逆さの砂時計
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純粋なお遊び
合縁奇縁のコンサート 4
vol.5 【混乱を生むにゃー】
「はい。どうぞ、ティーさん」
「んにゅ!」
フィレス様達を見送って約一ヶ月。アーレストさんに招かれた夕食の席。
二人分の料理が並ぶ四角いテーブルの片隅にちょこんと座ったティーが、自身の胴体部分と同じくらいの大きさの木製カップを抱えて器用に傾けた。
喉を数回上下させた後「ぷにゃーっ!」と息を吐きながら、実に満足気な表情で天井を仰ぐ。
「気に入っていただけて良かった……の、ですが……ふふ。まるで、施工を終えたばかりの番匠さんですね。見ていて気持ちが良い飲みっぷりでした。お代わりはたくさんありますから、遠慮せずにどんどん飲んでくださいね」
「にゅっ」
アーレストさんの言葉を受けて深く頷いたティーが、カップに半分程度残っていたミントのお茶を一息に飲み干し、短い両手で顔を洗う。
こういう仕草は猫そのものね。
尻尾の先端がご機嫌そうに揺らめいているのも可笑しくて、思わず口元を緩めてしまった。
「……本当に、言葉が通じているのですね。確かに、貴女やフィレスさんとよく似た音色が聴こえてくるから、不思議だとは思っていましたが」
「私も、人間の貴方が竜族の言葉を理解できるなんて思いもしなかったわ。黙っていてごめんなさい」
「いいえ。私が勝手に、容が違うなら人間の言語は通じないだろう、なんて上から目線で失礼な思い込みをしていたのです。申し訳ありませんでした、ティーさん」
「みゃみ、みににゅにゅにょにょみゃにゃい。みゃいみぇにみゃみゃみぇみぇにょにょみゃみょみぇみゃみゅ。にんにぇんにょにゃ、にゅにゃみみゃみゃにょうにゅうみょにょみょ」
【竜族語↔︎人間語翻訳】
なに、気にすることはない。相手に合わせて言葉を選ぶ。人間とは、昔からそういうものよ
ティーに向かって軽く頭を下げるアーレストさん。
ティーは気分を害した様子もなく、空になったカップを押し出した。
透かさず、アーレストさんがお代わりのお茶を注ぎ込む。
なみなみと注がれたお茶を引き寄せ、目を輝かせるティー。
「そうね。私もアルフ達と旅をしてる間、世界各地でよく耳にしていたわ。言葉が通じなさそうな相手、たとえば猫には「ですにゃあ」、赤子や犬には「でしゅねぇ」って。あれ、どうしてそうなるのかしらね? 上から目線、というよりは、なんとなく反射的に、って感じだったけど」
赤ちゃん言葉、とでも言うのかしら。
神殿内部では聴かなかった言葉遣いだから、妙に印象深かったのよね。
「…………もしかしたら、音階調整……調律の一種なのかも知れません」
「調律?」
「人間は種として、基本的に同じ音楽を奏でているのですが、拍子だったり高低差だったり音量だったりが、人によって微妙に異なるのです。個体差と呼ばれるものですね」
「個体差」
「ええ。そうした違いは、大抵の場合、身近に居る生命力が最も強い相手と重ね合わせることで、ほとんどの差を無くした同一の楽曲へ調整されます。人間には自身が奏でている音楽に自覚がありませんから、もちろん、調整も無意識で行われているのですが」
「……自覚もなく他者の影響を受けている、ということ?」
「はい。傾向を見るに、多くの人は、自身の音楽と極端にズレている音楽を忌避しています。ゆっくりした曲調を聴いている時に、別方向から攻撃的な曲調が流れてきたら鬱陶しく感じる。それと同じであるとお考えください」
「ああ、確かにそれは鬱陶しいですね。気が散りそうだわ」
「一方で、自身の音と音の間にほど好く入り込み伴奏合奏するような音楽は好んでいるらしく、そういった音楽とは自ら音を合わせたがるのです」
「無意識下では他者との心地好い演奏を望んでいるから、自然と相手の音に合わせた音遣いになってしまうのではないか、と?」
「そうですね……『音』や『音楽』を『意思』に置き換えていただければ、解りやすいかと思います」
「つまり、自らの言動を相手の理解の範疇に合わせることで、意思の疎通を図ろうとしているのではないか、という意味ですね」
「必ずしもそうとは言えない場面も見てきましたし、憶測に過ぎませんが」
確かに。
私が見かけた人は皆、話しかけるだけで満足してる様子だった。
意思の疎通を図っているにしては、少し一方的だったような気がする。
赤子や動植物が、人間の大人と同じ態度や言葉遣いで返事をしていたら、総じて「気味が悪い」と突き放すんじゃないかしら?
