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逆さの砂時計

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純粋なお遊び
  合縁奇縁のコンサート 17

vol.24
【強者の傲慢=弱者の怠慢=大衆の無関心5】

 「で? 外側からミネットの手首を捕まえて包丁で脅したまでは良かったけど、窓枠を乗り越えて部屋へ侵入するまでの間に体勢を整えていたミネットからの飛び蹴りを顔面でもろに受け止めて、ついうっかり昏倒しちゃった、と」
 「おへやにはいるときは、ちゃんとげんかんからはいらなきゃだめなんだよ! めっ!」
 「ぅるっせぇな! 黙れ、クソガキ!」
 「あらあら。そのクソガキに気絶させられたお間抜けな侵入者さんが、何を粋がっているのかしら? 見苦しいを何十周もぐるぐると回りに回って、いっそ滑稽ね」
 「あ、あれは、完全に不意打ちだったしっ! ちょっと当たり所が悪かっただけだ! ただの偶然っ……」
 「ええ、そうね。「女や幼児は皆非力だ」と根拠が薄い偏見を持っている貴方にとっては、完全なる不意打ちだったと言えるでしょうね。でも残念。ミネットが貴方を気絶させた事実は覆しようが無いし、仮に何度何回同じ場面をやり直したとしても、貴方は絶対に捕まるわ。絶対にね」
 「はぁ!? それこそ根拠が無ぇ妄言……」
 「例えば。ねぇ、ミネット? 刃物を使って人質を取った時の注意点は?」
 「ひとじちからはさきをはなしちゃだめ!」
 「ぐ!?」
 「はい、正解。じゃあ、どうして離してはいけないのかしら?」
 「ひとじちが、にげちゃうから!」
 「それと?」
 「えっと、ひとじちがあばれないようにするため……だよね?」
 「良い子ね、ミネット。よくできました」
 「えへへぇー」
 「……で? こぉんな幼い女の子でも理解している基本中の基本、初歩中の初歩な注意点を守らなかった貴方は、何を根拠に「偶然」などと妄言を吐いているのかしら?」
 「ぅ……うるせぇんだよ、クソババア! 上から目線で講釈垂れてんじゃねぇ! ガキ共々ぶっ殺すぞ!」
 「「どうやって?」」
 「ぐ、ぅ……っ」

 (くだん)の、窓を開けていた唯一の部屋の中。
 横に長い机の上で微かに揺れる三又の燭台の明かりが、頑丈な縄で後ろ手に両手首を、椅子の背凭れに上半身を、前面の脚二本に両足首を縛って固定された青年の、とんでもなく悔しそうな顔を浮き彫りにしている。
 机を挟んで彼の正面に座るプリシラと、プリシラの右手側斜め後ろに立つミネットは、動けないながらも歯を剥き出しにして精一杯喚き立てている青年の様子を、実に楽し気な目で見つめていた。
 ちなみにマイクは、閉じた扉の向こう側で見張り兼連絡係として待機中。
 時々誰かと話しているような気配はするが、プリシラに取り次ぐべき案件はまだ来ていないらしい。扉は閉まったまま、不法侵入者の青年が気絶してから既に一時間が経過していた。

 「ま、揶揄(からか)うのは此処までとして。貴方、勘の冴えは悪くないほうね。罠の一つに気付いただけでも十分に賢いわ。短絡的な思考が弱味になってる所は、ちょっとだけ惜しいけど」
 「っだから上から物をっ…………って、……罠の、一つ?」
 「そうよ。貴方が気付いたのは幾重にも用意してあった罠の内の一つ。貴方の目線だと四つ目か五つ目になるのかしら」
 「よっ!?」
 肘を立てた右手のひらに自身の頬を乗せ、折り曲げていた左手の指先を一つ、二つと数を数えながら一本ずつ伸ばしていくプリシラ。
 「嘘を吐くな! お前らはオレより少し前に着いただけだろ!? 三つも四つも罠を仕掛ける余裕なんか無かった筈だ!」
 「幾らでもあったわよ? 貴方が鈍くて気付かなかっただけ」
 「っ、この! 莫迦にするのも大概にっ」

