逆さの砂時計
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純粋なお遊び
合縁奇縁のコンサート 26
vol.34 【無音の合図】
『いぴぁっ』
「にっ! にやっ!? にゃああ!?」
声!
なんか耳元で、直ぐ傍で、鳥の鳴き声と女の人っぽい声がしたぁ!!
なんで!? どうして!?
私の近くには誰も立ってなかったのに!?
「……落ち着きなさい、ミートリッテ。貴女、猫になってるわよ」
「くっくっくっ……お前、公爵家で教育されて少しは淑女らしく成長したかと思えば、事ある毎にキャンキャン喚く癖は全然変わってないのな。見てて飽きないわー」
「だっ、だって! 声! 声が!」
「声?」
驚きのあまりジタバタ暴れて尻餅を搗いてしまった私の傍らに駆け寄って来たフィレスさんが、手を差し伸べながら首を捻る。
その、何の話? と言いたげな仕草が信じられない。
あんなにハッキリ聞こえたのに、私以外には聞こえてなかったの!?
『……みぃ~とりってぇぇ~……っ』
「ひっ!? ま、またぁ!?」
今度はさっきより少し離れた所から聞こえた!
間違い無い。
空耳なんかじゃない。
怒気を孕んだピピピッ、って鳥の鳴き声と、女の人っぽい声が、同時に聞こえてる!
『この私を床に叩き付けるとは、いい度胸してるじゃないか……。この、無礼者めが!』
「誰!? 床ってな、…… へ? 床?」
『此処だ、此処! お前の足先!』
声の主を探し出そうと素早く視界を巡らせて。
与えられた情報に従い、少しだけ浮いた自分の膝の先を覗き見る。
其処には……
「……小鳥?」
鳥が居た。
両手のひらに乗っかる大きさで白っぽい体毛を持った、薄い桃色に光る小鳥。
小さな両翼を広げたまま細い脚を絨毯に埋め、体格に見合った可愛らしい嘴をパクパクと動かし、白銀色の丸い目で私を見上げてる。
「ど、どうして小鳥が……? 何処から入って」
『プリシラを出迎えた時からずっとお前の頭やら肩やらに乗っとったわ! 結界に入るまでは気配を消してたし、お前に気付ける筈もないんだが……それにしたって、折角労ってやったものをいきなり問答無用で叩き落とすことはないだろう!? 死ぬかと思ったじゃないか!!』
「ひゃっ!? なっ、え!? ま……まさかこの声、鳥が喋ってるの!?」
確かに、耳奥に直接聞こえてる女の人っぽい声はともかく、非難の色が濃いピイピイって鳴き声は、嘴の動きと連動してるようにも見えるけど……!
「そりゃお前の自業自得だ、アオイデー。そんな風に突然話し掛けられたら、さすがに俺や次期大司教殿でも手を出さずにはいられなかったと思うぞ。フィレスだったら即・一刀両断だ。なあ?」
「え」
「無論です。初対面の時も、悪意や敵意があれば即座に斬っていました」
「……え?」
「そうですわねぇ。私でしたら、悪意等の有無に拘らず、驚きすぎて咄嗟に首を引っ掴んでぶら下げていたでしょう。何処のどなたかは存じ上げませんが、ひとまずご無事で良うございましたわ」
「ええ……っ!?」
や、やっぱり、私以外にも聞こえてる?
しかも、お父様とフィレスさんはこの小鳥と知り合い? 寧ろ私以外には小鳥の姿が見えてたって事?
でも、三人共「突然」だって言ってるし、プリシラ様は普通に会話してるけど、さりげなく「初対面だ」って認めてるよね?
驚きすぎてと言う割りに、全然驚いてるように見えないのは何故。
『…………知ってた。お前らがそういう性格だって解ってたから、一番安全そうなミートリッテを選んだんだ! 結局叩き落とされたけどな!』
「「ご愁傷様です」」
『他人事みたいにあっさり片付けるんじゃない、保護責任者共! まったく、どいつもこいつも腹立たしい! 私を何だと思ってるんだ!』
「フィレスに付き纏う偏執鳥」
「会話できる小鳥にしか見えませんわ」
「ご自身では女神と仰っていましたね」
「めっ……、めがみぃい!?」
女神ってまさか、ロザリア様みたいな!? この鳥が!?
