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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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第四章、終幕 その1:女修羅


 痛々しく焼かれた森。遠くより全貌を見た時は、まるで右腕をもがれてしまい煤のみが噎せ返っている惨たらしい姿を晒しており、悲嘆の念が込み上げるのを妨げる事は出来なかった。所々でまだ白々とした煙が晴雨定かならぬ曇天に向かって立ち上っており、それが小火によるものか炊事によるものか一見しただけでは判断のしようが無かった。小風によって灰色に燃えた屑がまるで堰を切ったかのように地面を滑る様は、言葉で表しようの無い哀しさに満ちていた。
 炎によって枯れてしまった木々の残りを掻き分けると、影響を受けつつもまだ無事な姿を保つ森林が見えてきた。家屋が密集するこの地域は被害を免れたようであり、彼方此方に人々の疲弊した様子が見られる事を除けば、比較的平穏を保っているように見えた。担架に担がれていく鬼籍に入ったエルフと擦れ違うと、馬を進めていたアリッサは俄かに不安を露わとした。

「これは・・・もしや・・・?」「・・・大丈夫です。エルフの人々は無事です」
「そうではない。私が言っているのは・・・いや、そうだな。あいつらがそう簡単にくたばる筈が無い」

 後ろに続く慧卓の声を受けて、アリッサは自らの懸念を振り払わんと頭を振る。森の入口で警戒に当たっていた兵より細かな事情は聞いている。森に火を放って、その勢いを借りて盗賊を撃退したのである。何とか敵を撃退出来たのかと安堵する反面、仲間が傷ついていやしないかと不安にも思うのだ。
 道を進むと疲れた表情をした歩哨が立っているのに気付き、アリッサは彼に尋ねた。

「すまない。私は調停団団長のアリッサ=クウィスだ。たった今東の村から帰還した所なのだが、調停団の団員はどこに居る?」
「人間の方ですか・・・ええ。あの外れにある家ですよ。あそこで休んでいます」「有難う」

 心底どうでもよさそうな、あるいは辛い記憶を忘れようと努めているのか無味乾燥とした言葉であった。二つの騎馬は歩を進めて、森の深々たる様を、しかしその内側では深い悲しみを秘めている様を眺めていった。
 目的の家屋に辿り着く。ここを離れた時と変わらぬこじんまりとした家屋であり、馬を厩舎に留めた後、アリッサと慧卓は中に入り、そしてあっと瞳を開く。机や藁椅子が総べて片付けられて広々とした床が現れており、そこには顔を布で隠された三人の躯が仰向けに眠っていたのだ。

「っ・・・おい、確りしろ!おい!!」

 アリッサは駆け寄って膝を床に突き、さっと手を伸ばしかけて、すぐに手を止めた。何かを悟ったかのように彼女の瞳に悲哀の色が滲む。半ば呆然とした様子であった慧卓の後ろから、沈痛な面持ちをしたユミルが現れた。

「どうしようもない。もう事切れているからな」「っ・・・ユミルさん」
「よく帰ってきたな、ケイタク、アリッサ殿。・・・そして、すまない。皆を守り切れなかった。
 盗賊を撃退するために火計を行ったのだが、彼らは戦線を保つために最後まで最前線に居たせいで、逃げるのが遅れた。背中が炎の焼かれて、逃げる間際に盗賊に斬られたのだ。見つけた時にはもう、手の施し様が無かった」
「・・・彼らは、己の職務を全うしたのだな?そうなのだな?」「ああ。彼らは最後まで兵士だった」
「・・・そうか。あなたは大丈夫だったか」「ああ。戦功を幾つか挙げてな、今ではエルフが一目置かれる存在だ。お前等と同じだよ」

 励まさんとばかりに態と気取られた口調でユミルは言う。アリッサが小さく笑みを零したのを聞いた後、彼は引き締め直した口調で告げた。 

「アリッサ殿。帰還して早々すまないが、イル=フード殿とニ=ベリ殿が御呼びだ」
「そうか・・・しかしニ=ベリ殿だと?なぜここに?」「救援のためだ。盗賊と交戦したその半日後に、軍隊を率いて彼が来たのだ。今この森は二人の賢人が共同して治めている」
「・・・成程。詳細は向こうで聞いた方がよさそうだ。ケイタク殿」「はい」
「私は先に失礼するが、パウリナやキーラ、それにリタとリコに宜しく伝えておいてくれ」「分かりました」

