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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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幕間+コーデリア:手品ともいう

 
前書き
以後、幕間のサブタイトルは『幕間+中心人物:題』という形にします。 

 

 一面緑の草原に、さらさらという草の音がそよぐ。まるで浪間に浮かべてある船の肌に風に泳がされた水がうちあたって弾けるような、実に聞き心地の良い自然の演奏である。うっかりと瞳を閉じてしまえばそれこそ夢うつつとなってしまい、起きた頃にはその温厚な天気によって齎された鳥たちの合唱の中に取り残されてしまうであろう。もくもくと昇る綿雲が鳥の巣のように青空を掠め、地上に大きな影を落としている。影は形を微細に変化させながら何処までも広がる平和な叢を撫で、時折、ぽつんと繁っている家族のような木々を覆い、そのまま何処かへ流されていく。
 慧卓は木の下に寝転びながら、何事も考えぬ腑抜けた表情で空を見上げていた。彼の傍では王国軍の一軍による陣が敷かれており、炊事の煙が上がっていた。慧卓の傍で彼と同じように寝転んでいたパックに向かって、慧卓は言う。

「それにしても、此処って平和ですね。どこに行っても平原が広がるばっかり。そういえばさっき小川を越える時、ザリガニを見付けましたよ。すんごい甲羅が真っ黒でしたけど」
「それはクロザリガニってやつだな。まぁ、ここら辺の小川ならどこいっても見付けられるぜ。生だと味が無いけど、煮込むと上手いぞ。甘味が出てきて桃を食っているみたいだった」
「・・・ちなみに聞きますけど、パックさん。俺等が居るのって大体どこら辺なんですか?」
「おいおい、ここがどんな場所か、誰にも聞いてなかったのか。此処はな、マイン王国の北東部に広がっている平野地帯だ。さっき俺等が居た村は、山吹村っていってな。恵まれた土壌の御蔭で中々でかい果樹園があるんだ。あそこで食ったパイがまた絶品だったなぁ。林檎は蕩けるように甘いし、葡萄酒の酸味は程よく舌に乗っかるし」
「は、はぁ・・・」

 パックは雀斑のある顔をにへらと歪めて、ぺちゃくちゃと饒舌に甘露について話し出す。甘党の一人談義に少しばかり辟易とした気分でいると、近くにミシェルがやってきた。昨日髪を整えたらしく、刈り上げの痕がきらりと光っていた。

「まぁたパックの甘党談義が始まったな。話は聞いてたぞ、ケイタク」
「ミシェルさん。ってかあなたもタメ口?」
「いいじゃねぇか、気にしてないんだろ?・・・改めて説明するとな。俺等がいるのは、紅牙大陸っていうでかい大陸でな、その東部にでかい国があって、そいつがマイン王国っていうんだ。俺等が仕えている国だよ。んで、俺等がいる場所ってのはその王国の北東部、都から大体70リーグくらい離れた所だ。・・・分かるか?」
「・・・リーグって、なんです?」
「あぁ、それもか。・・・えっとな、大体一日の行軍速度が3リーグから4リーグくらい、っていえば分かるか?」
「あっ!それなら大体わかります!」

 慧卓は頭の中の歴史知識を掘り起こした。1リーグとは、距離で言う所の約4.83メートルに値する。また中世期における軍の一日の行軍距離とは、大体12キロから14キロである。騎馬隊が居たり、或は特筆すべき火急なる事情があれば行軍速度はまた違うのだが、今は王都に凱旋するだけのただの温和な行軍である。慧卓の記憶にひしと刻まれる、マケドニアの大王やフランスの皇帝の如き進軍は、此処では起きえないのだ。
 自分の話をまともに聞いてくれなかったと気付いて話を止めたパックは、ミシェルが傍に立ってるのを見て眉を動かした。

