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逆さの砂時計

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純粋なお遊び
  合縁奇縁のコンサート 27

vol.35 【はしれ! まりあさま】

 街の中では、あまり積もらないのね。
 初めて歩く石畳は所々水分を含んで変色してはいるものの、其処に在るべき雪の厚みは殆ど見当たらない。屋根の上や道の片隅、植物の周辺や建物の影に隠れる場所でちょこっと固まってる程度。
 石造りの水路を流れる水も凍り付いた様子は無く、さらさらと心地好い音を立てている。
 街を取り囲む石壁の外側では結構な積雪量になっていたのに、不思議だわ。街全体に積雪を防ぐ何かが施されているのかしら?
 アーレストさんが購入してくれた雪国御用達の底厚ブーツをコツコツ鳴らしながら教わった通りの道順を進んで行くと、広場を中心に据える十字型の大きな市場に辿り着いた。
 見上げた灰色の空からは、細やかな花弁をそのままに舞い落ちる白い花。空気はピンと張りつめて静寂を形作り、鳥の声すら響かせない。
 それでも街民達は昨日と変わらない生活を続ける為に、厚着姿で買い出しに足を運んでる。
 暖かい地方とは違って大声で客引きをするお店は無いのね。お客さんも店員さんも、大人達は皆、寒そうに両肩を丸めてる。
 子供と犬は嬉しそうに駆け回っているけど……あ。数人の友達と遊んでいた男の子が派手に転んで、母親と思しき女性に怒られた。友達は「やべー、逃げろー!」と声を合わせて笑いながら散開していく。
 母親に叱られて縮こまった男の子は自身の服の裾を握り締めて、去って行く背中を恨めしそうに横目で睨んでる。
 「ふふ。平和ねぇ…… っと、いけないいけない」
 思わず微笑を溢してから傍観してる場合じゃなかったと首を横に振り、猫耳ではない毛糸の帽子を、髪先が隠れるまでしっかりと被り直す。
 万が一にも飛ばされたり脱げたりしないよう、顎下に通した紐もきっちり結び直しておかなくちゃね。
 そう、私には目的がある。
 本来交わるべきではない人波に紛れ込んででも、日が暮れる前に絶対成さなければならない目的が。



