逆さの砂時計
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純粋なお遊び
合縁奇縁のコンサート 15
vol.22
【強者の傲慢=弱者の怠慢=大衆の無関心3】
夕飯と表すには随分遅い食事になった。
神父達の代わりに子供達が作った料理はどれも不格好で、お世辞にも美味しいとは言い難い。
所々焦げている歪な形のロールパンは、手に取った途端表面の黒い部分がボロボロと崩れ落ち、スカスカな中身を口に含めば、パサパサのモソモソで味らしきものが全く無い。
百合根が主役だったと推測されるスープは、何処をどうしたらこうなるのか、匙で掬った液体のようなモノが灰色っぽく染まっている上、まるで泥のようにねっとりとして非常に重く、それでいて何故か無臭。
口に運ぶまでが勝負だと意を決してパクっといけば、舌へ喉へと瞬時に広がる塩辛さ。
そう。スープとは最早、ぬっちゃりザラザラした食感の温かい塩糊でしかなかった。具材なんて影も形も残ってない。
しかも、猛烈にしょっぱい。触れた部分がビリビリするくらいにしょっぱい。物は試しとパンに乗せて食べてみても、口の中で塩味の粉っぽい何かへ進化しただけで、問題は何一つ解決されなかった。
そこで、洗った葉を千切って器に入れただけの瑞々しいサラダなら大丈夫だろうと、外見で油断したのが運の尽き。
掛かっていたのは水滴などではなく、透明なドレッシング(塩味)だ。
東と南が海に面し、数多くの湖や洞窟も抱えているアルスエルナ王国。
実は塩の年間生産及び消費量・世界第三位。
海近くの民が生活の為に長年必死で売り込み続けて内陸の隅々まで浸透させた結果が。
まさに今、この場所に集約されていた。
荷物の搬入が終わったならばと、プリシラに同席を勧められた聖職者姿の騎士達は、総じて匙をそっと置き、テーブルの上に両肘を立て、手のひらで自身の泣き顔を覆い隠す。
何処の。誰が。
「わたしたち、がんばってつくったんだよ」
「どう? おいしい?」
「ねぇねぇ、おいしい?」
「おかわりもあるよーっ」
と。
大きな目を煌めかせる無垢な子供達へ。
文句や苦情なんぞを言えるだろうか。
騎士達には言えない。
「不味い」だなんて。
とても、言えやしない……
「ごちそうさまでした」
ぽむっと両手を合わせる軽い音。
子供達に悟られまいと咽び泣いていた騎士達が、一斉に顔を上げた。
そして、見る。
無邪気な子供達に囲まれている一等席を。
其処に座る次期大司教の平然とした顔を。
彼女の手前で空になっている食器の数々を。
「プリシラ様プリシラ様、美味しかった?」
「そうねぇ……スープは煮込み過ぎてるし、塩味が濃いわね。もっと薄くしても大丈夫よ。それと、ロールパンは材料の計り方が雑だし、捏ねが全然足りてないわ。焼き加減も、火を通してる間はずっと様子を見てないと。こんなに焦がしてしまったら、材料も食感も勿体無いでしょう? あとは……」
塩味しかない料理を平らげた直後でも淡々と答えるプリシラに衝撃を受けつつ、心の内だけで密かに激しく動揺する騎士達。
そんな、いかにも「褒めてください」と言わんばかりの子供達相手に、いくらなんでも正直すぎるのではないか。
「こんなものね。今回は突然だったからって事情も考慮して、百点満点中……五点!」
(((厳しい!!!)))
これでは不味いと断言しているも同然だ。
傍で聴いていてもあんまりな評価に、子供達がとうとう項垂れてしまった。
ふるふると揺れる肩を見て、泣き出してしまうのでは……と身構える騎士達だったが
「……ぃいやったーっ! 五点だって!」
全員、椅子から転げ落ちた。
「すっげー! いきなり二点も増えたぞ!」
「こんな高得点、初めてじゃない!?」
「バカだなぁ。じじょうのぶん、だろ」
「でもでも! しょうすうてんがないよ! かてんされたときはいっつも付いてたのに!」
「パンの分かな? 一応膨らんではいたし」
「やりぃ! パン作ったのオレだし、オレの得点だな!」
「はいはい。誰か一人が、じゃなくて、皆で頑張ったからこそ、でしょう? 調子に乗って点を落としちゃダメよ?」
「「「はーい!!」」」
床に両手を突いて呆然とする大人達には目もくれず、喜びの声を上げてはしゃぐ子供達。
直前のあれは落ち込んでいたのではなく、感動に浸っていたのか。
思い掛けず高い点が貰えたから。
(((……百点満点中の、五点で?)))