と、再度大きな声を出しかけた途端。
「お前ら、もーちょっと静かにしろよ! 幾ら結界があるからったって、防音加工されてる壁を越える大声ってなんな…… ん?」
バタン! と開いた扉の向こうから、片耳を押さえたロザリア様が顔を覗かせて
「……本当に、何してんだ? お前ら」
ソファの横で倒れ伏しているリーシェさんを見下ろした。
ロザリア様に続いて出て来たクロスツェルさんによれば、両耳を押さえたまま気絶しているらしい。
つまり、原因は私の絶叫だ。
先程プリシラ様に失態を見せたばかりでまたやらかしてしまったと気付き、全身から血の気が引く。
「すっ、すみませんでした!」
フィレスさんの手を借りて素早く立ち上がり、客人と上司へ向けて深々と腰を折る。
が。
「ミートリッテさんに非があるとは思えませんが」
「だな。今回は、無力な人間に対する配慮が足りてなかったアオイデーが全面的に悪い」
『お前達は、何かあったらとりあえず攻撃しちゃえ☆ とかいう自らの凶暴性をもう少しで良いから改めろ! 慈愛を謳うアリア信徒のクセに、何処まで乱暴者なんだッ!』
フィレスさんは不思議そうに瞬き、お父様は非難を止めない小鳥を見て楽しそうに笑った。
プリシラ様も、私を見てにっこりと笑い。
「公の場でなくて良かったわね?」
あ。これは「今回に限り赦してあげるけど次は無い。」ですね。分かります。
「以後! 重々気を付けます!」
向けられても嬉しくはない笑顔に再度頭を下げつつ、大急ぎで第一補佐の仮面を被り直す。
今日だけでどれだけ評価を下方修正されてしまったか。せめて現時点より低くならないように気を引き締め直さなくては。
うぅ……胃が痛いぃー……。
「いや、あの、説明くらいはしてくんないかな? いきなり叫んでいきなり謝られても、コッチは何が何だかさっぱりなんだけど……」
つと、室内をぐるりと見回したロザリア様が訝しげな目で私を見据えた。
はい、すみません。ごもっともです。
「えぇと、実は」
「其処に鳥が居るだろ?」
「「鳥?」」
説明しようとする私を遮って、お父様が小鳥を指した。
ロザリア様とクロスツェルさんが同時に指の先を見遣り、いまだ絨毯に埋もれている小鳥と目を合わせる。
「その鳥は堕天使なんだとさ。自称だけど」
「は? 堕天使って……本物の神か? 今はこの世界を離れて爆睡してる連中の、元・仲間ってヤツ?」
『そうだ』
「っうわ!? 喋った!? 鳥が!?」
「これは……」
ビクンと跳ね上がるロザリア様の肩と、見開かれたクロスツェルさんの両目。
ですよね? そうなりますよね? 驚いた私がおかしいんじゃないですよね?
『私の名はアオイデー。お前の母・マリアが属する天神の一族、代々の巫が仕えていた神々の内の一柱にして音を司る女神。現在は神々と道を違えて人知れず人間世界を見守っている女神だ』
「この声……これが鳥の力なのか? 左右から同時に話し掛けられてるみたいで気持ち悪ぃ。女神とか言われても鳥にしか見えないし……変なの」
『気持ち悪いとは失礼な。鳥は仮の姿だ!』
「おぅっ!?」
小鳥……アオイデーさん? が勢いよくぱたたっと羽ばたき、ロザリア様に向かって飛んで行く。
『お前には見えていなかっただろうが、私は過去にもお前と会っているぞ。厳密に言えばロザリアではなく、悪魔狩りに勤しんでいたアリアのほうと、だが』
「へ?」
身構えたロザリア様の周りを一周した後、白金色の前頭部にすとんと降り立つアオイデーさん。
私にもああやって乗ってたのかな。全然気付かなかったけど……
……あれ?
