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逆さの砂時計

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純粋なお遊び
  合縁奇縁のコンサート 28

vol.36【てぃーの、ゆうがな、てぃーたいむ】

 我が名はバルハンベルシュティトナバール。
 ゴールデンドラゴンの子供姿と、時司(ときつかさ)の神・バルハンベルシュティトナバールの記憶を持つ、元・日記帳である。

 む?
 何故、日記帳が動いて喋るのか、だと?
 まぁ……我にもいろいろあったのだ。その辺りは気にするでない。

 それよりも、だ。
 我には今、この姿形を得て以来最大の危機が訪れようとしている。

 我の目の前には、空のカップ。

 そう。(から)のカップしかない。
 あるべきカップの中身は、総て我の腹に収めてしまったのだ。

 これは一大事である。

 単に飲み終わっただけだろう?
 何を言うか! 事はそのように単純な問題ではないのだぞ!
 この逼迫(ひっぱく)した状況が全く伝わっていないとは、実に嘆かわしい。

 仕方あるまい。
 順を追って、丁寧に解説してやろう。

 事の起こりは本日、宵の口。
 顔触れは、木製の椅子に座る人間・アーレストとコルダ、空間を固めて作った椅子に座る女神・マリアと悪魔・レゾネクト。
 その四人が囲むテーブルの上に座った精霊・リースリンデ。
 少し離れたベッドの上の、我・バルハンベルシュティトナバール。
 この教会で最後の晩餐を味わっている最中の、何気無い会話が切っ掛けであった。



 マリア「今までいろんな食べ物を頂きましたけど、このカレーという料理は香りが異色ですね。辛味と甘味が独立しながらも共存しているような……。最初は見た目に引いてしまいましたが、慣れれば癖になりそうです」
 コルダ「うん。黒茶色でドロッとした見た目の所為か、嫌がる人も結構居るんだけどね。入ってる野菜自体はシチューと変わりないし、此方のほうが食欲を増進する香辛料をたっぷり使ってるから、慣れれば病み付きになると思うよ。慣れればね」
 アーレスト「大司教様の好みに合わせて作った物ですが、マリアさんにも美味しく感じてもらえたのでしたら、良かったです」
 コルダ「おや。気を遣わせてしまったのかな?」
 アーレスト「たまたま材料が揃っていただけです。街の皆さんに感謝してくださいね。北の民にはなかなか手出しできない、高価な香辛料まで分けていただいているのですから」
 コルダ「勿論だよ。ああでも、これを作れるだけの材料があるのに、中央教会へ持ち帰れないのは残念だね」
 マリア「? 持ち帰れない? 香辛料を、ですか?」
 アーレスト「ええ。保存方法の問題ですよ」
 コルダ「香辛料の香りや味を少しも損なわずに長距離移動させる技術は、現在、国際商会連合が秘匿・独占してるんだよ。つまり、香辛料に限定して言えば、領地を(また)がせる程の移動は、連合に登録されている正規の商人にしかできないって事だね」
 アーレスト「香辛料は、湿気と害虫と空気接触に弱い物が多く、下手な持ち運びでは数日と保たずに香りが死んでしまいます。そして、通常の保存方法と持ち運びに必要な方法では、内容が大きく変わってしまうのです」
 マリア「……これから王都へ向かおうとしている教会関係者が、商人を伴わずに北方領から香辛料を持ち出すのは不自然である、と」
 コルダ「そうなるね」
 マリア「街の皆も、アーレストさんが大量の食糧を受け取っていたのは知っているから、そもそも教会から調味料の類が無くなる事自体がありえないんですね」
 アーレスト「はい。新しく派遣されてくる担当神父に引き継ぐより他にありません。それでも、赴任してくるまでの間で多少は質が落ちてしまうでしょうが」
 マリア「こういう時にこそ、私の力が使えれば良いのですが……」



 ……さて、気付いたかの?
 何に?

 香辛料が持ち運びできない、という事実に決まっておろう!
 
 よぉく考えてみよ!
 香辛料とは何か?
 芳香性植物の一部を調味等、食に用いる為の物だ。
 では、それが持ち運べないと何が問題なのか?

 香辛料と同じく芳香性植物の一部を湯に入れて楽しむお茶も、アーレスト達には持ち運びできぬという事だ!

