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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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幕間+コーデリア、アリッサ:おやつはいかが? 

 
前書き
時系列としては、街を出る前日における出来事です。 

 
 賑わいを見せる通りより離れたロプスマ一の仕立て屋、『ウールムール』から出る人影は二つ。一つは造営官であるワーグナーであるが、彼は良いものが見れたというにやけ面をしながら立ち去っていく。別の一つの影は美麗な近衛騎士であるアリッサであり、大事そうに樫製の箱を抱えながら自分の宿屋へと向かっていった。仕立て屋らしく、箱に入っているのは卸したての衣服であろう。
 更に数分の後、店主や売り子からの見送りを受けながら、二人の男女が仲睦まじく出てきた。陽光の眩さに目をぱちくりとさせたのが慧卓であり、少し疲れた表情をしているのがコーデリア王女であった。

「さってと、まだ時間はあるな」
「時間って・・・何がです?」
「敬語無し。忘れてるよ、コーデリア」
「いえ、あれを続けるのは少し疲れてしまいました。・・・いえ、嫌だという訳では無いのです!でも、あの二人のせいで」
「まぁ、仕方ありませんか。あんな恰好で乱入されちゃぁ、驚きますよね」

 慧卓は諦めて、敬語無しというルールを放棄した。二人きりで買い物に来たと思えば、先程の二人が尾行してきて、あまつさえ様子を覗きに来ていたのだ。王女自らが説教を叩きこんだが、流石に少し疲れてしまっている模様である。
 ちなみに先程帰っていったアリッサが持っていった箱の中には、『ウールムール』で購入した慧卓用の紳士服、そしてコーデリア用のドレスが収まっている。いわば彼女は悪戯をした罰として荷物持ちの役目に就いていたのだ。貴族並に高貴な身分である近衛騎士を鼻で扱う事で、コーデリアは罪を許す事としたのだが、もし彼女が、帰宅途中にコーデリアのドレスを盗み見てにやけ面をするアリッサを見た場合、その気持ちを完全に翻す事となったであろう。
 閑話休題。野暮な追尾を受けたため一息を吐きたいと思っている時に、慧卓はある事を思い出して、『時間はある』と言ったのである。慧卓は表通りへと戻りながら話す。

「それで時間っていうのはですね、まだ祭りを楽しむ時間ですよ。幸い、必要な店はまだ畳まれてないようですから。・・・うん、これは楽しみだ」
「あの、何の話をしているんですか?」
「実は以前に聞いたのですが、コーデリア様、お料理が御上手らしいですね?特に、アップルパイが得意だとか」
「え?よ、よく御存知ですね。何方から聞いた・・・あっ・・・」
「ええ、アリッサさんです。とても誇らしげに語っていましたよ」
「もう・・・何であの人はそんな所まで」

 少し照れ臭そうにしながら、コーデリアは華やかに微笑を湛えた。やはり笑顔が似合う女性である。道行く見知らぬ男が思わず見惚れてしまう程だ。慧卓はさり気なくコーデリアを道の壁際にエスコートし、人の流れに揉まれないようにする。コーデリアはそれに気付いたように微笑みと共に軽く一礼をした。
 慧卓は尋ねる。

「コーデリア様。アリッサさんが知ってるって事は、あの人は食べたんですよね?コーデリア様のアップルパイを」
「ええ。一年ほど前に一度、あげた事があります。私の父のために作ったものが余りましたので、アリッサに分けたのです。・・・そんなに美味しいものだとは思ってはいませんでしたが」
「絶品だって言ってましたよ。凄く感激した様子でした」
「大袈裟ですよ。私はそこまで料理が得意な訳ではありませんし、趣味程度でしたから。・・・あっ。もしかして、ケイタクさんも食べたいのですか?」
「ええ。ですから料理の材料を此処で集めて、作っていただけたらなぁって」