「よう、ミシェル。御所望のもんを持って来たぞ」
「遂にできたのか、パック!」
「ああ。こいつさ。これを胸の辺りにつければ・・・ほれ」「おお・・・」

 パックは懐から一つのピンバッジを取り出して胸の辺りに留める。慧卓はそれを見て目を見開いた。ピンバッジというと彼の中では、金属製のピンで穴を通す、バッジに何かのキャラクターの絵が添付されたものなのだが、パックが出したそれは材質こそ違えど、その範疇に漏れないものであった。細い針のついたピンの部分は銅製であり、バッジの部分は木製だ。バッジに描かれているのは、まるでローマ帝政時代に鋳造された金貨のような、一人の端正な女性の横顔であった。ニスが無駄なくむらなく塗られているためか、髪の美しさや鼻筋の通った顔付までが判別できる程で、職人技といってよい。惜しむらくは、これが一体誰を模しているのか分からない事だ。

「いいね」「ああ。震えてくる」
「胸に留めるだけで、もう尻にできたおできなんでどうでもよくなる」
「もうこれさえあれば兵士身分の薄給なんて、考えなくても大丈夫な気がするな」
「全くだ。私にも一つ寄越してほしいくらいだよ。コーデリアたん、可愛いなぁ」
『・・・』

 突如として差し込んできた感想の声に、二人の兵士は顔を強張らせ、くるりと顔を振り向かせて呻き声のような息を漏らす。寝転んでいた木の後ろ側から、アリッサが顔を覗かせていたのである。その碧の瞳は尋常ならざる爛々とした光が宿っており、微動だにせずピンバッジを睨んでいた。慧卓は彼女の指摘を受けて初めて、そのバッジがコーデリア王女を模したものだと理解して感心を深めた。
 アリッサは熟練技術が為し得たバッジをまじまじと見詰めて、パックらに極悪非道な微笑を向けた。

「そいつを寄越せ、雀斑の兵士」
「い、嫌ですよ!王女様の御尊顔を参考にして精魂込めて作ったバッジなんですよ!?原材料だって結構高かったんですから、いくら近衛騎士のあなたといえど簡単に渡せません!」
「そうですよ!これはパックの分なんです!俺の分もまだ出来上がってないんですよ!?」
「今そいつを渡せば、王女様が今朝ご使用された汗取り用の手拭を授けよう。どうだ、要らないか?」
「どうぞこれを御受取り下さい、アリッサ様」「我等の努力の結晶で御座います、アリッサ様」
「うむ、見事な心意気ぞ。もうよい、下がれ」
「ははっ!よし、もうこれ絶対洗わないぞ」「おい、俺にも嗅がせよ。・・・うわぁぁ・・・さいっこう」

 汗を吸っているであろう白い手拭に鼻をくんくんとさせながら、二人の駄目な男は恍惚とした表情で立ち去っていく。背筋がぶるりと震えているのが印象的であり、慧卓は得も言われぬ気持ち悪さを二人に感じていた。
 精魂込めて作ったというバッジをあっさりと女性の体臭がするであろう手拭と交換した二人も二人だが、あろうことか王族の女性が使用された手拭を渡して獲得したバッジをホクホク顔で胸元に仕舞うアリッサもアリッサであった。五十歩百歩の性癖である。

「変態だらけじゃないか」
「・・・誰にも言うなよ、ケイタク殿」「言わない代わりに、何か見返りとか欲しいですね」
「お、おい。案外がめついな」「流石に、汗を取った手拭ってのは無いでしょ。下着泥棒みたいで吃驚しました」
「下着を盗るとはありえないな。普段から考えてないと出てこない、汚らしい発想だぞ。ケイタク殿」
(なんで俺の方が引かれんだよ、理不尽だろ)
「それでだ、互いの趣向が露わとなってしまったが、此処は一つ、御互いこの事を黙っているのが賢い選択だと思わないか?異世界で全うな教育を受けたのであるなら、それが正しいとすぐに分かる筈だ」
「言われるまでも無いですよ。でもです、それはあくまで『趣向について黙る』って話ですよ?『手拭を盗んだ』事まで黙るのは、流石に出来ませんよ。それって如何に騎士であろうとやっちゃいけない筈なんじゃ?」
「心配するな。あれは私の私物だ。コーデリア様が使用されたというのも、実は嘘だ」
「は?」
「今朝、目ヤニを取った時に使ったくらいで、無くなってもどうでもいいものなのだよ、あれはな」

