vol.2 【疑惑と困惑】
恐ろしい人物だった。
あんなにも隙が無く揺るがない女性は生まれて初めて見る。なるほど、師範がバケモノ呼ばわりする訳だ。咄嗟に軍式の礼を返してしまったが、非礼には当たらない……と思いたい。
「では、ロザリアをよろしくお願いします」
「心得ております。……リーシェさんとフィレスさんも、手狭な部屋で申し訳ないのですが、ご要望等があれば可能な限りお応えしますので。遠慮無くお申し付けくださいね」
ロザリアさんをベッドに横たえたクロスツェルさんが退室すると、プリシラ次期大司教とそっくりな容姿のミートリッテ第一補佐が、閉めたばかりの扉を背に、私とリーシェさんへ笑顔を振り撒いた。
「ありがとうございます」
「いえいえ。あ、リーシェさんは
此方へどうぞ。顔を洗って、汚れている服も替えてしまいましょうね。その後で、ロザリア様のお着替えを手伝っていただけますか?」
「う、うむ……。分かった」
リーシェさんの肩を軽く押して浴室へと誘う、さりげない心配り。次期大司教の補佐が普段どんな職務を
熟しているのかは知らないが、とりあえず他人の世話は手慣れているらしい。
「私もお手伝いします」
「ありがとうございます。でしたら、
其方の棚にお客様用の茶菓子と茶葉、茶器とお湯が揃っているので、応接用のテーブルにフィレスさんとリーシェさんとプリシラ様、三人分の用意をお願いします。プリシラ様に選り好みはありませんから、フィレスさんのお好きな物を出していただいて構いません。それが済みましたら、ソファで
寛いでいてください。それほど間を置かずにプリシラ様が来られるでしょうから」
「承知しました」
ふむ。
こういった時によく聞く、「お客様に手伝っていただくなんてとんでもない。どうぞ座ってお待ちください」的な常套句が出て来なかった。しかも、他人が飲む為のお茶を淹れさせてくれるというのは、手持無沙汰な私が気まずい思いをせず、適度に時間を潰しつつも程々の緊張感は保てるように、との気遣いだ。
相手の立ち位置を瞬時に把握して順当な役目を割り振る判断力と接客術。
素晴らしい。そして、ありがたい。
師範はともかく、私は馴染みが無い場所で大人しく接待を受けられるほどの大物ではないので。
此処は彼女のご厚意に甘えて、お茶淹れに全神経を集中させていただこう。
ミートリッテさんの部屋は、それぞれが扉で仕切られた執務兼応接室・寝室・浴室の三間で構成されているらしい。
次期大司教の執務室と繋がっていたのは、執務と応接で使われている間だ。柱に偽装した扉の左横壁沿いには、大きな窓を挟む書棚が四つ。右横には各書棚を隠していると見せかけて偽装扉を隠しているアコーディオン型の間仕切りが二枚。正面に執務用の机と椅子と緑色が鮮やかな観葉植物。窓を背負った執務椅子に座って正面には、応接用のガラス製ローテーブルを挟む黒革のソファが二脚。その奥に役員が往来するであろう廊下へと繋がる一枚扉が在り、両脇で吊られた花籠と床置き型の燭台が入室者を歓迎する。
次期大司教の執務室と反対側に位置する壁の中央には寝室への扉が在り、開いて左手側にそこそこ大きなベッド、水差しとコップが置かれた真っ白なサイドテーブル、クローゼット等を配置。正面に浴室への扉。右手側に何枚かの壁型間仕切りが連なり、一人分の幅しかない隙間を通り抜けた先で、食器棚や作業台や水瓶等が丁寧に並べられていた。
……御令嬢の寝室と言えば、間仕切りは大体ベッドかクローゼットの傍に設置するものだと思うのだが。何故、食器棚のほうを隠しているのだろうか。ちょっと不思議な絵面だな。
と。
何の気無しに伸ばした手の先で、見覚えある「何か」が壁に掛かっている燭台の灯りを受けてキラリと光った。
見間違いか? と、瞬きしても目蓋を擦ってから見直してみても、「何か」は変わらず
