交官補佐の登用試験も、余裕で一発合格だったそうよ。領主候補に入るまであと一歩、といった所ね。貴女が獲物(わたしたち)を仕留めるのと、爵位を継いだアルフィンちゃんが貴女を迎えに来るのと……果たしてどちらが早いのかしらね。それも楽しみじゃない? ねぇ、イオーネ?」
 「…………。」
 ニヤニヤと厭らしい目付きで見下ろすプリシラから無言で封筒を引ったくり、真っ暗闇の中へと踵を返すイオーネ。
 その右手に握られていた筈の剣は、いつの間にか腰帯に吊るされている鞘にしっかり収まっていた。まるで、封筒と剣を一緒に持つのは嫌だとでも言うように。
 「あ。待って、先生。まさか、もう寝ちゃうつもり? あの子達の成果は見届けてあげないの? 皆、待ってると思うんだけど」
 「どうせ、傷一つ付かずに全員捕まえてるんでしょ? 確認するまでもないわ。後始末だけはきっちりしておきなさいって伝えておいて。じゃ、おやすみ」
 「その通りではあるのだけど……分かった。伝えておくわ。おやすみなさい、先生」
 もう此処に用は無いと態度で語り、スタスタと足早に黒く溶けて消える暗殺者の背中。
 素っ気無い言葉には妙な信用も垣間見えて、窓を閉めながら見送ったプリシラは口元に手を当ててクスクスと楽し気に笑う。

 「どちらが真の身内バカなのかしらねぇ」

 約四年前、ミートリッテに続く形である程度傷が癒えてから王都へと護送(れんこう)されて来た暗殺者イオーネは、何故か軍の監視下には置かれず、プリシラの目論見通り、高位の役持ちだけが知る中央教会の地下室にこっそりと収容された。
 其処でプリシラとイオーネが秘密裡に交わした取引の内容が、「一定の自由と引き換えに王都内の孤児院を警護する傍ら、子供達に護身術を施す」というものだ。
 衣食住の保障と警護の報酬、暗示で封じられていた声の解放に、ミートリッテの命を狙える距離。イオーネにとってはこの上ない好条件。
 断る理由などある筈もなく、正式な就任以来イオーネは子供達に「先生」と呼ばれ、とても懐かれていたりする。
 ちなみにプリシラが先生と呼んでいるのは、懐かれて満更でもない様子なのに今以て暗殺者気取りを捨て切れていない彼女への皮肉の意味もある。
 警護係とは言え、孤児院に来てからは誰一人殺してはいないのだが……。


 「ぷりしらさまー! みてみて! げんかんからはいってこなかったわるいひとたち、ぜーいんつかまえたよ!」
 気絶中のクァイエットは放置して蔵書室を出ると、廊下の先、玄関ホールに集まっていた子供達が一斉に両手を振り、足下に固まっている複数の人影を示しつつ、「こっちこっち!」と声を張り上げた。
 その周りでは騎士達が、ちょっとだけばつが悪そうに頭を掻いたり腕を組んで俯いていたり目線をさ迷わせたりしている。
 そりゃあ、自分達の食事中に子供達が自力で侵入者を捕まえていたと知れば、護衛としては居心地も悪くなるだろう。仮令(たとえ)それが上司と護衛対象が予め仕組んでいた事であっても。
 しかし、此処は都民に厭われている孤児達の家だ。特別な時だけにしか来ない護衛に頼っていては、この先も生きてはいけない。
 自分達の身は、自分達で護る。
 彼らは幼すぎる身でそれを熟知し、その為の力と術を嫌でも習得しなければならなかった。そうしなければ、限りを知らない人間の悪意に潰されてしまうからだ。
 プリシラに非が有るとするなら、使い方次第で誰かの命をも奪ってしまう凶悪な力を、そうとは知らない無垢な子供達に教え込ませた事。
 人は誰しも、望む望まないに拘らず大なり小なり過ちを犯してしまう生き物だ。ミネット達もきっと、綺麗なままではいられない。
 彼らもいつかは知る。
 人ならざる強大な力を持つ神々ですらどうにもできなかった世界の……人間の、果てしなく救いようが無い醜さを。脆さを。儚さを。
 その時、身に付けた力と術が、彼ら自身の心をどうか傷付けてしまわないようにと……今はただ、願うしかない。
 可能な範囲で知恵を絞り手を尽くしても、結局はプリシラにも願うしかできないのだ。
 人間は自我を優先させたがる生き物だから。

 「本当……面倒な世界だこと」

 右手をぎゅうっと強く握り締め、流れ落ちそうな血を手のひらの内に隠して苦笑う。
 騎士達への事情説明や施設の内外で捕まってたり倒れたりしている侵入者達の扱いはベルヘンス卿に任せておくとしても、今日を生き抜いた子供達への称賛や施設内の後片付け等はプリシラの管轄だ。子供達に勘付かれる前に、この傷の手当てもしておかなければいけない。
 何処に身を置いていても、やるべき事は山と積まれてプリシラの訪れを待っている。

 「……ええ! 皆、お疲れ様!」

 それが辛いとは、今はまだ感じないけれど。

 プリシラは、護りたい者達に向かって足を進めながら、救えなかった者達を想って胸の内で燃え盛る炎にそっと、分厚い蓋を被せ直した。

 
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