 アリッサは立ち上がり、物言わなくなった仲間を暫し見詰めた後、踵を返して立ち去る。慧卓はユミルの方に向き直りながら問う。

「皆は大丈夫なんですか?」「ああ。リタとリコは初めから退避していたし、キーラも戦場に立っていないしな。パウリナはまぁ、気を失っているが大丈夫だ」
「気を失って!?」「血を見てな」「嗚呼・・・前より悪化してませんか?」「いや、あれは俺でもショックだったぞ・・・。身体がまるで車輪によって引き伸ばされたかのように散らばったやつでな」「うぁっ・・・」

 轢死体というやつだろう。チャリオットなど流石に戦場に持ち運べないだろうから、大方もみくちゃとなっている最中に多くの者達に踏み潰されていくうちに、躰がペースト状になってしまったという話なのだ。足元に目がいき難い状況だ、さぞその者は苦しんで死んだ事だろう。心よりの同情を慧卓は抱いた。
 ユミルは入口付近の壁に背を凭れさせて言う。

「実を言うとな、王国から遣いが来たのだ。パックを覚えているか?」「ええ、あの甘党の。まさか一人で来たんですか。よく無事でしたね」
「全くだ。しかも恐ろしい事に、先日の戦いでは怪我を全く負ってない。ぎっくり腰になりかけただけで済んだらしい。あれは長生きするぞ」「戦場のぎっくり腰・・・」
「それはそうと、あいつから調停官宛の書簡が預かっている。恐らく執政長官からのものだ。なるべく早いうちに読んでおけ」「分かりました。それはどちらに?」「お前の部屋だ。家は無事だぞ」

 慧卓はそれを聞いて自らが留まっていた家へと向かう。何度も夜を明かしたその場所に上がり、どことなく郷愁を感じさせる質素な屋内の様子を、慧卓は何気となく眺めていた。 

「・・・変わらないなぁ」

 どうもここを長く見詰めていると、ホームシックに囚われる気がしてならない。慧卓は己の果たすべき職務を頭を振りながら思い出し、そのための書簡を自らが眠っていた寝台の上に見つけた。
 それを手に取って寝台に座ると、慧卓は暫し考え込むように顎に手を当てた。「開けていいものだろうか」という疑問が頭の中に生まれたのだ。調査官自らが果たすべき職務の中には、もしかしたら補佐役に知らす事が出来ぬ、守秘義務に関わる事があるのかもしれない。しかしこの場において慧卓は、「調停官も補佐もやる事はどうせ同じだろう」という結論に早々に至ってしまう。思慮に欠けた結論であったが、しかしあの執政長官が託した命令というものに興味がったのも事実であった。
 心が決まるとやるのは早い。慧卓は書簡の紐をさっと解いて中を検める。品良く、丁寧に折られた一通の書状が入っていた。さっとそれを取り出して慧卓は読み進めていく。文面を追ううちに慧卓の若々しい色濃い眉は顰められ、額には横軸の皺が走った。目は文面をまっすぐに捉えているのにそれに注意を払っておらず、まるで自分の思考に浸りきっているかのように瞼が閉ざされようとしていた。周囲の喧騒などまるで耳に入っていないようであった。

「ケイタクさん!!」

 呼びかけられた声に動揺し、慧卓は急ぎ書状を仕舞って頭を上げた。清流のような水色の髪と、宝石のような深い碧の瞳。どことなく幼さを残す愛らしき容貌と、慎ましく品のある唇。エルフの文化に馴染むべく茶褐色の麻の服を着こなした少女、キーラが喜色を満面としながら慧卓を見詰めていた。

「き、キーラ!」「ケイタクさん、よかったぁっ!」

 嬉しさを抑えきれなかったのか、キーラは慧卓に覆い被さんばかりに抱き付く。丁度柔らかな双胸の間に迎えられるような格好となってしまい、慧卓の頬が僅かに朱に染まった。込み上げる思いのままにキーラは続けた。