 偽らざる本心から出た言葉に、コーデリアは困ったように眉を垂らした。虫が良すぎる話とは分かってはいても、料理をすれば少しは気が晴らせるし、何より今は日本でいう休日に相当しても良い日である。こんな日まで肩肘張って地位を誇るのは疲れるし、趣味程度であるのにアップルパイを作る程だ、味もさぞや期待できる事だろう。無論慧卓にとって後者が本音である。
 王女は逡巡した様子を見せたが、ややジト目となりながら観念の返事を出す。

「・・・いいですよ。作ります」
「本当ですか!ぃよっしっ!」
「そのかわり!」「・・・はい」
「一緒に作るのを手伝って下さい。一人でやるには時間や手間が掛かりますから」
「喜んでお手伝いします!では、早速買い出しに行きましょう」「もう、子犬みたいに喜んじゃって・・・」

 二人はそう言って、地位を感じさせぬ軽やかな雰囲気で、まるで同年代の若い男女の親しさで道を歩いていく。王女の衣服が明らかな高級の毛織物であるためその独特の高貴で清楚な雰囲気が出ているのだが、街の通行人が彼女が貴い身分の令嬢であると理解するには幾秒か掛かっている様子であった。どう見ても平凡そうな黒毛の男性と連れ添う様が第三者の視点から見て、余りにも自然過ぎたという事なのだろう。
 通りの左右に展開する露店や、或は商店の中へと入って商品を物色し、必要そうなものはその都度、必要な量だけを購入する。布袋二つ分ほどの手荷物を持ちながら道を歩いていくと、真向いから熊美の大きな姿が見えてきた。逞しい体格であるから遠目から見てもすぐに分かる。
 熊美も此方に気付いて挨拶をした。

「あら、慧卓君。また会ったわね。・・・それにコーデリア殿下も。御二人でどうされたのです?」
「あ、クマミ様・・・えと、これには訳がありまして」
「ほぉ。つまり異性の方と逢引という訳ですかな?では御邪魔虫は喜んで消える事と致しましょう」
「ち、違います!逢引だなんてそんな訳じゃ無いんです!こ、これはあくまで買い出しでして・・・」
「コーデリア様、焦り過ぎです」「誰のせいだと思っているんです!」

 ちょっと声を低めて言う辺りが王女の恥じらいを現しているようで、とても可憐で、慧卓は変な笑いが出そうになってそっぽを向いた。むぅと唸るコーデリアであったが、熊美に向き直って事の次第を説明した。通行人が物珍しげに三者を見るのがまた羞恥を煽るのか、言葉を続けるコーデリアの視線は時折通行人に向けられ、そしてすぐに逸らされた。
 熊美は大儀そうに「なるほど」と前置きしてから言う。

「要約すると、御二人はアップルパイを作りたいと。そのために買い出しに行っているのだと」
「だからそう言っているじゃないですか」
「事情はよく分かりました。若い方々が午後の楽しみのために張り切っておられるという訳ですな。宜しい。ならばこの羆めが一肌脱いで差し上げましょう」
「「え?」」
「この御金で材料を購入なさい。荷物持ちは私がやらせて戴こう」

 そう言って熊美は懐から紐で縛った皮袋を取り出して慧卓に投げ渡す。受け取った慧卓はその見た目に反して来る重みと、じゃらじゃらと擦れる金属音にたじろぐ。中を確かめると、鋳造されて発行されたばかりであろう、新品のモルガン金貨が五枚入っていたのだ。額面で見るなら500モルガンであるが、品質の悪い悪銭と並べられた場合、この新品の価値は更に跳ね上がるだろう。いわばこれは額面以上の価値を持つ金貨なのだ。
 そんなものを渡された慧卓は動揺を隠せなかった。

「こ、こんなに沢山・・・そんな、悪いですよ!こんなに良いものは、熊美さんが使うべきです!」
「気にしないの、慧卓君。それは盗賊の首魁を討伐した報酬みたいなもの。いわば臨時収入よ。別にすぐ消えた所で、私が苦しむ話ではないわ。それよりもこの御金で仲間や、私を慕う人達が喜んでくれるのなら、私は遠慮なくそれを手放せる」
「熊美さん・・・」