 何とも言えぬ面持ちとなって、慧卓は他所を向いた。あまり芳しくない反応を見てアリッサは苦笑を浮かべた。

「どうしても黙ってられないというのなら、特別に『見返り』を君に与えよう。こっちに来てくれ」

 そう言ってアリッサは、木陰から天幕が集う自陣へと向かっていく。慧卓は彼女が立ち去っても寝転んだままであったが、見返りとやらが何かを確かめたくなり、すっと立ち上がって彼女の背中を追い掛けていった。
 平野に陣を敷いた王国軍は、今まさに朝食の真っ最中であった。ずらりと整然として立ち並ぶ天幕の間から人々の朝の支度の音が鳴り響いている。鍋を温める炊事の火が彼方此方で炊かれ、もくもくと白煙を空に立ち上らせており、物資を運ぶ馬も今は糧食をむしゃむしゃと頬張って、樫の黄色い花を描いた軍旗は穏やかな風に乗ってはためいていた。
 アリッサは自らが眠る天幕の近くまで行くと、傍の木樽の上に置かれてある一本の剣を取り、手元で鮮やかにそれを弄びながら話し出す。

「出立まで時間がある。それまでに、ケイタク殿には我々の剣術や武術について教えておこう」
「本当ですか。そういうのって結構憧れてたんですよ」
「そうか。なら、じっくりと教えようか。
 王国軍の武術は100年ほど前に確立された、実践的な理論に基づくものだ。鍔や鞘、鎧や兜すら利用する、まぁ言ってみれば泥臭い武術といったところか。根底にあるのは相手を打倒す事だけだから、基本として武具やそのためのやり方は特に問われてない。剣でやるよりも弓でやったり、踏み付けたりした方が相手を倒しやすいのと同じ理屈だ。
 実際に戦場で使う武器は様々だが、その内の一つがこれだ。王国軍が正式採用している鉄製の直剣だ。鍛錬用のもので刃は潰してある。持ってみろ」

 アリッサは剣をひょいと軽く宙に投げて反転させると、刃の部分を手で受け止めてから慧卓に差し出す。あまりに造作も無い動作に慧卓は驚きつつ、その柄を掴んでゆっくりと引き抜く。案外腕にずっしりと来る重みに意識を改め直すと、徐々に新雪のような美しい銀光の刀身が現れてきた。切っ先まで全て抜くと、それを両手で確りと握りしめて縦に構え、刀身をまじまじと見詰めた。

「結構重いですね。流石、鉄製なだけある」
「王都の練兵所がいつも世話になっている鍛冶屋に作らせたものだ。両刃で、刃渡りは二尺、刃幅は一寸ほど。突いてやれば人の身体なら容易く斬れるし、何より扱いやすい。鍛錬を積めば重みにだって違和感が無くなってくるだろう。
 握りは簡単だ。柄の近くを、人を殴る時のように、がっしりと持つ。やってみろ」

 言われるがままに慧卓はそれを握って、正眼で構えてみる。映画やドキュメンタリーとは違って剣先がぶるぶると震えてしまうのは御愛嬌である。平和主義の一介の生徒では真っ直ぐ上に剣先を向けるだけで大変な労力なのだ。

「そうしたら、肩に担ぐように剣を振り上げて、一気に下ろす」

 彼女に言われるがまま、慧卓は一歩足を引きんがら右肩に剣を振り上げ、それを振り下ろす。『ぶん』という鈍い音がして、剣先が地面を僅かに掘ってしまった。身体も少しばかり前のめりとなってしまっている。本当ならば振った後に剣を止めねばならないのだろうが、この重量を扱い慣らすのは想像以上に難しいようだ。

「・・・こうですか?」
「ああ。素人らしい素直な一振りだ。磨き上げればそれなりの剣士になれるぞ。今からでも遅くない、練習してみるがいい」
「そうですか・・・。んじゃ、この世界に居る間は、確りとこいつを練習しますよ」
「いい意気込みだ。その剣はケイタク殿に貸してやろう。だが常に携帯するというのも危なっかしいから、普段は私が預かる事としよう。必要になったら私の所へ言いに来てくれ」
「分かりました。・・・じゃぁ今日は、これで素振りでもやってますよ。終わったら返しますね」
「ああ。出立が近くなったら教えるから・・・程ほどにな」