「大丈夫?怪我とか、何も無かった?」「あ、ああ。戦場に何度か出たけど、怪我一つ無かったよ。万事大丈夫だ」「本当に?」「本当の本当だ。俺は無事だよ」
「はぁ・・・それを聞けて良かった。怪我なんてしたら大変だから。破傷風なんて患ったら、私、どうしたいいか分からないもの」「・・・そっか。戦が終わったら、次は病か」
「ええ。身体的なものもそうだけど、一番はやっぱり心の病。人の死を間近に見て、たくさんの人が参っている。・・・私のせいで森もたくさん焼けてしまったから、それを悲しむ人もいる。今の私に出来る事は、その人達の看病なの」
「私のせいって・・・」「・・・森を焼くよう意見を出したの、私なんだ」

 高揚していた口調が一転、キーラの言葉には悲愴な色が混じった。柔らかな身体から解放された慧卓は、彼女の瞳に自身への批判、そして悲哀の色が滲んでいるのに気付く。言葉より察するに、森そのものを火計の舞台にしようという事に対して大きな罪悪感を感じているのだろう。慧卓は彼女の両肩に優しく手を乗せると、自分の方へと顔を向かせて率直に言う。

「大変な決断だったろう。心にも痛みも感じたろう。だがそれでもキーラは立派じゃないか。皆を救おうと穢れ役まで引き受けようとした。それだけじゃない。自分に出来る事が何かを探して、人の役に立とうとしているんだ。十分すぎる程頑張っているよ」
「・・・ただの、自己満足だよ」「それでもだ。行動できることは凄いぞ。キーラ、君は頑張っている」

 自責の念に沈んでいたキーラの瞳は揺らいだままであったが、励ましの言葉をさも硬い軟骨を噛み解すように咥内で咀嚼し、それを嚥下する。心の全ての惑いが取り払われたという訳ではないが、しかし気が楽になったのは確かなようであり、彼女の頬に僅かであるが温かな色が差した。慧卓が肩から手を離した後、自嘲的に彼女は言う。

「ごめんね。私がケイタクさんを励ますべきだったのに」「気にするなよ。抱き締められた御蔭で、そういう気持ちが十分伝わったから」「・・・そっか」

 もやもやとした気を晴らすように天井を見詰めた。慧卓はふと生まれた沈黙の中、ふととある事を思い出して胸をどきりとさせた。それは、アリッサとの間の新たな関係を言うべきかどうかであった。口を少し開けて言わんとしたが、しかし何故か喉まで込み上げた言葉は、唾という名の自分自身の臆病さによって押し留まってしまった。キーラから帰って来るであろう失望と哀しさ、そして怒りといった複雑な負の表情を想像すると、何故か声帯がびくりと震えてしまい事実を告げようという気が削がれてしまったのだ。
 慧卓は緊張した時の顔にも似た鉄面皮を被っていたが、すぐにそれを元通りに和らげざるを得なくなった。キーラは淡く微笑みながら慧卓を見遣ったからだ。彼女は慧卓の背後にさりげなく置かれている書簡に気付き、尋ねる。

「何て書いてあったの?その書簡」「これか?・・・さて、何なんだろうな」
「どうせ皆に公表しなくちゃいけないんだよね?だったら、私が今ここでそれを知っても別に罰になるわけじゃ無いと思うな。それとも罪を親告する?『機密情報を盗み見た』って」
「そんな事するはずがないだろう?・・・ほら。これがそれだ。キーラなら、俺よりももっと深くこれの意味を理解できる筈だ」

 気を晴らさんとした冗談めいた台詞を一笑しながら、慧卓は素直に書簡を取り出し、キーラに差し出す。キーラは傍にある椅子をずずと引き摺って近くに寄せて、埃をぱっぱと払うとそれに座り書簡を広げた。文面に視線を走らせていく内に、彼女は慧卓と同じように表情を顰めた。

「・・・これは私達だけで判断できるものじゃないね。アリッサさんを待って、そのうえで三人で話しましょう。とても大事な内容だったからね」
「そうしておこうか。じゃぁそれまで、俺は仮眠を取っているよ」「わかった。掛け布団出すから、ちょっとまってて」