なんだろう……鳥とか声とか気付かないとか、妙な既視感が。
『アリアシエルの一番都市リウメ。お前を祀る主神殿の下で眠る者の記憶はあるか?』
「アリアシエル? 主神殿って……」
鳥そのものの仕草で顔を覗き込まれたロザリア様が、狼狽えながらも何やら考え込み……心当たりを弾き出した。
「もしかして、この女悪魔の話か? 物凄く強い力を持ってたけど、特に何かやってた訳でもないから放置しようとしてたのに、自分から封印してくれってアリアに話し掛けてきた……」
『それだ。私はその場に居合わせていたんだ』
「けどあの周辺、女悪魔以外には誰も居なかったみたいだけど?」
『私は気配を完全に消していたからな。ほれ、こうすれば見えないだろう?』
「!?」
言うが早いか、アオイデーさんの姿がパッと消えた。
素早く飛び上がったのかと周りを確認しても、確かに居た筈の小鳥は室内の何処にも見当たらない。
「……納得致しましたわ、アオイデー様。これでは常人が気付けないのも頷けます」
冷静にロザリア様の頭部だけをじっと見つめていたプリシラ様が、慌て出した彼女の動きを持ち上げた右手で制し、一歩手前まで歩み寄る。
そしてロザリア様の額辺りに人差し指を差し出し、その側面に消えた筈の小鳥をちょこんと乗せて離れた。
「ははぁーん? なるほどな」
どうやらアオイデーさんは全く動いてなかったらしい。
隠し芸か魔法か悪戯かって場面で一切動揺しなかったプリシラ様とお父様の神経は、常人とはかけ離れた特殊な構造をしているという認識で良いんでしょうかね?
「初めて会った時もご友人の力で生物の気配を消していると仰っていましたが、それは力や気配を隠す静謐の泉の水と同じ仕組みなのでしょうか?」
『いや、あれとは少し違う』
フィレスさんの問いに、小鳥は小さな頭をくりくりと横に振る。
『そうだな……気配とは、生体反応そのもの。生物を構成する目には見えない小さな物質とその他の物質が衝突する度に生じる、極小の変化だ。この世界の生物は、その変化を視覚・聴覚・味覚・触覚・嗅覚なんかで感じ取ってから識別している。此処までは良いか?』
「はい」
『まず、精霊達が住む泉の水は、対象の変化に混じり物が一切無い水気を大量に纏わせて、周囲への感覚情報を惑わせているに過ぎない』
「感覚情報を惑わせる?」
『例えば、金属製の鈴。地上で振れば普通に聴こえる音も、鈴だけを広く深い水底に沈めてしまえば、地上からは聴こえ難くなるだろう? 底が深いほど直接触るのも難しくなるし、金属特有の匂いも感じようが無い。だが、混じり気が無い純粋な水は何処までも透明で、外側に周囲の虚像を映して実像に重ねたとしても、内側に抱いた鈴そのものは消し去れない。水の性質だけじゃ、視覚は完全には遮断できないんだ』
「……言われてみれば、泉の水でずぶ濡れになったべゼドラさんはしっかり視認できていましたね……。つまりそれが、力や気配を「消す」のではなく「隠している」状態、という訳ですか」
『その通り。そして私の場合は、私を構成する物質が放つ音の総てに、相殺する為の音をぶつけている』
「自らが出す音を悉く消している、と? ですが、音を消しただけで姿まで消せるものなのですか?」
『単純な音ではなく、振動と捉えたほうが理解しやすいかも知れないな。振動とは物質が動いた軌跡であり、他の物質の動き・現象……光の方向性をも左右する物。視覚は網膜が光を受容して生まれる感覚。私を構成する物質が放つ音の総てを消すとは、要するに生体反応に加えて私の輪郭を浮き上がらせる光と影の動きを無かったことにしている状態だ。もっとも、周囲への感覚情報を無にしているだけで、水中の鈴と同様、私が此処に居る事実も変えられないのだが』
「ああ。アオイデー本体は見えなくなったが、其処に居るって確信を持ってしっかり観察していれば、痕跡は目に映る。ロザリアの髪が一部だけ歪んで見えたのがそれだな。だがそれも、目を皿にするほど具に丁寧に観察していなければ違和感にもならない。友人の力ってのは、明らかにおかしい事象をおかしいと思わせない作用があるんだな」
「気配を生体反応とするなら、気配を察するとは即ち、其処に何らかの生物が居ると認識している状態。逆に、気配を感じなければ其処には誰も居ないと判断している状態、と言えますわね。他者の目を厭う暗部の人間達でさえ、誰も居ないと判断した安全な場所では、用心深く警戒し続けるとしても、長時間探り続けようとはしないものです。日常生活の中のごく小さな変化に暗部以上の注意を払う常人など、居たとしても稀有な部類でしょう」
「注意を引くってのは、興味を引くってのと同義。お前は、周りからの好奇心や関心をその力で削ぎ落しまくって来た訳だ。んで、周りの目が自分には決して向かない事実を都合良く利用して、フィレスの尻を延々追い掛け回していたと」
え。何それ。
周辺の人間どころか本人からも見えない所でフィレスさんをずーっと観察してたって話?
