vol.28 【祭日の、次の日】
朝。
眩しい陽光が滑り込む食堂の一歩外側で、口を半開きにした子供達が立ち尽くしていた。
その後ろには、いつも通りに目を覚ましてプリシラへの挨拶と謝罪を済ませた神父達。彼らもまた、子供達と同様にポカーンとした顔で扉の内側を見つめている。
「ふわわわわあ~……」
「こ……これは、いったい……」
「ああ。おはようございます、皆さん」
そんな彼らに気付いたベルヘンス卿が、両手に空の皿を持って歩み寄って来た。
「あと少しで終わりますから。もうちょっとだけお待ちくださいね」
にっこりと笑う彼の頭上には、髪を覆い隠す白い布。聖職者の衣の上には、お腹の辺りにポケットが二つ備わっている白無地のエプロン。腰上のリボン結びが可愛らしい。
完全に調理係の装いだ。騎士としての面影は何処にも見当たらない。
「これ、おにいさんたちがしたの? すっごいきれい!」
「はい。昨晩の夕飯のお礼です。気に入っていただけましたか?」
「うん! きれい!」
「良かったです」
ほのぼのした遣り取りの後ろ……新築と見紛う程徹底的に磨き上げられた食堂の中で、ベルヘンス卿と同じ装いの騎士達が声を掛け合いながら忙しなく動き回る。
彼らが持っているのは、彩り美しい花々を挿した花瓶だったり、焼き立てのパンが詰まった籠だったり、ナイフやフォーク等の食器類だったりと、様々だ。
それらをテーブルの上に次々と手際良く配置していき、最後に出来立てほやほやの料理を載せた数台のワゴンを運び入れて、漸く準備が整った。
仲間の合図を受け取ったベルヘンス卿が横目で頷き返し、「さあ、どうぞ」と、住民達の入室を促す。
子供達は、わぁっ! と歓声を上げながら、我先にと着席した。
「これ、はたけのちかくで生えてる花だよな」
「ぜんぜんちがうのにみえるね」
「パン、ほっかほか~! おいしそ~!」
「あ! さわっちゃダメだよ! まだアイサツしてないんだから!」
「この布、なんだろ? なんでテーブルの上にあるの?」
「テーブルクロス? じゃないの? 本で見たことあるよ」
鏡のようにピカピカの床。ツルツルで艶々な質感の白い壁。染み一つ残っていない天井。
見慣れていた筈の見慣れない食堂内を落ち着き無くキョロキョロと観察しつつも、子供達の興味はやっぱり手元に集中する。
何は無くとも、とにかくご飯。子供は欲に対して従順である。
しかし、神父達は境を越えられないまま、戸惑う顔を見合わせた。
「いかがなさいましたか?」
「い、いえ……その……。護衛の方々にこのような事をさせてしまって、申し訳ないと言いますか、自責の念に駆られていると言いますか……」
「皆さんは体調不良で倒れてしまったのですから、手が回らなくなっても仕方がないと思います。子供達には昨晩お世話になってしまいましたし、これくらいはお手伝いさせてください」
当然だが、ベルヘンス卿達は神父達が床に臥せた経緯を知らない。
神父達も、自分達が(程度はどうであれ)体調不良になるよう仕向けられていた事など知る由も無い。
倒れた本当の理由がアレなだけあって、騎士達の純粋な厚意が神父達の心に深い罪悪感を刻む。その上、問題だらけの「子供達の手作り料理」を提供していたと聞けば、尚更心苦しさを感じてしまう。
「あ、ありがとう、ございます」
神父達はなんだかもう、恐縮するしかなかった。
「いえ。さあどうぞ、中へ。子供達が待っていますよ」
笑顔のベルヘンス卿に再度促され、神父達も躊躇いがちに入室する。
イオーネ以外の住民全員が着席した所で、給仕係の騎士達がそれぞれの食器にスープを注ぎ、その隣にメインディッシュの皿を添えていく。
貴族的な食事の場であれば順を追って少しずつ出される料理も、孤児院では纏めて一度に出すのが常だ。礼儀作法は勿論大事だが、子供達にとってもっと大事なものは、朝食後の仕事に割く時間。それを理解しているからこそ、騎士達も深夜と早朝の間にこっそり掃除と朝御飯の仕込みをしていたのだ。
というか、警護の役割を果たせなかった事が地味に口惜しかったと思われる。嬉しそうに瞳をキラキラと輝かせている子供達を見た騎士達の顔が、皆一様にしてやったりと言いたげだ。
と。
「ぁあーっ! わるいひとだ!」
騎士達に交じって給仕をしているクァイエットに気付いたミネットが、椅子を蹴って立ち上がった。
いきなり大声を出した幼女に、周りがびっくりして二人を見る。
「っぅ、うっせぇな……! 人を指差すんじゃねぇよ、クソガキ!」
ビクーッと肩を跳ね上げたクァイエットもまた、長衣姿ではないものの、騎士達と同じく髪を覆う布とエプロンを着用していた。
ただ、騎士達と違って指先が傷だらけになっている。何処となく顔色も悪い。慣れない作業で相当苦労したらしい。
「がきじゃない! みねっとはみねっと!」
「知るかっ! 黙って座ってろバーカ!」
「みねっと、ばかじゃないもん! ばかっていわれたことないもん!」
「あーはいはい! そりゃ良かったな!」
ミネットの席にメインディッシュの皿を置いて、さっさと隣の席へ移るクァイエット。其処にちょこんと座っていたのはキースだ。
「あっ……あい、……あ……と!」
やや乱暴な手付きで給仕を終えたクァイエットに声を掛けた途端、彼の目が見開き……眉間に皺が寄る。