 キーラは書簡を椅子に置くと、奥の部屋へと入っていき、そこから一枚の掛布団を手にして戻ってくる。慧卓が寝台に横臥するのを待つと、その上に優しく布団を掛け、彼の前髪を掻き分けその額に小鳥のような接吻を落とす。

「おやすみなさい」

 少し平坦となってしまった口調は明らかな照れ隠しの証拠であり、まるで赤らんだ頬を隠したいと言わんばかりに彼女は顔を背け、そのまま部屋を出て行った。
 接吻を落とされた慧卓は少し呆けた表情をしていたが、ふと気を取り直すと、言うべき重大な事を言えなかった自分に苛立つように、また想いを向けてくれるキーラに罪悪感を感じているように険しい顔つきとなって、家の壁をじろりと睨みつけた。しんみりとした雰囲気に流されて何も言えなかったのだ、何と臆病な事だろう。
 掛布団を腹に掛けると、鬱屈とした気持ちを抱えながら慧卓は目を腕で隠し、何も考えまいと仮眠に没入していく。外で餌を求める小動物が駆けているようであったが、興味が注がれる事は無かった。


ーーーその夜ーーー


 アリッサが戻ってきたのは寒々とした空気が蔓延する夜になってからだった。夕餉も向こうで済ましたらしく、慧卓とキーラは早速彼女を交えて家屋で会議を開いていた。慧卓とアリッサが隣り合うようにして藁椅子に座り、そしてテーブルを挟んでキーラも椅子に座っていた。テーブルには慧卓が持ち込んできた執政長官からの書簡が無造作に置かれており、壁に掛けられた燭台には火が点って屋内を明るくさせていた。
 開口一番にアリッサは淡々と告げる。

「どうにも、何事も全ていい方向にいっているとは言い難いな」
「というと?」「先の戦闘によって、元々森を守護していた兵の五割が負傷、或は殉職したらしい。援軍がなければ森は落ちていただろう」
「そんなにですか?でも、そんな風には見えませんでしたが」
「キーラ。後方にいたあなたにはそう見えたかもしれない。しかし盗賊の物量は、エルフに甚大な人的被害を与えたのだ。負傷者の多くも重傷者だ。中には冬を越せぬ者もいるという」

 慧卓とキーラは口を引き締める。エルフの受けた損失がそこまでのものとは知らなかった。もしかしたら心に対岸の火事を見るような無責任な感情があったのかもしれない。自身を引き締めるに越したことは無かった。

「これからかなり忙しくなるぞ。調停団はエルフと共同でこれからの事態に当たる事になった。最優先にすべきは死者の埋葬、負傷者の看病だ。それが一段落つき次第、食糧の確保を手伝わなければならん」
「でも、どうやってです」「ニ=ベリ殿が言うには、この時期に実る珍しい果実や、冬を活動時期としている野生の動物がいるらしい。採集班と狩猟班に分かれて我等は行動し、そして日々の食事を節約すれば何とか越冬できるようだ」
「厳しい現実には変わりないのですね」「ああ。覚悟の上の越冬だ。皆それを承知しているだろう。・・・ところで、執政長官からの書簡というのは?」「これです」

 慧卓が差し出した書状を広げて読むと、矢張りというべきか、アリッサは顔を顰めてそのうえ訝しげに首を捻った。どうやらこれに対する疑問は三者共通のものらしい。

「・・・まともな命令とは思えんな。なぜ執政長官殿はこのような事を。これはあくまで伝説上の代物だぞ」「アリッサさん。これは恐らく、マティウス様の入れ知恵かと思います。噂通りの人物であるなら、これを吹き込んでもおかしくはありません」
「魔術学院の校長か。面識はないのだが、どういう奴なのだ。何か知らないか、ケイタク」
「え?」

 驚いたようにキーラは面を上げた。アリッサは己の失態に気付く。うっかりというべきか、彼女の目の前で慧卓を呼び捨てにしてしまったのだ。普段から敬称を付けるべき所をそうしないで省略したのは、第三者に並々ならぬ親密さを匂わせるに等しい。取り分け他者に対しても敬称を忘れぬ彼女にとっては動揺すべき失態であった。
 此処でいきなり事実を暴露するわけにもいかないため、慌てたようにアリッサは言い直す。