 微笑ましいものを見るようにアリッサは目を向けながら、鞘を樽の上に掛けた後、自分の天幕へと入っていく。慧卓は少し羞恥心を覚えてそれを見送った後、気を取り直すように素振りを始めた。ベースとして想像しているのは剣道のそれであった。

「1,2,3,4、・・・案外きっついな」

 素振り一回に対して消耗する体力が多過ぎるような気がする。これは明らかに膂力が足りない証拠だ。腕の筋肉だけに問わず、腹筋も背筋も大胸筋も足りていない。本格的な武術を学ぶのであるなら脚や首の筋肉も鍛えなければ駄目だろう。脳筋こそこの世界では圧倒的な征服者なのだと、剣より宣告されるような気がした。
 慧卓は奮起して、素振りを再開する。ぶんぶんと振り被っては、剣道のように胸の前でそれを止める。息切れして胸が苦しくなる度に素振りを止め、大きく息を吐いて集中し直す。そうこうして三十ほど数を数えていると、傍に誰かが近付いてくるのが聞こえた。

「30、31、32・・・」「ケイタクさん?」
「あっ、はい?」「ちょ、ちょ、ちょっと!剣をこっちに向けないで下さい!」
「あ、御免なさい!まだ得意じゃなくて・・・って、王女様?」

 慌てて慧卓は剣を引っ込めて樽に立て掛ける。素振りに熱中していた彼の背後に立っていたのは、コーデリア王女であったのだ。既に朝食を終えて身支度を整えた後なのであろう、衣服に乱れは無く髪も上品に整えられている。しかしその秀麗な顔立ちは、慧卓の軽率な行動によって人を叱るようなものに変わっていた。声を掛けられた時に、剣先が彼女の顔に近付いてしまったからだ。

「す、すみません。俺、危うくあなたを殺してしまう所でしたっ」
「本当にそうです!くれぐれも気を付けて下さいね!昔それで、相方の頭髪を皮ごと削いでしまった人が居たと聞いてます!女の命である頭髪を斬るような真似をしたら、容赦しませんからね!」
「お、オーケー。気を付けます」
「本当に気を付けて下さいよ!もしそうでなかったら・・・えと・・・酷い事をします!分かりましたね?」
(あれ、なんかこの人、結構可愛い)

 図太い精神が欲深にも語彙が足らぬ可憐な女性に反応してしまった。王女は立腹したように頬を膨らませた後、先程までの慧卓のなりを見ていたのか、意地の悪い微笑みを浮かべた。 

「さっきの振り、私が覚え始めた時のより下手でしたね。振り被り過ぎて身体が倒れ掛かってましたよ?」
「ありゃ・・・みっともない所をお見せしました」
「ええ。つい数日前に大きな勇気を見せた異界の方とは思えないほど、滑稽な姿でした。男の人でもああなるんですね?」
「なんか王女様、意地悪ですね」
「気のせいですよ。・・・あら、こんなところにカスミソウが」

 王女は優しげに顔を綻ばせると、天幕の陰が掛かっている場所の屈んだ。地味な場所にあったため気が付かなかったが、そこには二輪のカスミソウが浴衣を思わせるような淡い紫の花弁を咲かせていたのだ。王女は優美に指先をそこに近付けて花弁を撫で、自然の美しさに目を安らげていた。
 空に雲が掛かって、地面に大きな影が落ちる。彼女の美しい横顔を見て、慧卓は一つの納得を抱く。アリッサが獲得したあのバッジに刻まれていた女性の表情が、花を愛でるコーデリアの横顔に非常に似ているからだ。あれは純真な乙女を象った絵であったのか。製作者であるパックの観察眼には全くもって感心せざるを得ない。

「ケイタク様の所では、剣術などは流行ってはいないのですか?」

 花から視線をこちらに向けて、コーデリアは問う。慧卓は瞬きをし、視線をちらりと外して気を取り直す。

「まぁ、武術全般に言える事なんですけど、どうも敷居が高い気がして、皆が皆好きって訳じゃないですね。俺が住んでいる街、勤木っていうんですけど、そこなんて武術を習う専門の道場なんて、たった二か所しか無いんですよ?それも棒術に忍術っていう、凄いマイナーなもので」
「に、にんじゅつ?」
「えっと、隠密活動をする人たち向けの武術ってやつです。誰かのために陰ながら援助し、時には流血も厭わない。そんな貴い精神を持つ方々のための武術です」
「そうなのですか。そのような武術が往来に居を構えているとは・・・異界というのも、中々物騒なのですね。きっとそこに暮らす男の人というのは、とても勇敢で逞しい方ばかりなのでしょう。ケイタク様は、その例外という事なんですね」
「・・・んー。俺が得意なのはこういうのなんですけどね、本当は」

