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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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第四章、その8の3:二つの戦い



 海原のような青々とした空から、蜥蜴が大翼を羽ばたかせながら地面に降り立つ。本来蜥蜴が持つべきではない過ぎたるそれは、而して山腹の砦と錯覚してしまうほどの巨体によって自然なものとなっていた。鋼のような鱗が背中に重なり合い、鈍い鉄色の光沢を生んでいる。肉体を貫いて魂を射抜かんとしているかのような黄色い眼光、口元から覗く長い牙と赤黒い歯茎。どれもこれもが見下ろされている兵士等にとって異常なものであり、彼らの知識に存在し得ないものである。

「なんなんだこいつは・・・!何がどうなっている!?」

 誰かが零したその台詞は波のような動揺を集団に流し込み、すぐに畏怖を惹起させた。皆が狼狽えている。自分達の腰にぶら下げている剣や手に握られた弓では歯が立たないと、本能的に悟ってしまったのだ。唯一恐慌状態ではない隊長格の者ですら、普段兵士等に見せぬような表情を浮かべている。熊美ですら例外ではなかった。
 だが、誰よりも早く熊美は冷静さを取り戻しつつあった。自らの知識があれの正体を知っているからだ。即ち、あの鉄色の蜥蜴は、龍であったのだ。

「団長!どうするんです!?」「あれは蜥蜴なんですか!?それとも、敵なんですか!?」

 配下の騎士が問う。彼らの脳内の知識には龍という存在は刻まれていない。『セラム』において龍とは、唯の神話や寓話上の生物であり、形そのものも不確かな存在であったのだ。
 熊美は騎士としての己を全身の血に意識させる。奮い立つような気持ちが湧いてきた。熊美は恐怖しかけている愛馬の鞭を持ち直す。

「今命令を下す!・・・貴様ら!絶対に動くな!!やつを刺激するんじゃない!!私が対話を試みる!!」
「団長、危ないですよ!」「ヤガシラ殿!!」「クマミ、自重しろ!!」

 朋友達の声を背に受けつつも、熊美は隊列を抜けて龍の前へと進んでいく。狂ったような黄色い眼光を受けていると手に汗が湧いてきて、ハルバードを掴む手の感覚をおかしくさせる。しかし逃げる訳にはいかなかった。

(誰かが最初に進まなくてはならない・・・その役目を兵士に任せる訳にはいかない・・・)

 龍より人の足で二十歩の場所まで近付く。これ以上は馬が怯えて進んでくれなかった。龍にとっては一歩に等しい距離なのだろうと、心中冷ややかな思いで、熊美は叫んだ。

「翼のある蜥蜴よ!貴殿が人の言葉を解するのならば、どうかその獰猛な牙を収め、我らと理性ある対話をしてほしい!!返答や如何に!!」

 兵士らが固唾を呑んで見守る。背中に嫌な汗を掻きながら、熊美はただ返答を待つ。龍は叫びを受け取っても微動だにせず穏やかな呼吸をするだけであった。永遠とも思われる緊張の時間は不意に爆発した。龍が軽く瞬きをした同時に、その首が俄かに引っ込んだのだ。途端に熊美の毛穴という毛穴が開き、本能の報せを伝えてくる。『拙い』と。
 熊美は自分でも理解出来ぬ速さで馬より降りる。その直後、龍が一歩前に進み、その首が光のように伸びて馬の体躯に食らい付いた。地面に伏せる熊美の真上で、まるで玩具を壊すかのように龍の顎は馬を噛み砕く。絶叫を上げる暇もなく軍馬は絶命し、臀部や足がぶらりと落下してきた。

「っ!!おのれェッ!!」

 熊美はハルバードを突き上げる。矛先は真っ直ぐに龍の顎の真下に生える、小さな鱗に当たった。罅割れるような音がして、龍は堪らないといわんばかりに首を振り上げ足を後退させた。再び睨んでくるその瞳には怒りと殺意以外の感情は何も無い。巨体を大きく広げて龍は吼えた。

『ーーーーーーーッッッッ!!!!』

 鉄を擦り合わせるような猛々しい蛮声。兵士等が思わず身を竦ませた。龍は大きく翼を羽ばたかせて空へと舞い上がる。皆は此処に至って漸く自分を取り戻したようであった。慌てふためきながら隊長の指示に従って陣形を敷いていく。この大翼の蜥蜴と一戦交えようとしているのだ。
 龍は青い空を飛んで旋回した後、此方へ真っ直ぐに飛んできた。それを見ながらバッカスが指示する。
 
「全員斉射用意!!奴の翼を狙え!」
「斉射用意!」「弓を引けぇっ!!」

 弓兵らが一斉に矢を放つ。腹部などに矢が刺さるもまるで意に介していない。龍は雑多な矢を弾きながら足を繰り出す。まるで波濤のような轟音が鳴り響き、地面が泥のように抉れて飛沫を飛ばす。飛翔の勢いを借りながらその足は兵団の只中を突っ切り、幾人ものも男達を潰し悲鳴を上げさせながら再び空へ舞い上がった。
 凄まじい一撃であった。陣形が一瞬にして崩れ去り、後に残ったのは誰が誰だか分からぬ死体と負傷した兵士だけであったのだ。隊長らが上擦った声で指示する。