「あっ、い、いや、ケイタク殿。どうなんだ?」
「そ、そうですね。鳩面で人を小馬鹿にする感じの爺さんって感じでしたよ?知的好奇心も強くて、それに似合うくらいの知識もあります。学校の校長なら実力も相当なものだと思うんですけど・・・」
「そ、そうだな。そのような人物の言葉は受け入れられない事は無いか。・・・となると矢張りこれは正式の命令なのか」

 違和感の正体を探るような冷たい視線、燭台の光が合わさってかそれは想像以上に怜悧なものであった、となっているキーラに内心びくびくとしながら、アリッサは書状を読み上げた。

「『エルフとの協力関係の構築に努め、治安を安定化させよ』。これはまだいい。だが、『王都の聖鐘を襲った一団より早く、狂王の秘宝を確保せよ』とは・・・」

 前者の命令は理解できる。地盤が脆い現在の王国が、エルフと敵対して得るであろう利益は全くないのだ。だからこその協力関係、治安維持だ。危険な火の粉は無駄に焚くものではないという、その意味では全く分かりやすい命令である。だが真の問題は後者の命令であった。
 狂王の秘宝。エルフの文献によれば、それは数世紀前に君臨していた残忍な王であり、秘宝の魔力を用いて臣民を虐殺した怖ろしき王である。その秘宝が今、聖鐘を襲った一団、すなわちチェスター・ザ・ソード一同によって狙われていると書状は言っているのだ。一見して重要そうに見えぬ命令であるが、御丁寧な事に後者の文面に掛かるように赤い捺印がされてあった。どう見てもエルフ領内の治安よりも秘宝の方を重要視するようにしか見えず、それだけに慧卓らは頭を抱える羽目となってしまった。
 時間を置いた末に、第一に発言したのはキーラであった。

「エルフの方々は何か仰ってましたか?私達の事について」
「イル=フード殿が言っていた。『このような不安定な情勢下では、互いに手を取り合う事こそが上策である』とな。私達が治安を守るの助けとなる分には、彼らは認めてくれるだろう」
「すると第一の命令は特に苦戦することはないでしょうね。信頼していただけるならばそれが一番ですから。・・・さて、本題は後者なんですけど、そもそもの疑問としてこの秘宝というのは現存しているのですか?」
「していなければ命令は出さないよ。・・・まぁ、実際問題、その秘宝が残っていようが残ってまいが関係ないんだ。ようは、あいつらを邪魔すればいい。この一団が王国にとって大きな不利益を働くかもしれないと、この命令は警告しているんだ」
「不利益・・・」「文献通りの事態になるなんて、俺は思いたくない。でももしあんな、あんな危険な奴の手に渡ったら、悲惨な事が起きるだろうな」

 聖鐘で見た若々しく、情熱的な火を目に燈した青年を思い出す。もし秘宝の力を手にすればその瞳の火はやがて狂気となって、青年自身を、そして罪なき人々と燃やすに違いなかった。狂王の秘宝が現存するという仮説に基づく想像であったが、慧卓に危機意識を募らせるに十分なものであった。
 聖鐘の事件を思い出したのか、キーラは目を細め、そしてアリッサは頬に親指を当てながら、視線を落としている慧卓に問う。

「この一団というのは、確かケイタク殿が以前遭ったという者達か?一人は倒されたが、残りの二名は逃走したという」
「多分そうです・・・やっぱりあいつらも狙っているのかな」
「彼らも知っているのか?」「おそらく。・・・聖鐘が襲われた時に遡るんですけど、実は聖鐘の真下に秘密の部屋があるんです。あの時ちょっとしたはずみで俺と一団のリーダーっぽい男がその部屋に落っこちちゃいまして、その時に秘宝の在処を明らかにしている地図みたいなものを見てしまったんです」
「それが、ヴォレンド遺跡なの?」「だと思う。合点がいった。あいつらはどういう訳か秘宝の存在を嗅ぎ付けて、そして今、その秘宝がある場所へと辿り着こうとしている。秘宝に込められた魔法の力というものも、知っているに違いない」
「・・・この一件、楽観視は禁物かもしれんな」「みたいですね」