 「こんにちは」
 「いらっしゃ……おや? 見掛けない子だね」
 「はじめまして。私、先日この街の親戚に会いに来たばかりなんです。直ぐに帰る予定なんですけど……それで、友達へのお土産を買いたいって相談したら、この市場で探してみると良いと教わったので」
 実際には一ヶ月以上前から教会内に居たし、探しているのは友達へのお土産ではないけれど。
 「ふぅん? 礼儀正しい、しっかりしたお嬢さんだ。うちの孫にも見習ってもらいたいねぇ」
 「恐縮です」
 「親戚付き合いがあるって事は、お嬢さんの家も北方領内?」
 見た目六十歳前後で人が好さそうな民芸品売りのおばさまは、私の言葉にうんうんと二回頷いて、陳列されている商品の数々に目を走らせた。
 どういう物が良いかを考えてくれてるのね。迅速な対応と気さくな話し方……商売人としての自負が窺えるわ。一人目の相談相手としては頼りになりそう。
 「いいえ、王都です。中央教会の近くに住んでいます」
 「王都!? それはまた随分遠くから来たんだね。道中大変だったろう? 北方領は急勾配な山道も多いから」
 「ええ……でも、雪に触った経験があまり無いので、とても新鮮です」
 ごめんなさい、おばさま。王都からの行き来は一瞬なので、大変と感じた事は一度もありません。
 でも、雪に触る機会があんまり無かったのは本当よ。アルフリード達と旅をしていた頃も、雪国には時々立ち寄るくらいで、慣れ親しむ程の余裕は無かったから。
 「楽しめてるんなら良かったよ。雪と遊べるのは子供の特権。今の内に思う存分堪能してお行き」
 「ありがとうございます」
 「で? 土産を渡したい友達ってのは、女の子? それとも男の子?」
 「え、と」
 どう説明するべきかしら? 見た目は十代でも実年齢は不明な女性と、二十代後半の男性です、なんて正直に答えたら不審がられるわよね。
 かと言って、年齢を曖昧に伝えると私の外見に合わせた子供向けのお土産が出てきちゃいそうだし……。
 「女の子と男の子の両方……なんですけど、私よりちょっと年上なんです。玩具で遊ぶのは卒業したくらいの」
 「王都に住む、十歳くらいの女の子と男の子?」
 「もう少し上ですね」
 「へぇ、王都では年齢差も関係無く友達になれるのかい? 羨ましい限りだねぇ。此処らでは同年代の子供同士が集まりやすいから、手伝いや勉強なんかもサボりがちでさ。悪戯ばっかりするもんで、皆手を焼いてるんだよ」
 「は、はぁ……そうなんですね……」
 う、羨ましい? 同年代の子供同士が集まると手伝いや勉強をしなくなる? どうして?
 よく分からないけど下手な事を言って怪しまれても困るし、とりあえず笑って誤魔化しておこう。
 「玩具で遊ばなくなった子供向けの土産、か。なら、この辺りはどうだい?」
 そう言っておばさまが手に取って差し出してくれた民芸品は、少し短めのペンダント。石で出来た小さな球体を隙間無くびっしり紐に通して、真ん中には雪の結晶を(かたど)った青白い飾りを吊るしてる。
 「この玉って、表面がツルツルだから質感が違って見えますけど、この街の各所に使われている石と同じ物ですよね?」
 「よく気付いたね。その通りだよ。ほら、直に触ってごらん」
 直に……って……。
 「売り物なのに、素手で触ったりして大丈夫なんですか?」
 「売り主が良いって言ってんだから、大丈夫に決まってるだろ」
 「では、失礼します」
 ペンダントは持ってもらったまま急いで手袋を脱ぎ、おばさまの手に手を重ねる形で石を撫でてみる。
 「…………温かい?」
 通常の石なら外気温に添った温度になっている筈なのに、ペンダントの石にはじんわりと浸透するような温かさを感じる。何故かおばさまの手よりも温かい気がするわ。
 「だろう? こいつはメルエティーナ領内の鉱山で採掘されてる岩石なんだが、外気に触れると少々熱を上げる性質があってね。街を見れば分かる通り、此処らの住民は昔からこの石材に生活を支えられてるんだよ。生活必需品だからこそ、他に使い途が無いくらい小さな石でないとなかなか北方領外へは持ち出せないがね。その分、こうして細工師が加工した装飾品は、我が街自慢の特産品なのさ。素朴な造形だから持ち主の性別は選ばないし、土産にはピッタリだろう?」
 外気に触れると熱を上げる石……街中に雪が殆ど積もってなかったのは、この石を家の壁や石畳に使っているからなのね。そんな物がこの世界に在るなんて初めて知った。興味深いわ。
 「面白いですね。それに、六花の飾りも細部まで凝っていてとても綺麗」
 「こっちの飾りは、「ラリマー」って宝石を削り出した時の屑石を寄せ集めて成形した物だよ」
 「……寄せ集め? 成形?」
 「大雑把に言えば、専用の型に屑石と樹脂を流し込んで固めるんだ」
 「型を使う……つまり、これと同じ形の物が他にも在るんですか!?」
 「うちだけでも五本はあるよ」
 「凄い! こんな、手のひらに収まる小さくて繊細な細工物なのに、同じ物が何個も作れてしまうなんて……!」
 「気に入ったようだね」
 「はい、とても! ……あ、でも……」
 「? 値段の心配かい?」
 「いえ、そうではなくて」
 (うつむ)いて思案する私に、おばさまの目蓋が忙しく開閉を繰り返す。
 「えと、外気に触れると少しだけ熱が上がるんですよね? それって、南の大陸みたいな暑い地域に付けて行ったら、火傷とかしちゃいませんか……?」
 「………………うーん……」
 私が贈った装飾品で傷を負うなんて、シャレにならない。
 杞憂に終われば問題無いのだけど、おばさまは困ったように苦笑いを浮かべた。
 「多分だけど、中央大陸からは輸出されてない筈だよ。さっきも言った通り、生活必需品だから北方領の外へはなかなか持ち出せなくてね。よく行って南方領かバーデルか……。私も生まれてからずっとメルエティーナ領で暮らしてるし、暖かい地方でどうなるかまでは保証できないな。今の所、この石で火傷したって話は聴かないがね」
 「そうですか……」
 お土産としてはこの上無く魅力的でも、危険性があるなら安易な手出しは控えるべきね。
 「では、そちらは候補として覚えておきたいと思います。他にもおすすめがあれば是非とも教えていただけませんか? 此方のお店で無かったとしても、お知り合いのお店を紹介していただけるとありがたいです」
 「おやおや、本当にしっかりしたお嬢さんだ。分かった。これは特別に二本、今日の店仕舞いまで取っておこう。他の商品も知り合いの店もたくさん紹介してあげるから、じっくり選んでおいで」
 「はい。ありがとうございます」
 此処では買わないかも知れないと意思表示したのに、おばさまは気分を害するでもなく、寧ろ積極的に民芸品以外もおすすめしてくれた。
 お店同士の繋がりを意識しているからだとしても、おばさまの接客姿勢は群を抜いて良質なんじゃないかしら。きっと、こういう人を商売人の鑑と呼ぶのね。一人目がおばさまで良かったわ。