「散開しろ!!固まって行動するなぁッ!!」「くそっ!翼があるからっていい気になるなよ!?」

 声を他所に第二撃が降り注いだ。先程よりからは犠牲者が少ないが、しかし初回と同じように隊列が引き裂かれた。熊美の下に近衛騎士団団長のオルヴァが駆け付けた。

「どうするクマミ!?これでは一方的に嬲られるだけだ!!」
「帝国の士官は!?」「殺された!さっき奴の爪に引っ掛かって、バラバラになってしまった!」
「ならば指揮権は我等に戻るな!・・・オルヴァ、俺が奴とやる!馬を一頭貸してくれ!それから、なるべく配置につくまで奴の注意を引き付けてくれ!」
「御安い御用だ!!」

 オルヴァは馬を返して隊列の後方へと駆け付ける。龍の攻撃を受けながらも必死に指示を出すハボックは、傍に駆け寄る近衛騎士を見て一瞬安堵を顔に浮かばせた。オルヴァは叫ぶように言う。

「ハボック!!奴の注意を惹くぞ!一斉斉射の後、左右に散開!後はクマミがやる!!」「了解!皆聞いたか!?斉射をして、一気に散らばれ!!こんな所でくたばるんじゃないぞ!?」

 勇敢なる声に奮起したのか、兵士等は隊列を組み直して弓矢を構える。等間隔に並ばずバラバラに、しかし龍の身体を確実に狙える位置に並んでいると、龍が再び勢いを付けながら地面に舞い降りてきた。

「放て!!」

 ハボックの指揮で弓矢は一斉に空に飛んでいく。幾百もの黒い雨に晒されるも龍の勢いは全く衰えなかった。 

「散れ!!」

 蜘蛛の子を散らすように兵士等が散開する。龍の直撃を食らったのは僅か数人足らずであった。手応え少なさに苛立ったのか、龍は大きく尻尾を振り回して何人もの兵士を肉塊に変え、地面をのしのしと歩いて逃げ遅れた兵士に爪を突き立てた。
 戦場を引き裂くような断末魔を耳にしながら熊美は馬を駆り、周辺を探る。龍の巨体に合うような、探しているのは高さのある場所であった。小高い丘に馬を走らせるも、まだ高さが足りない。

(此処じゃ駄目!もう少し高さが無いと・・・っ!あそこなら、いいかもしれないわ!)

 丁度いい場所を見つける。片方はなだらかな斜面であるのにもう片方は切り立った崖のような、変わった丘であった。熊美はそこへ武器を指しながら、オルヴァに向かって叫ぶ。

「オルヴァ!!こっちだぁぁっ!!!」
「!兵士諸君!私に付いてこい!豪刃の羆が貴様らの奮闘に応えるぞ!!」

 応、という声が大地を震わせる。再び空を舞い始める龍。兵士等の顔には段々と恐怖が拭われていき、明快なる闘志が見受けられるようになってきた。
 熊美が丘の頂上に立ちながらはらはらと様子を見詰める。犠牲者の赤い点々が平原の彼方此方に見受けられていた。新兵器である大砲も二門ほどやられている。兵士等は恐怖を抑えながら命令に従い、丘の手前に陣形を作った。切り立った丘へと龍を迎え入れるような形だ。

「弓引けぇぇっ!!放てぇぇっ!!」

 再び黒い雨が空へと舞う。鉄色の巨体が翼を広げながら悠々と、しかし人にとっては凄まじい速さで地面に降り立った。回避しきれぬ兵士等を潰しながら、巨体が崖の傍を滑っていく。
 その時、丘の頂上より一人の大男が叫びながら飛び立った。跳躍したのは熊美であった。硬い鱗の上に降り立つとその隙間にすぐさまハルバードの矛先を突き立て、振り落とされぬようそれにしがみ付いた。背に乗った存在に気付いたのか、龍は不快げな息を漏らしながら宙へと飛翔する。

「ぬぅっ・・・」

 耳元で風が鳴るせいで兵士等の声は聞こえない。熊美は全身の力を振り絞りながら、這いずるように、懸命に龍の頭へと向かっていく。一向に振り落とせぬ存在に気が立ったのか、龍は空高くまで飛翔するとバレルロールを繰り広げた。天地が逆さになる異様な感覚に襲われて、熊美は思わず地の自分を出してしまった。