 女性陣は視線を合わせてそう言い合った。命令の背景にある王国側の危惧を理解したアリッサは、僅かに前のめりとなって厳しい口調で言う。

「・・・さて、命令が出た以上は奴等を止めねばならん。はたして誰が行くべきか。奴等を交戦する可能性が考えられる以上、ある程度武が立たねば話にならん。それに遺跡は白の峰を越えねば辿り着けん。となると、体力が無い者も候補には上がらんな。
 残念だが、私とユミル殿は駄目だ。私は王国の代表として此処に留まらねばならんし、ユミル殿はエルフからの信頼を勝ち得ており、十中八九、冬に備えての狩猟班に合流せねばならん。彼の狩人としての腕が、今のエルフには必要だ」
「私も採集班に加わるかもしれませんし、リタさんには負傷兵の看護がありますから、無理に頼めませんね」
「無論王国の兵らは警備があるから駄目だ。となると自動的に、ケイタク殿かパウリナ殿、そしてリコが残るが・・・」

 二人の視線が自然と慧卓に集まる。彼は頭を持ち上げてそれを確かめたくなるも、床に視線を投げたまま言う。その方が考えを落ち着いて話せそうだからだ。

「・・・俺は行けますよ。あいつとは、何か因縁みたいなものを感じますから」「一人は決まりだな。ケイタク殿、どうする?パウリナ殿やリコは連れた方が良いか?」
「・・・パウリナさんは、少し難しいかもしれません。先日の戦いで精神的に参っているそうですから、ここで無理を押し付けるのも憚られます」
「では、リコを連れていくと?」「ええ。男手が必要になるかもしれませんし、それに地図製作が生業というのなら、険しい道の歩き方を知っている筈です」
「そうだな。・・・まだ日暮れまで時間がある。今のうちにこの事を言っておけ。準備が大いに必要だとな」
「承知しました。早速行ってきます。それじゃ、キーラ。また後で」

 慧卓はそう言って立ち上がり家から出ていく。その際に、キーラに向けた視線が複雑なものとなるのは避けられなかった。
 どうにも動きづらいちくちくとした沈黙が出来上がり、アリッサは緊張を覚えておそるおそるキーラを見た。普段温厚で優しいキーラの瞳が、慧卓が去った中、冷淡な睨みを利かせて虚空の一点を見ていたのだ。この雰囲気から逃げようとアリッサは立ち上がる。

「では、私も失礼しよう。就寝前に一度、剣の状態を確かめておきたいからな」
「アリッサさん。まだ行かないでください」「ん?私に話が?」
「はい。とても大事な御話があります」「・・・わ、分かった。どんなものだ?」

 思わず構えながらアリッサは椅子に座り直し、正面からキーラを見詰める。いつも以上に力んでいる彼女の目元を見て、キーラはどこか確信したように小さな鼻息を漏らすと、至極落ち着いた口調で言ってのけた。

「・・・アリッサさん。ケイタクさんと何かあったんですよね?」「は、はぁっ!?」
「図星ですか、やっぱり」

 冷たく笑うキーラに心を大きく揺さぶられたのか、アリッサは荒々しく返す。

「ば、馬鹿な事を言うんじゃない!私とケイタク殿がそんな、そんな仲な訳が無いだろう!?」
「それじゃぁさっき、どうしてケイタクさんの事、呼び捨てにしていたんですか?私が知るアリッサさんは、リコさん以外に対しては、誰であろうと敬称を付けて呼びかける人なんですけど」「そ、それはだな・・・」
「それに、どうも以前より、ケイタクさんの方に近寄ってる風に見えるんです。まるで恋人の距離ですよ。上司と部下の距離にしては、やけに近すぎだと思いますけど・・・」
「ふん。とんだ観察眼だな。当たりかどうかも分からんぞ」「アリッサさんの場合は分かりやすいです。いくら鈍い人でもすぐに気付いてしまう程ですよ?・・・何かあったのかを勘繰らない方がおかしいくらいです」