 若き二人は感動したような眼差しを熊美に向けた。これ程の大金を仲間の喜び、ただそれだけに手放す事が出来るとは。この漢気はとても若い人間には出来る芸当ではない。貫禄と優しさを併せ持つ、漢の心を持つ者だけが出来る業であると、慧卓は直感のように確信した。
 熊美は惚けたままの慧卓らから手荷物を取ると、それを楽々と肩に担ぐ。本当に荷物持ちとして徹する気なのだろう。この人の真摯さは、深々とした海溝よりも深いものであろう。

「さぁ、早く行きなさい。他の御客に先を越されて材料が買えなくなっちゃ、適わないでしょう?」
「・・・有難うございます!本当に有難うございます、熊美さん!・・・じゃぁ、コーデリア様。行きましょう!」
「はい。・・・この御恩は忘れません。クマミ様」

 慇懃な態度を取って二人は頭を下げると、大事そうに金貨の入った袋を抱えて再び露店漁りを開始する。それでもどことなく遠慮気味な手付きであるのに熊美は苦笑すると、彼らの意気を煽るべく、泰然として歩を進ませた。


ーーー買い物と昼食を終えた後ーーー


 太陽が大地に正午の時を告げてから、一時間ほど経った頃か。その日一番の暑さが街を照りつけ始めようとしている中、慧卓らはそれよりも一足早く、自らが宿泊する宿屋に帰還していた。慧卓とコーデリアは、宿屋の主人と料理番の快い許可を得た上で母屋と繋がる屋根付きの回廊を進んだ先の厨房へと入り、そこに買い揃えた食材を置いたのである。厨房の入口にはアリッサが立っており、関係の無い者が来ないか見張っているようだ。
 買ってきた具材は様々である。林檎は沢山であるため余ったら兵士に分けよう。パイ生地はそのままの形で商人が売っていたのが僥倖であった。他にもチーズであったり、磨り潰した胡麻のようなものであったり、レモンであったり等。よく見ると必要そうでないものも買っていたようで、慧卓は己の無駄遣いに後悔の念を覚えつつ、場を取り仕切ろうとする。

「さってと、材料は一通り揃いましたね・・・では後は作るだけですが、やり方は覚えてます?」
「ええ。少しですが記憶しております。先ずは林檎の皮を剥きまして」
「ちょ、ちょちょっ、危ないですって!」

 慧卓は慌てて包丁を持ったコーデリアの手を掴み、包丁の刃を誰もいない方へと向けさせた。戸惑うだけで危機意識の無いコーデリアを見て慄然とする。今林檎と向こうとした手付きは、うっかりすれば指の先端を切り落とすくらい急角度であったのだ。

「あ、あの、コーデリア様?包丁はそうやって滑らせるとマジで危ないですよ?指に刺さっちゃいます」
「え?そ、そうなのですか?でも、以前やった時は確かこういった手付きで・・・」
「・・・それは確かですか?」
「ええ。そうですけど?」
「・・・ちょっと失礼します」
「え?あ、ちょっと・・・」

 包丁を奪うようにして取った鞘に収めた後、慧卓はアリッサに小声で詰め寄った。

「アリッサさん。流石にあれは無いですよ・・・ちょっと勢い余って指落としちゃったー、とか笑えないです」
「だがあの方はあれで上手く出来るのだ。何の問題がある」
「問題があるかどうかじゃないんです!見ていて凄くハラハラするんです!なんかこう、思わず指の神経がキュッってくるような感じで!正しい持ち方とか教えてないんですか?王族でも刃物くらいは持つでしょう?」
「包丁と剣は別物だ」「胸張って答えないで下さいよっ」
「あの、二人とも、どうしたのですか?」
『いえ、なんでもないです』
「はぁ、そうですか。では林檎の皮は剥きましょう。早く包丁を返してください」
「指切っちゃ駄目ですよ」「切りませんって」

