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逆さの砂時計

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純粋なお遊び
  合縁奇縁のコンサート 25

vol.33 【心的外傷(トラウマ)

 クロスツェルが死んだ。

 いや、一応生きてはいるんだけど、なんかもう……心が死んでる。
 絨毯の上に座った状態で、私が寝かされてたベッドの端に頭を埋めて、両腕を力無くぶら下げて、丸まった背中はピクリとも動かない。
 せめて顔を横に向けてりゃ良いのに、今朝からずーっと突っ伏してるもんだから、見てるコッチのほうが息苦しい。
 「……あのさぁ」
 「…………そろそろ、お昼ご飯を用意しますね…………」
 いい加減叩き起こすべきか? と、ぐったりしてる肩に手を伸ばした瞬間、両腕を一切使わずにぬらぁ~りとゆぅ~っくり起き上がる不気味な死人(クロスツェル)
 乱れた前髪の奥に垣間見える顔色も目も、まさに死人のそれだ。生気がまるで無い。
 「って、怖ぇよ! 普通に起きろよ!」
 「……はい? 私は至って普通ですよ? ええ……至って普通の、変態です……」
 「落ち着け。落ち込むんじゃなくて、一旦落ち着け。な? 変態に普通とかいう概念は無いから。普通の変態って言葉自体が成立するもんじゃないから。な? 冷静になれ?」 
 「……そうですね……変態には普通も異常もありません。変態は、どう転んでもただの変態。私という存在が根っからの変態だった……それだけの話ですね……」
 「違うそうじゃないと言いたい所だけど、べゼドラの件があるから全否定もできねぇ……っ!」
 「ええ……貴女が否定する必要なんて一切ありません。何故なら私は変態……現・寝坊助無職大王の変態キング神父クロスツェルなのですから」
 「めんどくせぇー! コイツ、本当にめんどくせぇよぉーっ!」
 今朝までと同じように背中を丸めたままのそのそと間仕切りの隙間を通り抜けて昼食の準備に取り掛かろうとするクロスツェルの左腕を、斜め後ろからガシッと掴んで引き留める。
 刹那、死人の体がぐしゃっと崩れ落ちた。
 驚いてその顔を覗き込めば、
 「…………私は…………私は…………」
 泣いてる。
 ぽろぽろ、ぽろぽろと、色が無い頬に涙を零しながらブツブツ言ってる。
 うん。
 あかんやつだ、これ。
 手の施しようが無ぇ。



 始まりは、百合根感謝の日・当日の夜。
 アーレストと一悶着起こしてから数時間後の、ミートリッテの仕事部屋。
 中央教会(こっち)の様子を見に来てた母さんが向こうの教会へ帰った後、ふとクロスツェル入りのレゾネクトが女の姿をしてたって事に気付いて、クロスツェルにその辺の事情を聴こうとしたのがまずかった。
 私の問い掛けを聴いたコイツは、いきなり両目をぐわっと見開いて凍り付き、ソファからずるんっと滑り落ちて、ローテーブルの下で蛇の抜け殻もどきになっちまったんだ。
 そっからずーっと、食事の支度中ですら見事なこの死人っぷり。
 なんだなんだ何事なんだと騒ぐ私とリーシェの横で冷静に成り行きを観察してたソレスタによれば、
 「そいつは恐らく、心的外傷後ストレス障害ってヤツだな」
 「心的……なんだ、それ?」
 「簡単に言うと、過去の体験で心に深い傷を負った奴が、何かの切っ掛けでその体験を思い出して塞ぎ込むなりなんなりしちまう症状だ。つまり、状況的に考えると……」
 「考えると?」

