vol.7 【りーすりんでちゃんのなやみ】
「はぁー……。やっぱり、泉の近くが一番落ち着くわ……」
両腕を真っ青な空へ向けて突き上げながら思いっ切り背筋を伸ばしてみる。人間の世界で感じてた
澱みのようなものが、身体の芯から
解れて抜けていく感覚。
うん。気持ち良い。
本当は泉の水に浸かればもっと早く楽になれるんだけど……今は花園に居ても心地が良くないから、聖天女様が
精霊達と話してる間、聖天女様とフィレス様が見付けたって言ってた小さな滝のほうに来て、透明な花の群れを仮の居場所にしてる。
花園に戻りたくないって訳じゃないんだけど、最近は帰って来る度に毎回必ず同じ事を言われるから、ちょっと距離を置きたいのよね。
『もう、良いんじゃない?』
『いつまで人間世界に居るつもりなの?』
『早く帰っておいでよ』
『このままじゃリースまで穢れちゃうわ』
精霊達にしてみれば当然な疑問と心配。
私だって、リオやリーフがマクバレンの所へ行くなんて言い出したら、絶対に同じ言葉をぶつけてると思うもの。
魔王レゾネクトの脅威が去った以上、命の源である泉を離れて人間が集まる場所に留まる行為は、精霊にとって自虐でしかない。
そんな事、誰に言われなくたって自分自身が一番よく解ってる。
「……解ってる、のに。どうして私は……」
「リースリンデ?」
「! 聖天女様」
いきなり滝の近くに現れた聖天女様の声に反応して、透明な花弁から反射的に翔び上がってしまった。
「ああ、
其処に居たのね」
「……はい」
水鏡の泉と水源を同じくする滝や透明な花は、近くに居る者の力や気配を丸ごと覆い隠してしまう。人間の小指程度の大きさしかない
私達は特にそうだけど、よっぽど大きな音を立てたり目視できる範囲に飛び出したりしない限り、空間を司る聖天女様にだって簡単には見付けられない。
だから、かしら。
隠れてたつもりは無いのに、「振り返った」聖天女様の安堵を含む笑顔を見たら、意地悪してごめんなさいって気持ちになってしまう。
「じゃあ、教会へ戻りましょうか」
右肩に座った私の頭を軽く撫でて、聖天女様が優しく微笑む。
その右腕が抱えているのは、丸くて厚みがある木蓋を被せた小さな茶色の壺。中身は、私とゴールデンドラゴンのティーが教会で飲む為に、二日に一度の頻度で泉から分けて貰ってる水だ。
聖天女様もたまには飲んでいらっしゃるみたいだけど、大半はティーが飲んじゃってるのよね。いっそ、ティーの為に運んでくださっていると言っても間違いじゃない。
今頃はきっとベッドの上でゴロゴロしてる、あのゴールデンドラゴン……少しは聖天女様に感謝して自分から手伝おうって姿勢を見せれば良いのに、今回もまたお礼も言わずに平然とがぶ飲みするんだろうな。バルハンベルシュティトナバール様の記憶を受け継いでいるとは到底思えない
太々しさよね、まったく。手伝いたくても(物理的に)手伝えない私の身にもなってほしいわ。
いえ、聖天女様の負担が気になるなら、私だけでも泉に留まれば良いんじゃない? って話なんだけど……
けど…………
「うぅーんんーー……っ にゅわあ!」
「!? ど、どうしたの?」
「ふぁ!? すみません、つい」
突然頭を抱えてジタバタし始めた私に驚いた聖天女様が、薄い水色の目をまん丸にして私の顔を心配そうに覗き込んだ。
間違っても聖天女様の顔を叩いたり蹴ったりしないように、慌てて大人しく座り直す。
「何か悩んでる?」
「いえ、その」
「泉を避けてることと関係があるのかしら?」
「うっ」
「……私では相談相手にもならない?」
「っそ! そんな言い方は、
狡い、ですっ」
