逆さの砂時計
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純粋なお遊び
合縁奇縁のコンサート 16
vol.22 【強者の傲慢=弱者の怠慢=大衆の無関心3】
夕飯と表すには、ずいぶん遅い食事になった。
神父達の代わりに子供達が作った料理はどれも不格好で。
お世辞にも美味しいとは言いがたい。
所々焦げている歪な形のロールパンは、手に取った途端表面の黒い部分がボロボロと崩れ落ち、スカスカな中身を口に含めば、パサパサのモソモソで味らしきものがまったくなかった。
百合根が主役だと推測されるスープは、どこをどうしたらこうなるのか、匙で掬った液体のような物が灰色っぽく染まっている上、まるで泥のようにねっとりとして非常に重く、それでいて何故か無臭。
口に運ぶまでが勝負だと、意を決してパクっといけば、舌へ喉へと瞬時に広がる塩辛さ。
そう。
スープとは最早、ぬっちゃりザラザラした温かい塩糊でしかなかった。
具材なんて、影も形も残ってない。
しかも、猛烈にしょっぱい。
触れた部分がビリビリするくらい、しょっぱい。
物は試しと千切ったパンに乗せて食べてみても、口の中で塩味の粉っぽい何かへ進化しただけで、問題は何一つ解決されなかった。
そこで、水洗いしたキャベツの葉などを一口大に切って器に入れただけの瑞々しいサラダなら大丈夫だろうと、外見で油断したのが運の尽き。
掛かっていたのは水滴などではなく、塩味の透明なドレッシングだ。
東と南が海に面し、数多くの湖や洞窟も抱えているアルスエルナ王国。
実は、食塩の年間生産量及び消費量、世界第三位。
海近くに住む民が生活の為に長年必死で売り込み続けて、内陸の隅々まで浸透させた結果が、まさに今、この場所に集約されていた。
荷物の搬入が終わったならばと、プリシラに同席を勧められた聖職者姿の騎士達は、総じて匙をそっと置き、テーブルの上に両肘を立て、手のひらで自身の泣き顔を覆い隠す。
どこの。誰が。
「わたしたち、がんばってつくったんだよ」
「どう? おいしい?」
「ねぇねぇ、おいしい?」
「おかわりもあるよーっ」
と。
大きな目を煌めかせる無垢な子供達へ。
文句や苦情なんぞを言えるだろうか。
騎士達には言えない。
「不味い」だなんて、とてもじゃないが、言えやしない。
「ごちそうさまでした」
ぽむっと両手を合わせる軽い音。
子供達に悟られまいと咽び泣いていた騎士達が、一斉に顔を上げた。
そして、見る。
無邪気な子供達に囲まれている一等席を。
そこに座る次期大司教の、平然とした顔を。
彼女の手前で空になっている食器の数々を。
「プリシラ様、プリシラ様! 美味しかった?」
「そうねえ。スープは煮込み過ぎてるし塩味が濃いわね。もっと薄くしても大丈夫よ。それと、ロールパンは材料の計り方が雑だし、捏ねが全然足りてないわ。焼き加減も、火を通してる間はずっと様子を見てないと。こんなに焦がしてしまったら、材料も食感も勿体ないでしょう? あとは……」
塩味の料理を平らげた直後でも淡々と答えるプリシラに衝撃を受けつつ、心の内だけで密かに激しく動揺する騎士達。
そんな、いかにも「褒めてくださいっ」と言わんばかりの子供達相手に、いくらなんでも正直すぎるのではないか。
「で。今回は突然だからって事情も考慮して、百点満点中……五点!」
(((厳しい‼︎)))
これでは不味いと断言しているも同然だ。
傍で聴いていてもあんまりな評価に、子供達もうなだれてしまった。
ふるふると揺れる肩を見て、これはやはり泣き出してしまうのでは……と身構える騎士達だったが
「……ぃいやったーっ! 五点だって!」
全員、椅子から転げ落ちた。
「すっげー! いきなり二点も増えたぞ!」
「こんな高得点、初めてじゃない⁉︎」
「バカだなあ。じじょうのぶん、だろ」
「でもでも! しょうすうてんがないよ! かてんされたときは、いっつも付いてたのに!」
「パンの分かな? 一応膨らんではいたし」
「やりぃ! パン作ったのオレだし、オレの得点だな!」
「はいはい。誰か一人が、じゃなくて、皆で頑張ったからこそでしょう? 調子に乗って点を落としちゃダメよ?」
「「「はーい‼︎」」」
床に両手を突いて呆然とする大人達には目もくれず。
喜びの声を上げてはしゃぐ子供達。
直前のあれは落ち込んでいたのではなく、感動に浸っていたのか。
思いがけず高い点が貰えたから。
(((……百点満点中の、五点で?)))
