逆さの砂時計
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純粋なお遊び
合縁奇縁のコンサート 10
vol.13 【それぞれの覚悟】 ※今回は二本立てです
「んで? あんたの本題は?」
「あら、何のお話でしょうか」
「……ったく……。権力者ってヤツはつくづく面倒くさいな。そういうの、自分らでやってて鬱陶しいと思わないのか?」
いつもの黒い上下服に戻った子供姿のレゾネクトを複雑な気分で見送り、プリシラと二人きりになった室内で、わざとらしく盛大に息を吐く。
わざとらしくっつーか、本気でメンドクセーと思ってんだけどな。
忠誠心だか誠心誠意だか知らないが、そういうモンを寄越すくらいなら、いちいち私を量ろうとするのはやめろっての。
マジで面倒くさいし、ウザい。
「世界中で見せてた一連の動きに関する女神の真意を確かめたいだけなら、自然と目を覚ますまで待ってるか、そうでなくても、せめて夜になるまで待っていれば良かっただろ。アリア信徒は言うまでもなく、アリア信仰から根付いた習慣を持ってるアルスエルナ国民の大多数も『百合根感謝の日』の御膳立てで大忙しだってのに、わざわざレゾネクト用に着せ替え服を百着も搔き集めるとか、余計な時間も手間も掛かる準備を加算してまで、大急ぎで起こす必要はなかった筈だ。あんた自身もクソ忙しいこの時分にどうしても私を起こさなきゃいけなかった理由はなんだ? って尋いてんだよ」
私の意識を浮上させたのは、レゾネクトの力だ。
けど、あの状況でレゾネクトが自ら私を起こす理由はない。
着せ替えはもう嫌だ、助けてくれ。って感じでもなかったしな。
同席してたミートリッテのほうは、百合根の下拵えを手伝いに行ったきり全然戻ってくる気配がないし。
そうなるとアルスエルナの中央教会を取り仕切ってる責任者の一人として多忙を極めてる最中でも今ここに居るプリシラが、レゾネクトを使って私を起こさせた、としか考えられない。
「あんたは、私に何の用があるんだ」
足裏を絨毯に着ける形で、ベッドの端に座り。
私の前で少しうつむいたプリシラの出方を窺う。
プリシラは、レゾネクトが残していったリボンと子供服一式を拾い上げ、左腕に重ね掛けしながら、唇で弧を描いた。
目蓋を伏せたその表情は、どこか満足してるようにも見える。
「用……という用は、特にございませんわ」
「へえー? 気絶した私を叩き起こさせといて、特に用事は無いってか。白々しいなあ。百合根の下拵えを手伝ってほしいからって言われたほうが、まだ筋が通ってるぞ」
「主神へ感謝を捧げる為の祭事です。貴女に手伝わせようなどとは思ってもいません。もちろん、自主的に手伝ってくださるのであれば、諸手を挙げて歓迎しますが」
「片付けくらいは手伝ってやるよ。気が向いたら、だけど」
「ふふ。では、夜までに気が向かれることを期待しておりますわ」
「掃除だの整理整頓だのは嫌いじゃないし、腕には結構自信あるぞ。なんせあの、口煩い男暫定世界一位のウッザい元神父に仕込まれてるからな」
「 まあ。折り紙付きの即戦力ですわね。益々期待が膨らんでしまいそう」
…………やっぱり、か。
状況的に考えて、もしかしたらとは思ったんだ。
そりゃあ、夜まで待ってたら手が空いたクロスツェル達に気取られるかも知れねぇもんな。
こいつにとっちゃ、個人的に話ができる好機は今しかないわけだ。
「はあ────…………ったく……」
どこまでも面倒だなあ。
弱みを見せられない立場とか地位ってヤツは。
「なあ、プリシラ」
「はい」
「私は、アイツが大っ嫌いだ!」
「……はい?」
「アイツはなあ! 嘘吐きだし自分勝手だし、妄想で暴走した挙句、他人に責め苦を押し付けてトンズラこいたまま死にかける変態だし、私に対しては命や体を大切にしなさいと言いながら、自分自身は自傷も自殺も厭わない、青天井で底無し沼な大バカ野郎なんだぞ⁉︎ あの偽善者っぷりは、遠くから見てるだけでもマジで心の底から腹が立つ‼︎」
意味が解らない様子のプリシラは無視。
変態キング神父だった頃の寝坊助無職大王にされてきた、あれやこれやを思い返しながら、苛立ち任せに右手でベッドをバシバシ叩く。
おお⁉︎ これは、すごい。
結界内で使ってる私の布団と比べて、舞い上がる埃の量が極端に少……
って、それはどうでもいい!