「いやあああっ!!こ、こんな酷い揺れっ、ガレオン船から海に投げ出されて以来よ!!馬鹿じゃないの、この子ぉっ!?」

 盛大な愚痴を零しながらも熊美は進んでいく。どうやら注意を引き付けている御蔭で龍は兵士等へと向かわず、空を飛ぶばかりとなっているようだ。地上から見ればまるで何も無い場所を泳ぐような恰好となっているだろう。
 切り裂かれる風が身体を四方から叩き、瞼も碌に開けられない。だが熊美は己の闘志と膂力だけを頼りによじ登っていき、遂に龍の頸部まで達した。これ以上は変形した鱗のせいで進めないようだが、しかし痛みを与えるくらいは出来る筈であった。龍が地面と平行して飛ぶのを待ち、熊美は鱗の隙間から見える軟な肌に目をつけた。
 
「大人しく、しなさいっ!!おらぁぁぁああっ!!!」

 刃が食い込み、赤い血が流れる。表情一つ変えなかった龍の口から唸り声が漏れ出た。相当の痛みだったのだろう、飛翔がぐらりと乱れ、熊美は得物ごとあわや振り落とされる一歩手前となってしまった。しかし右の翼の付け根辺りに刃を埋める事で何とか落下を阻止する。
 地上では熊美の奮闘の甲斐あってか、迎撃の準備が整いつつあった。新兵器である移動式の重砲に大きな弾が込められる。ずらりと並んだ砲門の先には、乱れた泳ぎを見せる龍が存在していた。ハボックが兵士等に問う。

「大砲用意出来たか!?」「全砲門、準備終わりました!」
「よし!クマミっ!!合図とともに一斉斉射だ!分かったかぁっ!?」

 聞こえているかは定かではないが、オルヴァは馬上より剣を掲げて何度か左右に振る。熊美は荒れ狂う龍の翼の裏で、微かにその煌めきを捉える。必死の形相でハルバードの刃を抜くと、翼の内側にある柔らかな部分目掛けて刃を振った。強烈な風の抵抗を受けながらも刃はそこを捉えた。龍は唸り声を上げ、猛スピードで地面へと飛んでいく。どうやら激怒してしまったようだ。
 熊美は最早得物を握る事も適わず、武器を宙に捨てて渾身の力で鱗にしがみ付いた。次の着地の際にはきっと鱗から手が離れてしまうだろうが、しかしその前に地上の仲間が反撃の一手を龍に与えるだろう。八つの砲門が段々と近づいてくる龍に照準を合わせた。地上へ落着するのに合わせて龍が翼を大きく広げた。それこそが、オルヴァが待っていた瞬間であった。

「撃てぇぇっ!!!」

 重厚な砲声が響く。黒煙がむわりと立ち込めた。発射から一秒にも満たない内に八つの砲丸は、鱗の無い龍の腹を直撃し、真紅の血肉が撒き散らされた。また、更に幾つかは大事な右翼を引き裂いたようであり、その部分にはぽっかりと穴が開いてしまった。翼持つものとしてはあってはならぬ痛手であった。

『ーーーーーーーッッッ!!』

 龍は聞いた事が無いような悲痛な叫びを上げながら地面を滑る。巻き上がる土煙を被る者はいたが、幸いにも潰される兵士はいなかった。蠢く巨体の背中の上で熊美は転がっていき、尻尾の付け根あたりから地上へと落下した。衝撃で肺から空気が抜けてしまい咳き込んでしまう。その頭の上を竜巻のように尻尾が通過していく。どれをとっても致命傷を通り越して即死級の龍のじたばたは、大地を大いに揺るがし、兵士等を遠ざけた。
 やがて龍は大砲を嫌うかのように再び空へと飛び始める。追い打ちとばかりに矢の斉射が振りかかって腹の大きな傷口に突き刺さった。龍はじろりと地上の人々を睨むと、血を垂らしながら北の空へと向かっていく。強い風を受けながら兵士等は、勝利の雄叫びを上げた。嵐の様に舞い降りた龍は、まさに嵐の様に去っていった。いや、人間の知恵によって撃退したのであった。
 その第一の功労者である熊美に向かって、オルヴァを先頭として無事であった者達が集っていく。その類稀なる勇気に感極まった様子であった。

「み、見事だったぞ、クマミ・・・まさかあの蜥蜴を撃退するとは」
「流石団長です!俺、感動しました!」「我らの英雄よ!」「凄いです、団長!」
「ああ・・・中々骨が折れたが、撃退出来て本当に良かった・・・。お前ら、何時までも私に構うな。早く負傷者を救助しろ!」

 熊美の一声と共に兵士等が方々に散っていく。龍の攻撃は甚大な被害を齎していた。負傷兵が次々と集められて早急な治療を施されていく。その傍らでは、二度と目を開かなくなってしまった戦友らを、或は彼らの無事なパーツを集めるため兵士等は奔走する。僅かな時間での攻防であったが、王国軍は大打撃を蒙ってしまった。 
 龍が飛んでいった空へと視線をやっていると、熊美は鋭敏となっている視覚で奇妙なものを捉えた。徐々に小さくなっていく鉄色の龍に、何か大きな影が交錯したのだ。影はまるで労わるように龍に付き添った後、すっと離れて北の空へと消えて行く。