 なんたる悲劇……っ!!
 マリア達の会話でそれに気付いた我は、愕然とした。

 我がこの教会で飲んでいるミントのお茶の葉は、この街の市場で買い求めた物と聞く。
 ただでさえ、アーレスト達が中央教会へ向かっている間は飲めなくなるというのに。
 アーレスト達が中央教会へ辿り着いても、其処にこれと同じお茶の葉が無ければ、やはり我はお気に入りのお茶が飲めないではないか!!

 我は考えた。
 ミントのお茶を楽しめるのは、全員が食事を終えるまでの間のみ。
 ならば、少しでも長く余韻に浸りたい。

 少しずつ、少しずつ。ゆっくりと、じっくりと。ちまちまちまちま、ちまちまちまちま飲み続け……やがて麗しの泉は、無情にも底を突いた。

 皆の食事はまだ半ば。我のカップも、泉を湛えるのはまだ二度目。
 この程度ならばと何食わぬ顔でお代わりを要求してみたが、予想通りポットを傾けて注ぐアーレストに心配の色は無かった。
 安堵の息を吐いて、ちまちまちまちま、ちまちまちまちま。

 しかし。
 迎えた四杯目の要求時、マリアの目に不穏な影が(よぎ)った。
 まずい。
 五杯目は必ず止められる……っ!

 マリアには、人間で言う「(しゅうとめ)」の才能が有る。
 とにかく口煩いのだ。
 真に我を心配しておるのも解るし、我にも良くない所が有るのは重々承知しておる。
 だがな。
 だが。

 今後は飲めなくなると分かった以上、以前のように、あと一杯だけ……などと妥協する訳にはいかぬのだ!

 ビバ・おなかいっぱい!

 そうして迎えた現在。
 我の(かいな)には空のカップ。狙うは五杯目のミントのお茶。
 障害は姑のマリアと、マリアには弱腰のアーレストと、マリアには大人しく従うレゾネクト。
 リースリンデはどうとでもなるとして、コルダは……正直、読めぬ。
 味方になるか、妨害者となるか。
 我の立ち回り次第であろうか? それすら読めぬ。
 かと言って、放置できる存在感でもない辺りが厄介だ。

 正面のテーブル奥にリースリンデ。右手側手前にレゾネクト、奥にアーレスト。左手側手前にコルダ、奥にマリア。
 お茶が入ったポットは、アーレストの手前、リースリンデの近く、マリアの視界の範囲内。
 普通に要求しても、高確率でマリアの制止が入る。媚びても結果は以前と変わるまい。
 皆の食事終了までは、残り十分から十五分程度。
 腹の調子で見れば、我もまだ二・三杯はいける。
 だが、下手を打てば此処で強制終了だ。

 さあ、どうする我?
 この危機的状況を首尾良く切り抜けるには、どう動くのが最善か?

 「そういえば、貴女はどうするの? リースリンデ」
 「はい?」

 む? リースリンデの気がマリアに向いたな。

 「この前のクロスツェルはレゾネクトの体を使っていたから、貴女とはあまり話せてなかったじゃない? 改めて会いに行くのならそれでも良いけど、王都に良い印象は無かったみたいだから、どうするのかなって」
 「ああ、それですか」

 全員の目が、ひらりと舞い上がるリースリンデに集まりおった。
 こ、これは……。

 「聖天女様は、ロザリア様の結界内部に直接移動される予定なんですよね?」
 「ええ」
 「なら、行きます。リオやリーフの件でも改めてちゃんとお礼をしておきたいですし、結界の外に出なければ良いだけの話ですから」
 「うーん……聴いてはいたけど、精霊さんは本当に義理堅いんだねぇ」
 「恩を受けたら返したいと思うのが当然でしょう? 恩恵を受けて当たり前だと思う人間がおかしいのよ。厚かましすぎて気持ち悪いし、吐き気がする。ああ、おぞましい!」
 「耳に痛いですね」
 「アーさんも、誰かに何かをしてもらうのが当然なの?」
 「そう在りたくはないですが、未熟さは日々痛感しています」
 「私は、アーさんにもたくさん貰ったわ。アーさんには何を返せるかしら」
 「お役に立てたなら、それで十分ですよ」
 「……アーさんのそういう所、私は好きよ。納得はしないけど」

 絶好の機会、キターーーーッ!

 皆の視線が、アーレストと向き合う形で宙に浮かんでいるリースリンデに集まった今!
 ポットは完全に死角(ほうち)
 即ち、度外視(ノーマーク)! 
 いける。いけるぞ!