テーブルの上に鎮座する自身の分の料理とプリシラの笑顔と仲間達の真剣な顔を見比べ、騎士達は無言のまま頷き合い、決意を固める。
明日の分は絶対、自分達が作ろう! と。
今晩は到着が夜遅くになると分かっていたから、次期大司教が予め子供達に頼んで孤児院の買い置きで作ってもらっていたが。
以降は元々、神父達の状態に拘らず、自分達の分は自分達で作る予定だった。運び込んだ荷物の中には、孤児院への補填以外に、滞在する騎士達用の食料も含まれている。
しかし。二階から戻って来た彼女の様子からして、彼らの早期回復は見込めないだろう。
となれば、まともな味覚を以て子供達分の食事を用意できるのは自分達だけだ。自分達だけが、悲劇の再発を食い止められる。
ならば護ろう。健康を。
この手で防ごう。塩分の摂り過ぎを。
総ては王国(と、自分)の未来の為に。
「さて……今日は遅くまで待たせてしまってごめんなさいね。後片付けは私達がやっておくから、皆は部屋へお戻りなさい。食堂の外に居るお兄さんがお土産を渡してくれるから、忘れずに必ず受け取ってね」
「「「はーい」」」
「またね、プリシラ様」
「ええ。またね」
数十人の子供達が、ほんの少し名残惜しそうな表情を見せつつもバラバラと食堂の外へ歩いて行く。
やがて聞こえてきた元気一杯な歓声は、子供達一人一人の名前が書かれた箱をそれぞれに直接手渡しているベルヘンス卿へのお礼だろう。
後で頂きますと言って一人だけ食事の時間をずらしていたのは、この時の為だったのか。
上司を一人で働かせてはならないと、騎士達も慌てて立ち上がり
「お待ちください」
見覚えが無い、真っ白で小さな縦型ポットを手のひらにちょこんと乗せて立つプリシラに呼び止められた。
「すみません。子供達が作ったご飯、美味しくなかったでしょう? けれど、どうかお気を悪くしないで。皆は皆で、一生懸命作ってくれたんです」
「え? ……あ! いえ、これは!」
「その、そんなつもりでは……!」
「自分達も団長の手伝いをするべきかとっ」
不味い食事が嫌で逃げ出そうとした、とでも思われたのかと、一様に青褪める男達。
実際、食べ切る以前にもう一口食べられるかどうかすら自信が無いので、手伝おうとした事自体が本心であっても、言葉にすると体の良い言い訳を並べているようでとっても気まずい。
が。
「ベルヘンス卿ならお一人で大丈夫ですわ。事前の打ち合わせ通りですから」
プリシラは一瞬目を丸くしたものの特に気にした様子も無く、困惑する騎士達に頭を下げながら、飲みかけの水が入っている彼らのカップに透明な液体を少量ずつ注いで回った。
「……これは?」
「決して有害な物ではありません。そちらを大体十秒間口に含んで飲み込んだ後、もう一度スープを食べてみてください」
「「「 」」」
カップを眺め、手に取り、匂いを嗅いで中身を確かめていた騎士達が、そのままの姿勢で音も無く硬直した。
解ってはいたが、やはり完食せねばならないらしい。
この、「塩味って言うか寧ろ塩の塊」としか思えない、料理っぽい代物を。
舌が焼き切れるんじゃないかと心配になるくらいの塩辛い物質を。
「「「……っ、……っっ」」」
顔中に深すぎる皺を刻み、喉を鳴らし、冷や汗をかきながら周囲の動向を窺う騎士達だが。
「…………っい、……いただき、マス!」
「「!? っ……!」」
女子供相手に長い沈黙は失礼だと、半ば意地のみで騎士道精神を発動させた一人の「漢」が自身のカップを鷲掴んで飲み口を唇に宛てがい、ぐいっと力強く傾ける。
声にならない悲鳴を上げる仲間達の涙が滲む視線を一身に集めた漢は、言われた通り十秒間を遣り過ごしてから飲み込み、いざ参らん! とばかりに、匙で掬った塩糊を大きく開いた口の中へ勢いよく投げ入れた。
そうして
「……………………………………あれ?」
小刻みに上下する、濡れた睫毛。
「しょっぱくない。てか……、美味しい?」