「・・・まさかねぇ。いや、まさか・・・」

 どことなく嫌な予感が背に走る。薄らと遠くに見えたそれは、奇妙な事に、龍と同じサイズであるように感じたのだ。まさかあれと同じ生き物がこの世に二頭存在するなど、全身に疲れが走る今の熊美にとって考えたくない事であった。
 身体に鞭を打ちながら熊美は立ち上がり、ふらっと足を崩しかけた。転落の際に打ち付けてしまったのか、右足首に鈍痛が走る。捻挫をしたらしかった。歩くのがきつく感じるがそれを顔に出すほど軟弱ではいられない。助けを求める兵士等の下に熊美は歩いていく。青々とした北の空には、既に龍の影は無くなっていた。


ーーーーーーーーーー


 慌ただしき足音がイル=フードの近くを駆け抜けていく。賊の襲来という火急の事態によって、タイガの森全体は焦燥の波に駆られていた。出陣の準備を整える者、兵装を掻き集める者、森の奥地に避難する者。冬を前にした寒々とした空気が流れる中、イル=フードは人々の早足とは対照的に、ゆっくりと森を歩いていく。
 半ば他人事のように力の無い視線を左右にやりながら、彼は己の人生というのを振り返っていた。弁舌さわやかな男子として森の老人から担がれた青春期を。舌鋒鋭き革命家であった壮年期を。そして、誰からも信用されなくなった今の自分を。

(・・・ニ=ベリ。どうやら私の政はこれまでのようだ)

 言葉だけでは政治は興せない。あれは王国からの調停団を迎え入れて少し経った日の事であった。自らの村へと帰還する前に、ニ=ベリが零した言葉であった。

『イルよ。お前もそろそろ自覚している筈だ。お前の言葉を信じる者が減ってきていると』『それは間違いだ。私の言葉はまだ誰に対しても通用する。皆の心の支えとなる言葉は、全て私の口から出るのだ』
『それは平和な時代であってこそ言えた話だ。今を見ろ。地方では同朋との間で殺し合いが起き、平穏な森の中でも、皆が不安を抱えている。こんな時に頼りになるのは現実を見ないお前の言葉ではない。確固とした力こそ、人々を繋げるのだ』
『暴論を言うな。私を見縊ってもらっては困るぞ。私ならばこの森をうまく統治できる』
『人間とドワーフに脅されている状況でよくもまぁ言えたものだ。援助を受けているのだろう?バレてないとでも思ったか?』
『っ・・・村に戻れ、ニ=ベリ。せいぜい農民達を治めているがいい』
『・・・次にお前に会うのは、お前が自分の無力さを全て知った時だろうな。その時にお前にも分かる。言葉だけでは政治を興せない。最後に頼りになるのは力だとな』
「結局、言葉ではどうにもならんかったな」

 自らの失政を完全に確信したのは、必要のない討伐隊を西へ派遣した事だ。あれに至るまでに、内戦間近の雰囲気となっているエルフの森を統括するのに苦戦しており、支持者は昔日よりも少なかった。しかし憎々しき援助者の命令とはいえ、あれを実行したせいで食料の収穫も思うようにいかず、熱狂者以外からそっぽを向かれてしまったのは事実であった。
 背筋がぴんとした衛兵の間を通り、木で出来た四・五段ほどの階段を登り、イルは目的の家へと上がり込む。中は入口以外が全て暗幕で覆われていて、奥の祭壇らしき場所に蝋燭が燈るだけであった。三歩歩いた所で跪き、頭を深々と垂れる。
 一分ほど待っていると、祭壇の方から女性の声が聞こえる。喉に力が入っていない、すぐに消え入りそうなものであった。言葉遣いだけが成長しており、声そのものは年端もいかない女子のものである。

「そこに居るのは、イルですか」
「はい、巫女様。此処に。・・・申し訳御座いません、巫女様。私の力量如きではエルフの統治はおろか、盗賊の侵攻すら防げませんでした」
「手は尽くしたのですか?」
「はっ・・・今の私に出来る事は全て。しかし食糧事情の改善に手を打つ事適わず、兵達の忠心を繋ぐ事が出来ませんでした」
「噂は聞いております。何でも兵達の給金がいきなり多くなったとか、またこのような事を尋ねるのも仕方ないのかもしれませんが、人気のない所で大金を積まれたとも」
「・・・御存知でしたか。・・・その噂は真実です。兵達の心を繋ぐために、金銭を多く手渡しておりました」
「イル。人は心の満足よりも先に、まず飢えを克服しなければ立ち行かないのです。あなたは何よりも先に、よりたくさんの食料を生産すべく手を打たなければならなかった。・・・口を出さなかった私にも責任はありますが、しかしイル、あなたの罪は無視する事が出来ない」