 双方、笑顔で言葉を重ねること数十分。
 一通りおすすめされた商品の中からペンダントの他にも幾つか取り置きしてもらい、おばさまが書いてくれた紹介状を片手に、再度雑踏の中へ滑り込んだ。



 「……困ったわ……」
 広場の中央に(そび)え立つ大きな日時計の石柱。
 その土台を円く囲む階段に腰掛け、前方に延びる市場通りを眺めながら息を吐く。
 おばさまの時と同じ要領で二軒・三軒・四軒とお店を回ってみたけど、何処へ行っても良い品を揃える優しい店員さんが出迎えてくれた。親切な人には親切な人が集まる……まさに「類は友を呼ぶ」の好例ね。
 王都に住む友達へのお土産って話になっているからか、北方領ならではの前提で見繕ってくれるのも、現代の人間文化を詳しく知らない私にはありがたかった。
 問題は、おすすめされた品々がどれも魅力的すぎて選べずにいる事。
 「自分がこんなにも優柔不断だったなんて、知らなかった」
 寒さに強い衣類や履き物。
 女性を美しく見せる装飾品。
 雪国に棲む動物の形をした彫り物。
 緻密な模様で室内を彩るタペストリー。
 お揃いの模様が描かれた色違いのカップ。
 カラクリ仕掛けの四角い箱もあったわね。子供向けの玩具にも盗難防止用の貴重品入れにもなるなんて、便利な道具だわ。大切な物を仕舞った後で開け方が解らなくなったら大変そうだけど。
 「うーん……」
 多少特殊な環境下でも一応は人間世界に生まれ育ちながら、一般民との交流はほぼ皆無の状態で終わってしまった(マリア)の生。
 たった一人しかいなかった当時の友達も、決して一般民とは言い難い男性だった。
 「……こんな時、貴方ならどんな物を選んだのかしらね? エルンスト」
 私にも貴方みたいに手作りできる物があれば、此処まで悩まなくて済んだのに。
 無力感に耐え切れず、現実から目を背けるように空を仰いで……

 びしゃっ

 側頭部を殴打した何かの衝撃に硬直する。

 びしゃ?
 びしゃって、何?
 今、私の頭に何が……?

 びし! ばし!

 「…………え、……と」

 びしゅっ! ばしゅっ! ずべしっ!

 「ちょっ、ちょっと待って!? 雪!? どうして雪……!?」

 ずばばばばばばばばばばばばばばば!

 「~~~~~~っって、さすがにそれは無いでしょおおおおお!!?」
 一撃ならともかく二撃も三撃も続いた挙句怒涛の雪玉が襲ってくるなら、狙いは明らかに私だ。
 しかも、吹雪の如き球数と勢いからして一人や二人の仕業じゃない。
 ぶつかっては四散する雪に埋められては堪らないと急いで立ち上がり、雪玉が飛んで来る方向に背を向けて走る。
 「あ! まて!」
 「にーげーるーなーっ!」
 「無茶言わないで! 逃げるに決まってるでしょう!?」
 追い掛けて来る人数を遠見で確認しつつ、突然の疾走者に戸惑う人波の隙間を素早く駆け抜け、背中にぶつかる雪玉の数が激減した所で減速。
 背高な植物が生い茂る民家の陰でくるりと振り返り、

 びしゃ!