テーブル上に鎮座する自身の分の料理とプリシラの笑顔と仲間達の真剣な顔を見比べ、騎士達は無言のまま頷き合い、決意を固める。
明日の分は絶対、自分達が作ろう! と。
今晩は到着が夜遅くになると分かっていたから、次期大司教があらかじめ子供達に頼んで、孤児院の買い置きで作ってもらっていたが。
明日の朝以降は元々、神父達の状態に拘らず、自分達の分は自分達で作る予定だった。
運び込んだ荷物の中には、孤児院への補填や差し入れ以外にも、滞在する騎士達用の食料が含まれている。
しかし二階から戻ってきたプリシラの様子からして、神父達の早期回復は見込めないのだろう。となれば、まともな味覚をもって子供達の分の食事を用意できるのは、自分達だけだ。
自分達だけが、悲劇の再発を食い止められる。
ならば護ろう。健康を。
この手で防ごう。塩分の摂り過ぎを。
すべては、アルスエルナ王国(と、自分達の体)の未来の為に。
「さて……今日は遅くまで待たせてしまって、ごめんなさいね。後片付けは私達がやっておくから、皆は部屋へ戻りなさい。食堂の外に居るお兄さんがお土産を渡してくれるから、忘れずに必ず受け取ってね」
「「「はーい」」」
「またね、プリシラ様」
「ええ。またね」
数十人の子供達が、ほんの少し名残惜しそうな表情を見せつつバラバラな足取りで食堂の外へ向かう。
やがて聞こえてきた元気一杯な歓声は、子供達一人一人の名前が書かれた箱をそれぞれに直接手渡しているベルヘンス卿へのお礼だろう。
後でいただきますからと言って一人だけ食事の時間をずらしていたのは、この時の為だったのか。
上司を一人で働かせてはならないと、騎士達も慌てて立ち上がり。
プリシラに呼び止められた。
「お待ちください」
振り返ると、彼女は手のひらで覆い隠せる白いポットを手に立っている。
「すみません。子供達が作ったご飯、美味しくなかったでしょう? けれどどうかお気を悪くしないで。皆は皆で、一生懸命作ってくれたんです」
「え? ……あっ! いえ、これは!」
「その、そんなつもりでは!」
「じ、自分達も、団長のお手伝いを、するべきかと……っ」
不味い食事が嫌で逃げ出そうとした、とでも思われたのか? と、一様に青褪める男達。
実際、食べ切る以前にもう一口食べられるかどうかすら自信がないので、手伝おうとしたこと自体が本心であっても、言葉にすると体の良い言い訳を並べているようで物凄く気まずい。
が。
「ベルヘンス卿ならお一人で大丈夫です。事前の打ち合わせ通りですから」
プリシラは一瞬目を丸くしたものの、特に気にした様子もなく。
困惑する騎士達に頭を下げながら、飲みかけの水が入った彼らのカップに透明な液体を少量ずつ注いで回った。
「……これは?」
「決して、有害なものではありません。そちらの水を大体十秒間口に含んで飲み込んだ後、もう一度スープを食べてみてください」
「「「 」」」
カップを眺め、手に取り、匂いを嗅いで中身を確かめていた騎士達が。
そのままの姿勢で、音もなく硬直した。
解ってはいたが、やはり完食せねばならないらしい。
この、塩味っていうかむしろ塩の塊としか思えない、料理っぽい代物を。
舌が焼き切れるんじゃないかと心配になるくらいの、塩辛い物体を。
「「「……っ、……っっ」」」
顔中に深すぎるシワを刻み、喉を鳴らし、冷や汗を掻きながら。
目だけで互いの動向を窺い合う騎士達だが。
「…………っい、……いただき、マス!」
「「⁉︎ っ……!」」
女子供相手に長い沈黙は無視も同然で礼を欠く行為だと、半ば意地のみで騎士道精神を発動させた一人の『漢』が、自身のカップを鷲掴んで飲み口を唇に宛てがい、ぐいっと力強く傾ける。
声にならない悲鳴を上げる仲間達の、涙が滲む視線を一身に集めた漢は、言われた通り十秒間をやり過ごしてから飲み込み。
いざ参らん! とばかりに、匙で掬った塩糊を、大きく開いた口の中へと勢いよく投げ入れた。
そうして
「…………………………………………あれ?」
小刻みに上下する、濡れた睫毛。