 頷くより他の無い正論が耳を痛める。イル個人としてはやむにやまれぬ事情が多々あったと説明したい所であった。有力な協力者に賄賂と働いていたせいで資金繰りに苦しんでいた所を救われたが、逆にそれを弱みとされて思うように動けなかった。自分は最初からエルフの将来を立ち行かせるために努力していた。決してこの状況を呼び込むのを望んでいた訳ではない・・・そのような事を言いたかったのである。
 しかし年若くして巫女になったこの少女の聡明さは老人の苦しい思いを理解しつつ、しかし同時に言い訳がましいものと見做して憐憫の瞳を向けて来るに違いなかった。簡単に予期できる未来予想に腹立たしい感じがするが、しかしエルフの精神の拠り所たる巫女に怒鳴り立てる訳にもいかない。責任の放棄のようにも聞こえる行為をイル=フードは理性をもって回避する。幾許かの私情は斬捨てるものであった。
 入口の隙間から小さく風が入って蝋燭の火がゆらりと揺れ、闇の中に小さな影が浮かび、そしてすぐに闇と同化した。巫女の声は静かに告げる。

「あなたは優先順位を間違えた。しかしそれは過去の話です。今は違いますね?」
「・・・勿論であります。この耄碌、己の務めを果たさせていただきます」
「そうですか。私は非力の身であるゆえ待つ事しか出来ませんが、ですがここで精一杯に、あなたの無事とエルフの勝利を祈願致します。行きなさい、イル」
「はっ」

 イルは立ち上がって踵を返し、家屋を出る。僅かの間真っ暗な場にいただけなのに、やけに外が明るく感じて目が細くなってしまう。目の前に兵士が現れて恭しく言う。

「イル=フード様。馬の御用意が整いました」「・・・分かった」

 兵士の背を追ってイル=フードは己の馬の下へと向かう。一方で森の入口付近では裸にも近き木々の影を被りながら慌ただしい様子で兵等が軍備を整えており、その影では、兵等を統括する数少なき隊長格の男らが不安げに小声を交し合っていた。

「皆浮き足立っている。あんな数を見せられては当然だ。まともに戦えるとは・・・」
「だが今日を生き延びるのだ。四の五の言っていられる暇はない。・・・戦える者はあれで全員か?」「兵員としては全員だ」「本当か?」
「・・・老人や、子供も含めれば後100はいけるかもしれん」「ならば集めろ。弓を取らせるのだ」「・・・くそ」

 いよいよ状況は悪化していっている。傍で会話に耳を傾けていたユミルは心中そう呟き、腕に嵌めたガントレットの冷たくなだらかな肌を触る。これが後数十分ほど経てば血に濡れる事になるのだろうと考えながら彼は正面を見据える。彼が立っている所からそう遠くない場所に、盗賊等が意気揚々とばかりに構えていた。森の様子が窺えないために攻撃を控えているだけで、いざとなればすぐに襲来するのがその刺々しい空気から伝わってくる。
 ユミルの傍にパウリナが歩いてきた。まだ不快げな色が顔に残っていたが、気丈にも確りとした足取りであった。

「気分は大丈夫か?」「はい、もう走れます」「そうか。戦場では何が起こるか分からん。自分の事は自分で何とかするんだぞ」
「御主人。この戦い、本当に大丈夫なんですか?」「・・・さぁな。痛み分けに終われば、それで上々といったところだろう。・・・今日は沢山、血が流れるぞ」
「・・・覚悟してます」

 ふと傍にいた兵士等が慄然とした様子で声を出したり、盗賊等に向けて指をさした。一頭の騎馬がこちらに近付いているようだ。人よりも良い視力でユミルは、馬に危うげに乗っかるものを捉えた。

「どうやら、クウィス領には救援要請が届かなかったらしい」「・・・みたい、ですね」

 パウリナも顔を青褪めさせながらそれを視認する。近付いてきた馬の上には、首の無い躯が乗っかっていた。その服装を見るにエルフの衛兵であると見受けられ、同時に、クウィス領に向けた救援要請が横合いより潰されたと理解できた。
 こちらの動揺を嗅ぎ取ったのか、盗賊等より勇ましい声が響き渡り、タイガの森にまで届いた。

『皆殺しだぁ!!』『おおおおっ!!!』

 乾いた空気と痩せた枝が僅かに震えた。今まで聞いた事の無い類の声なのだろう、その力強さと野蛮さに兵士等が恐怖の色を顔に現す。
 盗賊等の陣が陽炎のように揺らめき、俄かに重厚な足音が聞こえた。遂に盗賊達が行軍を始めたのだ。エルフの隊長らが急ぎ寄せ集めの弓兵等を前に並べ立てようとする。イル=フードが馬上より改めて指揮を出した。

「弓兵を前に。射掛けよ」「はっ。弓兵、前へっ!!」

 もうやっているとばかりに弓兵等は矢を弦に番えた。エルフの弓は少し湾曲しているのが特徴であり、王国軍が正式採用している弓よりも飛距離が伸びるため、強肩の持ち主なら300メートルは優に飛ぶであろう。