「!? なんだって!?」
「バカな……っ!!」
「あの強烈な塩辛さを感じない、だと!?」
目を点にした漢の呟きに、本日何度目かの衝撃を受ける仲間達。
一口含めばもれなく味覚障害を引き起こす凶悪なしょっぱさだった筈。と、疑いの眼差しが集まる先で。
漢が再び匙を引き寄せる。
開いた唇を閉じ、歯と歯を何度も噛み合わせ
「……食感はアレだけど…… 美味しい」
喉の奥へゆっくり滑り込ませた物の代わりに出て来た言葉は、微妙な含みはあれど、紛れも無く賛辞の類。
漢が勇敢なる行動と引き換えに得たものは、何故か美味しく感じる塩糊と、食堂内に満ちる男達のどよめきだった。
「次期大司教様……これは、いったい」
「私が作った、味覚を誤魔化すお薬です」
「味覚を誤魔化す、薬?」
「ええ」
近くのテーブルにポットを置いたプリシラが、にっこり笑って頷く。
「子供達が作る料理は大抵味が濃かったり薄かったりするので、調整用にいろいろ常備させているのです。皆様にお配りしたのは「塩味」を感じ難くさせる物。その水を口に含んだ時、酸っぱさを感じましたでしょう?」
「は、はい。僅かに、ではありますが」
「塩味には酸味が有効。ですから酸味が強い食材と調味料の成分に手を加えたこのお薬で、塩味に対する防御膜を口内に張ったのです」
「な、なるほど……いえあの、ですが、それだと塩辛さを感じなくなるだけですよね?」
塩味が薄くなるだけじゃなくて明らかに美味しくなってるんですが、と言いかけて、漢の目線が宙を泳ぐ。
子供達はまだ食堂の出入り口付近に居る。不用意に不味い、味が悪いなどと口走ってしまったら、彼らにも聞こえてしまうかも知れない。悲しませてしまうかも知れない。
客観的に見てこれまでの態度が感想になっている事実はさておき、思い遣りを忘れない紳士達にプリシラは笑みを深めて再度頷いた。
「サラダやスープに関しては、野菜そのものの香りや雑味、原型が無くなるまでじっくり煮込んで引き出された甘味や旨味が消滅している訳ではありません。貴方の口内に残る酸味成分が塩味をまろやかな物に変えたことで、隠れてしまっていたこれらの味に気付けたのです」
「では、この美味しさは、元々の……?」
「ええ。見た目と塩の量で難が目立つ料理ですが、それさえ誤魔化してしまえば普通に食べられるんですよ。食感とパンは手の施しようが無くて申し訳ないのですけど……ああ、際立った味を抑える分、摂取後通常の料理では物足りなく感じてしまいますが、規定量さえ順守していれば三十分程度ですっかり元通りになりますので、其処はご安心ください」
「あくまでも一時的な効果という事ですか」
「その通りです。子供達にとって、孤児院の食材は根菜の皮一枚でも貴重な糧。皆様には様々な面でご不快に思われるでしょうが、どうか皆の努力を汲んであげてください」
姿勢を正して頭を下げるプリシラに、騎士達は互いの顔を見合わせ……素早く礼を執った。
「不快など、とんでもない!」
「我ら一同、子供達の善意と次期大司教様のお心遣いに感謝しております」
「料理も勿論、残さず頂戴致します!」
確かに、できるなら食事を始める前に事情を話しておいて欲しかった、とは思う。打てる手が無いとしても、心構えだけはしておけただろうから。
しかし、薬が入ったあの白い器……子供達が席を離れるまでは、食堂内の何処にも置いてなかった。プリシラの手が届く範囲内にも、だ。
此処に居る騎士達は第三王子付き騎士団員。騎士の中でもより優れた技能を持つ精鋭、という職業柄自負しているが、初めて訪れる場所は隅から隅まで注意深く観察する癖が身に付いている為、己の目で確かめた情報に誤りは無い。
誤りなんかがあったら、注意力不足で即護衛失格になってしまう。
つまりあれは、プリシラ自身が食事を終えた後、子供達が食堂を出て行くまでの間に、何処か別の場所……恐らく厨房から急いで持って来た物。