「ふふ、ごめんなさい」
お節介な性分なのね、私。と、口元で苦笑いを浮かべながらも、それ以上の言葉を重ねようとはしない。
ただ、何処へも移動せずに私の頭を撫で続ける。
ずっと、撫で続ける。
延々と、撫で続ける。
黙々と、撫で続ける。
ひたすら、撫で続ける。
「…………………………分かりました。話します。話しますから、もう止めてください。気持ち良すぎて眠ってしまいそうです」
「まぁ。私の肩で眠ったら転げ落ちてしまうわよ?」
「分かっててやってましたよね」
聖天女様に撫でられるのが好きな精霊は結構多くて、撫でられてる間にうっかり眠ってしまう事例も少なくない。
撫でている張本人に、それを知らないとは言わせませんよ。
「知ってる? 深い眠りには、心身の癒しや成長促進と程近い効果が有るのよ」
「私の場合は全身打撲で昏倒とかになりそうです」
「そうなる前に支えてあげるから大丈夫よ」
「嬉しすぎて涙が出そうなお申し出ですが、別の機会にお願いします」
「……支える事自体は断らないのね?」
「聖天女様の手は気持ち良いので」
「存外真面目に切り返されて、内心ちょっと照れています」
「そんな所もお可愛らしいと思います」
「ありがとう。褒め殺して話を逸らそうとしても、聞き耳はしっかり立ててるからね?」
「本心ですよ」
「……………………。」
聖天女様の両目が右へ左へ
忙しく泳ぎ、頬と耳が見る見るうちに赤くなっていく。
勝った。
とはいえ、話しますと自分の口で言ったのだから、ちゃんと説明はするけど。
「……アーさんの傍を離れたくないと思ってる自分がいるんです」
「あら、恋話?」
「どうしてそうなるんですか。精霊が人間相手に恋愛感情を抱く訳がないでしょう。そもそも、私達精霊にそんな感情は存在しません」
有ったとしても、人間のそれとは在り様が違うんじゃないかしら。……多分。
話には聴いてるけど、私達の認識と擦り合わせた例が無いから何とも言えない。
「人間は嫌いです。聖天女様達が命を懸けて護ってくださったこの世界を我が物顔で喰い荒らすし、それを当たり前の権利だと思ってるし、他の種族がどれだけの迷惑を被っているのかとか全然考えてない。あんな汚くて醜悪な種族、大っ嫌い」
王都で見た恐ろしいほど傲慢な景色の数々を思い出して、体がぶるりと震える。
少なくとも王都にだけは二度と近寄りたくない。これだけは確かだ。
「アーレストさんも人間よ? コーネリアとよく似た力を持ってはいるみたいだけど」
「だからこそ、です。人間は嫌いなのに……
精霊にも心配を掛けてる自覚はあるのに、それでもアーさんの傍を離れたくないと思ってしまうのは何故なのか。自分でもさっぱり解らないんです」
人間の世界は嫌い。近寄りたくない。泉の近くが一番落ち着く。
そう。
人間であるアーさんの近くに居ても良い事は無いのに、ふとした瞬間アーさんの傍へ「戻りたい」と考えてる自分に気付く。
人間がどうなろうと一向に構わない筈なのに、アーさんの体調は気に掛けてたり。
支離滅裂よ。全く以って訳が解らない。
「…………私は、なんとなく解るかな」
「え?」
再度頭を抱えそうになった私に、聖天女様が呟く。
「もしかしたら、明日になればリースリンデにも解るかも知れない」
「明日、ですか?」
「ええ。リーフエラン達にも許可を貰ったから、明日は一緒に泉へ行きましょう?」
「でも」
「大丈夫。きっと、リーフエランとリオルカーンが解決してくれるわ」
「リーフとリオが?」
リーフエランもリオルカーンも私が教会へ行くのを反対してるのに、そのふたりが、教会へ戻りたがる私の悩みを解決してくれる?