「構えぇっ!放てっ!!」

 矢が引かれた。音のけたたましさと共に、のべ100ほどの矢が空を舞った。盗賊等はそれを予期していたのか、斜め上から飛来するそれを受けるように大きな盾を担いだ。一部脆いものは砕けて矢が貫き、また盾の間に矢が飛び込むも、大半が盾に突き刺さったせいで打撃を与えられず、全体としては極々僅かな損害しか与えられなかった。
 第二射を準備する間に盗賊等は動きをのろのろと止めて、弓矢を構えてひうと放って来た。量だけで見てもやはり此方の二倍はあろうかという黒い線と線。木陰に隠れか盾を掲げてそれを防ぎ、弓兵らは反撃の矢を放つ。戦いは互いを牽制し合う矢の合戦によって幕を上げた。

「撃ち合いか」「イル様。此方の方が数質共に劣ります。消耗戦になる前に、事を決せねばなりません」

 出陣を強硬に説得していた隊長格の男が言う。イル=フードは飛び交う高調子の数々に目を細めながら返す。

「分かっておる。しかし、どうしたものか。あの娘の言う通りに森へ誘うか?」「それこそ愚の骨頂。我等の家々を焼かれる事となりますぞ」
「そうか・・・」「・・・イル様、弓を射掛けるばかりで歩兵は止まったまま。これはすなわち、心中では我等の迎撃を畏れているに違いありません。どうか私に采配をお預け下さい!私の指揮があれば必ずや、賊共を撃退して御覧に入れます!」
「・・・なるほど。膠着状態に陥れば我等が負ける一方であるな。よし、ならばお前にーーー」

 采配を預ける、と言わんとした時に枯れ木の間を縫って賊の矢が飛び込み、期待の目をしていた隊長格の男の腹に突き刺さる。内臓器官まで傷ついてしまったのか男は大層苦しげに顔を歪めて跪き、兵等に抱えられて後方へ下げられていく。 
 どうしようもないなとイル=フードが顔を横に振った時、盗賊の方から一際大きな雄叫びが響いた。ずしずしと地を揺るがすその様は、静に留まるを知らぬ、進撃の様相であった。

「敵が動きました!こちらに突っ込んできます!」
「・・・どうしようもないな。ユミル」
「なんでしょうか」「あの娘の策を採る。一斉斉射した後、兵を後退させよ」
「!宜しいので?」「構わん」
「承知しました。弓兵!最後の一度斉射した後、一気に後退せよ!!入れ違いに歩兵は前進!敵と交戦した後、徐々に後退せよ!!」

 命の危機が迫っているのだ、毛嫌いする人間の指示にエルフらは従順に従っていく。ユミルは傍に控えるパックにと視線を移した。これより死中へと赴く戦士に、ユミルは最大限の激励を言う。

「戦場を頼むぞ、パック」「任せておけ。お前はお前の任務を遂行しろ」

 最後の弓の斉射が始まると同時に、ユミルは一気に森の中へと戻っていく。それらを受けると同時に盗賊等は重たい盾を捨てて、凄絶な叫びを出しながら武器を構える。殺到してくる賊らを迎え撃つためにエルフの歩兵らが槍を持ちながら行進し、弓兵と入れ違いざまにそれをまっすぐに腰に構えた。故郷を背にした彼らの顔には隠しがたい怯えもあったがそれ以上に護国の闘志も漲っていて、槍の矛先はぶれる事がなかった。 
 けたたましく土を蹴り付けながら、賊の一番槍がエルフの陣形へと飛び込んだ。その剣がエルフの鎧に弾かれるとほぼ同時に、後続が雪崩のように続いていった。途端に戦場が混沌と化す。やや横広がりの円陣を組みながらエルフ達は情け無用とばかりに槍を突き出し、賊らは蹂躙という一字のみを体現せんと獰猛な刃を奮い立てる。槍が長い分盗賊の勢いを削げたが、しかし数の暴力には逆らえないだろう。時間が過ぎる度に追い詰められるような感覚に陥る。

「陣形を崩すなぁ!ゆっくりと後退しろっ!!!」

 隊長格のエルフの、裏返りかけた声が響いた。パックは自慢の槍術を使って既に四人を斬り伏せていた。普段の狩りで硬い獣の躰を貫くためなのか、エルフの刃はとても鋭い。その御蔭で軽く手先を捌いただけなのに賊の手足を容易く切裂く事が出来た。しかし倒れてしまった男を踏み潰すような勢いで更に賊が湧いてくるのだから、息を吐く暇がなかった。
 時折、陣形の横でも交戦の叫びが聞こえる。老人や子供までもが総動員されて戦っているのだ。兵士が護衛についているだろうがそう長くは持たないだろう。パックが11人目の敵に刃を突き立てた時、槍をひしと抱かれてしまい、そのまま奪われてしまった。得物を失った彼は慌てる事無く後ろへと抜けていき、木々の背後に隠してある武器を取りに行こうとする。
 近場にあった槍を手にした時、不意に、びゅぅと風が吹き抜けていった。北西からの強い風であった。