「しょっぱくない。てか、美味しい……?」
「⁉︎ なんだって⁉︎ そんなバカな……っ‼︎」
「あの強烈な塩辛さを感じない、だと⁉︎」
目を点にした漢の呟きに、本日何度目かの衝撃を受ける騎士達。
一口含めばもれなく味覚障害を引き起こす凶悪なしょっぱさだった筈。
と、疑いの眼差しが集まる先で、漢が再び匙を引き寄せる。
開いた唇を閉じ、歯と歯を何度も噛み合わせ。
「……食感はアレだけど…… やっぱり、美味しい」
喉の奥へゆっくり滑り込ませた物の代わりに出て来た言葉は。
微妙な含みはあれど、紛れもなく賛辞の類い。
漢が勇敢な行動と引き換えに得たものは、何故か美味しく感じる塩糊と、食堂内に満ちる男達のどよめきだった。
「次期大司教様……これは、いったい」
「私が作った、味覚を誤魔化すお薬の一つです」
「味覚を誤魔化す、薬?」
「ええ」
近くのテーブルにポットを置いたプリシラが、にっこり笑って頷く。
「子供達が作る料理は大抵、味が濃かったり薄かったりするので、調整用に常備しているのです。皆様にお配りしたのは、塩味を感じにくくさせる物。その水を口に含んだ時、酸っぱさを感じましたでしょう?」
「は、はい。わずかに、ではありますが」
「塩味には、酸味が有効。ですから、酸味が強い食材と調味料の成分に手を加えたこのお薬で、塩味に対する防御膜を口内に張ったのです」
「な、なるほど。ですが、それだと塩辛さを感じなくなるだけですよね?」
塩味が薄くなるだけじゃなくて、明らかに美味しくなってるんですが。
と言いかけて、漢の目線が宙を泳ぐ。
子供達はまだ食堂の出入り口付近に居る。
不用意に不味い、味が悪いなどと口走ってしまったら、彼らにも聞こえてしまうかも知れない。悲しませてしまうかも知れない。
客観的に見て、これまでの態度が既に感想になっている事実はさておき、思いやりを忘れない紳士達に、プリシラは笑みを深めて再度頷いた。
「サラダやスープに関しては、野菜本来の香りや雑味、原形が失われるまでじっくり煮込んで引き出された甘味や旨味が消滅したわけではありません。貴方の口内に残った酸味薬の成分が塩味をまろやかなものに変えたことで、隠れてしまっていたこれらの味に気付けたのです。見た目と、使用した塩の量や味で非常に難が目立つ料理ですが、それさえ誤魔化してしまえば普通に食べられるんですよ。ただ、食感とパンに関しては、手の施しようがなくて申し訳ないのですけど……。ああ、際立った味を抑える分、通常の料理では物足りなく感じてしまいますが、規定量さえ順守していれば、三十分程度ですっかり元通りになりますので。そこはご安心ください」
「あくまでも一時的な効果、ということですか?」
「その通りです。子供達にとって孤児院の食材は根菜の皮一枚も貴重な糧。皆様には様々な面でご不快に思われるでしょうが、どうか皆の努力を汲んであげてください」
姿勢を正して頭を下げるプリシラに、騎士達は互いの顔を見合わせ……
素早く礼を執った。
「不快など、とんでもない!」
「我ら一同、子供達の善意と次期大司教様のお心遣いに感謝しております」
「料理ももちろん、残さずいただきます!」
確かに、できるなら食事を始める前に、事情を話しておいて欲しかった、とは思う。打てる手がないとしても、心構えだけはしておけただろうから。
しかし、薬が入ったあの白いポット。
子供達が席を離れるまでは、食堂内のどこにも置いてなかった。
プリシラの手が届く範囲内にも、だ。
ここに居る騎士達は、第三王子付き騎士団員。
騎士の中でもより優れた技能を持つ精鋭、という職業柄自負しているが、初めて訪れる場所は隅から隅まで注意深く観察する癖が身に付いている為、己の目で確かめた情報に誤りはない。
誤りなんかがあったら、注意力不足で即時護衛失格になってしまう。
つまり。あのポットは、プリシラ自身が食事を終えた後、子供達が食堂を出ていくまでの間に、どこか別の場所……
おそらく、厨房から急いで持ってきた物。