というか、許可って何の?
と、首を捻る私を見た聖天女様は無言で微笑み、また頭を撫でた。
翌日。
青い空、白い雲、生い茂る緑、色鮮やかに咲き乱れる花々の反転した姿をくっきり鮮明に映し出している泉の畔で。
「……人間ね」
「……人間だわ」
「どうして人間なんかを花園に……」
「全然動かないけど、寝てるの?」
「もう! 何を聴いてたのよ! 聖天女様がさっき「眠らせてから連れて来た」って言ってらしたじゃない!」
「違うよ。正確には、聖天女様の結界で器と意識を分離させてるんだよ」
「寝てるのと何が違うの?」
「自発的に覚醒できるかできないか……とかかなぁ」
興味半分嫌悪半分といった様子の
精霊達が、横たわるアーさんを取り囲んで言葉を交わし合う。あまり大声で話さないでねって言われてるから、皆それなりに潜めてはいる。
ちなみに聖天女様は、教会を空にして万が一何か問題が起きたら困るからと、私とアーさんを置いて早々に引き返してしまった。
聖天女様が昨日仰っていた「ちょっとした恩返し」って、花園で一時間眠らせてあげる事だったのね。確かに、結界で意識を閉じ込めてしまえば妙に音を気にするアーさんでも落ち着いて眠れるかも知れない。器が音を拾っても、認識する思考が働かないから。
人間の世界には花の香りで緊張を解す医療が在るとかなんとか王都で聴いたし……アーさん本体を花園に連れて来たのも、身体に蓄積した疲労を少しでも和らげる為?
「これが、リースリンデを人間の世界に引き留めてる人間なの?」
「何処にでも在りそうな器ね」
「リオ、リーフ」
アーさんの横顔をじっと見ていた私の隣に、リオルカーンとリーフエランが横並びで恐々と飛んで来た。やっぱり、ふたり共アーさんに好意的な姿勢は見せない。
当然だよね。アーさんは人間だもん。
精霊が人間なんかに好感を持てる筈……
「でも、似てる」
「え?」
アーさんの正面に回って顔を覗き込んだリーフが、数回瞬きをして首を
傾げた。
「具体的に何処がどうとは言えないけど……クロスツェルに似てるよね? これ」
「………………そうね。言われてみたら、そうかも」
リーフに促されてアーさんの目元を覗き込んだリオも、少しの間を置いて浅く頷く。
「クロスに似てる? アーさんが?」
「「うん。似てる」」
ふたりの後を追って、アーさんを正面から覗いてみる。
アーさんは人間そのものだし、アリア様達に護られてるクロスとは全然違うと思うんだけど……
「……クロスに、似てる……?」
聖天女様が結界を解かない限り、決して開かない目蓋。
その奥に隠れた金色の虹彩を思い浮かべた途端、キラキラ光るクロスの瞳と面影が重なった。
優しく微笑む、星明かりみたいに綺麗な人。
「……そう……か。そうだったんだ。アーさんがクロスに似てたから、私は」
『リーフエランとリオルカーンが解決してくれるわ』
聖天女様が仰った通りだ。クロスを知ってるふたりが、私に教えてくれた。
「ふふっ! ありがとう、リオ! リーフ!