 キーラは俄かに椅子の後方に体重を乗せながら上目でアリッサを皮肉るように見遣る。不遜とも思える態度であったがしかしそれをするだけの理由があるのは確かであった。彼女は慧卓とアリッサとの間に『何か』があったと、感づいているのだ。その直感の根拠を問いただす事も可能であろう。しかし問えば問う程にキーラの視線は冷たく蔑んだものとなり、今後エルフ領内において、更には王国内においても距離を置かれる事になりかねない。心置きなく話せそうな同性の者であるだけに、アリッサは抗弁する事に抵抗を感じる。
 キーラの瞳は、事実の暴露を催促しているように光っていた。己の下手な演技では隠し事もできないと悟ると、アリッサは観念したように他所を見ながら閉口し、そして再びキーラを見詰めた。

「話すよ。どうか怒らないで聞いてほしい」
「・・・言って下さい」

 キーラは静かな表情を湛えた。それは難事を待ち構える菩薩のように穏やかであったが、しかしその裏に沸々とした激情があるのが透けて見える。アリッサは強大な魔獣に立ち向かうような震えを覚えたのか頬肉が緊張するのを感じつつ、ぽつぽつと、話し始めた。

「東の村に行っていただろう?私とケイタク殿とで」「ええ」
「その時、その、一時の気の迷いでな・・・ケイタク殿と、関係を持ってしまった」
「・・・」

 過ちの一つを告白する。キーラの表情から静けさが失われる事は無く、その瞳の確信めいた光はすっと消えて行き、心なしか冬の氷塊を彷彿とさせるような怒りが宿っていく。その細やかな乙女の変化は、懺悔を始めたアリッサが気付く程はっきりとしたものではない。後ろめたさから視線を合わせられぬアリッサは、相手の胸元の起伏に目を遣りながら更に己の罪を告白する。

「一度で終われば見過ごしたかもしれなかったが、しかしそれにとどまらなかった。盗賊を撃退する最中、ケイタク殿と私は事故で催淫薬を吸い込んでしまってな・・・馬の繁殖用に用いるもので、人間が使うと強烈に発情してしまうものだったんだ。気持ちを鎮めるために、私は何度もケイタク殿とーーー」

 更に言葉を続けようとしたアリッサの頬を、ぱしんと、痛烈な音が響き、彼女の懺悔の意識を明滅させた。ひりひりとした痛みが頬に走り、アリッサは振り抜かれたキーラの手を見て、自分が平手打ちをされたと自覚した。犯した罪の大きさを明快に自覚させるその衝撃に、アリッサは抗弁する余地もなかった。
 申し訳なさから頭を垂れる彼女を見て、キーラは堪え切れずに激情をぶちまけた。貴族の面子を象徴するような穏やかな敬語を取り繕う余裕など、対面する女の頬を叩いた瞬間に消し飛んでしまった。

「最低っ・・・あなた、ケイタクさんの気持ちを分かって襲ったの!?あの人を待っている人が王都に居るのにっ、何をやっているの!?まさか、この時を狙ってやったんじゃないでしょうね!?」
「ち、違う・・・最初こそ、御互いに変に意識し合ってしまって、済崩し的にしてしまったんだっ。事故みたいなもので・・・」
「でもその次は違うよね!?明確な意思を持って襲ったんでしょ!?薬でまともに頭が回らなかったせいかもしれないけど、それならそれで玩具でも使えばよかったじゃない!!なんでケイタクさんを襲うのよ!?」
「・・・」
「避妊はしたの?」

 弱弱しく頭が振られる。否定であった。キーラは唖然としてように瞳を開き、その綺麗な瞳に雫を貯めていく。彼女の掌が赤に染まっていないアリッサの反対側の頬を叩いた。無防備に晒された両方の頬を強く叩かれ、気丈さを保っていたアリッサの瞳にも涙が浮かんできた。引き締められた唇の間から震えた息が漏れ、彼女の心の波の具合を伝える。
 しかしキーラにとってそれは更に激情を駆り立てるものに過ぎなかった。怒髪冠を衝くとまではいかないが、情動で頬が痙攣しかけそうになっている彼女の目から見れば、今のアリッサは三流悲劇の浮ついたヒロインを演じているようにしか見えないのである。本当に悲しむ資格があるのは別の高貴な人であるというのに、この女狐は何様の心算であるのか。キーラは震えかける口調で更に続けた。

