逆さの砂時計
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
純粋なお遊び
合縁奇縁のコンサート
vol.1 【変わらないもの】
思考の時間が停止した場合、「停止している最中の自分」など、通常は自己認識できない。
停止前後の状況から差異を見出すか、自身以外の時間流を観測していた他者の指摘を受けて初めて、自身の思考が停止していたらしいと気付くのだ。
だから……自分の時間が停止していると自己認識している今の自分は、通常の自分ではありえない。
通常の反対は何だ。
異常か、それとも非常か。
うん。非常事態には違いないだろう。
なにせ
プリシラが、笑っている。
「………… ふふっ」
突然室内に現れた私達を驚いた目で見回した後。
一拍置いた彼女は、それはそれは楽しそうに。獲物を捉えた猫のように瞳孔をきらりと輝かせ。壮絶なまでに妖艶な笑みを形良い唇に浮かべ。左手を自身の顔の横へ、ゆぅうーっくりと持ち上げた。
そして。
「狭苦しく何も無い部屋で申し訳ありませんが……どうぞ、お掛けになってくださいませ? お客様方?」
握り拳の状態からピッと立てた親指の爪先を、床へ向けて勢いよく振り下ろした。
室内の空気が刹那の内に凍り付く。
しかし、命が惜しい私達は、凍り付くよりも早く彼女の真意を正しく理解し、彼女の厳命に沿って動かなければならない。
プリシラの言葉を翻訳すると、こうだ。
『お・す・わ・り。』
書類を山と積み上げられた机の手前(の床)で横一列に正座した私達を、彼女は満足気に両腕を組んで見下ろす。
……というか、生贄経験者である私と第二王子殿下はともかく、フィレスさんとリーシェとレゾネクトまで正座しちゃってるんですが。
生存本能?
「さて。中央教会は治外法権と言えど王国内、しかも王都の中心地です。本来であれば、この場で最も高貴な身分のエルーラン殿下にこのような態度を執っていては、如何にこの身が高位聖職のものであっても不敬と見做され、相応の罰を受けて然るべきでしょう。ですが、それ以前の問題として。女の仕事場に、なにやら鈍な剣と隠し武器と涙の痕跡が見受けられる少女と気絶した少女を抱えて、事前連絡も無くいきなり大挙として押し掛けて来た非礼は、貴方方に認めてもらわなければなりません。覚悟有っての言動ですわよね。当然。」
『教会に武器を持ち込むとか、喧嘩売ってるの? 莫迦なの? しかも、そんな小さい女の子を泣かせてるってどういうこと? 大の男が揃いも揃って、女の子達に何をしでかしたワケ? ちょっと痛い目見せましょうか。』
副音声が怖過ぎる。
何気に殿下とフィレスさんが「隠し持っている」であろう武器とその状態まで一目で看破するこの女性の目は、いったいどうなっているのだろうか。
「あー……お怒りはご尤もだ、プリシラ次期大司教殿。それと、ミートリッテ第一補佐。国政面でも宗教面でも重要な案件を扱うこの執務室に無断で入り込んだばかりか、其方と面識が無い人物を複数引き連れて来た事は、全面的に此方の不手際であると認めよう。申し訳ない」
「では、私の不敬にも寛容を」
「無論。私の立場は一神父の物として、この場の主導権は貴女にお譲りしよう(死にたくないんで)」
殿下。声が漏れてます。
「(……うわぁー……)」
そんな殿下に、プリシラの斜め後ろから覗き見ていた金髪藍目の女性が同情めいた小声を……って……
え? プリシラ?
プリシラが二人居る?
思わずじっと見てしまった自分に気付いた女性が、ぱちぱちと両目を瞬かせた直後、礼儀正しく腰を折って挨拶してくれた。きっちり仕込まれた人間の、美しい礼。ただ、ほんの少しだけ落ち着きの無さが滲み出ている。よくよく見れば幾分か年若いようだし、プリシラとは別人だ(当たり前だけど)。
プリシラの血縁だろうか?