「そもそもだ! 毎度毎回鬱陶しい! こっち来んな! っつってんのに、初見、たまたま一瞬顔を合わせただけの相手を見つけるたびに、どこまでもしつこく追いかけ回して「【要約】御飯をあげる。悪いようにはしないからこちらへおいでー?」とか、一般民でも怖いと思うだろ、フツー⁉︎ 更に、それをニヤけた顔でやられた日には薄気味悪くて寒気が止まらねっての! どんだけ言葉や餌付けで良い印象を与えようとしてたって、やってることが狂気染みてんだよ! 最初っから‼︎ あんた、そういうのに遭遇したとして「わーい、三食昼寝付き時々メンドクサイけど屋根の下確保だー!」って、喜んで付いて行けるか⁉︎」
「迷える者達に手を差し伸べることが本分である聖職者としては、なんともお答えしにくい局面ですが……私個人の意見としては「おとといきやがれ」ですわね」
「だったら勧誘方法を根本から見直せ、責任者ぉーッ!」
「そこは勧誘される側の受け止め方次第でもありますし、迂闊な思考誘導を仕掛けては、ただでさえ分かれている思想に更なる分裂を招きかねません。一を全と見なして、その都度、改革意識を持たせるわけにも参りませんの。組織ゆえの悩みどころですわ」
「しつこい勧誘くらいなら、即刻やめさせられると思うんだけど⁉︎」
「ええ。その一点に関しましては、私も完全に同意見ですわ。主神アリアを口実にして嫌がる少女を追いかけ回した挙げ句、無理矢理教会へ押し込めて無体を働く品性下劣な変態粘着質男など、私も心底気持ち悪いと言わざるを得ません。生理的に無理というものを実感いたしました。職権濫用が過ぎた愚か者には、元上司の立場からも相応の厳しい罰を与えねばなりませんね。どのように『捌』いてみせましょうか? 腕が鳴りますわね。うふふふふ」
あ。
なんか、すごくヤバイのを踏み抜いた気がする。
「い、いや、えと。教会に居付いたのは一応、私の意思だからな? そこは責めなくて良いからな? そんな、標的を狙い定めた空腹の肉食獣みたいな鋭い目は、あんたの場合いろんな意味で怖すぎるから、やめとけ? な?」
「変態病の罹患者とは、症状が重ければ重いほど、なにかに付け己の言動を正当化したがるもの。少しでも甘い態度を見せようものなら、見せた分だけ殊更病状を悪化させることでしょう。被害者がお庇いになられる必要など、小匙一杯分もございませんわ、ロザリア様。周囲への思わぬ感染拡大を防ぐ意味も込めて、いっそ今のうちに、ひと思いにこう、キュッ……と」
「せんで良い! 元仲間の話でうっすら笑いながら首を絞める動作すんなよ物騒な! あんた、本当にどうして聖職者になれたんだ⁉︎」
「愛はすべてを救うと、心から信じておりますゆえ」
「びっくりするほど説得力がねぇ!」
「純然たる事実ですわ」
さすが、クロスツェルの元上司。
『にっこり』って文字を貼り付けた華々しい笑顔がアイツとそっくりで、実に胡散臭い。
「えー、と、とにかく! あんにゃろうは人の話を聴かないし、思い込みが激しい上に強引だし、愛してるとか何とか言っといて私の気持ちはいっつも二の次だし、心配ばっかりさせやがるしっ」
「やはり、キュッと」
「しないし、させねえよ⁉︎ 良いから、その凶器を下ろして最後まで黙って聴いててください、お願いします‼︎」
「御心のままに、我が主神」
一礼して半歩下がった後、真面目な顔でひざまずくプリシラ。
……こいつ、私をおちょくって遊んでんじゃないのか?