少しの間じっと幼い顔を見つめた後、軽く舌打ちをして、何も言わずに隣の席へ移った。
「あらあら。せっかくお礼を言ってくれたんだから、どういたしまして、くらい言えるようになれれば良いのだけど」
その様子を
偶々廊下から見ていたプリシラが、やれやれと肩を持ち上げながら入室してきた。
「! ぷりしらさま!」
「プリシラ様! おはようございます!」
「「「おはようございまーす」」」
「おはよう、皆。ミネットはちゃんと椅子に座りなさいね?」
「はい!」
言うが早いか椅子に座り直して背筋を伸ばし、揃えた両膝に両手を乗せて前を向く幼女。口を閉ざしてさえいれば、教育がしっかり行き届いている立派な淑女の姿勢だ。
「…………この野郎」
プリシラの注意には素早く従うミネットに、クァイエットの口元が引き攣る。
「はいはい。クァにゃんも、早く給仕を終わらせて席に着きなさい」
「うるせーよ、クソババア! 言われんでもやってるっつの! てか、そのおかしな呼び方は止めろ!」
「イヤよ。ネコみたいで可愛いじゃない? おいでおいで、クーァにゃん♪」
「ぶっ殺す。いつか絶対にぶっ殺す。」
軽く握った両手を顔の横に持ち上げ、クァイエットへ向けて浅く上下させる笑顔のプリシラ。
分かりやすく
戯けた言動は子供達の無邪気な笑いを誘うが、事情を知っている大人達は皆、顔を真っ赤にして威嚇しているクァイエットからそっと涙目を逸らした。この程度ならまだ優しいほうだ。先は長いぞ「生贄」の青年よ……と、深い同情を込めて。
「ま、冗談は此処までとして。皆、揃ってるわね?」
「はーい。みんな、いまーすっ」
「そう。では、頂きましょうか」
一等席に座ったプリシラの問い掛けに子供の一人が手を挙げて答え、プリシラの前に皿を置いたベルヘンス卿が「おや?」と首を捻る。
「
彼女は良いのですか?」
「ええ。彼女はいつも一人で食べているそうですから。お手数を掛けてしまって申し訳ないのですが、一人分だけ厨房に残しておいてくださいますか? 片付け等は不要なので」
「承知致しました。では……」
貴族ならではの丁寧な礼を見せた直ぐ後、横から来たワゴンに立ち位置を譲り、押し手の青年ににこりと微笑む。
「溢さないようにお願いしますね? クァにゃんさん」
「アンタまで便乗すんじゃねぇよッ!」
「失礼。響きが可愛かったもので、つい」
「つい、で人をおちょくんな!!」
謝罪の言葉とは裏腹に面白がっている表情と態度が、またしても子供達の笑いのツボを刺激した。ドッと盛り上がる場に、クァイエットの犬歯が唸りを上げる。勿論、怯える者は一人もいない。
「っクソ………… ほらよ!」
ギリギリと奥歯を噛み締めながらも給仕だけは一応遣り遂げて、ワゴンを厨房へ運ぼうとプリシラに背を向けた瞬間。
「ありがとう、クァイエット。お疲れ様」
至って真面目な声色に、労いの言葉を掛けられた。
「……っ、知るか……っ! お前らがやれって言ったんだろうがっ!」
吐き捨てるようにそう言うと、ガスガスガス! と、大きな足音を立ててワゴンと共に厨房へと消えていく給仕係。
「……可愛いわよねぇ、あの子」
「…………そうですね」
「「「…………。」」」
真っ赤に染まった
耳朶を見逃さなかった大人達は皆、なんとも微笑ましい反応に生温く目を細めた。
哀れ、クァにゃん。感謝に耐性が無いその素朴感、次期大司教様の餌食になる事請け合いだ……と。
「さ。皆、護衛のお兄さん達のご厚意に感謝して」
「「「ありがとーございまーすっ」」」
「どういたしまして。ゆっくり召し上がれ」
「頂きます」
「「「いただきます!」」」
頭の布とエプロンを外したクァイエットが言葉も無く戻って来て着席すると同時に食事前の挨拶を交わし、各自気になった物から自由に食べ始める住民一同。一口目から飛び出す絶賛の嵐に、騎士達はこっそり「良しっ!」と、拳を強く握り締めた。
くどくならない程度にバターをたっぷり使ったロールパンは、持てばふわふわ、割ればしっとり、歯切れも良い。
赤く熟れた小さなトマトを乗せたグリーンサラダには、ゴマをベースに酸味を控えめで作った特製ドレッシングを適量。
敢えて具を少なめにしてある黄金色に透き通ったスープは、干し肉の出汁とキノコの出汁がしっかりと混ざり合って奥行きを感じさせるコクを生み出し、じっくり煮込んだ数種類の葉物野菜と少量の香辛料が甘さと香ばしさを加えて上品な風味に仕上げている。
薄く切ってこんがり焼いた燻製肉、茹でた挽肉の腸詰、適度に形を崩して塩胡椒を混ぜ込んだ半熟卵と、一口大に切って蒸したブロッコリー、隠し味程度の辛味を含むトマトソースを一皿に纏めたメインディッシュは、噛めば溢れ出す肉汁の旨味とふんわり広がるハーブの爽やかな香りで食欲を刺激する。
子供達は言うに及ばず、神父達にとっても滅多に食べられない極上の朝御飯だ。口に運ぶ手はいつに無く滑らかに動き、皿も籠もあっという間に空っぽになってしまった。
いつもより多い量を平らげた住民達は揃ってお腹を擦り、食事後の挨拶とお礼の言葉を騎士達に掛けて、一人また一人と席を離れていく。
厨房に食器を下げてから仕事場に足を運ぶ全員が、満ち足りてとても幸せそうな表情をしていた。
ただ一人、味覚が一つしかない彼を除いて。