やだ怖い。
ロザリア様もこそぉーっと後退って、リーシェさんを抱えて立つクロスツェルさんの左腕を右手でそっと握った。
『…………お前、いい加減にしておかないと、そろそろ本気でぶっ飛ばすぞ?』
「おお、怖い怖い。しかし、良いのかなー? 「私」はフィレスが仕えてる人間だ。「私」を害した場合、フィレスはお前の敵になるぞー?」
ピルルルル……と鳴きながら頭を低くして睨むアオイデーさんを、お父様は鼻で笑う。
フィレスさんは何も言わないけど、少々困り顔だ。
悔しげに沈黙した小鳥を見て勝利を確信したのか笑みを深めたお父様は、けれど次の瞬間。
『……よっぽど悪魔……バケモン……』
「すみませんすみません、卑賤の身でありながら貴き御身の御威光を貶める無礼千万で厚顔無恥な振る舞いの数々を見苦しくも披露してしまいましたこと、心より伏してお詫び申し上げます故、何卒それだけは空より高く海より深い寛大な御心の内に秘めていただきたく、どうかどうか赦してください、お願いしますお願いします!!!!」
スパッと真顔に切り替わり、残像も追い付けない速さでプリシラ様の足元に土下座した。
お父様、それ、プリシラ様の前では絶対見せちゃいけない姿勢ーっ!
アオイデーさんとお父様の間を行き来したプリシラ様の目は、案の定獲物を見定めた狩人のそれに色を変えていく。
……うん。
見なかったことにしよう。
ワタシハ、ナニモ、シリマセン。
「あー……つまり、その鳥形の女神? が、何も無いと思ってた所にいきなり現れたんで、ミートリッテが驚いて奇声を発した……って事で良いのか?」
「左様でございますわ、ロザリア様」
「! お休み中に騒ぎ立ててしまい、申し訳もございません」
「ん。りょーかい。そりゃ、何も無い所から突然鳥が出て来たら誰だってびっくりするわ。しゃあない。けど、結界は関係者しか入れない設定にしてある筈なのに、どうしてアンタは入り込めたんだ? 生粋の女神だから、人間混じりの私の力は通用しない、とか?」
『此処の結界は、お前が認めた相手のみを受け入れる物だ。認めた相手と音を同調させれば、結界の仕掛けを欺く程度は容易いぞ』
「……なんか、そう言われると欠陥があるみたいだな、結界」
『属性の相性の問題だ。気にするな。こんな芸当は、魂を形成する物質をも操れる言霊使いか、身体の形を自在に変えられる程度の強力な音使いか、あらゆる歪みを在るべき姿へと誘導するアーレストか、魔王レゾネクトにしかできん。空間を司るマリアにも不可能だ』
「母さんにもできない?」
『同等の厚みを持った別の結界をぶつけて境の一部を破壊する、が精一杯だと思うぞ』
「ふぅん……相性ねぇ? そんなもんなのか」
クロスツェルさんの腕は離さないまま、反対の手で自らの後頭部を掻くロザリア様。
何気に、近寄るのは避けてるんですね。
「ところで、アオイデー様に幾つかお尋ねしたいのですが、よろしいでしょうか」
『なんだ?』
ロザリア様との会話が途切れたと見て、プリシラ様がアオイデーさんに小首を傾げる。