 どうやら王女はやる気満々、意気軒昂のようで、諦め気味に差し出された包丁を確りと握り、愉しむかのように林檎の皮を剥き始めた。まな板の上で林檎が丸裸にされていく。まるでド素人が断崖絶壁を素手で下るかのような非常に危なっかしい手付きであったが、しかしそれに反して皮は丁寧に剥かれていて、二周するくらいまで続いていた。本当にそれで大丈夫なんだと驚きつつ、慧卓も林檎の皮を剥き始めた。
 一応パイは、人数としては5・6人分を想定して作るため、林檎は多めに切らなければならない。時折、実が多く付着した皮を頬張りしゃきしゃきと歯の間で音を立てさせながら、林檎の皮を剥き、そして一口大且つ薄切りに刻んでいく。一通り終わると、刻まれた林檎で木のボウルが一杯になってしまった。王女は手を拭きながら言う。

「さてと。林檎が終わりましたから、後はこれを鍋に入れて軽く炒めて、煮込みます。それが終わったら容器に入れて、パイ生地を被せしょう」
「へぇー・・・被せるんですか」
「ええ、私が以前作ったのも、こういうやり方でした。パイ生地の中に林檎を沢山詰めるんです。・・・あっ、なぜあるのかわかりませんけど、豚肉も混ぜてみます?」
「いやいや、甘いものは甘いもので統一しないと、味が滅茶苦茶になりますよ。豚肉は魚と一緒だと美味しいんですがね、今は林檎ですから。・・・そうですね・・・あ、レモンなんて美味しそうです」
「あっ。それ、私が買ったレモンです」
「良い選択です、コーデリア様。林檎とレモンの酸味が合わされば、とても甘味のある味に仕上がります。私が購入した、この南部産のサトウキビの砂糖も一緒に使いましょう。・・・結構高かったんだよな、これ。しかも薬屋にあったし」
「高いのは当たり前です。この『セラム』では、砂糖はとても万能なお薬ですよ?これを水に溶かして飲めば、飢えを一月凌げると言われているくらいです」
「そうなんですか・・・いやぁ、つくづく実感しますね。ここが異世界なんだって」
「ふふ。常識の差異に驚いてばかりでは、立派な騎士にはなれませんよ?」
「俺騎士になるなんて言ってないのに」

 そう言いながら二人は鉄鍋を用意する。しかし入れてみる段で分かったのだが、思ったより林檎が多く、鍋一つではすべての林檎が煮え切らない可能性も無視できなかった。

「量が多いから、鍋は二つに分けましょう。ケイタクさんは其方の鍋を担当してください」
「分かりました」
「王女様、私が!私が代わりにやります!熱いと大変ですかね!」
「そ、そうですか?なら、お任せしますね」
「と、言う訳だ。ケイタク、代われ」
「出番が欲しいからって、無理やりな・・・」

 今まで見張りに徹して様子をちらちらと見るだけに留まっていたアリッサだが、遂に我慢出来なかったのか知らぬが、勇んだ様子で鍋の持ち手となり、手際よくかまどの火を点ける。妙に晴れやかなその表情を見ると、まるで主人の気を惹かんとする犬の様に見えなくもなかった。
 慧卓は用意された二つ目の鍋に林檎が投入されるのを見ると、サトウキビから作られた黒砂糖を、それぞれの鍋に入れた。

「林檎に砂糖が馴染んだら、レモンの汁を入れて下さい。それで数分煮込めば完了です。俺はその間にクリームを作りますね。味が円やかになりますから」
「へぇー・・・よくそのような細やかな事を知っていますね、ケイタクさん」
「まぁ、作り方は大体知っているんです。あ、俺が自分一人で作っていたんじゃないんですけど・・・その、友達がね?」
「なるほど。ではその友達に感謝ですね。その方の御蔭で、とても美味しいパイが食べられます」