 視界が真っ黒に染まった。

 「よっしゃ! 顔面いっただきーっ!」
 「もーっ! また兄ちゃんの点かよ!」
 「はしっ、走るとか……ずりぃよ……」
 「くっそー! よそモンのクセに足速すぎんだろ!」
 私の顔の上半分を覆う雪面の向こうで、男女混合の子供集団が口々に不満を並べている。
 後から追い付いてきた子も含めて、総勢十九人……いえ、建物の反対側に隠れている女の子達も入れると、二十一人ね。この子達は乗り気じゃなかったみたいだから、まぁ良しとしましょう。

 で・も。

 「あなた達……良い事を教えてあげましょうか……?」

 「よそモンがなんか言ってるぞー」
 「きゃーっ! こっわーい!」
 「! な、なんだよ! 文句でも……っ」
 「……べ、別に、いじめじゃ……」
 一部分だけずるりと落ちた雪面を見て、声量を下げていく子供達。
 ああ、違うかしら?
 見えているのは……怒りで爆発寸前になってる私の目……よね?

 「まず一つ。一緒に遊びたいなら、最初に声を掛けなさい」

 石畳の上に落ちた雪面の欠片をキュッと踏み締め、子供達に一歩近付く。
 子供達は引き攣った顔で一歩下がった。

 「二つ。あんなに通行人が多い所で滑りやすい雪をばら撒いちゃ駄目でしょう? 怪我人が出たらどうするつもりなの?」

 続けて融け落ちた雪面も踏み、もう一歩、二歩。
 私が近付き、子供達がジリジリと後退する。
 そして

 「三つ。これが最も重要だから、よぉく覚えておきなさい」
 「ひっ……」
 「ぅ、あ」
 私の気迫に負けた子から順に逃げ出そうと(きびす)を返し始めた、その刹那。

 「何事も、やって良いのは、やられる覚悟がある者だけよっ!」

 右脇に生える大木の幹に手袋拳(てぶくろけん)を叩き付ける!

 ……と見せ掛けて、本当は大木の空間を振動させただけなんだけど。
 一瞬後、揺れ動いた大木の枝葉に積もっていた雪が一斉に降り注ぎ、真下に立っていた子供集団は清々しい程雪塗れになった。
 「つっ……めてぇええええ!?」
 「やだぁ! 服がびしょ濡れになっちゃうよお!」
 「お前、それ、はんそくっ……!」
 「あらあら、ごめんなさいね? 私、降雪時季が短い王都から来た余所者だもの。雪遊びなんて全然知らないのよ。だから、先に教えてくれれば良かったのに」
 地面に座り込んでしまった十九人の前で屈み、両膝で支えた両手に顎を乗せてにーっこりと笑ってあげる。
 全員が目を逸らして言葉を詰まらせた時点で、私の勝利は確定ね。
 まったく。履き慣れない靴で走らせないで欲しいわ。転んだらどうしようかとヒヤヒヤしたじゃない。
 「ねぇ。折角巻き込んでくれたんだし、ちょっと付き合ってくれない? そっちに隠れてる二人も」
 「「え!?」」
 まさか、自分達に気付いているとは思ってなかったのかしら。
 こそこそっと覗いてた女の子達が、目を真ん丸にして姿を見せた。
 「私ね。王都に住む友達に、この土地ならではのお土産を持って行ってあげたいの。あなた達がいつも食べてる物とか、他の居住地から来た人間に自慢したい物とか、そういうのがあったら教えてくれない?」
 「なん……なんでオレ達が、そんな事!」
 「自分で探せば良いだろ!?」
 「そーだそーだ!」
 「勿論、自分でも探してるわよ? でも、一人じゃ知るにも選ぶにも限界があるし、地元民の意見って貴重なのよねぇ……。ところで」
 反抗心で沸き立つ少年少女に向けて人差し指を伸ばした右手を突き付け、真っ直ぐ上に持ち上げる。
 指し示したのは、まだ白い塊が点々と残っている大木の枝葉。
 「もう一回、いっとく?」
 小首を傾げた問いに、返って来たのは沈黙だった。