子供達に注目され、自身は塩辛いままの品を顔色一つ変えられずきっちり完食するしかなかっただろうに、騎士達には少しでも食べやすいようにと、こうしてわざわざ一人一人に、しかも頭を下げながら提供してくれたのだ。
もしかしたら、子供達を早々と部屋へ帰してくれたのだって、薬を配る為かも知れない……と考えるには、少々空が黒すぎるが。
ここまでされて不快感を抱く不義理者など、騎士団の中には居ない。
仮に居たとして、そのバカがうっかり眉を顰めた瞬間、物凄く嬉しそうで無駄に爽やかな笑顔の『あの方』が、真剣を片手に持って飛んでくるような気がしてならない。
当然『あの方』に目を付けられたそのバカは、通常任務と並行で三日三晩不眠不休の精神修行まっしぐらだ。同情の余地は一切ない。
どこで見ているか分かったもんじゃない『あの方』ことアルスエルナ王国第二王子殿下の鋭い眼差しを思い浮かべて全身を震わせた騎士達は、目にも留まらぬ速さで席に着き、改めて塩味のみの食べ物っぽい物と対面する。
漢の無事が、食後の安全性を証明してくれているとはいえ。
黒焦げたパンと匙で掬った跡がくっきり残る灰色のスープの組み合わせは見た目になかなかの殺傷力だ。地味に、けれど確実に、向き合う者の食欲を削ぎ落してくれる。
それでも毅然とした態度で薬を口に含む漢達の背中は、初めから不利だと判っている戦に挑む、勇猛果敢な戦士のそれに似ていて。
プリシラは、そんな彼らの背中に深く腰を折って敬意を示した。
「……ありがとうございます」
約十秒後、薬を飲み下した騎士達も、こちらこそと軽く頭を下げ。
各々の食事を始める。
子供達の賑やかな声が遠ざかる中、自分達で食べてみて本当に大丈夫だと安心したのか、匙を動かすたびに、隠し切れていなかった警戒感が少しずつ和らいでいく。
頃合いを見計らっていたプリシラも。
柔らかな微笑を浮かべるまでに回復した騎士達へ
「私は少々用事がございますので、ここで退席させていただきます。護衛はベルヘンス卿にお願いしてありますから、皆様は食事を続けてください」
と告げ、一人で食堂を後にした。
燭台の明かりがぽつぽつと照らし出す薄暗い廊下を、突き当たりへ向かいまっすぐに歩いていくプリシラ。
その周辺には、ベルヘンス卿どころか、人っ子一人控えていない。
自身の管轄下にある建物の内部であっても、要職に就いている者が単独で行動するなどありえない。中央教会内でさえ、複数の視線に晒しているか、補佐を横に貼り付けて身を護るのが常だ。
護衛が居ない状態での移動は、己の命をドブへ投げ棄てるも同然の愚行。
だがプリシラは、護衛に指名していた筈のベルヘンス卿が現れない事実を当たり前に無視して、静まり返っている廊下を無言で進む。
「あら」
ぴたりと足を止めたのは、窓を開けておいてと手紙に記した部屋の、少し開いた扉の手前。隙間から冷えた夜の風が流れ込んでいる。
斜めに影を落とす絨毯をじっと見つめ……小さく笑う。
「偏見って、恐ろしいものね」
そして、おもむろに扉を開き、なんでもないことのように声をかけた。
「人手は必要かしら?」
真っ黒な室内に差し込む、燭台の灯り。
輪郭を得た、部屋の片隅でうずくまっている小さな人影。
不自然に傾いて今にも倒れそうになっている大きな人影。
傾いたその頭部から足裏を離した直後と思われる姿勢で、宙を翻っている一際小さな人影。
「……っと。あ、ぷりしらさまー!」
一拍後華麗に着地を決めた人影が、吹っ飛ばされて倒れた人影を放置してプリシラへ走り寄り、灯りの下に愛らしい笑顔を浮かび上がらせた。
「ぶじ、おしごとかんりょーですっ!」
少女は左手の指先をピンと伸ばして自身の胸元に当て、右手でスカートを摘まみ、社交界でも通用する完璧な淑女の礼を執る。
対するプリシラも満足気に頷き。
「お疲れ様、ミネット」
人知れず繰り広げられていた、世にも奇妙な光景の主人公を労った。
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