 「クロスツェル君は、レゾネクトの女姿を借りていた事実にたった今気が付いて、激しく落ち込んでいる!」

 らしい。
 「……コイツ自身も知らなかったのか……」
 中央教会(ここ)でクロスツェルと感覚を繋げた時のレゾネクトは、私が目を覚ました時と変わらず五歳になるかならないかくらいの幼児姿だった。
 なのに向こうの教会では何故か大人の女の姿になっていて、しかも、クロスツェルが自分の体に戻るまで……私に言われるまで、全然気が付いてなかった。
 どうやらそれがコイツの古傷を抉ったようだ。
 「事前に聞いてなかった、知らなかったからこそ、こんな話題で落ち込んだんだろ? 他人の体と感覚を共有するって理窟は体験してみないと解らないが、自分の意思で動かしてる体がいつの間にか性転換してたってのに、指摘されるまで些細な違和感も覚えなかった……とか、そりゃ女装を強要されてた人間(おとこ)としては自己嫌悪の極致だわな」
 女装だけでも相当な抵抗感があった筈なのに、実際は女の体になってても全く気付いていなかった。自分はいったい何なのか……。
 で、こうなった、と。
 「え!? クロスツェルさん、女装させられてたんですか!? まさか、プリシラ様に!?」
 偶々(たまたま)一時的に戻って来てたミートリッテが、ローテーブルの下で放心状態になってるクロスツェルを凝視して声を荒げてたっけか。
 「そそ。次期大司教殿恒例のお仕置きで、クロスツェル君とアーレストが、な。中央教会に住む金と黒の美人踊り子二人組って言えば、当時の王宮でも結構有名だったぞ。好色な商人に目を付けられてるって噂もあったほどだ」
 「あぁー……あの話って、クロスツェルさんの事だったんですね……。お気の毒に……」
 眉間に皺を寄せつつ悲し気な表情で両手を合わせて拝んでたけど、唇の端が薄っすら持ち上がってた所為か、本気で憐れんでるようには見えんかったな。



 「つぅか、そろそろ目ぇ覚ませ、莫迦クロスツェル! 丸一日以上うだうだうだうだと延々呆けやがって! 女になってたのはお前の体じゃなくて、莫迦親父(レゾネクト)の体だろうが! どっちかってーと、お前よりヤツの娘である私の心の傷のほうがデカい筈なんですけど!?」
 私も、仲裁に入ったその場じゃなくて時間が経ってから気付いた辺り、事前にプリシラとミートリッテの配慮があったとは言え、とうとう人間らしからぬ家庭環境を受け入れてしまったのかと密かに落ち込んでたんだけどな!
 コイツがグダグダになってる姿を見せられ続けてると、自分を慰めてる暇も無いんだよ! ったく!
 「……そうですよね……私が変態なばかりに、貴女は……」
 「うわあ、全ッ然聴いちゃいねぇ。その(ツラ)、無性に張り倒したい」
 「どうぞ、思う存分殴ってください。そういう約束もしていましたし」
 「知ってるか? 芯が通ってない、支えが無い物を殴り付けても、本来戻って来るべき抵抗感が殆ど無いんだ。勢いが物体を突き抜けて、所謂(いわゆる)空振り状態になる。苛立ちをぶつけたいのに手応えが感じられないと、殴りたいと思ってたほうは余計に腹が立つんだよ。今のお前をぶっ叩いても、私には何の得も無ぇどころか、拳の振り上げ損だって話だ。解るか? なあ?」
 「……お役に立てず、申し訳ない」
 「ぬああああああもおおおおおおっ!!」
 うじうじうじうじ、うざってぇぇええ!
 「クロスツェル!」
 「!?」
 ぐでぐで野郎の真ん前で両膝を突き、俯く莫迦の顔を両手で挟み込んで持ち上げる。
 正面に見据えた金色の目が、驚きで真ん丸になった。
 「私は「誰」だ!」
 「……ロザリアです」
 「なら、私は「何」だ!?」
 「……? ロザリアは、ロザリアです」
 「ふーん。ちなみにだが、私は男にもなれる可能性があるらしいぞ?」
 「え」
 「そりゃそうだろう。私は「あの」レゾネクトの血を継いでんだぜ? まぁ、私自身あんまり実感は無いんだけど……この体が人間じゃないって事だけは確かなんだ。性別なんざ思い通りの変幻自在。年齢もきっと、赤子から老人まで自由自在に操れる。お前、それでも私はロザリアだと言えるか? 男の姿の私や老人姿の私にも、愛してるーとか言い切れるのかよ?」
 「ロザリアはロザリアです。私にとっては、それだけで良い」
 「お前自身は、自分が女だったら嫌だなーとか思ってるクセに?」
 「…………。」
 「クソつまらん悩みでいつまでも(コケ)生やしてんじゃねーよ、莫迦。私が何であれ私だって言うなら、お前だってどんなお前でもお前だろ! 女装しようが女になろうが真正のド変態だろうが、んなモンは否定したって今更消せやしないし、変われもしない。全部お前だ! 全部がお前なんだって認めろ! 認めた上で、全部のお前で私と向き合ってみせろ!」
 金の両目に映る自分の顔が凶悪だ。怒りに満ちて、今にも噛み付くぞと言わんばかり。
 此処までしてもまだ落ち込んだままでいるつもりなら、マジで噛み付いてやろうか。
 「…………私が変態なのは、女性の姿を借りていた自分に気付いていなかったから、だけではありません」
 「ん?」
 「貴女にレゾネクトの体が女の姿をしていたと言われた時……アーレストに掴まれた女性(レゾネクト)の腕の感触を思い出して、連想してしまったんです」
 「? 何を?」
 「……貴女の、感触を」
 垂れ下がっていた右手が、私の頬を遠慮がちにそろりと撫でる。
 触れるか触れないかの熱が産毛の先をそわそわとなぞる所為で、微妙に(くすぐ)ったい。
 「べゼドラが私の体に刻んでいった貴女の感触を、私は心地好いと感じてしまっていた。今もまだ、罪悪感と一緒に残っています。此処に貴女の気持ちなど、込められている訳もないのに」
 クロスツェルの目に映ってる私の輪郭が、ぼんやり滲んで僅かに歪む。
 下がった眉尻が捨てられた仔犬みたいだ。情けないなんてものじゃない。
 「なんだ。お前、そんな事で落ち込んでたのかよ。それこそ今更じゃんか」
 「今更です。それでも、想いでは決して消せない過ちです」
 「当たり前だろ。そんなもんで簡単に消されて堪るかよ。こっちは冗談抜きで心底気持ち悪かったんだからな。「理由があったから」なんて言い訳で都合良く感情の上塗りをしようなんざ、この先何があっても絶対一生許してやらない。死んでも許すもんか。好い気味だ。もっともっと私の気持ちを考えて苦しめ、バーカ。」
 「……はい」
 お。
 よしよし、やっと笑った。
 ちょっとずつ戻って来てんな。
 まったく、根暗の相手は疲れるわー。
 「…………ずっと……考えないように、わざと意識から外していた事があるんです」
 「うん?」