見られてしまった後ではどうしようもない……にしても、あまり他人を巻き込みたくはなかったのだが。
「ありがとうございます。早速ですが、私の手法で進行させていただきますわね」
「ご存分に」
キリっとした面持ちの殿下が、死んだ魚の目でプリシラを見上げる。
プリシラは瞬時に笑顔を引っ込め
「人員整理」
「神父のソレスタ。元神父のクロスツェル。女騎士のフィレス。エルフのリーシェ。元魔王のレゾネクト。アリア信仰が主神・女神アリアであり、人間としての意識も別個に持つロザリア。以上、男性三名・女性四名。計七名」
「はいっ!?」
ミートリッテ第一補佐と呼ばれた女性が驚きで声を上げ、プリシラの一瞥で慌てて口元を押さえる。
……普通はそういう反応ですよね。ええ。
プリシラの落ち着きようが異常なだけで。
「目的整理」
「女神アリアを含む人外生物の存在・行動を秘匿する為の協力要請」
淡々と現状把握に努めるプリシラ。
対する殿下も淡々と答えていく。
同じ要領で質疑応答を何度か繰り返した後、目蓋を閉じたプリシラが天井を仰いで溜め息を吐いた。
「要するに……貴方が東区で救えなかったと言っていた少女の正体が、今貴方の腕の中で眠っている方なのね? クロスツェル」
「はい」
プリシラは、べゼドラと契約した私の愚行を知らない。
私のかつての信仰心と行動とロザリアの容姿等々から、彼女なりにいろいろ推測したようだ。正座してもロザリアを降ろそうとしない私を見て、そう判断しただけかも知れないが。
「はぁー……。追跡できなくなった時点でなにかしら有るとは思っていたけど……まさか、本当にアリア様が顕現されていたなんてね。貴方が教会へ招いた頃に報告を上げてこなかった理由は何? 言っておくけど、アリア様だと判っていて黙っていたのなら、これも立派な職務怠慢よ」
私を見下ろす元上司の目がちょっと冷たい。
「ロザリアが、アリア信仰との関わりを快く思ってなかったので」
「何故?」
「東区の教会から姿を消すまで、ロザリアにはアリアとしての記憶が無かったんです。単純に、自身が持つ力を利用されたくなかったのでしょう」
「…………返す言葉も無いわね」
早い段階で重役達がロザリアの存在を掴んでいたら。アリアと同じ色彩と不思議な力を持つロザリアは、例え本人にアリアとしての自覚が無くても、確実に信仰の象徴へと担ぎ上げられていた。ロザリアの意思は完全に無視して、だ。プリシラにもそれが解るから、その辺りの追及はしないらしい。
一瞬複雑な表情を見せたものの、両手を腰に当てつつ仕方がないといった体で頷いてくれた。
「良いわ。協力を約束しましょう。政治面ではエルーラン殿下が。宗教面では私が。貴方達を余計な争いの火種にしないよう、全力で支えます」
「ありがとうございます、プリシラ」
敵に回ったら心底恐ろしい人物だが。その分、味方でいてくれる彼女の全力ほど頼もしいものは無い。
ただ……
「ただし!」
…………………………対価要求が無ければもっと心中穏やかでいられるのだけど。
今度は何を要求されるのかと背筋を伸ばせば、横並びしている全員の目線も同時に上がった。
うん。覚悟はできている。
「貴方方は暫くの間、私とミートリッテの部屋から一歩も出ないこと! アリア様……今はロザリア様とお呼びするべきかしら? 彼女にも幾つか話を伺わねばならないし、殿下方にも「此処に来るまでの移動時間と手続き」が必要でしょう。今回のように黙って出入りされても迷惑ですからね。万事、私の指示に従ってくださいませ」
『従えない子は、お・し・お・き。』
