逆さの砂時計
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純粋なお遊び
合縁奇縁のコンサート 12
vol.18 【SS/素晴らしきセカイ】
千に及ばずとも数百の信徒が共同で生活するアルスエルナの中央教会。
普段は各々の役割を別個に熟す彼らだが、百合根感謝の日は毎年建物の内外数か所に数十人単位の班を作って分かれ、朝から晩まで百合根の調理と都民への分配にのみ従事している。
今年も例年通り順調に準備が進み……しかし夕方も半ばを過ぎた辺りから、信徒達の間でいつもとは違う空気が流れ始めていた。
「おい、聴いたか? あの話!」
「あの話?」
下拵え済みの百合根が山盛りになっている笊を抱えた青年信徒が、煮込み担当の信徒二人に背後から話題を振ってきた。
二人は鍋底を焦がさないように中身をゆっくりかき混ぜながらも、耳新しい情報を聞き逃すまいと青年に好奇心の目を向ける。
二人の反応からしてまだ知らないんだなと察した青年は、「ふふん」と得意気に鼻を鳴らし、鱗片を一枚一枚鍋に投入しつつ、控えめな声量で答えた。
「閣下が外出したんだってよ!」
「……はぁ?」
「いやいや、嘘だろ。大司教様が不在なんだぞ? 閣下まで教会を空けるワケないじゃん」
コルダ大司教は、二ヵ月程前に教皇猊下の呼び出しを受けてアリアシエルへ出向いたきり戻っていない。アルスエルナ教会の総責任者が不在である以上、次席を預かる中央区司教プリシラが……しかも、アリア信仰が主導すべき祝祭の最中に職場を離れるなど、信徒達から見れば前代未聞の問題行動だ。
あの次期大司教が職務放棄などありえない。
二人は「ガセネタかよ」と同時に両肩を持ち上げ、青年から視線を外した。
だが、青年は慌てず騒がず、鱗片投入の手を止め、ピッと立てた人差し指を不敵に笑う自分の顔の前で数回振ってみせる。
「それがさぁ。責任者代理って事で、第三王子殿下が来てるらしい。敷地の出入口付近で閣下と第三王子殿下とミーちゃんを見たとか言って、一般信徒達がざわついてんだってよ」
刹那。
「なに!? ミーちゃんを見た!?」
「幻のミーちゃんを!? 直でか!?」
「何処の果報者だよ、羨ましい!!」
「ちょっ! マジか!? 見たヤツの名前を教えろ! 絞め上げる!」
鍋の中身と睨めっこ状態だった二人どころか同じ空間内で作業していた全員が、殺意に似た何かを青年に向けて勢いよく一斉放射した。
プリシラによく似た外見でありながらプリシラとは正反対の性格で、しかも公然と「生贄」の扱いを受けていたミーちゃんことミートリッテは、中央教会に住む「生贄」達の間で絶大な人気を誇っている。
そして、その人気ぶりを把握したプリシラによって今では「人前には滅多に出ない」という希少属性まで付与されており、神秘性を増したミーちゃんに対する男性信徒達の好意的感情は殆ど崇拝の域にまで達していた。
当然だが、信徒達にミーちゃんと親し気な呼び方をされている事など、ミートリッテ自身は全く知らない。
「や、そこまでは……俺だって間接的に聴いただけだし……っ」
「そんなら聴かせた奴を連れて来い! デマだったら承知しねぇぞ! 俺達のミーちゃんを弄んだ罪、きっちり贖ってもらう!」
「「「そーだそーだ!!」」」
くつくつ煮える鍋の周辺で熱を上げていく男達の感情論。
又聞きしただけの話をうっかり自慢気に語ってしまったばかりに追い詰められてしまった哀れな青年は、百合根入りの笊を抱えてガタガタと震え出し……
「まぁまぁ、落ち着け若人よ。気持ちは分かるが、重要なのは其処じゃない」
「「「! し、司教様方!?」」」
ミーちゃんよりも接触率が低い人間達に助けられた。
「ちょいとお邪魔しますよ、と」
「え? えええ??」
「四大司教様が何故、調理場に!?」
四大司教とは、中央区以外、東西南北に分かれた四つの区をそれぞれ預かる司教である。
立場的には四人揃ってアルスエルナ教会の第三責任者なのだが、本来は各区の中心街で生活しており、中央教会には定期連絡や会議等がある時にのみ現れる。
*なお、百合根感謝の日に集まっていたのは何代も前からの習慣であって、プリシラが許可を取る為に召集した訳ではない*
「まぁ聴け、同朋達」
最初に声を掛けてきた五十代前後の男性司教が、荒ぶる馬を抑えるように両手を前に出し、にやりと唇の端を持ち上げた。
「中央司教閣下が出掛けたのは事実だ。彼女に名指しで頼られた第三王子殿下も、今は二階の会議室で騎士団の方々と……ミーちゃんと一緒に、お控えくださっている」
「ミーちゃんが……っ!?」
「会議室に!!」