「何をしでかしたかわかっているの?あなたが事に及んだせいで、ケイタクさんとコーデリア様の誓いが台無しになってしまった!それを理解している!?あの方の気持ちが分からない訳ないでしょ!?」
「・・・ああ」
「だったらなんで?どうして今なの?・・・王都に帰ってからでもよかったじゃない・・・」
「・・・私は、自分に素直になり過ぎたのかもしれない」
「どういう意味よ、それって」

 疑問を投げかけて、返ってきた自嘲めいた瞳を見てキーラは憤りを覚えるが、同時に何かを感じ取り、そしてその何かはすぐに明快な解答へと転じて彼女を茫然とさせた。東の村へと向かう前にぽつりと問うた質問、『慧卓の事を好きなのか』というそれをキーラは思い出したのだ。
 まさかと思いながらもキーラは尋ねた。

「まさか言ったの?好きだって」
「・・・ああ。言ってしまった」
「・・・信じられない。なんなのあなた」

 詰問じみた口調に対して、アリッサは大きな謝罪と後悔の念が篭った表情を返す。そして彼女は視線を逸らすように深々と頭を下げた。心の端にある淡白な理性が、それをすべきと彼女に告げた結果の行動であった。それがまたキーラの心を煽り立てる。

「なんなのよ・・・ふざけているの!?」
「・・・ごめんなさい」
「はぁっ!?なんで、なんで私に言うのよ!?それは、コーデリア様に言いなさいよ!馬鹿にしているの!?」
「ご、ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」
「・・・冗談じゃない。聞いてられない!」

 話すのも嫌だとばかりにキーラは立ち上がり、宮廷の庭によく似合う清楚な顔立ちを歪める。それは王女に対する誓いに猥雑な横槍を入れたアリッサに対する怒りを秘めたものであり、しかし一方で、自分よりも早く想いを告げた事に対して屈辱を感じている風に見えない事もなかった。仮に第三者の視点を借りるとするなら、寧ろキーラの本音は後者に位置するのではなかろうか。彼女とて慧卓に少なからず想いを煩わせる一人なのだから。だがそれが真実であるかどうかを確認する事は出来ない。キーラがこれ以上の会話を拒絶しているからだ。
 身を焼くような怒りと同居させるかのように、キーラの澄んだ瞳には哀しみの涙が浮かんでいた。椅子から荒々しく立ち上がると、彼女は唾を捨てるかのように、はっきりとした訣別の言葉を吐いた。

「王都に帰るまで、決して、ケイタクさんに近付かせないから!・・・見損ないました、本当に!」

 きっとした彼女の瞳はすぐに家屋の入口に向けられ、そのままキーラは家を出て行ってしまった。その足取りの荒々しさは燭台の火をゆらりと揺さぶる程のものであった。
 俯かれたままのアリッサの視線はずかずかと床を踏み付けるキーラの足に向けられ、それが夜の闇に消えて行くと力無く床に落とされた。肘をテーブルに突いて掌で目を覆いながら深い溜息を吐くと、蟠り続けていた内心の情動が嗚咽となって口から漏れ出る。コーデリアのみならずキーラすら裏切ってしまい、彼女からの信頼を失ってしまった。自らの浅薄な行動に失望するように、その夜、アリッサはただただ落胆していた。そうする事でしか、今の彼女に罪を自覚させる方法は無かったのだ。
 急な豪雨の如く現れた修羅場とは対照的に、至って平穏無事な空気が立ち込める傷病兵の天幕の近くで、慧卓はリコを捕まえて旅の同行の説得にあたっていた。物資の運搬くらいしか仕事が無かったリコは彼の話を聞き、瞳を少年のように輝かせていた。未知なる北の霊峰を歩く事は余程魅力的に思えたのだろう。

「頼めるか、リコ?」「任せて下さい。山歩きならお手の物ですから」「そっか。なら安心だ」

 慧卓は一先ずの安堵を覚え、笑みを湛えた。そしてふと湧いて出た欠伸を掻き消すように、うんと両手を上にあげて背伸びをする。北西からの風は澄み渡った夜空を駆け抜け、木々と葉をざわつかせ、玉石混淆・色彩多種の星空を揺らめかせるようであった。 

 
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