 真実を告げる事は妙に憚られた。この料理というのは、『セラム』に来る以前に彼の恋人が作ってくれた事があり、慧卓はそれを見て手順を覚えたのだと。恋人がいるという事実を告げるのは吝かではないのに、何故口が動かないのだろうか。もしや彼女等から距離を置かれる事を恐れているのか。慧卓は脳裏を掠めたそんな思いをまさかと笑い飛ばし、クリームを作っていく。
 彼が作ろうとしているのはカスタードクリームだ。耐熱ボウルが無いのが遣り辛いが、木のボウルでも十分に代用可能であった。裏面を見ると小さな魔法陣が刻まれており、「これは何だ」と呟くと、横からコーデリアが、「『耐熱』を意味するようです」と口を挟む。魔法陣の文字からそう読み取ったのだろう。中々博識である。
 「火は後で借りるとして」と呟きながら材料を混ぜ、女性陣の様子を一瞥したその時、慧卓は思わず目を疑う。コーデリアは問題が無い。落ち着いた様子で鍋の様子を見守っている。が、アリッサこそ問題であったのだ。何故か林檎で一杯の鍋に、不要と思われていたふんだんに材料を注ぎ込み始めたのである。それも嬉々とした確信を浮かべて。

(・・・うん、気のせいだよな、気のせい)

 見てはいけないものを見てしまったようだ。林檎が煮終ったのと交代で黄色に変色したクリームを火の上でかき混ぜる。魔法陣は効果を発揮しており、火のボウルは全く熱くならず、しかし中身だけが熱で蕩けていった。、
 一通りの準備が終わると、慧卓はパイ生地を取り出す。しかし火の近くであるため、妙に温い。この温度のせいで味が変わってしまう恐れがあった。

「ああ・・・パイ生地ぬるいなぁ。冷えてれば楽なのになぁ」
「ならば、私にお任せあれ」

 コーデリアはそう言うと、パイ生地を未使用のまな板の上に置いて指先を向けると、聞き慣れぬ複雑で流暢な言葉を紡ぐ。そうするとどうであろう。彼女の指先から冷気のような煙が漂い始め、パイ生地を覆い始めたではないか。
 仰天する慧卓を前に、アリッサは誇らしげにそれを見守る。やがて煙が消えると、慧卓は恐る恐るパイ生地を触った。まるで自然解凍したかのようにパイ生地は冷たく、指で簡単に形を崩せるほど柔らかであった。コーデリアは自慢するように言う。

「どうです?凄いでしょう?」
「・・・こ、コーデリア様っ、魔法が使えたんですか!?」
「ええ。素人程度のものですが、しかし『冷却』の魔術ならこのように使えます。便利でしょう?」
「便利ってもんじゃありませんよ・・・食文化、いや、人々の生活慣習も変えるくらい便利ですって!これ皆やっている事なんですか?」
「いいえ。残念ながら魔術の使い方は国家機密となっておりまして、今は魔術の専門家の方々や一部の貴族、そして聖職者だけしか教わる事を許されておりません。社会に流通させるには、とてもではありませんが危険ですから」
「そう、なんですか。納得できるような出来ないような・・・いやそれにしてもコーデリア様、凄いです!俺魔法なんて初めて見ましたよ!」
「ふふ。ケイタクさん。此方では魔法では無く、魔術と呼ばれるのが正式な呼び方なんですよ?」
「分かりました。魔術、ですね。覚えました」「はい、大変良く出来ました」
「ンっ、ンッッ!コーデリア様、具材が詰め終わりました。後は焼くだけです」

 喉を苛立たせるようなわざとらしい咳払いであったが、半ば二人だけの世界となっていた慧卓とコーデリアは意気を取り戻す。アリッサが何時の間にか最後の準備まで整えていたのだ。深皿の陶器の中に林檎などの具材やクリームが詰められ、その上にパイ生地が網ような形をして被せられていた。香りづけでシナモンなどがあればもっと良かったが、香辛料は此処でも貴重品らしく一般の市場では手に入らなかった。
 アリッサは睨むような眼つきであるが、どこか拗ねているように口を曲げている風にも見えなくは無かった。コーデリアはそれに気付いて、朗らかに言う。