 「西方領の外れに在る孤児院から来た浮浪児もどきのクァイエット君。私が貴方の存在を掴んだのは大体十三年前。貴方を手元に招こうと決めたのは約一年前。貴方が王都を訪れるように仕向けたのは半年前よ。こんなにも余裕があって後手に回るほうがおかしいと思わない?」

 孤児院を使おうと決めたのは今日だけどね。と、にっこり微笑むプリシラを見て、青年の表情が愕然と凍り付く。

 「な……なんで、オレの、名前……!?」
 「貴方の事は全部知ってるわ。孤児院で育てられた元戦災孤児のセイレスお母様と、一般民のガナルフィードお父様との間に生まれた一人息子。夫婦仲の悪化を理由に離婚した後は母子二人で暮らしていたけれど、お母様は貴方が六歳の時に病死。お父様は離婚後からずっと音信不通。行き場を失った貴方はやむを得ず、かつてお母様が身を寄せていた孤児院に引き取られた。でも、成人に至っても仕事先や養子としての受け入れ先を得られなかった貴方は、院長の後見で特別身分証明を発行された後、孤児院を出て今日まで空き巣を繰り返していた……そうでしょう? 「問題児の」クァイエット君」
 「……………………っ!!」
 「院長が嘆いていたわよ? どれだけ貴方に心を砕いても、貴方は全く聞く耳を持たないどころか、わざと反抗的に振る舞っていたって。貴方、そんなにアリア信仰が憎かったの?」

 上半身を前へ傾け、机の上で両手のひらに顎を乗せるプリシラ。その目に浮かぶのは……嘲笑だ。
 クァイエットの身上を語りながら、彼の過去を嘲笑っている。
 心の底から。
 冷たい目で。
 (あざけ)っている。

 「…………んな…………」
 「? なぁに?」

 「……っざけんな偽善者が!! 憎い? 当たり前だろうが!! お前らは母さんを見殺しにした!! 病気で動けなくなった母さんに、お前らは何もしてくれなかった!! 知ってたクセに……オレの事も母さんの事も!! 毎日毎日、オレがどれだけ真剣に回復を願って祈ってたか、知ってたクセに!! 肝心な時だけは放置しておいて、何が祈れだよ!! 何が救済だよ!! 結局お前らアリア信仰は、金を出す奴以外に用は無いんだろ!? 欲に塗れた薄汚い人殺し詐欺集団の分際で偉そうにするんじゃねぇよ、クソが!! お前も死ね!! そこに突っ立ってるガキも死ね!! 誰も助けてくれない孤独と苦痛と絶望の中で、みんなみんな、泣きながら死んでしまえッ!!」

 血を吐いてもおかしくない大絶叫が、夜の静寂を激しく揺らす。
 突然の轟音とクァイエットの鬼気迫る豹変ぶりに驚いたミネットが咄嗟に目を瞑り、両耳を塞いで(うずくま)った。
 しかし。

 「嫌よ。私にはまだ、やりたい事もやるべき事もたくさん残ってるもの。貴方の駄々如きで死んであげられるほど、この命は安くないの」

 プリシラは姿勢も表情も崩さず、手負いの獣を連想させるクァイエットの殺気立った形相を冷静に見据えている。
 少しも揺るがない、お前など取るに足らない存在だとでも言いたげな、冷めた目線。
 それがまた、クァイエットの顔に満ちた憤怒を色濃くしていく。