 こう何度も言われるのは少しばかり癪に障るというものだ。慧卓は樽から剣と鞘を引き寄せ、鞘を地面に置いて、剣の方を真上に構えると、柄頭を掌においてそれを倒さぬよう器用にバランスを取った。剣はぷるぷると微細に動くが、その度に慧卓が手を動かしたり態勢を整えたりしているために地面に倒れる事は無かった。掌をぱっと開いているため下手な小細工を使ってない事がすぐに分かるだろう。

「ね、凄いでしょ?」
「え、ええ・・・」
「こっからが本番です。こいつを口に咥えましてね・・・」

 そう言うと慧卓は顔を真上に向け、剣の柄を掴んで口元まで運ぶ。

「んで、こうするんですよ・・・」

 慧卓は口に柄を入れて咥えると、素早く剣の鞘を蹴り上げて手で掴むと、ひょいと宙に投げる。ふわりと浮かんだ鞘は一瞬最高点で静止した後、自由落下する。それを慧卓は咥えた剣の先端で、鞘の丁度真ん中あたりを受け止めた。金属音を鳴らした鞘は左右にふらふらと揺れるのだが、地面に転げる事は無かった。慧卓の絶妙なバランス感覚によって振り子のように揺れるままなのだ。丁度雲間の切れ目から日差しが差したためか、剣先がきらりと魅力的に煌めいた。

「もうへふ!ふふぉいへひょ!?」
「凄いです、ケイタクさん!大道芸人みたいです!」

 剣に集中しているため見れないが、宙にぱちぱちと響いている音は紛れもない拍手の音であり、コーデリアの喜びの声がまた心地良かった。世にも珍しい一芸を披露した慧卓は、ひょいと顔を横に向けて鞘を落として手元でそれをキャッチし、剣を鞘に収めると、御伽噺に出る凛々しい騎士のように一礼をした。頭の中ではうまく芸を披露した自分に対する拍手喝采が鳴り響いている。
 拍手を心のままに送った後、コーデリアは朗らかな表情で問う。

「どこでそういうのを、覚えたんですか?」
「小さい頃、親父が宴会芸の一つとして披露してくれたんですよ。んで、俺はちっこい箒とか塵取りで真似をして、何時の間にか出来るようになったってわけなんです。王女様もやってみます?何か軽いものとかで」
「ええ?でも、そんなはしたない真似を誰かに見られたら、なんて言われるか」
「あ、そっか。王女様が剣を咥えるって、そりゃ、ね・・・」
「もう、言わせる気ですか?」「いやいや、そんな・・・ハハハ」

 うっかり口から出てしまった馬鹿な下ネタも、コーデリア王女は笑って許してくれた。いや、その無垢な蕾のような笑みを見る限り、もしかしなくても彼女は今の失言が下ネタだと気付いてないのかもしれない。うっかりな発言をしてしまったと感じているのは、おそらく慧卓ただ一人だけなのだろう。
 恥かしいやら情けないやらで自省した慧卓は、名誉挽回するために更に一芸を披露する事にした。これもまた父親から教わったマジックである。

「それじゃもっと簡単なのやりましょうか。王女様、ハンカチを持ってます?」
「ええ。ここにありますよ」
「それを貸してもらえますか?・・・はい、有難うございます」

 王女から一枚の綺麗なハンカチを受け取る。手触りのきめ細かく滑らかな感じから見てシルク製であり、縁に沿って走る美しい模様は見るからに高級品の証であった。慧卓はそれを片手に持つと、コーデリアが先程まで愛でていた花の傍に膝を立てて、静かに一礼する。