「ご苦労様です、アリッサ。かまどに鍋をかけていただけますか?」
「任せれよう!」

 言われるなりアリッサは、丁寧に釜戸の中へ陶器を入れる。左右からの火によって陶器が炙られ、パイ生地が焼かれていく。

「出来上がるのが楽しみですね」
「はい。殿下が作られた菓子ならば、主神の御舌も蕩けさせる程の味わいとなるでしょう」

 華々しい会話が聞こえるが、慧卓は材料の消費具合を見て不安の念を覚える。林檎やパイ生地などは消えても大丈夫なのだが、不要と思われていた食材まで消えていたのだ。まさか生でそのまま食べられた訳ではあるまい。となると、何処かに使われたとしか考えられないのである。
 昼食後の至福の時間を待ち遠しく思っていたのに、慧卓の胸中には嫌な予感がひしひしと込み上げていく。釜戸の炎がゆらりと、不気味な影のように揺れた。


ーーーその一時間後ーーー


「そろそろですね。さぁ、パイを出しましょう」

 コーデリアの許しが出た。先程から林檎が焼ける良い匂いが鼻を掠めていたので、そろそろ頃合だと判断したのだ。アリッサは釜戸の内から器用に陶器を取り出す。はたしてアップルパイの生地には、狐色のこんがりとした焼き色が付けられていた。網の間からは芳醇な味わいを予感させる林檎が見えて、程よい熱加減によって果実は焼かれ果汁を流しており、火によってパイ生地に固着している。熟れた果物独特の鮮やかな薫りが漂っているが、その中にレモンの爽やかな薫りが混ざっているのに気付く。これは口にすれば、とても良い味わいと風味を愉しめそうである。
 慧卓が驚いた点として上げるならば、どちらの陶器に入ったパイも、見た目としてはとても美味しそうなのである。一方のパイにはアリッサが好き放題に食材を投入してあるのに、それは何処へ埋没しているのか。

「いい焼き具合ですな、王女様」
「ええ。どちらもとても美味しそうです。さぁ、皆さんが待っていますから、これを小分けにしましょう」
「はい」

 嬉々とした様子で、コーデリアとアリッサは自信作の盛り付けを始める。穢れの無い白雪のような小皿に盛り付けられるパイは、実に食欲を旺盛にさせる外見であった。
 皿を盆に乗せて厨房から出て、宿に戻ると、テーブルで待っている客らが迎えてくる。ミシェルとパック、ハボック、更に熊美であった。

「お待たせしました。王女殿下特製のアップルパイです」
『いよっ、待っていました!』『俺の甘党としての誇りが感じる・・・あれは逸品だ』『何故だろう。ケイタク殿が持っているパイを食べたら拙い気がするのだが』

 パックが甘党として磨かれた嗅覚を活用するようにすんすんと鼻を鳴らす。匂いだけでそれが逸品であるかどうか判別出来る事に驚きたい所だが、慧卓としては寧ろ、第六感で自分に迫る危機を悟るハボックを賞賛したい所である。経験豊かな騎士が言うのだから、もしや焼かれたパイのどちらかは劇物という事なのだろうか。
 四人の前にそれぞれパイが置かれる。目を輝かせるパックのために、慧卓は一応説明した

「林檎をふんだんに詰めて釜戸で焼いたアップルパイです。林檎にはドワーフ領産のサトウキビの黒砂糖とレモンの果汁を混ぜて豊潤さを高めまして、クリームには養鶏場で朝一番に取れた卵を使用しております。アリッサさんの御蔭もありまして釜戸の火加減は丁度良く、御蔭で実が崩れない絶妙の焼きとなりました」
「聞いてるだけで腹が減るな。じゃぁ、先ずこっちからいきますか」
「あっ・・・そちらはアリッサさんが具材を詰めたパイです。題して、『夢の島』といったところでしょうか」
「パイを島と例えるとは、詩人だな。では戴こう」

 熊美の言葉を契機として、四人はパイにナイフとフォークをさくさくと通し、口に運んだ。数回咀嚼して舌の上に実を乗せた時、四人の顔が石像のように硬直する。まるで急性的な疾患で心臓が止まったかのような急激な硬直であった。
 コーデリアとアリッサが訝しげに首を傾げる一方で、慧卓は嗚呼と溜息を漏らす。矢張り、あの恐ろしき食材の投入は見間違いでも何でもなかったのだ。