其処に居る。
「………………くらげ」
くらげだ。
師範の教会でクローゼットに隠れていた、「あの」くらげ。
本体と思われる半円部分の中央付近に付いた二つの点。下部から伸びる四本の棒。
今度は全体が真っ白な陶器で、玉付きの頭頂部周辺が部分的に取り外し可能。四本の内三本が下から上へ曲線を描いて自身の頭を撫でるように先端だけがくっ付き、残り一本は同じように下から上へ伸びつつも、穴が空いた先端が外側に向いている。
うん。これはポットだ。お茶を淹れる為のポット。食器棚に収納されてる事から考えても、その使い道に誤りは無い、筈。
しかし、これはどうしたことだろう。
我が国アルスエルナは東と南が海に囲まれているとはいえ、領土の広さは中央大陸で一・二を争う。当然、陸地のほうが広面積だし、内陸部で生活する人間が海洋生物に親しみを持つ機会はそんなに多くない。都民や北方領民に至っては、余程の興味が無い限り「くらげ? 聴いたことがあるような、無いような?」程度の認識じゃなかろうか。
私自身も、学徒時代に海軍下で訓練してたから知ってる、くらいだし。
なのに、何故か北と都で全く同じ造形のくらげが鎮座している。
はて?
「あーっとぉ! すみません、フィレスさん! 言い忘れてましたが、お茶を淹れる際には縦長のポットを使ってください! 丸っこいほうは私個人で使っている物なので!」
首を捻ったところで、なにやら慌てた様子のミートリッテさんが駆け込んで来た。
くらげのポットの横に並ぶ至って普通な造りのポットを取り出し、作業台の上に置いてくれる。
「……このくらげは、王都で流行しているのですか?」
「え?」
「いえ、別の場所でも見掛けたので」
では! と言って立ち去ろうとしたミートリッテさんが振り返り、「別の場所?」と呟いた少し後、両手をポン! と叩いて、にっこり笑った。
「そのくらげ型の製品は、私の故郷で生まれて放置されたマスコットを元に作っている私物でして。流行してくれるのならそれはそれで嬉しいのですが、残念ながら私が聖職に就いている以上、これらを商売道具にはできないのです。バザーに出品する程度なら許されているんですけどね。フィレスさんが見たと仰っているのは、大きさ違いのぬいぐるみ二体だったり燭台だったりではありませんか?」
「ええ、そうです」
「でしたらそれは、私が神父への就任祝いとしてお父様に差し上げた物ですよ」
「………………………………お父様?」
「はい」
師範の教会にあった「あの」ぬいぐるみと燭台は、ミートリッテさんがお父様に神父への就任祝いとして贈った物。
ミートリッテさんが。
お父様、に……?
「……北の教会には、二人しか居なかったと思うのですが」
ミートリッテさんはどう見ても二十代の女性だ。目が大きいから、頑張れば化粧次第で十代後半にも見えるかも知れない。
それでも、あの二人では年齢が合わない。
無理矢理辻褄を合わせようとすれば、
覆しようが無い立派な犯罪者が出来上がる。あまり考えたくない方向性……なの、だが。
「はい。現在、あの教会に派遣している神父は「二人」で間違っていませんよ」
他ならぬミートリッテさんに、現・聖職者の犯罪行為を示唆されてしまった。
「………………失礼を重々承知の上でお尋ねしたいのですが、」
「ふふっ 意地悪は良くありませんね。あの鬼畜神父の肉親と間違われるのは心外ですのでお答えしますが、「お父様」は今、次期大司教の執務室にいらっしゃいますよ」
柔らかく微笑む自身の口元に手を当てて、ミートリッテさんは浴室へと去って行った。
「……師範の……娘……?」
なんだかよく分からない衝撃を受けて立ち尽くす、私を残して。
vol.3 【その頃、アルスエルナ上空】
置いて行かれたあのヒト。
(あいつら、絶対つついてやる……っ)