vol.5 【混乱を生むにゃー】
「はい、どうぞ」
「んにゅ!」
アーレストさんにお招きされた夕食の席。
二人分の料理が並ぶ四角いテーブルの片隅にちょこんと座ったティーが、自身の胴体部分と同じくらいの大きさの木製カップを抱えて器用に傾けた。
喉を数回上下させた後「ぷにゃーっ!」と息を吐きながら、実に満足気な表情で天井を仰ぐ。
「気に入っていただけて良かった……の、ですが……ふふ。まるで、施工を終えたばかりの番匠さんですね。見ていて気持ちが良くなる飲みっぷりでした。お代わりはまだまだたくさんありますから、遠慮せずにどんどん飲んでくださいね」
「にゅっ」
アーレストさんの言葉を受けて深く頷いたティーが、カップに半分程度残っていたミントのお茶を一息に飲み干し、短い両手で顔を洗う。
こういう仕草は猫そのものね。尻尾の先端がご機嫌そうに揺らめいているのも可笑しくて、思わず口元を緩めてしまった。
「……本当に通じているのですね、言葉。確かに、貴女やフィレスさんとよく似た音色が聴こえてくるから不思議だとは思っていましたが」
「私も、人間の貴方が
竜族の言葉を理解できるなんて思わなかったわ。黙っていてごめんなさい」
「いいえ。私が勝手に、
容が違うなら人間の言語は通じないだろう、なんて上から目線で失礼な思い込みをしていたのです。申し訳ありませんでした、ティーさん」
「みゃみ、みににゅにゅにょにょみゃにゃい。みゃいみぇにみゃみゃみぇみぇにょにょみゃみょみぇみゃみゅ……にんにぇんにょにゃ、にゅにゃみみゃみゃにょうにゅうみょにょみょ」
ティーに向かって軽く頭を下げるアーレストさん。
ティーは気分を害した様子も無く、空になったカップをずいっと手前へ押し出した。
透かさず、アーレストさんがお代わりのお茶を注ぎ込む。
「そうね。私もアルフ達と旅をしてる間、世界各地でよく耳にしていたわ。言葉が通じなさそうな相手……例えば猫には「ですにゃあ」、赤子や犬には「でしゅねぇ」って。あれ、どうしてそうなるのかしらね? 上から目線で、と言うよりは、なんとなく反射的に、って感じだったけど」
赤ちゃん言葉とでも言うのかしら。神殿内部では聴かなかった言葉遣いだから、妙に印象深かったのよね。
「…………もしかしたら、音階調整……調律の一種なのかも知れません」
「調律?」
「人間は
種として基本的に同じ音楽を奏でているのですが、拍子だったり高低差だったり音量だったりが人によって微妙に異なるのです。個体差と呼ばれるものですね。大抵の場合、その違いは身近に居る最も生命力が強い相手と重ね合わせる事で、
殆どの差を無くした同一の楽曲へと調整されます。無論、人間達には自身の音楽に自覚がありませんから、それは無意識の内に行われているのですが」
「他者の影響を受けている、という事?」
「はい。傾向を見るに、多くの人は自身の音楽と極端にズレている音楽を忌避しています。しかし、自身の音と音の間に程好く入り込んで来るような音楽は好んでいるらしく、そういった音楽とは自ら進んで音を合わせたがるのです」
「無意識で他者との心地好い演奏を望んでいるから、自然と相手の音に合わせた音遣いになってしまうのではないか、と?」
「そうですね……「音」を「意思」に置き換えていただければ解りやすいかと思います」
「ああ。つまり、相手の理解に合わせることで意思の疎通を図ろうとしているのではないか、という意味ですね」
「必ずしもそうとは言えない場面を数多く見てきましたし、憶測の域は出ませんが」
確かに。
私が見掛けた人達は皆、どちらかと言えば一方的に話し掛けるだけで満足してる感じだった。赤子や動物が人間の大人と同じ態度や言葉遣いで返事をしたら、総じて気味が悪いと突き放すんじゃないかしら?
そう考えると、意思の疎通を図ろうとしている……では、説明がつかない。アーレストさんが上から目線の思い込みと言った意味も解る気がする。
でも。
「相手に合わせた態度と聞けば、時には不遜と取られたりもするけど……自身に合わせた理解を相手に求めるのではなく、相手の理解に自身を合わせようとしたのなら、それはきっと「思い遣り」と呼ばれる行為だわ。ティーが窮屈な思いをしないようにと気を配ってくれた貴方はとても優しい人ね。ありがとう、アーレストさん」
そんな思い遣り溢れる場面を、見ていてほのぼのするからって理由で一ヵ月近く放置していた私。
ちょっぴり罪悪感。
「いえ……結果的にティーさんを侮辱したようなものですし、修行不足を痛感しました。もっと精進せねばなりません」
「ににょうにょにゅみぇにょみみゃみゃにゃんにぇ、にょにぇにょにぇにぇみにゃっにぇにょうにぇんにょ。いにいにみにににぇにゃにゃ、みにみゃにゃい」
「ええ、私もそう思う。世界で観測される事象には例外無く多面性が有る。受け取り方なんて、それこそ人の数だけ存在するでしょう。その総てに応えなきゃいけない義務なんか、何処の誰にも無い。応えようとする姿勢を否定するつもりは無いけど、応えられなかった事を逐一責める必要も無い。貴方は、大勢いる人間種族の中の一人でしかないのだから。何より、ティー本人が気にするなと言ってるんだから、それで良いんじゃないかしら? ね、ティー」
「にゅむ。」
鷹揚に頷いたティーが、抱えているカップを再度空にして、困った顔で笑うアーレストさんへ押し出した。