 「母さんの命が安いとでも言いたいのか、クソ野郎が……ッ!!」
 「……もうメンドクサイから、逆に尋くわ。貴方、お母様が元孤児だった事は、お母様が亡くなる以前から知っていたでしょう。どうしてお母様が倒れた時、孤児院へ助けを求めに行かなかったの? 余裕ではないにせよ、頑張れば子供の足でも辿り着ける場所に在った筈よ」
 「!?」
 「お母様は町の中で突然倒れたそうだけど、その時の貴方は町民の善意で運ばれて行くお母様にしがみ付く以外何もしなかったと聞いているわ。そして、突然倒れたという事は其処まで症状が進む前に何らかの兆候が身近に居た貴方にも見えていたと考えるのが自然なの。そういう病気だったからね。なのに……ねぇ、どうして倒れるまで気付かなかったの? どうして誰にも助けを求めなかったの? もしかして」

 弱っている者は、誰であろうと無条件で助けられるのが当然だ……なんて、思ってない?

 「それはっ……!」
 「そうよ。皆にそう在ろうと説いているのが他ならぬアリア信仰であり、アリア信徒達。でもね。何故そうした教えを広める必要があると思う? 答えは簡単。この世界の実態が、理想とは程遠い場所に位置しているからよ。貴方が壊すまでもなく、ね」

 元が何者であろうと弱者は食い物にされる。
 助けを求める声は罵声に潰され、宙を掻く手は無造作に振り払われ、存在理由すら目障りだと踏み躙られ。
 厄介事に巻き込まれまいと保身に走る一般民は、それらを総て見世物と嘲笑いつつ距離を置くか、見なかったことにして存在ごと記憶から消したがる。

 「こんな世界だからこそ、少しずつでも変えていこうとアリア信仰が説教(こえ)を上げ続けているの。なのに、貴方はどう? 自らは何も為さず為そうともせず、他人の善意に縋り、他人の善意に甘え、感謝もせず、挙句の果てには誰も助けてくれなかったと八つ当たり。申し訳無いのだけれど、貴方の何処に同情の余地があるのか、私にはさっぱり解らないわ」
 「っ何も分からない、何の力も無い子供に、縋る以外の何ができたってんだよ……っ!? あの場に居なかった赤の他人でしかないお前なんかに、オレの何が解る!?」
 「だから、解らないと言ってるでしょう? お母様の病気は、当時の中央教会でも把握していたわ。治療方法も必要な材料も揃っていた。私達にはお母様を助ける力が有った。後はただ貴方が声を上げてくれるだけで良かった。貴方が「中央教会を動かしても良い」切っ掛けさえくれれば、私達はお母様を助けに行けたのよ。その機会を自分で手放した人の気持ちなんて、どう理解したら良いのかさえ解らないわ」
 「っ!? う、嘘だ! 出鱈目を言うな!」
 「慈善事業ってね。貴方が想像してるよりも遥かに莫大な量のお金が動いてるの。つまり、それだけ多くの人間が各々意図を持って絡んでる。一見善い事に使われてるように見えるお金も、角度を変えてみたら真っ黒だった、なんて蹴落とし合いの話はザラ。その所為で、一部とは言え信仰に税金を注ぎ込まれている民衆の目は、事業内容に過敏過剰な警戒感を働かせているわ。自分達の血税が陸でもない事に使われてるんじゃないだろうな……? とね。此処まで言えば、助けを必要としない者の為に中央教会が動けば将来的にどうなるか。さすがに、想像くらいはできるでしょう?」
 「……っ……」
 「貴方は形振り構わず助けを求めるべきだった。町民でも孤児院でも中央教会でも良い。追い払われようと嫌悪の目で見られようと、とにかく「助けて」と叫び続けるべきだった。無力を自覚していたのであれば尚更。けれど結局、貴方は声を上げようともしなかった。お母様の回復を祈る振りをしながら、自分自身に何ができるかすら考えようとせず、自分が楽に生きられる道を選んだのよ。被害者面で騒ぐのは一向に構わないけれど、その点に関してはよくよく己を(かえり)みることね」

 (しがらみ)に囚われ理由が無ければ動けない強者。
 己の非力を知るが故に無条件な善意に甘えた弱者。
 目に見える範囲のみの平穏を望む民衆。

 救えた筈の命を
 本当の意味で見殺しにしたのは
 果たして誰であっただろうか?

