逆さの砂時計
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純粋なお遊び
合縁奇縁のコンサート 21
vol.28 【祭日の、次の日】
朝。
陽光のヴェールが差し込む食堂の一歩外側で、口を半開きにした子供達が立ち尽くしている。
その後ろには、目を覚ましてプリシラへの挨拶と謝罪を済ませた神父達。
彼らもまた、子供達同様にポカーンとした顔で扉の内側を見つめていた。
「ふわわわわあ~っ」
「す……っげえ……」
「こ、これは、いったい……?」
「ああ。おはようございます、皆さん」
そんな彼らに気付いたベルヘンス卿が、両手に空の皿を乗せて歩み寄る。
「あと少しで終わりますから。もうちょっとだけ、お待ちくださいね」
にっこりと笑う彼の頭上には、髪を覆い隠す白い布。
聖職者の長衣の上には、お腹の辺りにポケットが二つ備わった、白無地のシンプルなエプロンが掛かっている。腰上のリボン結びが可愛らしい。
それはまさに調理係の装いだった。
騎士としての面影は、今の彼のどこにも見当たらない。
「これ、おにいさんたちがしたの? すっごいきれい!」
「はい。昨晩の夕飯のお礼です。気に入っていただけましたか?」
「うん! きれい!」
「良かったです」
ほのぼのしたやり取りの後ろ、新築と見紛うほど徹底的に磨き上げられた食堂の中で、ベルヘンス卿と同じ装いの騎士達が頻繁に声を掛け合いながら忙しなく動き回る。
彼らが各々手に持っているのは、彩り美しい花々を挿した花瓶だったり、焼きたての熱々なパンが詰められたカゴだったり、ナイフやフォークなどの食器類だったりと、様々だ。
それらをテーブルの上に次々と、手際良く配置していき、最後に出来たてほやほやの料理を載せた数台のワゴンを運び入れて、やっと準備が整った。
仲間の合図を受け取ったベルヘンス卿が、横目で頷き返し。
「さあ、どうぞ」と、住民達の入室を促す。
子供達は、わあっ! と歓声を上げながら、我先にと着席した。
「これ、はたけのちかくで生えてる花だよな」
「ぜんぜんちがうのにみえるね」
「パン、ほっかほか~! おいしそ~!」
「あ! さわっちゃダメだよ! まだアイサツしてないんだから!」
「この布、なんだろ? カーテン? なんでテーブルの上にあるの?」
「テーブルクロス? じゃないの? 本で見たことあるよ」
手入れが行き届いた鏡のように、空間を逆さまに映すピカピカな床。
見るからに艶々で、触ってもまるで引っ掛かりがないツルツルな白い壁。
蜘蛛の巣一つ残っていない、高い天井。
見慣れていた筈の見慣れない食堂内を落ち着きなく観察しつつも。
子供達の興味はやっぱり目線より下、特にテーブルの上へと集中する。
何はなくとも、とにかくご飯。子供は食欲や衝動に対して従順である。
しかし、神父達は扉の枠を越えられないまま、戸惑う顔を見合わせた。
「いかがなさいましたか?」
「い、いえ……その……護衛の方々に、このようなことをさせてしまって、申し訳ないと言いますか、自責の念に駆られていると言いますか……」
「皆さんは体調不良で倒れてしまったのですから、手が回らなくなっても、仕方がないと思います。子供達には、昨晩お世話になってしまいましたし。これくらいはお手伝いさせてください」
当然だが、ベルヘンス卿達は神父達が床に臥せた経緯を知らない。
神父達も、自分達が(程度はどうあれ)体調不良になるよう仕向けられていたことなど、知る由もない。
自分達が倒れた本当の理由がアレなだけあって、騎士達の純粋な厚意が、神父達の心に深い罪悪感を刻む。
その上、問題だらけの『子供達の手作り料理』を提供していたと聞けば、なおさら心苦しさを感じてしまう。
「あ、ありがとう、ございます」
神父達はなんだかもう、恐縮するしかなかった。
「いえ。さあどうぞ、中へ。子供達が待っていますよ」
笑顔のベルヘンス卿に再度促され、神父達もためらいがちに入室する。