 ご協力、ありがとうございます。
 


 「おや。戻って来たんだね」
 「はい……あの、それは?」
 お店の横で私を見付けた民芸品売りのおばさまが、数時間経っても変わらない笑顔で迎えてくれた。
 なんだかんだ言って仲良くなってしまった子供集団と一緒に街の中を歩いて回り、気付けば時刻は夕暮れ手前。
 結局決め手は無いまま渋る全員を半ば無理矢理帰らせて、散々迷った末に印象が強かったペンダントともう一品を買い求めに来たのだけど……店仕舞いの準備に入っていたおばさまの手元に、何やら見慣れない物がある。
 「? これかい? ただの洗い物だよ」
 「いえ、中身ではなくて、その上のふわふわした物です」
 木桶に溜められたお湯からおばさまの手が引き抜かれると、それは後を追い掛けるようにふわりと宙へ舞い上がり、やがて石畳に落ちて弾け飛んだ。
 キラキラと散っていく様子は、まるで粉々になったガラス細工。陽光の下で見たらもっと輝いて見えるんじゃないかしら。
 「ふわふわって…… ああ! お嬢さんはシャボン玉を知らないんだね」
 「しゃぼんだま?」
 「この泡の事さ」
 おばさまが腕に付いた泡を息で払い、大きさが異なる無数の透明な球体を空中に舞い踊らせた。
 「北方領だとね、脂汚れの類は直ぐに固まってしまって、物凄く落とし難いんだ。だからと言って長時間お湯に触ってるとあっという間に水温が下がって、最悪凍傷になってしまう。そうならない為に作られたのが、これ」
 首に掛けていたタオルで両腕を丁寧に拭き取り、木桶の横に置いてあった紙袋を手渡してくれた。上部に折り目が付いたその紙袋には、私にも辛うじて読める文字が書かれている。
 「せん、……ざ、い?」
 「やっぱり読めるんだ? 王都の子は賢いね。そう、洗剤。その袋に入ってる粉をお湯に溶かして使うとさっきみたいに泡が出来て、その泡に息を吹き込んで大きくするとシャボン玉になるんだ。洗剤を溶かしたお湯は照明器具の洗浄にも食器や衣類の洗濯にも使えるから、手伝った後の子供達の遊び道具にもなってるよ」
 「実用的なんですね」
 「ああ。特に寒い日は、外でシャボン玉を作って凍らせたりもするね」
 「!? 凍るんですか!? 泡が!?」
 「基本的にはただの水だから」
 「信じられない……!」
 ただの水が空気を包んで宙に浮かび上がり、その上そんな状態で凍るっていうの!? 神や悪魔が干渉している気配も無いのに!?
 「いったい、どんな力が込められているの……洗剤……っ!」
 息を呑む私に、けれどおばさまは呆気に取られた表情をして、噴き出した。
 「洗剤にそんな反応するなんて、お嬢さんは面白い子だねぇ。なんならまだ開けてないヤツを売ってあげようか? ついでにシャボン玉の作り方も教えてあげるよ」
 「え!? でも、大切な物なんじゃ」
 「だから、譲るんじゃなくて売るんだよ。私が買った時の値段で買い取ってくれるなら、私に損は無いからね。そのお金で新しく買えば良いんだし」
 「それは……」
 それなら確かに金銭的な損は無いかも知れない。
 でも、洗剤ってそう簡単に手に入る物なの? 教会では全然使ってないし、袋も見掛けなかったけど。
 「市場はもうすぐ閉まっちゃうよ。どうする?」
 「あ」
 言われて周囲を見渡せば、お客さんも店員さんも大分姿を消していた。おばさまも片付けの途中だし、これ以上邪魔をしては迷惑になってしまう。
 「では、洗剤の価格を教えてください。取り置きしていただいていたペンダントの分も一緒に。持ち合わせと相談してみます」
 「はいはい。ちょっと待ってて頂戴ね」
 年齢を感じさせない足取りで現物を持って来てくれたおばさまが示した値段は、購入を考えていたもう一品を加えても、アーレストさんから預かったお金で十分に支払える額だった。
 お金の価値も物価も詳しくは聞いてないけど、ペンダントよりも洗剤のほうが高い事実を考えると、やっぱり洗剤は気軽に買える物じゃない気がする。生産販売数が限られてるとか言われても納得しちゃうもの。
 それでも精算した後「いつかまた遊びにおいで」と笑顔で見送ってくれたおばさまは、きっとこの街で一番の遣り手商人だわ。
 だって、初見の私に「また来たい」と思わせてしまったんだから。