漸くすっきりしたわ!」
「え?」
「なにが?」
胸の
痞えが下りた喜びで空高く舞い上がる私を、キョトンと見上げるふたり。
うん、いきなり何の話? って思うよね。
だけど私は、聖天女様とふたりのおかげで確信したわ。
「私はやっぱり、人間なんて大っ嫌い!」
アーさんとクロスは似てるから。
だから、一緒に居たかっただけ。
この世で綺麗だと思える人間はクロスだけ。
クロスだけが、綺麗なヒト。
「また、会えるかな。会えると良いな」
私に柔らかく笑う、優しくて綺麗なクロスに。
もう一度、会いたい。
vol.8 【ふときづくまりあさま】
アーレストさんを花園に預けてから、約五十分後。
「ごめんなさいね。貴女達が嫌ってる人間を大切な花園に預けてしまって」
「大丈夫です! 起きてたら嫌でしたけど、ずっと寝てますし」
「何より、聖天女様のお願いですから」
アーレストさんを迎えに来た私を、精霊達が歓迎してくれた。
「ありがとう」
ふわふわと寄って来た彼女達ひとりひとりの頭を、叩き落としてしまわないようにそっと撫でる。
感触を気に入ってくれるのは嬉しいんだけど、大きさの違いもあって宙に浮いていられると力加減が地味に難しいのよね。
「私も連れて行ってください、聖天女様」
「あら、リースリンデ。……すっきりした顔ね」
「はい! 私、聖天女様が教会に居る間はご一緒したいです。なんとなくですけど、アーさんの近くに居たらもう一度クロスに会える予感がするんです」
嬉しそうな満面の笑顔。他の子も、精霊族の救助に一役買ってくれた人間が絡んでいると知ったからか、不承不承ながら反対はしないみたい。
どうしてアーレストさんの傍に居たいと思うのか、その答えを見付けたのね。
そして、私と同じように「似ている」と感じてたのね、やっぱり。
アーレストさんとクロスツェル。二人に共通する金色の目が、互いを連想させるのかしら?
「そうね。近い内に会う機会があれば良いわね」
「はい! あ、ちょっと待っててください。私は私で、透明な花の実を持って行くので!」
「それなら私が、」
「いえ! 自分で運びます!」
教会へ戻るついでに連れて行ってあげる、と言いたかったんだけど……あんなにウキウキされたら呼び止めるのも
躊躇っちゃうわ。
「分かりやすい子ねぇ」
心優しく義理堅い反面、自然の循環を破壊するものには攻撃的な精霊達。
私やアリア達やティーの力を持っていたからとはいえ、彼女達に此処まで懐かれるなんて滅多に………………
「……え? あら?」
「? どうかなさいましたか?」
透明な花の実を摘みに行くリースリンデの背中を見送る私に、左肩周辺で浮遊していたリオルカーンが不思議そうな声色で問い掛ける。
「ん……ねぇ、リオルカーン。貴女達精霊って、人間の外見は
殆ど見分けられないと言ってなかった?」
「そうですね。さすがに色合いや性別や極端な年齢の差くらいなら判りますが、同性・同世代の微妙な違いを述べよとか言われちゃうと難しいです」
「じゃあ、クロスツェルとアーレストさんの容姿に違いは?」
「髪の色が違うだけの同じ顔にしか見えません」
「当然、リースリンデにも」
「同じに見えてると思いますよ」
「……そう、よね」
私は、外見とか雰囲気が何処となく似てるなって思ってたんだけど……最初から同じ外見にしか見えてないなら、リースリンデが一ヵ月もの間悩んで気付いた二人の共通点は「外見じゃない」ってこと?
目に見えないモノ……力の面だと、アーレストさんが持ってる力とクロスツェルが受けてるロザリア達の加護では系統が違うっぽいし、精霊達はアーレストさんを汚いとも綺麗だとも言ってないから、その点で似ているとは言い難い。
しかも
「リオルカーンは、クロスツェルが好き?」
「リース達を助けてくれた点では感謝してますし、稀に見る綺麗な人間だとは思いますが、それ以上の好感は有りません」
「……でしょうね」
リースリンデ単体と精霊達のクロスツェルに対する感情には開きがある。クロスツェルと似てるからって理由でアーレストさんの傍に留まりたいとまで思うのは、多分リースリンデだけ。
つまり、精霊達が似ていると感じた二人の共通点は、外見でも神や悪魔が持つ力でも無くもっと別の、「本来、精霊族の好感度には影響しない何か」?
精霊に恋愛感情は無いって言ってたけど……もしその通りならあの子、クロスツェルの「何」に、どんな好意を持ってるのかしら……。