「アオイデー様は女神でいらっしゃるのですよね?」
『そうだ。神代の頃からアリアシエルとアルスエルナを見守ってきた、(自称)守護女神だぞ』
……自称は認めるんだ……。
「では、虫に刺された経験はおありですか?」
「『は?』」
指の上で首を縦に振るアオイデーさんに、プリシラ様は思い掛けない質問をした。
土下座の姿勢を崩してなかったお父様も、顔を上げてきょとんと瞬く。
「何故、虫刺され?」
「必要な確認ですわ、ソレスタ神父。顔見知りの貴方方もどうでした? 女神としてのフィレス様や、姿を見せてくださっているアオイデー様と一緒に居る間、虫に刺された時の痛みや痒み等を感じていましたか?」
真面目な表情を向けられたお父様とフィレスさんは、やや俯いて考え込み
「………………いや、まったく」
「私も、気にしてませんでした」
揃って「否」を返す。
『?? 当然じゃないか。神を害する生物など、ゴールデンドラゴンや人間や悪魔や魔に属する者以外には存在しない。それ以外の生物にとっての私達は、畏怖の対象であり、一舐めで失神する度数の酒だ。特に虫のような小さい生物なんぞ、小さければ小さいほど私達に近付くだけで軽く酔っ払い、直に触れれば泥酔状態、視認できる範囲内で翼を広げれば一瞬で絶頂後弛緩状態に陥るぞ』
「天然の虫除けかよ!?」
『お前もそうだろう、ロザリア。お前がお前を自覚したばかりの頃はともかく、力を意識して使い始めてからは殆ど気にならなかったんじゃないか?』
「マジか。そんなん、考えた記憶も無いけど」
「……そう言えば、東区の教会で共同生活を始めて以降、虫除けの薬はあまり使用していませんでしたね。私も特に気にしていなかったのですが、あれは半覚醒状態のロザリアが居たから、私とべゼドラがアリアの力に護られていたから、ですか」
「…………まずいな」
「え?」
クロスツェルさんの一言で、立ち上がったお父様の顔色が通常のものに戻った。
違う。
いつもより緊張してる?
「やはりそうでしたのね」
「まさか、孤児院にも影響が出ていたのか?」
「ええ。恐らく私が到着した時点では既に。今の所は誰も気付いていませんが、長く続くのであれば時間の問題でしょう」
「たった半日か其処らで、しかも翼が無いのに王都の外れまでとは。規模がデカすぎる。その分、特定は難しくなるが……」
「難しいだけで、不可能ではありません」
「人外ならではってヤツか。盲点だったな」
神妙な面持ちで頷き合うプリシラ様とお父様。クロスツェルさんとロザリア様、フィレスさんも何かに気付いたのか、僅かに眉を顰めた。
え、事情を呑み込めてないのは私だけ? それは立場上よろしくない。
えーと、えーと……虫除け、孤児院への影響、特定…… 特定?
あ、そうか!
虫達は神を中心に広範囲で酔っ払い、その範囲内では虫刺され被害が激減する。
裏を返せば、虫刺され被害と関連薬品の売り上げが不自然に激減した地域こそ、神の居場所を示す目印になりかねないのか!