「っ、風が・・・」

 パックはそう呟き、はっと気づいた。この風、この場所。そして足元に薄らと敷かれてある火種と、ぼぉと燃える松明を持つ兵士達。そうだ、ここは火計を行うための一線なのだ。
 既に兵士等は作戦予定地点まで後退しつつあった。そして何より、この風を逃す事は出来ない。パックは傍の木に登っていたパウリナに鋭く目を遣った。

「パウリナっ、やれ!!」「っ!火を放てっ!」「全員、散開しろぉっ!!」

 それぞれの命令が交錯し合い、兵士等が急ぎ退避していく。そして更に投げ込まれる火種を巻き込むような勢いで、地面に炎が燈されて、それはすぐに紅の壁となって広がっていく。突如としてエルフの背後を飾った赤い壁に賊らは瞠目する。そして直後に、風によって煽られた炎や火の粉が、自分達に覆い被さって来るのに気付いた。
 初めこそは被害は大した事では無かった。衣服を叩けばすぐに小火は消えてしまうし、少し身を引けば難なく炎は避けれた。しかし火種が撒かれているせいで地面に炎が早く伝わっていき、更には初冬の乾いた空気のためか樹木や枯れ葉などが予想以上に燃えていく。結果、あっという間に火の絨毯が賊達の足もとに広げられていったのだ。
 毛深い肌を焦がすそれに賊の間からは忽ち悲鳴が漏れだした。炎の効果は凄まじく、士気が挫かれるのが見受けられる。

「今こそ好機!!一気に押し戻せっ!!」

 猛火の助けを受けながらエルフは反撃を開始する。火が移った枝を賊らへと蹴飛ばし、炎が移らないと見た場所より槍を突き出し、弓を引いて矢を飛ばす。少なからず火によって身を巻かれる仲間もいるというのに、エルフはそれらを無視するかのように戦っていく。最後尾の盗賊等は迫り来る炎に気圧されたか左右へと展開してエルフと交戦するが、逃げ場の少ない者達は一気に反転して真後ろへと引き返していく。

「くそっ、こんな事になるなんて・・・!」

 盗賊の指揮官の男は戦場で負った右肩の傷を庇いながら、道端の目立たぬ場所に転がっていた藁を蹴り付けながら走る。おそらくあれも火種の一つだろう。此方の攻撃までによくこれだけの火種を用意出来たものである。しかし今は下手な関心を寄せている場合で放った。その気になれば他にも火種を見つけられるだろうが、それをするほどの猶予があるとも考え難かった。指揮官の男は必死に森の入口まで後退していった。 
 続々と生き残った仲間等が合流してくる。無傷の者が多いのは火を刃を交える事無く撤退したためか。火によって木の幹が割れる音が響いてくる。それに混じって不意に、地面を勢いよく、そして間断なく蹴り付ける音を聞いた。まるで風のような速さでそれは男らに迫っていく。騎馬で迫るエルフの手勢であった。森の中を大きく迂回して、横合いより指揮官を直接狙いに来たのだ。

「うおおおぉぉっ!!」

 戦闘を走るユミルの一刀が、一人の男の頭をかち割った。続いていく六つの騎馬もそれぞれの刃で赤い鮮血を散らした。  

「どうだ!?やったか!?」「全員やりました!」「よし、そのまま森に退け!!」

 七つの戦果を挙げた者達は一撃離脱の心得の通り、すぐさま森の中へと入らんとする。咄嗟に地に伏せて凶刃をやり過ごした指揮官の男は、顔を痛みと憤怒によって赤らめて叫ぶ。 

「くそったれ・・・やってくれやがって!!」「おい、大丈夫か!?」「あいつらを撃て!!てめぇらの弓はただの杖か何かか!?さっさとその出来物だらけの口塞いで、ぶっ殺せぇっ!!」

 口汚く罵る仲間に辟易しながらも弓を持った仲間等が騎馬に向かって矢を放つ。最後尾を走っていたとろい二頭だけを落馬せしめたが他は逃してしまった。その不出来な戦果に指揮官の男は更に怒りを募らせる。
 やがて更に盗賊らが森から現れてくる。黒煙を立ち上らせて紅蓮の火に包まれていく森から逃げようとする者達だ。合流した以上戦況の回復も見込めるだろうと、指揮官の男は喜びながら立ち上がり、その横を賊らがむざむざと過ぎ去っていった。男は一瞬茫然とするも、すぐに怒りを甦らせて怒鳴り付ける。

「お、おい!何をやっている!戻れ!戻ってこい!