そう考えると『意思の疎通を図ろうとしている』では説明がつかない。
対等な理解ある返事を期待して、とは違うということになるのだから。
アーレストさんが上から目線の思い込みと言った意味も解る気がする。
でも。
「相手に合わせた態度と聞けば、時には不遜だと取られもするけど。自身に合わせた理解を相手に求めるのではなく、相手の理解に自身を合わせようとしたのなら、それはきっと『思いやり』と呼ばれる行為よ。ティーが窮屈な思いをしないようにと気を配ってくれた貴方は、優しい人ね。ありがとう、アーレストさん」
そんな思いやりが溢れる場面を、見ていてほのぼのするからって理由で、一ヵ月近く放置していた私。ちょっぴり罪悪感。
「いえ、結果的にティーさんを侮辱したようなものですし、己の修行不足を痛感しました。もっと精進せねばなりません」
「ににょうにょにゅみぇにょみみゃみゃにゃにょ、にょにぇにょにぇにぇみにゃっにぇにょうにぇんにょ。いにいにみにににぇにゃにゃ、みにみゃにゃい」
【竜族語↔︎人間語翻訳】
事象の受け取り方など、それぞれで違って当然よ。いちいち気にしてたら、キリがない
「ええ、私もそう思う。世界で観測される事象には例外なく多面性がある。受け取り方なんて、それこそ、人の数だけ存在するでしょう。そのすべてに応えなきゃいけない義務なんか、どこの誰にもない。応えようとする姿勢を否定するつもりはないけど、応えられなかったことを責める必要もないわ。貴方は、大勢いる人間種族の中の一人でしかないのだから。なによりティー本人が気にするなと言ってるんだから、それで良いんじゃないかしら? ね、ティー」
「にゅむ」
鷹揚に頷いたティーが、抱えているカップを再度空にした。
けふっと息を吐き、困ったような顔で笑うアーレストさんへと押し出す。
「……貴女方には敵いませんね……。ありがとうございます、ティーさん、マリアさん」
「にゃっ!」
爽やかな香りと湯気を立てて注がれる、澄んだ金茶色の液体。
ポットの中で温度を保っていたそれに、諸手を挙げて飛びつくティー。
よっぽど気に入ってるのね、ミントのお茶。
「ねえ、ティー。いくらアーレストさんが勧めてくれてるからって、一度にたくさん飲み過ぎると、お腹がタプタプになるわよ?」
「にょんにゃいにゃい」
【竜族語↔︎人間語翻訳】
問題ない
既に膨らみ始めているお腹を、指先で横から突いてみたら、結構な弾力で跳ね返された。
これはまた後で苦しむわね、絶対。
「もう」
フィレス様とソレスタさんの不在を誤魔化す為に、最低限二人分の食料や生活費用を消費する必要があるから、私達も時折御馳走になっているけど。
私もティーもリースリンデも、本来は食物を摂取する習慣がない。
食べられないわけじゃないけど、あえて食べる必要がない。
そういう生物だ。
まして、今の私達の器は、基本的に成長しない作り物。
不必要な食物を消化するには、人間の数倍は時間が掛かる。
それなのに、アーレストさんが淹れるお茶の味を覚えてからというもの、ティーの食欲は留まるところを知らない。
この小さな体のどこに入っていくのか、横になるのも辛いと言い出すまで延々と飲食を続ける姿は、見ているこちらに一種の恐怖を植え付ける。
「ごめんなさい、アーレストさん。茶葉を大量に浪費させてしまって」
「いえいえ。食欲がない代わりにお茶を飲んでいると言えば、すべて経費で賄えますから。ティーさんとリースさんが飲まれる分のお水はマリアさんにご用意いただいた物なので、こちらの負担にはなっていませんし。むしろ、不自然な減算にならなくて非常に助かっています。ただ……苦しそうな姿を見かけると、そのまま体調を崩してしまわないか心配にはなりますが……」
「ああほら、ティー。お世話になってる人を心配させちゃってるじゃない。今回は、その辺りでやめておきなさい」
「にゅうぅー」
「そんな悲しそうな目で訴えてもダメ!」
「……にゃにゃにゃ、にぇみぇにぇ、みゃにょいっみゃい……」
【竜族語↔︎人間語翻訳】
ならば、せめて、あと一杯……
「ぅ……」
金色の目を潤ませて。
下から上を覗くように、おずおずと私を見上げるゴールデンドラゴン。
卑怯だわ。卑怯すぎる。
なんなの? この、可愛い攻撃!
「い……っ、一杯だけ……、よ?」
「みゃあーっ!」
コップを掲げて大喜びのダンスとか。
この子、本当にティーの記憶を受け継いだ竜族なの?
私の本体を拾い付き添ってくれていたあのティーとは、似ても似つかない言動ばかり。いえ、まあ……言葉遣いは、あのティーそのものなんだけど。
ひょっとして、あのティーが現代でも生きていたら、この子と同じような振る舞いをしていたのかしら?
木製のカップを頭上に掲げて嬉しそうに踊る、見目麗しい男性のティー。
……………………ダメね。
全然、想像できないわ。
「やっぱり、別人なのよね」
「にゅ?」
「ううん。なんでもない」
歓喜の舞いをやめて、今度は少しずつ、少しずつ、大切そうにお茶を口に含んでいたティーが、不意に私を見上げて首を傾ける。
こんな仕草もきっと、あのティーならしないのでしょう。
「貴方は貴方のままで良い、ってこと」
「みゃ!」
分かっているのか、いないのか。
目を細めて片手を上げたティーは、またお茶をくぴくぴと飲み始める。
私とアーレストさんは顔を見合わせ、小さく笑った。
「私達も、冷めてしまう前に頂きましょう」
「そうですね」
鮮やかで瑞々しい緑色の葉物野菜を中心としたサラダ。
濃厚で芳醇なバターの香りを放つロールパン。
根菜類とお肉を一緒にじっくり煮込んだ、ミルク色のスープ。
どれも、私が食べたって栄養にはできないけど。
私が食べる前提で用意された、貴重な料理だ。
だから、刈り取られた命への謝罪や、それを育んだ人達への敬意。
作ってくれたアーレストさんへの感謝も込めて、両手を合わせる。
「「いただきます」」
「にゃーっ!」
と、そんなやり取りをしていた私達の背後。
アーレストさんに作ってもらった小箱のベッドで横たわり。
ぐっすりと眠っていた筈のリースリンデが、酷くうなされていた。
「ううぅ……にゃーって、にゃーってなにぃ? なんて言ってるのぉ……」
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