大人しくしてくれるのはありがたいけど、なんか釈然としねぇ。
「はあぁー……つまり何を言いたいかって、私はクロスツェルとベゼドラが大っ嫌いだ、ってコトだ。ベゼドラに取り憑かれたアイツの言動、私にしたすべては、こっから先どう言い繕われても、どんな風に償われたとしても、一生赦したりしない。これはもうどうしたって揺るがない、大前提だ」
無言で頷くプリシラに、私も頷いて言葉を続ける。
「あんたもさっき言っただろ? 多くの人間は自身が傷付けられれば周囲を恨むって。私も同じだよ。アイツが死んだ後も、私は私の意思も事情も一切合切無視して私を縛り付けた二人を、延々と恨んで、憎んで、嫌い続ける。でもさ。クロスツェルには、感謝してるんだ。アイツの心情がどうであれ、私を見つけて救い上げてくれた事実だけは、何があっても変わらないから」
クロスツェルの教会で世話になる前。
割れたガラス瓶で脅したあの日、あの時。
私の手を離してさえいればきっと、アイツはその後も傷付かずに済んだ。
善きように導く、なんて、職業柄口を衝いて出ただけじゃないのか、って感じの約束を律儀に守ったりしなければ、アイツは三十代四十代、五十代の立派なおっさんになっても、偽りの女神を妄信してる神父のまま、のんきにへらへらと笑いながら生きていけただろう。
…………多分。
あの性格だし、絶対とは言い切れないけど。
少なくとも、人外生物絡みで命を落とすはめにはならなかった筈。
私に関わろうとしたのは、アイツの勝手だ。
生命をすり減らしたのも、アイツの勝手。
けど、その勝手さに、私達は助けられたし。
アイツは私達を助ける為に、取り返しがつかない痛手を被ってしまった。
私達の存在が、本来あるべきアイツの未来を奪ったんだ。
そこだけは、どうしたって目を逸らせない。
逸らしちゃいけない。
「だからこそ。私は、言葉通り自身の命を削ってまで私を探し出してくれたアイツと。底無しの泥沼に沈みかけてた私とアリアを引っ張り上げてくれたクロスツェルの気持ちと、ちゃんと向き合いたい。しっかり向かい合って、互いの良い所も悪い所も全部、真っ正面から受け止めたいんだ。アイツは、どう足掻いても私と同じ未来を生きられない。私は、恩人でもあるアイツの死を見届け、自分の無力さを思い知る。そんな最悪な最後を完遂する為に、今、一緒に居るんだよ」
赦しはしない。かと言って、突き放したりもしない。
先が無いと自覚してるからこそ、残された時間を一緒に過ごすこと自体が私もアイツも楽になれない唯一の方法。
「救いようがない変態バカ男だと判っててもアイツを見捨てられない優しいお姉さんには、少し残念な回答かも知れないけどさ。これがクロスツェルに対する私の本音で、私とクロスツェルの関係を示すすべてだ。……悪いな」
アイツが好きだから傍に居る、とか。
誰に期待されようが懇願されようが、そんな言葉は返してやれない。
好意一つでなんでも赦せる聖人君子じゃないんだ。私は。
「……………………」
「……………………」
沈黙を一拍挿み、私をじっと見上げてた藍色の視線が絨毯の上に落ちて、柔らかそうな前髪の奥へと引っ込んだ。
落胆させちまったか?
と、身を乗り出しかけて
「(なになにもうなんなのここまでだんげんしといてこのむじかくっぷりはかわいすぎるでしょはんそくだわむねきゅんひっしでこきゅうがとまりそうせいしょくしゃやっててよかったわじゅんすいむくなびしょうじょとうといまさしくめがみっっ)」
引いた。
よく分からんけど近寄っちゃいけない気がして。
ベッドの中央辺りまでズザザザザーッと後退りした。
なんだ今の、超高速で息継ぎ皆無な呪詞は。
私への恨み言、とは、違うよな?
「あの、もしもし? プリシラ……さん?」
「発言をお許しください!」
「へ⁉︎ あ、ほい! どぞっ⁉︎」
「ありがとうございます!」
跳ね上げられた満面の笑顔に宿る、嫌とは言わせてくれない謎の気迫。
怖い。
「まず、気絶していた貴女を強引に起こさせてしまった非礼。そして一時はクロスツェルの上司だったとはいえ、貴女と直接的な関わりを持たぬ私が、辛苦を伴う二人の決意を伺ってしまった非礼。心よりお詫び申し上げます」
「あ、ああ。その辺は謝らんでも良い。自分でも昼間から堂々と寝てるのはどうかと思うし、あんたはアイツの幼馴染だもんな。聖職者じゃなくても、命がどうのこうのと聴かされちゃ、気になるのは当然だろ? 私にあんたを責める理由はないよ」
「……身に余る寛大なお言葉、深く感謝いたします」
片膝立ちの姿勢を保ったまま一礼する、器用なプリシラ。
これ、お嬢様が執る所作とは違うよな。
どっちかっつーと、男? 騎士とかの礼法?
女で聖職者なコイツがやるのは不自然な気がするんだが。
不思議と、見た目に違和感はない。
一挙一動がきっちり決まってるし、この姿勢に慣れてるんだろうか?