 答える者は誰もいない。過ぎ行く者の肩を掴まんとするもすぐに振り払われて、男はだらしなくたたらを踏んでしまう。顔を歪めて更に叫んだ。

「助けろよ!?なんで、俺を見捨てるんだ、おい!!」

 炎に焦がされる木の香りが男の背後より漂ってきた。同時に、森から段々とエルフ達が現れてくる。老若の差にばらつきがある集まりであったが、故郷を守るという一点において団結されており、卑しき者達を斬り伏せながら徐々に戦線を押し上げているのだ。
 そして男は、赤々とした模様となっていく森の西方より来る一団の全貌を見て、次いでエルフが零した言葉を聞いて、状況が一転したのを理解した。

『見ろっ!!西から味方が来るぞ!!』『討伐隊だ!!あいつら、帰ってきたんだ!!』
「はっ・・・なんだよそれ・・・こんな出来過ぎな話、あってたまるかよ・・・」

 燃え盛る森を背景に、数を互角程度までのし上げたエルフらの足音が、交わされる剣戟の叫びがどんどんと近づいてくる。理不尽な現実に男は忸怩たる思いを抱き、肩を震わせた。

「いいじゃねぇか。ガキ一人殺した程度なんだぜ?村の産婆だってそれくらいやるだろ?それがなんで俺だけ、こんな酷い目に遭わなくちゃいけねぇんだよ・・・」

 口から毀れる陰惨な人生の始まりは誰の耳にも届かず、誰かの断末魔のせいでかき消されてしまった。何時の間にか残る味方は僅かとなっている。多くの仲間は大火と救援という壁を前にして背を向けて遠くへ走り、残るはまだ意気軒昂な者達か、怪我で逃げる事が出来なかった者、そして口のきけぬ死体だけであった。
 目前の戦線から一人のエルフが抜け出して、男の下へと走ってくる。勝利の確信のために、その若々しい顔には力強い笑みが浮かんでいた。

「っしゃあぁっ!俺のーーー」「ああああああっっ!!!!」

 指揮官の男は今生最大であろう猛々しい叫びを伴って、突き出された槍を避けて脇に抱えた。そして相手の顔を何度も殴りつけて槍を奪うと、くるりと回して矛先を相手の首に突き立てる。もんどりうってエルフは倒れる。血に濡れた槍を振り回して男は高々と吼えた。

「かかってこいよっ!!人間が嫌いなんだろ!?だったらさっさと殺しにこいよ、蛮族共!!」

 自らの進退を見極める事を放棄し、男は血戦の中へと赴いた。前面にはだかる者が全て敵という分かりやすい構図に男の自暴自棄な闘志は更に掻き立てられる。その勇壮なる武勇ぶりは、彼が王国の兵士であったならまず間違いなく勲功第一として賞賛されるほどであったが、不幸にも敵は公に仕える者であった。
 突き出され振り抜かれる刃によって男の身体には深浅問わず傷が出来ていく。だがそれ以上に、益荒男とばかりに男は槍を振り回し、己の傷よりも多くの敵をなぎ倒していく。

「甘いんだよっ!!てめぇらの垢塗れのフニャチンじゃ俺は殺せねぇ!!まだ俺は生きているからなァっ!!お前等みたいな糞共に、俺を殺せる訳がねぇ!!」

 汚らわしい文句も武勇が付けば箔が付くというものであった。戦いという一点では勝利は確実となっていたエルフ側は、局地的においては完全に気圧されてしまっていた。周りでは続々と賊が敗れ去っているのに、その場所だけはぽかりと穴が空いたかのように男の武勇が目立っていた。
 地に斃れたエルフが八つを越えた辺りで、戦場へユミルが戻ってくる。彼は戦場の趨勢とは対照的に展開される賊の存在をすぐに悟ると、手近にいた兵士に、「弓を持ってこい」と命じた。兵士が急ぎ仲間より弓を借りてくると、ユミルはそれを受け取って馬上より凛々しき様で構えた。
 賊の指揮官は倒れ伏す仲間等とは打って変わり、未だ闘志に揺るぎは無かった。体力的にも限界が近付いているのに、また一人、無謀にも吶喊してきたエルフの少年の首を掻っ切ったのだ。但し避ける事は失敗したようで、腹に深々と剣が突き刺さっている。男は死に近付いてく小さな躯に向かって罵詈を吐く。

「チビりながら死んでるんじゃねぇぞ、糞餓鬼!!たかが首斬られただけで突っ伏しやがって!そんなんじゃ、てめぇ、でかい大人になれるわけがーーー」

 瞬間、鋭い高調子が戦場を貫き、一本の矢が男の首を貫通した。男は思わず武器を手放して、驚いたように肉に突き刺さったそれを握る。矢を通じて全身を駆け巡った衝撃に、膝ががくがくと震えてしまっている。

「けほっ、げほっ・・・クソ・・・くそ・・・」

 血泡溢れる口で何かを呟いた後、そのがら空きの腹にエルフらの鋭い槍が幾つも突き入れられた。抗する手段も持たぬ男はそれに呻き、世界に広がる不文律の掟、即ち弱肉強食の掟を心底恨むかのように声を出し、ばたりと地面に倒れてしまった。
 猛烈なる武を誇った男が倒れた事で、盗賊の抗戦は一気に尻すぼみとなっていった。ユミルは弓を兵に返しながら、額と首に流れる大粒の汗を拭う。めらめらと盛る炎が、また新たに樹木に移る。春に備えて蓄えていた命の糧がいともたやすく灰に変わっていく様を、エルフらはなす術も無く見守っていた。
 

 
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