呆気にとられて静まりかけていた調理場の空気が、ミーちゃんの所在情報一つでざわりと蠢く。
崇敬の念に忠実な彼らの足は自然と浮き立つが、
「ならん! お前達、自らの枷を無理矢理外して楽園を目指そうとすれば、完全遮音の密室内で絨毯の上に落ちた羽毛一枚の音すら屋外から聴き分け、千国先の雑踏に紛れて起きた擦れ違いざまの窃盗をも時間のズレ無く見通す悪魔に、笑いながら全力で屠られるぞ! 心底。楽しそうに。高笑いしながら。だ! 素直に怒られたほうがどんなにマシか、解らぬお前達ではあるまい!?」
人としての理性に阻まれ、一様にガックリと項垂れるより他に術は無かった。
「ああ……人の身のなんと無力なことか!」
「これも、我ら「生贄」に科せられた罰だと仰るのか……っ」
「目の前に……目の前に、癒しの泉が見えているというのに! なんたる残酷! まるで「待て」をしている犬にでもなった気分だ!」
「ある意味ご褒美と言えなくもないってところが、グウの音も出せなくて悔しい……っ!」
「アリア様は我らを見放されたのだ……」
主神様は、とんだ風評被害を受けた。
「……現実とは常に弱者を苛むものよ……。だがな。どんなに長い時間でも息を潜めて耐え忍び、諦めずに機を窺っていれば……そして、その機を逃さなければ。幸福は必ずこの手に掴めるのだ。必ず。意味は……解るな?」
五十代前後の男性司教の後ろからひょこっと顔を覗かせた、やはり五十代頃と思われる別の男性司教が、聖職者の肩書きに恥じない、慈愛に満ちた視線と仕種を「生贄」達へ贈る。
「機を……逃さない……」
複数の虚ろな目が、復唱した言葉と共にじわりと高度を上げる。その先に立つ、壮年か中年か、一目では年齢を読み取れないちょっと軽い性格? な印象の女性司教が、こてんと小首を傾けた。
「言ったでしょ? 第三王子殿下は、彼女に名指しで「頼られた」のだと。つまり……」
「!! ま……まさか、殿下は!?」
雷撃を食らった鳩のようにバババッと顔を上げる信徒達。
「司教様方は、この為に調理場へいらしたのですか!」
視線の集中砲火を浴びた四大司教は鷹揚に頷き、声を張り上げた。
「そうとも! まさに、今がその時!」
誰かが「おお……っ」と呟く。
「さあ、我が同朋達よ! その百合根を高く掲げよ!」
呟きは一つ二つと増えていき
「女神アリアへの敬愛と忠誠を、行動を以て彼の御方に示すのだ!」
最後には総員の勇気を讃える雄叫びとなる。
「総ては!」
「「「閣下への心証を少しでも底上げしてもらう為に!!!」」」
通りすがりの別班員
「いいから早く、仕事して」
vol.19 【会議室にて】
「お茶と菓子を出したっきり誰も来ないな。忙しいんじゃなかったのか? 俺、此処に居る意味ある?」
裏の事情など知る由も無いヴェルディッヒの率直な疑問に、ミートリッテは一瞬言葉を失った。
祭事の最中だけど責任者はのんびりお茶を啜っててくださいと言われれば、確かに「何の為の代理なんだろう?」と思われても仕方ない。
しかし、彼は教会外の人間だ。それも政治に直接関わっている。立場上、本当に重要な信仰内部の資料等に関与させる訳にはいかない。
プリシラが彼に求めているのは、厳密に言えば「教会の責任者代理」ではなく、教会を空けても国の重役が見ているからな……という「対外用の結び付き誇示」と「現上役に反感を持っている信徒達への圧力」。そして、「彼に仕える騎士団員による祭事の準備補助」。
ヴェルディッヒ当人には決して、見張り役以上の実務をさせてはいけないのだ。
「殿下のお手を煩わせない為に、皆が必死で頑張ってくれているんですよ。殿下が此処に居てくださるからこそじゃないですか」
引き受けてくださってありがたいですよ、と表面だけで笑うミートリッテ。内では常に心臓バクバクだ。
いつ、「暇だから俺も何か手伝って来る」と言い出すか。その善意が、同じ階に隠れている女神達にどんな影響を齎すか。気が気でない。
(政界慣れしてる人相手に秘密を守り抜けとか、何の罰なのこれ……っ! 私も孤児院に行きたかったです、プリシラ様ぁーっ!)
補佐の部屋に移り住んでから一年未満。
圧倒的経験不足を痛感しながら、それでもなんとか笑顔の仮面を貼り付け続けるミートリッテ。
実の所、彼女もまたプリシラの采配によって信徒達の士気発揚係を与えられつつ、秘密厳守以上の厄介事から保護されていたのだが……
その事実を知るのは、これから数日後の話。
後書き
* *の意味が汲み取れたなら
あなたも素敵な「生贄」候補です。
合掌。
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