子供達に注目され、自身は塩辛いままの品々を顔色一つ変えられずきっちり完食するしかなかっただろうに、騎士達には少しでも食べやすいようにと、こうしてわざわざ一人一人に、しかも、頭を下げながら提供してくれたのだ。
もしかしたら、子供達を早々と部屋へ帰してくれたのだって薬を配る為かも知れない……と考えるには少々空が黒すぎるが。
此処までされて不快感を抱く不義理者など、騎士団の中には一人として居ない。
仮に居たとしても、そのバカがうっかり眉を顰めた瞬間、物凄く嬉しそうで無駄に爽やかな笑顔の『あの方』が真剣を片手に飛んで来るような気がしてならない。当然『あの方』に目を付けられたそのバカは、任務と並行で三日三晩不眠不休の精神修行まっしぐらだ。同情の余地は一切無い。
何処でどう見ているか分かったもんじゃない『あの方』ことアルスエルナ王国第二王子殿下の鋭い眼差しを思い浮かべて全身を震わせた騎士達は、目にも留まらぬ速さで席に着き、改めて塩味しかしない食べ物っぽい物と対面する。
漢の無事が安全性を証明してくれているとはいえ、黒焦げたパンと匙で掬った跡がくっきり残る灰色のスープの組み合わせは、見た目にもなかなかの殺傷力だ。地味に、けれど、確実に見る者の食欲を削ぎ落してくれる。
それでも毅然とした態度で薬を口に含む漢達の背中は、初めから不利だと判っている戦に挑む勇猛果敢な戦士のそれに似ていて。
「……ありがとうございます」
女は、そんな彼らの背中に深く腰を折って敬意を示した。
約十秒後、薬を飲み下した騎士達も「こちらこそ」と軽く頭を下げ、各々の食事を始める。
子供達の賑やかな声が遠ざかる中、自分達で食べてみて本当に大丈夫だと安心したのか、匙を動かす度に、隠し切れていなかった警戒感が少しずつ和らいでいく。
頃合いを見計らっていたプリシラも、柔らかな微笑を浮かべるまでに回復した騎士達へ
「私は用事がございますので、此処で退席させていただきます。護衛はベルヘンス卿にお願いしてありますから、皆様はひとまず食事を続けてください」
と告げ、一人で食堂を後にした。
燭台の明かりがぽつぽつと照らし出す薄暗い廊下を、突き当たりへ向かって真っ直ぐに歩いて行くプリシラ。その周辺には、ベルヘンス卿どころか人っ子一人控えていない。
自身の管轄下に在る建物内であっても、要職に就いている者が一人で行動するなどありえない。中央教会の内部でさえ、複数の視線に晒しているか、補佐を横に貼り付けて身を護るのが常だ。
護衛が居ない状態での移動は、己の命を溝へ投げ棄てているも同然の愚行。
だがプリシラは、護衛に指名した筈のベルヘンス卿が現れない事実を当たり前に無視して、静まり返っている廊下を無言で進む。
「あら」
ぴたりと足を止めたのは、窓を開けておいてと手紙に記した部屋の、少しだけ開いた扉の手前。隙間から冷えた夜の風が流れ込んでいる。
斜めに影を落とす絨毯をじっと見つめ
「……偏見って、恐ろしいものね」
小さく笑う。
そして、徐に扉を開き
「人手は必要かしら?」
何でもない事のように声を掛けた。
真っ黒な室内に差し込む光。
輪郭を得た、部屋の片隅で蹲っている小さな人影と、不自然に傾いて今にも倒れそうになっている大きな人影と、その頭部から足裏を離した直後と思われる姿勢で宙を翻っている一際小さな人影。
「あ、ぷりしらさまー!」
一拍後華麗に着地を決めた人影が、吹っ飛んで倒れた人影を放置してプリシラへ走り寄り、光の下に愛らしい笑顔を浮かび上がらせた。
「ぶじ、おしごとかんりょーですっ!」
少女は左手の指先をピンと伸ばして自身の胸に当て、右手でスカートを摘まみ、社交界でも通用する完璧な淑女の礼を執る。
対するプリシラも満足気に頷き
「お疲れ様、ミネット」
人知れず繰り広げられていた世にも奇妙な光景の主人公へ、労いの言葉を贈った。
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