「ロザリア様の優しさに甘える形となってしまい、申し訳なく存じますが。私の願いを一つ、聞き届けてはいただけないでしょうか」
「願い? あんたが、私に?」
「はい。ロザリア様のお話を伺い図々しくも欲を芽吹かせてしまいました」
この猪の姉ちゃんが、『欲』、ねぇ?
「……別に良いけど、達成できるかどうかは内容次第だぞ」
聴くだけ聴いてやる、と目で促す私に頷き、唇を開いて……
「 、 、 」
……………………。
「それ、意味を理解した上で言ってる?」
「覚悟の所在をお訊ねであれば、答えはここに」
プリシラの右手が、真っ白な長衣に隠れた自身の豊かな胸、その内にある心臓を、覆うように指し示す。
説得は無意味だ。何があっても覆さないと、力を込めた目線が語る。
あんたは納得するな、つったのになあ。
まあ、気持ちは分からなくもないけど。
なにも、要らん心労を自分から抱え込まなくたって良いだろうに。
クロスツェルといい、コイツといい。
聖職者ってヤツには、総じて自虐趣味でもあるのか?
「本当、見渡す限りバカだらけだ」
「褒め言葉と受け取らせていただきますわ」
「前向きなのは良いが、そいつを叶えるには障害が最低でも四つはあるぞ。一つは私の力でどうとでもなるとして、一つはアイツ次第だし、特に重要な残り二つは、あんた達の認識の問題だ。解決策はあんのか?」
「ふふふ……私、アルスエルナ教会の次期大司教・プリシラ。欺き・企み・小細工の類いならば、幼少の頃より呼吸同然に嗜んでおりますのよ!」
「ツッコミ待ちなら、もう乗らないからな。疲れるし」
「そんな……⁉︎ 非常に、非常に残念ですわ。毛並みを逆立てる仔猫の如きロザリア様は、大変からかいがい……いえ、愛らしかったですのに……」
誤魔化す部分が明らかに作為的。
でも、置かれた餌には飛びつきません。
何故なら、疲れるから。
「はいはい、あんがとさん。そんじゃあ、そっちはあんたに任せるわ。後はアイツの考え一つだけど……生憎私は、無理強いするつもりはないんでね。拒否られた場合は、潔く諦めてくれ」
「(誘導尋問洗脳脅迫人質借金幻覚剤)」
「あんた聖職者に向いてないよ絶対」
「にやり」
ハッ⁉︎
しまった、つい!
「くっ! ぅうー……んあー、もー! 良いよ分かったよ、私の負けだ! 普段どんだけ退屈してんだよ、ったく!」
「お付き合いいただき、感謝の念に堪えません」
「どーいたしましてッ‼︎」
「では、最終的な判断はクロスツェルの意志に委ねるとして……私の願いが叶えられますよう……そして、その日の訪れが、少しでも遠く離れた未来でありますよう心よりお祈り申し上げます。私はこれから突然の高熱で倒れた神父達への差し入れと、祭日の準備に加えて神父達の看病まで任されている子供達への贈り物を届ける為に王都内の孤児院まで出掛けますので、本日はこれにて御前を辞させていただきます。御用がおありでしたら、隣の部屋にお声掛けください。誰か一人は必ず控えておりますので」
……………………ぅん?