 「お帰りなさい、聖天女様」
 「にゃっ!」
 「ただいま、リースリンデ。ティーも」
 適当な物陰から空間を跳んで寝室内へ戻った私に、テーブルの上で羽根ペンを持って立つ精霊と、ベッドの上で丸くなっていたゴールデンドラゴンが声を掛けてくれた。
 「アーレストさんは……まだお説教中なのね」
 「はい。いつもなら十分後に夕食の予定ですが……」
 言葉を濁したリースリンデの視線の先には、壁と女神像を挟んで「一日中、休み無く」お説教と雑談を交互に続けているアーレストさんが居る。
 この教会でのお勤めは今日が最後だからと言って、一時間の睡眠すら惜しんでずーっとお仕事してるのよね。気持ちは解らなくもないけど、でも、そろそろ食事なり水分補給なりで一休みして欲しいわ。突然倒れてしまいそうで、見ている私達のほうが心配になっちゃう。
 現在アーレストさんを止められる唯一の上司・コルダさんも、メルエティーナ伯爵の館に招待を受けて出掛けてしまったし……ああもう、もどかしいったらない。
 「にゃに(なに)、みみみゅみゅにょにょみゃみゃみゅにゃい(気にすることはあるまい)。にゃーにぇにゅにょみょみっみゃにゃにょにょにゃ(アーレストも立派な大人)。にょにょにぇにょにゃいにょにゅにゅにゃい(己の体力くらい)、にゃあにゅみにぇにょにょう(把握しておろう)」
 「体力の問題、なのかしら」
 「にゅむ(うむ)」
 「人間の生態って、よく解らないわ」
 「私も、聖天女様に同意です」
 くわわぁ~と欠伸をするティーの前で、私とリースリンデは静かに頭を振った。

 「それはそれとして、聖天女様。目的の品は見付かりましたか?」
 「ええ。ほら、これが二人の分」
 買って来た品々をテーブルの上にそっと置き、ペンを持ったまま数歩下がったリースリンデに、どんな物かを説明しながら見せてみる。
 「防寒具にもなるペンダントと……脂汚れを落とす洗剤……、ですか」
 「どっちも実用的で、あの二人には丁度良いかなって思ったんだけど。何か問題でもあった?」
 「いえ……」
 洗剤の説明を始めた途端に眉を(ひそ)めておいて、何も無い事はないでしょうに。
 「…………普通の人間が使う分には問題無いです。今更ですし。ただ、アーさんの近くでは極力使わせないでください。多分、凄く嫌がると思います」
 「? アーレストさんが嫌がる? 洗剤を?」
 「水に溶かすべきじゃない物が混じってるんですよ、これ」
 「溶かすべきじゃない物?」
 「少なくとも自然界で自然に交わる要素ではありません。神々の御力が無ければ循環の輪に戻せない組み合わせ……汚染とでも言うのでしょうか? こういう不自然な物の近くに居る時、アーさんの顔色は微妙に悪くなります。私も、できれば使ってる所は見たくないです」
 「……そっか。洗剤って、そういう物なのね」
 生命の循環を乱す物。精霊達が最も嫌悪する『自然界にとっての毒』。
 「ごめんなさい、リースリンデ。嫌な物を見せてしまって」
 「聖天女様は知らずに買ってしまったんですから、仕方ないです。使って欲しくはないですが」
 「私の目には本当に綺麗に見えたのよ、シャボン玉。でも、リースリンデやアーレストさんには禍々しく見えるかも知れないわね」
 お金を出してくれたアーレストさんにも見て欲しかったけど、気分を害すると分かった以上押し付ける訳にはいかない。
 かと言って、おばさまのご厚意で買わせてもらった物をやっぱり要らないと返すのも失礼だし、洗剤に関しては説明と注意を十分に伝えた上でロザリア達に任せよう。丸投げするみたいで申し訳無いけど、あの二人ならきっと適切に扱ってくれる筈。
 「洗剤はともかく、こっちの丸い石は良いと思いますよ」
 「え?」
 「すごくすごく懐かしい土の香りがするんです。アリア様が泉で眠りに就かれるよりずーっと前の大地の香り。この石も長い時間眠っていたのね。久しぶりの大気に触れて、嬉しそうに呼吸してる」
 「嬉しそう……?」
 持っていたペンを専用のペン立てに突き刺してから、ペンダントに連なる石の表面を愛しげに撫でる精霊。
 その横顔を見て、ふと気になった。
 「人間に研磨されてるけど、それは不自然じゃないの?」
 「自然界に在って削れない石などありません。風でも水でも、石同士であっても、丸く削り合う事自体は普通ですよ。削れる速さに違いがあるだけです」
 「そう、なの?」
 「はい」
 奥が深いわ、自然界。許容範囲が全く読めない。
 