「「アイ、マム!」」
プリシラの微笑みが零れ落ちた瞬間、殿下とフィレスさんの素早い返答が重なった。二人にも不穏な副音声が聴こえているに違いない。びっくりするほど息ぴったりだ。
「良いお返事を頂けて何よりですわ。では、殿下と……レゾネクトさん? は此処で待機。リーシェさんとフィレスさんとクロちゃんは、そのままミートリッテの部屋へ入って頂戴。クロちゃんはロザリア様を寝室に横たえたら直ぐに戻って来ること。手狭にさせて悪いんだけど、案内してあげてね。ミートリッテ」
「あ、はい。承りました」
プリシラの指示を受け取ったミートリッテさんが、此方へどうぞと私達を執務室の片隅に手招こうとする。其処には白いカーテンで隠された飴色の扉が一枚。補佐専用の部屋と繋がっているのだろう。
こういう非常時に、部外者から見えない秘密の通路が在るのは助かる。の、だけど。
「……あの、プリシラ?」
「なによ」
「いえ、その……それだけ、ですか?」
「何が?」
「無断で出歩くな、だけで良いのかな、と」
「………………虐められたいの?」
「滅相もありません。」
捩じ切れてもおかしくない勢いで頭を振る。
あ、ちょっと目眩がした。
「……あのね、クロちゃん。私はこれでも、事情を知らないクセに知ったかぶりの仮面を付けて善人気取りの風潮に乗って「悪い事をしたっぽい人達」の話も聴かずに一方的に糾弾するような、そんな脳無しではないつもりよ。私はまだ、一番知らなきゃいけない核心部分を把握してないの。だから、今、此処で、「助けを求めて来ただけの」貴方達を突き回して遊ぶつもりは毛頭無いわ」
「っ!」
腰を屈めて顔を覗き込んでくるプリシラの言葉に息を呑む。
私が知る普段の振る舞いの所為で失念していたが、彼女は聖職者だ。助けを求める者には何処までも寛大な女性。
対する私の、なんと礼に欠いた言動か。
貴女は協力の見返りとして他人を弄ぶ人種だった筈では……などと。本人を前にしてなんたる侮辱。
「すみま」
「まぁでも、そんなに期待してたんなら放置するのも可哀想だし。収拾の目処が付いた後でゆっくりじっくりたっぷり、心が砕けるまで遊んであげるわね?」
「すみませんすみません本当にすみません失言でした。心よりお詫び申し上げると共に遊びのほうは謹んでお断りさせていただきたく」
「クーローちゃーん?」
背中が反り気味な私の前頭部に、
「は…… い? え?」
プリシラの唇が軽く触れる。
きょとんとする私の前で、彼女は
「お帰りなさい」
何年経っても変わらない、無邪気そのものな笑顔を披露してくれた。
「…………ただいま、戻りました」
ほんのり苦味を混ぜた笑顔を返すと、プリシラはにっこりと目を細めて上体を起こし、ミートリッテさんが開いて待っている扉を指し示す。
「……後で、お話します。今度こそ包み隠さず、私が経験してきた一部始終を」
ロザリアを落としてしまわないよう慎重に立ち上がり、敬愛すべき元上司に軽く頭を下げる。
「ええ。ちゃんと待っているわよ、臆病者さん」
ひらひらと手を振って見送ってくれる彼女を背に、再度苦笑いが込み上げる。
この世界の女性が逞しいのは、貴女の影響でしょうかね? エルネクト。
「今更、知られて嫌われるのが怖かった……なんて。自分が一番驚きです」
「はい?」
私の呟きを拾ったミートリッテさんが、小首を傾げて私を見上げる。
「いえ。なんでもありません」
罰を与えられる事に甘えようとしていた自分。
何かを察していても、変わらない関係を示唆してくれた友人。
私は本当に、溺愛されすぎている。
ページ上へ戻る