「・・・パック・・・俺の墓標に・・・彼女を愛していたと・・・」
「・・・・・・ごめん・・・俺も・・・無理・・・」
「・・・つ、妻の料理と・・・比べものに・・・」

 三人の兵隊が頭から、ばたりとテーブルに突っ伏した。ただ一人、熊美だけが瞳孔を獣のように開きながら、込み上げる絶叫を耐えていますといわんばかりに口を鉄門のように閉ざしていた。アリッサはわなわなと口を震わせて言う。

「そ、そんなに酷いのか?わ、私のパイ・・・そんなに不味いか?」
「食べてみれば分かるわ。食べなさい」

 有無を言わさぬ冷徹な恫喝と共に、彼女の前にパイが置かれた。その狐色の生地の断面を見てアリッサ、そしてコーデリアは愕然とする。表面の林檎の鮮やかさとはまるで正反対の、病的などどめ色をした中身が見えていたのだ。まるで病魔の巣窟を思わせるように、多種多様な食材が混沌とした様子で混ざり合い、それぞれの実に蜘蛛の巣のように絡みついている。
 アリッサは恐る恐るパイを裂く。ナイフを伝う感触もどこか歪でパイを裂くとは思えぬ粘着質な感じがするが、彼女は耐えてそれを頬張る。初めの食感としては中々悪くないのだが、味は最悪であった。全身が総毛立って目が裏返るような、奇怪で意味不明で、そして味わう者に畏怖を感じさせる味なのである。最早それは食事というよりかは、拷問食といっていい程の劇物ぶりであった。

「な、なんだ、これは・・・!?まるで、騎士見習いの時に食べた、腐乱した魚の内臓だ・・・何故だ・・・見た目は一緒なのに・・・なぜ、こんな・・・」
「林檎とレモン、豚の尾っぽにテーブルビート、ニンニク、葡萄の皮に、それに何が原料なのか分からない香辛料」
「?」

 慧卓の諦めきったような声が続けた。

「アリッサさんが鍋に入れたものですよ。使われたものを調べたらわかりました」
「あ、アリッサ・・・さすがにそれはやり過ぎですよ?私の時を真似て作ったのかもしれませんが、あれはちゃんと料理番の人と相談して作ったパイですからね。闇雲に食材を投入した訳ではありません」
「手伝ったのは鍋で煮る所くらいでしょう?どうしてそれだけでこんなに差が開くのか、人間の感性というのは分からないわね。というか、食材をこんなに無駄に乱用するなんて、あなた何を考えているの?恥を知りなさい」
「そ、そんな・・・コーデリア様・・・クマミ様・・・。私は、ただ料理が美味しくなればと思って・・・」
「言い訳になりません。あなたが作ったものは、不味い料理なんですから!」

 コーデリアの裁判官染みた宣告に、アリッサは目を大きく開いて衝撃を受け、涙を目端に貯め始める。彼女としては全て善意による行動であったのかもしれないが、結果として招いたのは惨憺たる悲劇であった。容赦の欠片の無い責めを受けてアリッサはそれを痛感し、只管に落胆しているのだ。
 責めるような頻りに反省するような居たたまれない空気が流れる中、慧卓は深き呼吸をし、あたかも生死を分かつ修羅の戦場へと赴くような気概を固めると、極々自然な動作で食べかけのパイを食べ始める。周りがぎょっとして彼を見遣るが、慧卓は一瞬パイのどぎつい風味に硬直しただけで全く手と口を止めなかった。いつも通り、まるでバターを塗ったばかりの白パンでも食べているかのように、楽々とアリッサが作ったパイを食していく。
 そんなこんなしているうちに、慧卓はたった一人で、アリッサのパイを全て頬張って胃に収めた。仰天するやら感激するやらでアリッサが目を輝かせ、他の二人は正気を疑うかのような、或は体調を心配するかのような視線をやる。慧卓は水を一杯飲んで口を落ち着かせると、少しばかり抑揚の欠いた口調で感想を述べる。