 と、礼拝堂のほうからざわめきが聞こえてきた。お説教が終わったようね。
 アーレストさんが一旦戻って来る可能性も考えて、ペンダントともう一品はテーブルの上に残し、洗剤だけを私の結界内へ移す。
 「失礼します……お帰りなさい、マリアさん」
 「あ、お疲れ様です。アーレストさん」
 やや間を置いて寝室の扉を開いたアーレストさんが、当然のように挨拶してくれる……のは勿論嬉しいのよ? でもそれより、やっと休みを取る気になってくれたらしいことに安心したわ。
 無理しすぎよ、本当にもう!
 「良いお土産は見付かりましたか?」
 「ええ。アーレストさんが奮発してくださったおかげで、お釣りまで頂いてしまったわ」
 ポケットに入れておいたお釣り入りの布袋を返そうとしたのに、アーレストさんは首を振って返却を拒否する。
 「それは一ヶ月もの間教会のお手伝いをしてくださった貴女方への謝礼です。今後何かあった時の為に取っておいてください」
 「え、でも」
 私が布袋を預かった時は、「私が予算を出しますから、マリアさんが品物を選んでください」って……

 「…………アーレストさん」
 「はい?」
 「このペンダント、アーレストさんから二人に渡してください。もう一品購入してあるので、私からはそちらを渡します」
 「ですが、」
 「構いませんよね? これから街を出るアーレストさんにはお買い物できる余裕なんてありませんし。市場も既に閉まってますし」
 「う……」
 布袋の代わりにペンダントを差し出せば、ちょっとだけ困り顔で微笑むアーレストさん。

 そもそもの発端は、私達の為に百合根料理を作ってくれたクロスツェルと、それを提案してくれたロザリアへのお礼がしたいという私の我儘なのよ。アーレストさんは、何も持っていない私に気を遣ってくれただけ。
 だからって、再三にわたって「貰う訳にはいかない」と言い続けてきた物を、こんな形で受け取らせようとするとは思わなかったけど。
 お世話になっていたのは私達なのに、律儀なのか強情なのか。

 「……分かりました。ご協力に感謝致します」
 「此方こそ、ありがとうございました」
 「いえ。ですが、その……」
 「?」
 「これは、なんでしょうか?」
 ペンダント二本と一緒に手渡された物を見て、アーレストさんの首がこてんと傾いた。
 まだ「それ」の説明を聞いていなかったリースリンデも、(しき)りに瞬きを繰り返す。
 「アーレストさんに似合いそうだったので、ついつい買ってしまいました。」
 「私に、ですか?」
 「はい。」
 「…………」
 うーん、困惑してる困惑してる。予定に無かった買い物だし、当然の反応よね。
 でも、現物を一目見て想像してしまったんだもの。
 これを付けたアーレストさんは、絶対に綺麗だって。
 「……不思議な事もあるものですね」
 「え?」
 突然やんわりと目を細めたかと思えば、自身の長衣の袖に手を入れ
 「……え!?」
 「それ」と同じ形・色違いの物を取り出してみせた。
 「先程、お説教が終わると同時に自警団の方々と子供達が駆け込んでこられまして。お土産を探している五歳前後の女の子が此方に来ていないかと尋ねられました。お心当たりは?」
 「え、ええ……あるわ。自警団は、分からないけど」
 「やはり、そうでしたか」
 さっきのざわめきはそういう……って、あの子達、別れた後いったい何をしていたの? 帰宅してたんじゃなかったの?
 「子供達は貴女が身を寄せているであろう親戚のお宅を手分けして探していたそうですが、日暮れに間に合わなかった為に自警団を頼り、もしかしたら教会へ礼拝に訪れているかも知れない、となったようですね。勝手ではありますが、貴女の親戚は私で、貴女は少し前に街を出たと話を合わせておきました」
 「雪を被ったままだったから早めに帰したのに、どうしてそんな……」
 「此方の品を、貴女に差し上げたかったのだそうですよ。私が届けると約束してお預かりしました。それから、伝言です」