 「「ロザリア」は、死にませんよね?」

 「………………………………」
 「……ロザリア?」
 「……………………トゲトゲ」
 「え?」
 真っ直ぐに問い掛ける金色の眼差しが、私の心臓を刺す棘みたいだ。
 コイツは本当に……時々無自覚で容赦が無い。
 だからこそ、互いを傷付け合うこの距離が、現代社会を歪めた女神(わたしたち)に相応しい罰なんだけどな。
 「……なんでもない。心配せんでも、お前よりは遥かに長生きだっての」
 「わぷ」
 子供を宥めすかすように頭を抱え込んで、真っ黒艶々な髪を撫でる。
 慌てて宙を掻いたクロスツェルの両手が次第に高度を下げて、やがてポトリと床に落ちた。
 胸の辺りがじんわり濡れて熱くなってるけど、(しばら)くはこのまま動かさないでいよう。
 情けない顔なんて、コイツも私も、見られたくないだろうしな。




 「……お恥ずかしい所を見せてしまいました」
 「ああ、そうだな。おかげで膝が痛い」
 「すみません」
 もぞもぞと動き出したクロスツェルを解放して立ち上がったら、膝から足首までがズキンズキンと痛みを訴え始めた。
 血行が悪くなってんのかな。そんなに長い時間固まってたつもりはないんだが。
 「昨日より遅くなってしまいましたね。急いで支度しなければ、皆さんの昼食にも影響が出てしまいそうです。ロザリアはベッドに座っていてください。足、痺れそうでしょう?」
 「んー…………」
 前髪を手櫛で整えた莫迦の様子は、すっかりいつも通りだ。顔色も悪くない。もう二度と、あんな風にどん底まで落ち込んだりはしないだろう。多分。
 つくづく手間が掛かるヤツ。
 「フィレスとリーシェを呼んだほうが良いか?」
 「手が空いているようでしたらお願いしますと伝えてください」
 「あいよ」
 人数が人数だからな。味付けとかはともかく、下拵え用の手は多いほうが良い。
 間仕切りの反対側へと移動するクロスツェルの背中をベッドに座って眺めながら、隣室の状況を遠見で覗いて……

 『「〇#☓%△@&’;*~=☆、!!??」』

 「っうぎゃあああああっ!!?」
 
 人間の言葉かどうかも判らない大音量の奇声を、遠見と直の耳、両方で同時に拾い。
 あまりの(やかま)しさに、耳を押さえて絶叫してしまった。
 「どうしました!? 今の声は……!?」
 クロスツェルも、エプロン片手に真剣な表情で飛び出して来る。

 ……結界の入り口は、関係者が出入りする度に毎回自動で閉まる仕組みだから、どんな大声を出しても外に漏れる心配は無いけどさぁー……。

 次から次へとなんなんだ、くそう!!
 
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