「……ん? 虫刺されが無くなるって……酔っ払った虫達は餌とかどうす……」
「鈍い! だから、まずいんだよ」
神の力に酔った虫達は、神が其処に居る限り正気には戻れない。
正気に戻らない限り、虫達の活動力は低下したまま、まともな栄養摂取ができなくなる。
虫達に栄養が蓄えられないと、彼らを捕食する生物にも栄養が行き渡らなくなり、彼らの生態を利用する植物の繁殖にも影響が出て、結果的に自然界の食物連鎖と人間世界の農畜産業の機能も徐々に鈍化していく。
ロザリア様達が一ヶ所に留まり続けると、周辺地域の生態系が狂いかねないんだ。
「……あのさ……もしかして私、此処に居ると相当やばい……?」
「…………どうお答えしてよいものか、判断しかねてはいますわ」
「こればっかりはなー……」
かつて、あらゆる生命を護る為に世界各地で力を振るっていたとされる女神アリア。
当時は一ヶ所に留まるほうが珍しくて、まさか見えない所でこんな事になっていたとは気が付かなかったのかも知れない。
ロザリア様の顔、真っ青。
『何を言ってるんだ? 今は結界に入ってるんだから問題無いだろう。数日間表に出なければ元に戻るぞ?』
「酔っ払うまでは半日足らずで、酔いが醒めるまでは数日掛かるのか」
「とんでもない威力ですのね」
「ウソだろ……」
「ロザリア」
大半を封印しててこれなら、封印を解いた瞬間に大惨事じゃないか……と呟きながらよろめくロザリア様を、クロスツェルさんが気遣わし気に見つめる。
思わぬ展開に暗い雰囲気が漂い出す中、小鳥だけが理解できないと言いたそうにピルル? と鳴いた。
『直接命を奪う訳でもあるまいに、捕食の鈍化程度で大袈裟だな。そんなに気になるんなら、それこそ泉の水でも持ち歩けば良いじゃないか。あれならレゾネクトの力も隠せるんだし』
すると。
「「「その手があった!!」」」
アオイデーさんの提案に、プリシラ様とお父様とロザリア様の喜ぶ声が重なった。
「いつの間にか長衣の袖に入ってた、あの水入りの球体! あれの中身は殆ど無くなってるけど、同じ奴を探して持って来れば万事解決だな!」
「袖……? あ、それは多分、私が入れた物です」
「フィレスさんが?」
「ええ。レゾネクトと空中で対峙した後、一旦離脱した際に忍ばせておいたんです」
クロスツェルさんが意外そうに瞬く隣で、ロザリア様が自身の両手をポン! と打ち鳴らす。
「ってコトは、あの球体が何処に在ったのかも知ってるんだな。良し! 探す手間が省けた!」
直前までの酷い顔色は何処へやら。
一転して喜びにはしゃぐロザリア様の笑顔が、ちょっと可愛らしい。
「数日に亘る変化でも、極々稀……記憶にも記録にも残らない程度の頻度なら疑問を持たれる心配は少ないでしょうし」
「巧く制御すれば事情を知ってる俺達専用の合図として利用できるから、逐一呼び戻して説明を求める必要も無くなる」
「「お手柄だぞ「です」アオイデー「様」!」
プリシラ様とお父様も、嬉しそうに目を細めた。
私もこっそり胸に手を当てて、安堵の息を溢す。
協力を約束した相手に、「都合が悪くなったから出て行ってください」なんて恥知らずな台詞、口が裂けても言いたくないもの。対処法があって、本当に良かった。
「ロザリア様にはまだ最低でも三日は留まっていただきたいですし、マリア様方もお招きした手前、内心どうしたら良いかと頭を抱えておりましたの。貴重なご意見に感謝致しますわ」
晴れ晴れした清々しい笑顔でほう……っと息を吐くプリシラ様も、きっと同じ気持ちだ。
いや、先に勘付いていた分、私よりずっと大きい解放感を得ているかも知れない。
とても怖い人だけど、とても優しい人だから。
でも。
「あの、プリシラ様?」
「なぁに? ミートリッテ」
「何故「最低でも三日」なのか、お尋きしても?」
短い期間ながらもプリシラ様の補佐として働いてきた経験から、断言する。
彼女が期限を明言した場合は、確実に何かを企んでいる、と。
その企みを看過してしまうと、周囲の人間は絶対陸な目に遭わない、と。
今度は何をするおつもりですか? と間接的に問い掛ければ、首を傾けて目蓋を忙しく開閉させた後、にぃぃんまりと悪戯っぽく唇を歪め……
「ひ・み・つ・♪」
ウィンクを一つ、「ロザリア様に」贈った。
……標的はロザリア様なんですね。
お気の毒に……。
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