 『お土産、見付けられなくてごめん! 次は負けないからな!』

 「…………そう」
 アーレストさんにと思って買った物と同じ形・違う色の、六花を模した髪留め。
 きっと、あの子達もおばさまのお店で買ったのね。いろいろ考えて、決まらなくて、選べなかった事を気にして、せめて私にだけでもと……。
 「そう……」
 あの子達が教えてくれたお土産候補は、子供が好きな物ばかりで。ロザリアやクロスツェルへの贈り物としては幼さが引き立ってしまっていた。
 でも、あの子達なりに、真剣に考えてくれていたのよね。
 「また、来なくちゃ」
 「はい」
 アーレストさんの手から髪留めを受け取り、帽子と手袋を脱いで白金の髪に差し込む。
 左のこめかみ辺りを飾る青白い結晶は、樹脂で固めた「ラリマー」の屑石だろう。地肌に触れる部分がひんやり冷たくて、じんわり温かい。
 「アーレストさんにも付けてあげましょうか?」
 「……はい。お願いします」
 琥珀色の結晶を受け取り、膝を突いたアーレストさんの右のこめかみ辺りにそっと差し込む。
 ほら、予想通り。虹彩に近い色合いがよく似合っているわ。とっても綺麗。
 「ふふ。お揃いね、私達も」
 「ええ……お揃い、ですね」
 お互いの目を見て笑い合って。
 また一つ、(かんなぎ)の頃の(マリア)には得られなかった大切なものが降り積もる。
 守り切れるかどうかは、今度こそ、私次第。

 「やあ。教会内に綺麗な花が二輪も咲いているね」
 「あ」
 「……大司教様」
 扉を二回叩く音に振り返ると、開いた扉の反対側からコルダさんがひょこっと顔を覗かせた。その右手には折り畳まれた跡がしっかり残る小さな紙切れ。
 「到着したんですね」
 「うん。入り口に着いたところで丁度良く上空を旋回してた鳥を見付けてね。回収してきたよ。礼拝堂に居る信徒達には話しておいたから、ご飯をゆーっくり食べた後で出発しよう。レゾネクト君も、おいでおいで」
 老齢の大司教様に手招きされ、無言で後を付いて来る黒ひよこ……もとい、子供姿のレゾネクト。
 慣れって怖いわね。もう、驚きもしなければ嘲笑も浮かんでこない。
 「では、支度をしてきます」
 「! 私も手伝うわ」
 立ち上がったアーレストさんに続いて厨房へ向かい、この教会で最後の食事の準備を始める。
 用意した食材はニンジンとイモとオニオンとお肉。香辛料をたっぷり使って、具材がとろけるまでじっくり煮込む。
 鼻を(くすぐ)る匂いは独特で、甘さと辛さが程好く混ざり合っている。
 スープと表すには粘度が高いそれをお玉杓子で掬って平皿に盛り、ロールパンと匙を添えて、コルダさん達が待つ部屋へ運ぶ。
 ちなみに、ティーはいつものお茶で、リースリンデは泉の水ね。
 人と悪魔と私はテーブルを囲む備え付けの椅子二脚と、空間を固めて作った椅子二脚。ゴールデンドラゴンはタオルを敷いたベッドの上、精霊はテーブルの上に座り、同時に手を合わせ、

 「「「「「いただきます」」」」」
 「にゃっ!」

 それぞれの食を進める。
 元は硬かった野菜の中心にも浸透している複雑な旨味を噛み締めながら、思い描くのは数十分後に待っている娘達との再会風景。
 今頃どうしているかしら。
 プリシラさん達とは仲良くできているかしら。
 アーレストさんからクロスツェルとお揃いのペンダントを貰ったら、どんな顔をするかしら。
 この髪飾りを見て、どう思うかしら。
 ……新しい友達がいっぱいできたのよって話をしたら、どんな反応をするのかしら。

 「美味しい」

 作りたてのこのご飯のような温かい雪国の話を、早く貴女に届けたいわ。
 私が感じたものを分かち合えたら、それも素敵なお土産になる……わよね? きっと。

 
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