「神父達? 複数の人間が高熱で同時に倒れたのか? 突然?」
「いいえ、先刻受け取った鳥の報せによれば、眠気や倦怠感など、まったく気にならない程度の軽い症状ならば先日から出ていたそうですわ。ですが、まさか孤児院勤務のほぼ全員が一斉に倒れるとは、思いも寄らなかったと。詳細や原因は不明ですが、寒さを増し始めた北風の影響かも知れませんし、院内感染を予防する為に、子供達には厚着をしてもらおうかと思いまして。急遽、私直々の応援兼視察が決まりましたの」
「……へぇええー……。そりゃまた、大変そうだ」
主に、仕事中に突然寝床へ強制送還された神父達が。
「ロザリア様も、体調にはくれぐれもお気を付けくださいませね?」
「ご忠告、どーも」
決めた。
私、コイツにだけは絶対、何があっても敵対しない。
封印を解いても勝てる気がしねぇもん。
「そうそう」
「?」
扉を中途半端に開いたプリシラが。
境を越える寸前で、取っ手を握ったまま振り返る。
「ロザリア様は先ほど、クロスツェルと向かい合って、互いの良いところも悪いところも全部、正面から受け止めたい、と仰られていましたね?」
「……言ったけど」
改めて聞き返されると、地中深くまで穴を掘ってその中に入りたくなる。
全身むず痒いっていうか、なんというか……とにかく、やめてほしい。
いたたまれない。なんかすごく、いたたまれない。
「それがどうかしたのか?」
「縁に切れ目を入れるのは、たった一つの小さな違和感です」
「?」
「些細な違和感は、疑問へ。疑問は不信感へ。不信感は不快感へ。不快感は嫌悪感へと繋がっていきます。その先で待っているのは、積もりに積もった相手への憎悪の爆発か、己を護る為の無関心か、己への失望による空虚か。いずれにしても一度嫌悪まで行き着いてしまったら以後、己と相手の感情をすり合わせるのは、至極困難であると言えるでしょう」
「…………で?」
「困難な状況に陥っても、相手の気持ちとまっすぐに向かい合いたいという情意。それを的確に表す呼び名。私は一つしか存じ上げておりませんのよ、ロザリア様」
しっかり向き合えると良うございますね。
本当は、とうにお気付きでしょうけれど。
花も綻ぶ温かな微笑みを浮かべた聖職者は、首を傾げる私を一人残して、扉の向こう側へと滑り込んだ。
空間を隔てる硬質な音も、この耳が確かに受容した。
だから。
うつむいて頬を膨らませた私の呟きなんぞ、聴こえちゃいないだろう。
「…………余計なお世話だっ」
vol.14 【i・ji・wa・ru】
「では、失礼します」
隣室の物音を完全に遮る木製の分厚い扉が、ゆっくり静かに閉じられた。
「「「「「…………」」」」」
男女合わせて六名が集う執務兼応接室内に、気まずい静寂が広がる。
プリシラが出て来る直前までの和気藹々とした空気は今や、痛々しい人を適度な距離で見守るかのような、幼子と蝶がお花畑でたわむれる微笑ましい光景を目の当たりにしたような、生温かいものに取って代わってしまった。
それが私一人に集中するのだから、もう、気まずいなんてものじゃない。
「さて、と」
取手から手を離した元上司様は、その場で私達に向き直った。
にやぁああ~~あり……と、悪魔も裸足で逃げ出しかねない、途轍もなく邪悪な笑みを私に向ける。
「ご気分はいかがかしらあ? ねえ? 皆が聴いている中で、我らが主神に体当たり宣言をされた、元神父のクロスツェルさぁああん?」
悪意だ。
プリシラの楽し気な言動にも表情にも、根深い悪意しか感じられない。
「あー……、なんというかまあ…………『おめでとう』?」
「ロザリアさんは強い女性ですね。誰かと向かい合って真正面からすべてを受け止めたいなんて、常人にはなかなか言えません。しかも他人が居る席でそれを認めてしまえるとは。彼女の意思の強さは、浮浪児時代に身に付けたものなのでしょうか」
「いや、ロザリア様は、ここに我らが居ることなど知らぬのではないか? ほれ、全開にせん限り、扉自体が遮蔽物になってあっちからもこっちからも室内はよく見えんのだし」
「あら、リーシェさん。私は扉を開く前にきちんとお伝えしましたわよ? 御用がおありでしたら隣の部屋にお声掛けください。誰か一人は必ず控えておりますので、とね!」
「プリシラ様? それって、まさに今現在ここに複数人が集まっているとは思わないやつですよね?」
「肝心な前提が抜けているわ、ミートリッテ。中央教会に居ない筈の人外を含む集団が、その他大勢と一緒の調理場とか、常時報告書が飛び交っている次期大司教の執務室で、堂々と百合根の下拵えなんかしてると思う?」
「思わんな」
「思いませんね」
「思わぬな」
「……ですよね。だから外から来た皆さんはロザリア様とレゾネクトさんを除く全員でここに集まって、密かに作業してるんですし」
「うふふ。納得してもらえたわね。フィレスさんが仰る通り、ロザリア様はこの状況をご存知の上で、あのように心情をお認めくださっていたのよ! 決して、私が言わせたわけではなく、ね!」
ええ、そうですね。
多少暴論の気を感じないでもないですが、事前にロザリアと状況を確認し合っていたのなら、プリシラの行いに礼節違反や過失は何一つありません。
おそらく、ロザリアがうっかりしていた。
ただ、それだけの話。
それだけの話、なのです、が。
(扉を開くまでどんな話をしていたのかは知りませんが、ちょっぴり貴女を恨めしく思っても良いでしょうか、ロザリア)
室内を染める、柔らかすぎる雰囲気。
私を見つめる生温い視線。
さすがにこれは……いたたまれない……。
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