「御馳走様でした。これはこれで美味しいです」
『!?!?!?』
「ほ、本当か、ケイタク殿!?」
「ええ。味に奥深さがあって、とても長く楽しめる味わいです。特に、柑橘類の甘酸っぱさとニンニクの香りが合っていて、風味も良い。ただ、皮や尾っぽを入れたのは間違いでしたね。その部分だけ苦みがあって、アップルパイ特有のさくさくとした食感を邪魔しちゃってます」
「そ、そうか・・・」
「でもそれ以外の点はとても上手に出来ていますよ。林檎の乗せ方も上手ですから、実も崩れたりしません。次から一生懸命頑張れば、もっと料理上手になれます。今度から食材の使い方も覚えればの話ですが」
「そうか・・・そうだよな!よし、そうと決まれば今から街に出て料理本を買うとしよう!ケイタク殿、感謝するぞ。大いにな」

 アリッサはそう残して、凛々しさを感じさせる歩きで宿から出て行く。風のように消えて行った彼女の背中を見る事無く、慧卓は尋ねる。

「行きました?」
「ええ。もう行ったわよ」
「そうですか・・・・・・うぅ・・・」

 支えを失った振り子のように、慧卓は床に倒れ込む。咄嗟に熊美が彼の身体を支え、コーデリアが手を握って意識の安否を確かめる。

「け、ケイタクさん!」「慧卓君!あなた無茶をやるわね。全部食べるなんて驚きだわ」
「あ、あんな悲しい顔されたら、たまりませんから・・・うえ、香辛料の後味が強烈だ・・・、口直しを・・・」
「はい!これをどうぞ!」

 ぱっと慧卓の口に突っ込まれたものは、コーデリアが自作したアップルパイだ。余計なものなど含有されていないし、林檎がヘドロの如き味となってもいない。何処までも素朴で品の良い、普通のアップルパイの味である。だがそれが今の慧卓にとって、至福を感じさせるものとなっていた。
 コーデリアが心配そうに尋ねる。

「あの、どうですか?味とか、平気ですか?」
「・・・最高。最高です。独り占めしたくなるくらいです」
「ほ、本当にですか!?良かった・・・また美味しく作れた」

 彼女の顔に華やかな太陽が現れた。身も心も現れるような可憐な笑みであり、胃を蔓延している筈のあのどどめ色のパイの味が、不思議と気にならなくなってきた。この笑みを見るためなら喜んで死中に飛び込んでいける。勿論冗談であるが、しかし純粋な大人をその気にさせる程の魅力的な表情であった。
 余裕を取り戻した慧卓は、未だテーブルに突っ伏して息を吹き返さぬ者達を見て、同情の息を漏らす。

「気絶した彼らは、冷えたパイしか食べれないわね。残念」
「いえ。後で私が魔術で温め直しておきます。そうすれば彼らも喜んでくれますから」
「ああっ、うんめぇ・・・これ、凄い美味しい・・・」
「そ、そんなに褒めなくても、何も出ませんよ?もう・・・本当に幸せそうに食べますね。牛みたいです」
「だってこれ、本当に美味しいんですよ?ほら、王女様も一口、あーん・・・」
「えぇっ!?ま、またですかぁ!?」

 前日の祭事の焼き直しである。口元へ差し出されるパイを見て、コーデリアは「あうあう」と口を動かした後、自棄になったかのようにパイを齧った。歯で噛みしめればその分、芳醇な果実の味わいが彼女の舌に流れていった。

「ね、美味しいでしょう?」
「・・・我ながら、とても上手くできています・・・恥ずかしぃなぁ、もう」

 間近から慧卓に見られ、コーデリアは恥ずかしがるようにそっぽを向いた。その微笑ましき反応に慧卓も頬を綻ばせて、割と余裕ありげに口元を指で拭う。火を通した林檎の果汁は、舌触りがとても良く、新鮮な牛乳が欲しくなる控えめな甘さが特徴的であった。
 ロプスマにおける慧卓らの珍事は、これを最後として収束していく。尚、街に赴いたアリッサは無事に料理本を手に取る事に成功したが、その本の求める読者の習熟度の高さに辟易し、すぐに本を投げ出したと追記しておく。


 
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