「貴女方には敵いませんね……。ありがとうございます、ティーさん。マリアさん」
「にゃっ!」
爽やかな香りと共に注がれる澄んだ金茶色の液体に、諸手を挙げて飛び付くティー。
……よっぽど気に入ってるのね、ミントのお茶。
「ねぇ、ティー。幾らアーレストさんが勧めてくれてるからって、一度にたくさん飲み過ぎるとお腹がタプタプになるわよ?」
「にょんにゃいにゃい」
既に膨らみ始めているお腹を指先で横から突いてみたら、結構な弾力で跳ね返された。
これは「また」後で苦しむわね。絶対。
「もう……」
フィレス様とソレスタさんの不在を誤魔化す為に、最低限二人分の食料や生活費用を消費しなければいけないから、私達も時折こうして御馳走になっているけど。
私もティーも、勿論リースリンデも、本来は食べ物を摂取する習慣が無い。食べられない訳じゃないけど、敢えて食べる必要が無い。そういう生物だ。
まして、今の私達の器は基本的に
成長しない作り物。不必要な食物を消化するには、人間の数倍は時間が掛かる。
なのに、お菓子やお茶の味を覚えてからというもの、ティーの食欲は留まるところを知らない。小さな体の何処に入っていくのか、横になるのも辛いと言い出すまで延々と飲食を続ける姿は、見ている
此方に一種の恐怖を植え付ける。
「ごめんなさい、アーレストさん。茶葉を大量に浪費させてしまって」
「いえいえ。食欲が無い代わりにお茶を飲んでいると言えば、総て経費で
賄えますから。ティーさんとリースさんが飲む水はマリアさんにご用意いただいた物で、
此方の負担にはなっていませんし。
寧ろ不自然な減算にならなくて非常に助かっています。ただ……苦しそうな姿を見掛けると、そのまま体調を崩してしまわないか心配にはなりますが……」
「ほら、ティー。お世話になってる人に心配を掛けちゃってるわよ。その辺りで止めておきなさい」
「にゅうぅー」
「そんな悲しそうな目で訴えてもダメ!」
「……にゃにゃにゃ、にぇみぇにぇ、みゃにょいっみゃい……」
「ぅ……」
金色の目を潤ませて、下から上を覗くようにおずおずと私を見上げるゴールデンドラゴン。
卑怯だわ。卑怯すぎる。
なんなの? この、可愛い攻撃!
「い……、一杯だけ……、よ?」
「みゃあーっ!」
コップを掲げて大喜びのダンスとか。
この子、本当にティーの記憶を受け継いだ竜族なの? 私の本体を拾って付き添ってくれたあのティーとは、似ても似つかない言動ばかり。
いえ、言葉遣いはあのティーそのものなんだけど……ひょっとしてあのティーが現代に生きていたら、この子と同じような振舞いをしていたのかしら?
木製のカップを掲げて嬉しそうに踊る、見目麗しい男性のティー………………
……駄目ね。全然想像できないわ。
「やっぱり、別人なのよね」
「にゅ?」
「ううん。なんでもない」
歓喜の舞いを止めて、今度は少しずつ少しずつ大切そうにお茶を口に含んでいたティーが、私を見上げて首を傾ける。
こんな仕草もきっと、彼ならしないのでしょう。
「貴方は貴方のままで良い、ってこと」
「みゃ!」
分かっているのかいないのか。目を細めて片手を上げたティーは、またお茶を飲み始める。
私とアーレストさんは顔を見合わせ、小さく笑った。
「私達も、冷めない内に頂きましょう」
「そうですね」
緑色が鮮やかな葉物野菜中心のサラダに、バターの濃い香りを放つふわふわのロールパン。根菜類とお肉を一緒にじっくり煮込んだミルク色のスープ。
どれも私が食べたって養分にはならないけど、私が食べる前提で用意された貴重な料理だ。
だから、刈り取られた命への敬意、作ってくれたアーレストさんへの感謝を込めて、そっと両手を合わせる。
「「いただきます」」
「にゃー!」
と、そんな遣り取りをしていた私達の背後。
アーレストさんに作ってもらった小箱のベッドで眠っているリースリンデが
酷く
魘されていた。
vol.5.5 【要所翻訳 竜語→人間語】
[漫画内]
アーレスト「やあ、
此方にいらっしゃいましたか」
ティー「ぬ? 何か用かの」
アーレスト「いえ、今晩の夕飯に何かご要望があればと思いまして」
ティー「ぬー……そうだのぅ。では、ミントのお茶が良いな」
アーレスト「ミントですね。では、温かい物にしましょう」
ティー「うむ。」
[本文内]
(前略)
「いいえ。私が勝手に、
容が違うなら人間の言語は通じないだろう、なんて上から目線で失礼な思い込みをしていたのです。申し訳ありませんでした、ティーさん」
「なに、気にすることはない。相手に合わせて言葉を選ぶ……人間とは、昔からそういうものよ」
(中略)
「いえ……結果的にティーさんを侮辱したようなものですし、修行不足を痛感しました。もっと精進せねばなりません」
「事象の受け取り方なんて、それぞれで違って当然よ。いちいち気にしてたら、切りが無い」
(中略)
「ねぇ、ティー。幾らアーレストさんが勧めてくれてるからって、一度にたくさん飲み過ぎるとお腹がタプタプになるわよ?」
「問題無い」
(中略)
「そんな悲しそうな目で訴えてもダメ!」
「……ならば、せめて、あと一杯……」
[イラスト内]
「ミントのお茶は美味しいのう」
「それは良かった」
「マリアも飲むにょ」
短い返事の「にゅ」や「にょ」はドラゴンの習慣から来ており、気分が良い時等には稀に語尾として付けてしまうこともあるらしい。