イオーネ以外の住民が着席したところで、給仕係の騎士達がテーブル上の食器にスープを注ぎ、その隣にメインディッシュの皿を添えていく。
貴族的な食事の場であれば、順を追って少しずつ提供されていく料理も、孤児院ではまとめて一度に出すのが常だ。
行儀作法はもちろん大事だが、自給自足の生活をしている子供達にとってもっと大事なものは、朝食後の仕事に割く『時間』。
それを理解しているからこそ、騎士達も深夜と早朝の間にこっそり掃除と朝御飯の仕込みをしていたのだ。
……というか、警護の役割を果たせなかったことが地味に口惜しかったと思われる。
両目をキラッキラと嬉しそうに輝かせている子供達を見た騎士達の顔が、皆一様に「してやったり」と言いたげだ。
と。
「あああぁあーっ! きのーの、わるいひとだ!」
騎士達に交じって給仕に勤しむクァイエットの姿に気付いたミネットが、彼に指先を突きつけながら、椅子を蹴って立ち上がった。
いきなり大声を出した幼女に、周りがびっくりして二人を見る。
「っぅ、うっせぇな……! 人を指差すんじゃねぇよ、クソガキ!」
ビクーッと肩を跳ね上げたクァイエットもまた、長衣姿ではないものの、騎士達と同じく、髪を覆う布とエプロンを着用していた。
ただ、騎士達と違ってクァイエットの指先は傷だらけになっている。
どことなく顔色も悪いし、纏う雰囲気も暗くて重い。
どうやら、慣れない作業で相当苦労していたらしい。
「がきじゃない! みねっとはみねっと!」
「知るかっ! 黙って座ってろ、バーカ!」
「みねっと、ばかじゃないもん! ばかっていわれたことないもん!」
「あーはいはい! そりゃ良かったな!」
ミネットの席にメインディッシュの皿を置き。
さっさと隣の席の給仕へ移るクァイエット。
そこにちょこんと座っていたのはキースだ。
「あっ、……あい、あっ、とっ!」
自身の皿をじぃっと見ていたキースが、やや乱暴な手つきで給仕を終えたクァイエットに声を掛けた途端、彼は目を丸め……眉間に深いシワを刻む。
少しの間、訴えかけるようなキースの赤みがかった顔を見つめた後。
軽く舌打ちをして、何も言わずに隣の席へ移った。
「あらあら……せっかくお礼を言ってくれたんだから、どういたしまして、くらい言えるようになれれば良いのだけど」
その様子をたまたま廊下から見ていたプリシラが。
やれやれと両肩を持ち上げながら、護衛騎士を伴って入室してきた。
「! ぷりしらさま!」
「プリシラ様! おはようございます!」
「「「おはようございまーす」」」
「おはよう、皆。ミネットはちゃんと椅子に座りなさいね?」
「はい!」
言うが早いか、椅子に座り直して背筋を伸ばし。
揃えた両膝に両手を乗せて、ピシッと前を向く幼女。
口を閉ざしてさえいれば、教育が行き届いている立派な淑女の姿勢だ。
「…………この野郎」
プリシラの注意には従うミネットに、クァイエットの口元が引き攣る。
「はいはい。クァにゃんも早く給仕を終わらせて、自分の席に着きなさい」
「うるせーよ、クソババア! 言われんでもやってるっつの! てか、そのおかしな呼び方はやめろ!」
「イヤよ。ネコみたいで可愛いじゃない。おいでおいで、クーァにゃん♪」
「ぶっ殺す。いつか絶対にぶっ殺す」
握った両手を顔の両横に持ち上げ。
クァイエットへ向けて浅く上下させる、イイ笑顔全開のプリシラ。
分かりやすくおどけた言動は、子供達の無邪気な笑いを誘うが。
事情を知る大人は皆、顔を真っ赤にして威嚇しているクァイエットから、そっと涙目を逸らした。
この程度ならまだ優しいほうだ。先は長いぞ、『生贄』の青年よ……と。
深淵にも似た同調と、それなりに深い同情を込めて。
「ま、冗談はここまでとして。皆、揃ってるわね?」
「はーい。みんな、いまーすっ」
「そう。では、いただきましょうか」
一等席に座ったプリシラの問いかけに、子供の一人が手を挙げて答え。