 名付けて
 『くれぬなら 貰ってしまえ ミントの茶』
 作戦!

 そう……誰かに要求して止められるくらいなら、始めから自分で注げば良かったのだ。
 あのポットを手にしたままマリアから距離を取って、空にするまでじっくり堪能する。
 我ながら、なんと素晴らしい計画なのか!

 「じゃあ、プリシラさんにも説明しなきゃ。今度こそ、ゆっくり話せると良いわね」
 「はい!」
 「娘と人間の男性と精霊の三角関係なんて予想もしてなかった展開だから、先が楽しみだわ」
 「だから。どうしてそうなるんですか、聖天女様」
 「面白そうだから?」
 「私で遊ばないでください!」

 よーしよし。
 良いぞ。その調子だ、マリア。
 リースリンデの開き切らぬ青い花を目一杯おちょく……いや、愛でてやるが良い。
 我はその隙にこっそりベッドを降りて、物音を立てぬよう、素早くテーブルの下へ。

 くくっ。誰も気付いておらぬな。
 我が計画を着々と進めているとも知らず、頭上で暢気な言葉を交わし続けておるわ。
 目標地点まであと少し。
 テーブルの隅の真下に着いたら少しだけ浮いて、会話の盛り上がりが最高潮を迎えた瞬間にテーブルの上へ飛翔。ポットを奪取するのだ!

 ああ……あの器一杯に詰まっている甘露がもうすぐ我の物になるのかと思うと、胸の高鳴りが抑え切れぬ。
 此処は慎重に、呼吸を整えてから……

 「あら? ティーは?」
 「!?」

 まずい! 我の移動に気付いたか!?

 「さっきまでは其処に……」
 「……バルハンベルシュティトナバールなら」

 ちぃっ!
 マリアが疑問を口にした所為で、レゾネクトが我の居場所を瞬時に特定・告げ口しようとしておるな!?
 させん! 此処まで来て、そんなオチは許せぬ!

 先・手・必・勝・!

 「にょにょおにゃにゃ(このお茶は)、にゃえにょみょにょにゃああああああああああああ(我の物だああああああああああああ)!」


 ズガァーーーーンッ!! べちょ。


 「…………にゃべ(あれ)?」

 「ちょっ」
 「ティーさん!?」
 「おやおや……って、あ」
 「あ」

 遠くに人間達の声が聴こえる。目の前には、遥かなる闇に浮かぶ無数の星。
 何故かツノと羽が痛い。顔面も痛い。
 そして。

 ばりーーーーーーーーーーんっ
 べちべち! べち!
 「あにゃにゃっ、あにゃっ」

 目と鼻の先で砕け散った何か。
 飛散して我の後頭部を何度も打ち付ける何か。
 響き渡る、乾いた音。

 「な……なにしてるの、ティー!?」
 「う、うにゃぁ~……」
 「大丈夫ですか!? お怪我は!?」

 怪我は……無い。多分。
 だが、いったい何が起きたのだ?
 何故、我の背面と顔面が痛みを訴えて、我は床とキスしておったのだ?
 我の近くで聴こえた、あの破裂音は……

 と、其処まで考えて。
 徐々に明けてゆく星闇の向こうに、マリアの二の腕とアーレストの手が見え始めた。
 いつの間にか、マリアに抱え上げられていたらしい。
 心配そうに我の頭部を探るそれらの更に向こう、我が突っ伏していた場所の直ぐ近くに、割れたポットの残骸が散乱している。

 お茶が入っていた、あのポットが。

 「お……っ、おにゃ(お茶)!? おにゃにゃあああ(お茶があああ)っ!?」
 「お茶って……貴方まさか、お代わりが欲しくて……?」
 「うにゃ……うにゃああああああ!!」

 テーブルを抜け切れずに体当たりした挙句、標的であったポットを床に落として割ってしまった。
 せっかくの……折角のお茶が、我の所為で台無しに……っ!
 なんという事をしてしまったのだ、我は!!