 「それとね。勘違いしてるみたいだから、勉強をサボってばかりだった「問題児」のクァイエット君に、今回だけ特別授業してあげるわ。アリア信仰に於ける「祈り」はね。女神アリアにお願いするって意味じゃないの。女神アリアを通して自らに課した「誓い」であり、自身を奮い立たせる為の「原動力」であり、目標を達成する為の道筋を教示してくださっている女神アリアへの「感謝」よ」

 此処が願うだけで誰かを救える易しい世界なら、誰一人として、こんなに苦しい思いはしなくて済んでいたでしょうね。

 「…………んだよ……っ! オレが悪いのかよ!? 母さんが死んだのはオレの所為だって言いたいのかよ……!?」
 背筋を伸ばして腕を組むプリシラの呆れが混じる一言に、眼光鋭く歯を食い縛っていたクァイエットが喉を低く震わせる。
 「納得できない?」
 「できるかッ!! オレ次第で助けられたかも知れないなんて、今更そんな……そんな……信用できるもんか、そんな作り話ッ!!」
 「……でしょうね」
 「ああ、そうだ。そうだよ、もう十年以上前の話だもんな。今更になってお前達が弱者を見捨てた事実が表沙汰になるのは、都合が悪いんだよな。だからそんな虚構をオレの前に並べ立てて、オレに責任転嫁しようとしてんだろ! この、卑怯者の大嘘吐きがッ!!」

 「うそつきじゃないもんっ!!」

 再び声を荒げ出したクァイエットの言葉が押さえていた耳にも届いたのか、黙ってしゃがんでいたミネットがいきなり猛然と立ち上がり、プリシラの真横で机を何度も何度も叩く。
 「ぷりしらさまはうそつかないもん! うそはわるいことだから、わるいことはしたらだめだって、ぷりしらさまがいったんだよ!!」
 「っうるせぇ! 黙れクソガキ! てめえの意見なんざ聞いてねぇわ!!」
 「だまんない! ぷりしらさまは、うそつきじゃないもん! あやまって!」
 「はぁあ!? なんでオレが!」
 「ぷりしらさまはわるくないのに、ぷりしらさまをわるくいった! ぷりしらさまを、うそつきっていった! ぷりしらさまに、ちゃんとあやまって!!」
 ダンッ! と、一際強い力で両手のひらを机の上に叩き付け、燭台の明かりを弾いて煌めく金色の目でクァイエットを睨むミネット。
 純粋で真っ直ぐな怒りを受けた囚人は、一瞬だけ怯んだ表情を見せ

 「…………嘘は悪い事、ねぇ……?」

 唇の両端を持ち上げて(うつむ)き、くつくつと肩を揺らしながら笑う。
 「そうだよ! うそついたら、だめなの!」
 「……だとさ。良い洗脳教育してんなぁ? プリシラ=ブラン=アヴェルカイン公爵閣下」
 「あら。何の話かしら?」
 「他人の目を欺くって意味じゃ、嘘も隠蔽も大差無ぇだろって話さ。……おい、クソガキ」
 「がきじゃない! みねっとはみねっと!」
 「名前なんかどうでもいい。お前に良い事を教えてやる。本当は護衛の奴らにも直接聞かせてやりたかった、とっておきの良い事をな」
 「……いいこと?」
 「ああ。此処で偉そうに腕を組んで座ってるお前の大好きな「ぷりしらさま」が、これまでお前ら孤児に対して何をして来たのか、だ」
 唐突な話題転換に首を傾げる幼女には見向きもせず、薄っすら笑っているプリシラと目線を合わせるクァイエット。
 そして


 「コイツはな! 次期大司教に就任してからずっと! 各孤児院に支給されてる運営資金の三分の一ずつを、国民に無断で! 実家であるアヴェルカイン公爵家に横流ししてんだよ!」

 
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