プリシラの前に皿を置いたベルヘンス卿が「おや?」と首をひねる。
「彼女は良いのですか?」
「彼女は、いつも一人で食べているそうですから。お手数をかけてしまって申し訳ないのですが、一人分だけ、厨房に残しておいてくださいますか? 片付けなどは不要なので」
「承知しました。では……」
貴族ならではの丁寧な礼を見せたベルヘンス卿は、そのすぐ後。
横からゆっくり近付いてきたワゴンに立ち位置を譲り。
押し手の青年へ、にっこりと微笑んだ。
「溢さないようにお願いしますね? クァにゃんさん」
「アンタまで便乗すんじゃねぇよッ!」
「失礼。響きが可愛かったもので、つい」
「つい、で人をおちょくんな‼︎」
謝罪の言葉を口にする反面明らかにからかって遊んでいるベルヘンス卿の表情と態度が、またしても子供達の笑いのツボを刺激した。
ドッと盛り上がる場に、クァイエットの犬歯が唸りを上げる。
もちろん、可愛い仔犬の威嚇に怯える者は、一人もいない。
「っクソ………… ほらよ!」
ギリギリと奥歯を噛み締めながらも給仕だけは一応やり遂げて、ワゴンを厨房へ運ぼうとプリシラに背を向けた瞬間。
「ありがとう、クァイエット。お疲れ様」
冗談の色を含まない、至って真面目な女声に、労いの言葉を掛けられた。
「……~~っ、知るか……っ! お前らがやれって言ったんだろうがっ!」
吐き捨てるようにそう言うと、ガスガスガス! と、大きな足音を立ててワゴンと共に厨房へと消えていく給仕係。
「うーん……。本当、可愛いわよねえ。あの子」
「そうですね」
「「「…………。」」」
真っ赤に染まった耳たぶを見逃さなかった大人は皆、なんとも微笑ましい反応に生温く目を細めた。
哀れ、クァにゃん。
感謝に耐性皆無な素朴感、次期大司教様の餌食になること請け合いだ。
「さ。皆、護衛のお兄さん達のご厚意に感謝して」
「「「ありがとーございまーすっ」」」
「どういたしまして。ゆっくり召し上がれ」
「いただきます」
「「「いただきます!」」」
頭の布とエプロンを外したクァイエットが言葉もなく戻ってきて、自身の席に座る。それと同時に食事前の挨拶を交わし。
それぞれ気になった物から自由に食べ始める住民一同。
一口目から飛び交う絶賛の嵐に。
騎士達はこっそり「良しっ!」と、拳を強く握り締めた。
油がくどくならない程度にバターをたっぷり使ったロールパンは、持てばふわふわ、割ればしっとり、歯切れも良くて、口の中で固まることもない。
赤く成熟した小さなトマトを乗せたグリーンサラダには、ゴマをベースに酸味を控えめで作った特製ドレッシングを適量。
あえて具を少なめにしてみた黄金色に透き通るスープは、干し肉の出汁とキノコの出汁がしっかりと混ざり合い奥行きを感じさせるコクを生み出し、じっくり煮込んだ数種類の野菜と少量の香辛料が甘さと香ばしさを加えて、上品な風味に仕上げている。
薄く切ってこんがり焼いた燻製肉、茹でた挽肉の腸詰、適度に形を崩して塩胡椒を混ぜ込んだ半熟の卵と、蒸し上げて一口大に切ったブロッコリー、隠し味程度の辛味を含むトマトソースを一皿に纏めたメインディッシュは、噛めば噛むほどに溢れ出す肉汁の旨味と、ふんわり広がるハーブの爽やかな香りで、食欲を刺激する。
子供達は元より、神父達にとっても滅多に食べられない極上の朝御飯だ。
口に運ぶ手はいつになく滑らかに動き。
食器もカゴも、あっという間に空っぽになってしまった。
いつもより多い量を平らげた住民は揃ってお腹をさすり、食事後の挨拶とお礼の言葉を騎士達に掛けて、一人また一人と席を離れていく。
厨房に食器を下げてから仕事場に足を運ぶ全員が、満ち足りて幸せそうな表情をしていた。
ただ一人。
二、三ヶ月の間は、味覚が一つしか存在しない『彼』を除いて。
「あっま…………気持ち悪ぅ……ッ……」
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