 「うにゃあああああああああああああん! うにゃああああああああん!」

 「ティー……」
 「ティーさん……」

 一度零れた水は、二度と元には戻せない。
 器に入っていたお茶も、器が壊れてしまったら戻しようが無いではないか。
 あの尊いミントのお茶は、これでもう、終わり。お終い。
 我が、我自身の体で、終わらせてしまったのだ。

 もう、飲めない。

 「にゃあああああああああああん!!」

 「……(自業自得だと思うが)」

 うるさい黙れレゾネクト。
 人型のお主に、我の気持ちが解って堪るか!
 ゴールデンドラゴンの体では、どうやっても(短い手足と出っ腹が邪魔で)お茶なんか淹れられんのだぞ!
 アーレストのお茶が、今の我の唯一の楽しみだったのに!!

 「えーと……大丈夫ですよ、ティーさん。元々、ポットの中身は(から)でしたから」
 「にゃ!?」

 (から)!?
 え!? 空!?

 「ティーさんに四杯目を注いだ後、残りが少量だったので、マリアさんに飲んでいただいていたのです。ですから、ほら。床は濡れていないでしょう?」

 アーレストが指した場所は、確かにあまり濡れていない。
 破片に水滴が少々付いている程度だ。
 つまり、我が四杯目を飲んでいた時点で、あのポットは、(から)

 計画、最初から無意味。
 我、無駄足。
 超・無駄足。

 「に、にみゃあ~……」
 「! ティー! 大丈夫? しっかりして!」

 (しお)れるように脱力した我の体を抱え直し、頬をぺちぺち叩くマリア。

 ああ、我が愛おしい娘・マリアよ。
 我はもう駄目だ。
 今日から何を楽しみに生きてゆけば良いのか、我にはもう、何も分からぬ。
 せめて……せめて最後に、もっとたくさん、飲んでおきたかった……。

 「ティーーーー!!」

 ガクン! と落ちた首を支え、マリアが悲愴な声で叫ぶ。
 おい待てコルダ。何故、口元を押さえて笑っておるのだ。
 この凄惨な場面の何処に、笑う要素がある?

 「本当は、教会を出る直前でお渡ししようと思っていたのですが、仕方ないですね」

 ……ん?

 「はい、どうぞ。受け取ってください、ティーさん」
 「……にゃー……?」

 一旦部屋を出たアーレストが、筒のような物を持って戻って来た。
 ような、ではないな。
 筒だ。木製のカップを細長くして取っ手を外し、蓋を被せた筒。
 蓋には、更に小さく細い筒が付いている。

 「にょにぇにゃ(これは)……?」
 「行商人や旅人が常用している物と同型の水筒です」
 「にゅいみょう(水筒)、にゃにょ(だと)!?」

 ガバッと起き上がり、飛び付いた感触で伝わった。
 筒の中身は液体だ。しかも、ほんのり温かい。
 これは、間違いない!

 「おにゃ(お茶)! みんにょにょおにゃにゃにゃ(ミントのお茶だな)!?」
 「はい。王都でも飲めるようにと、お土産に用意していたのです」
 「にゃっふぅーっ!」

 水筒を両手で掲げ、湧き上がる喜びに任せて舞い踊る。
 筒の中で、少なくない液体が揺れる。その振動が、喜びに幸せを上書きする。
 今日がお別れの時だと思っておったのに、明日も飲める。
 明日も! 飲めるのだ!

 おぉ、はっぴぃでーっ!

 「…………ティーいー?」
 「にっにっに~…… にゅふっ!?」

 地鳴りにも匹敵する低い声に振り向けば、どす黒い(もや)を背負ったマリアが、にっこりと笑いながら水筒を取り上げた。
 我、恐怖で動けず、反論もできず。

 マリアの手からパッと消える水筒。
 無言で指し示されたポットの残骸。
 下から覗く目に、深まる黒い微笑。
 それらの意味とは、そう……人質(ものじち)
 お茶を返して欲しくば、という圧力!

 いかん!

 「にょ(ご)、にょめんにゃにゃい(ごめんなさい)! にゃいにゃにょうにょにゃいみゃにゅ(ありがとうございます)! にゃにゃにゅめみゃにゅ(片付けます)!」
 「よろしい。」

 大急ぎでアーレストに頭を下げ、破片の回収を開始する。
 腰に両手の甲を宛がったマリアが、それで良いと言いたげに深く頷いた。
 どうやら正解だったらしい。
 内心、ほっと胸を撫で下ろさずにはおられん。

 しかし、(マリア)、恐い。
 とても、恐い。
 今後は怒らせぬようにしよう。


 我の、幸福(おちゃ)の為に……っ!
 




 マリア「そうじゃないでしょ」
 ティー「にゃんっ」

 でこぴん反対!

 
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