「失礼します」

 そう前置きをした後、一輪の花を摘んだ。コーデリアの穏やかな表情が向けられる中、慧卓は膝の上にハンカチを広げた。

「よく見ててくださいね。これは一枚の綺麗なハンカチ。種も仕掛けもありません。この上に、花びらを乗せます。そうしてこうやって折り畳んで、隠してしまいます」

 ハンカチの真ん中に薄紫の花びらを置き、そして一度・二度と、花びらを隠すように三角にハンカチを折り畳む。そうして出来た小さな三角を、今度は下の方からくるくると巻いていく。先を尖らせた鉛筆のような形が出来上がり、コーデリアはそれを興味深げに覗き込んだ。

「くるくると巻きます。そうするとここに、二本端っこが出てきます。ここを引っ張ればハンカチが広がり、花びらはひらひらと地面に落ちてしまいます。そうですよね?」
「ええ。そうなるでしょう」
「では御覧下さい。あなたの目を、欺いてみせましょう」

 そう言うと慧卓は、その指定した部分を両手でそれぞれ持つ。そして一瞬溜めを置いた後、見せつけるようにばっと勢いよく開く。

「はい!どうです!花びらは出てきません!」
「・・・ケイタクさん」
「はい!」
「透けて見えます」
「えっ!?」

 慧卓は驚いてハンカチを見て、そして閉口した。本来ならばハンカチは全て広がらず、物を包み隠せそうな皺が上部に出来上がり、その内側に花びらが隠れる筈なのだ。実際その通りとなっているのだが、花弁の鮮やかな色彩が純白のハンカチを透けて顕となっている。まるで白の上着から透けて見える下着のような格好でり、滑稽な姿である。
 色の濃いハンカチでやればよかったという冷静な突っ込みが内心から湧き上がってきた。慧卓は今度こそ羞恥心を表情に出して口元を歪めた。

「・・・うわっ、何て恥ずかしい・・・」
「・・・ぷっ、くくく・・・」
「い、いや、あの。今のは間違いです!うまくいけば隠せるんです!いや、本当に!俺が覚えた頃は、これで硬貨とか、親父のへそくりとか隠してやりましたよ!?その後見つかってしこたま尻を叩かれましたけど、でも上手くいったんです!」
「わ、わかりました、分かりましたから・・・ぷぷ、だっさい・・・」
「うぐぅ・・・」

 口元に手を当てた上品な所作で、コーデリアは毀れる笑いを堪えようと目を瞑っていた。しかし完全には抑えきれぬようで頬が変に吊り上がり、目元もすっかりと緩んでしまっていた。その開花した花のような可憐な表情に、慧卓は突っ込む気も無くし、観念するかのように微笑を浮かべた。王族といえど年頃の女性に相違無いという安堵を覚えると同時に、その完成を間近とさせた奥ゆかしくも桜花繚乱とされた笑みは、年頃の男性たる慧卓の心を大きく揺さぶった。彼の第二の故郷である勤木に残した恋人の存在を、一時忘れさせるかのような魅惑の表情であった。
 どうやら一頻り笑いに耐えたらしいコーデリアは、ふぅと一息つくと慧卓に向かって言う。それを見て慧卓も己の邪念を振り払った。

「でも面白かったですよ。有難うございます、ケイタクさん」
「どういたしましてです、王女様。王女様も何かやってみませんか?こう、手品とか」
「いえいえ、私はそれよりもやらなければならない大事な事が、沢山ありますので」
「だからこそです。息抜きにやれば、それはそれで楽しいですって!誰かを喜ばせたり、愉しませてやるのも、結構奥が深くて、大事な事に違いないですから」
「そうですね。今度、気が向きましたら、ケイタクさんを尋ねる事にします。・・・では、私はこれで。そろそろ出立の準備が整って参りましたから」
「ありゃ?・・・あー、みたいですね」

 慧卓は陣地の空を見て納得した。彼方此方から上っていた炊事の煙がかなり数を減らしているからだ。耳を向ければ兵士等の会話の声よりも、鎧ががたがたと揺れて馬が地面を闊歩する音の方が大きくなっているのに気付く。どうやら王女の言葉通り、出立の時間は迫っているようだった。そうなれば鍛錬も、一芸披露の時間も、自然と終了と相成る訳である。

「俺も剣を返さないと。このハンカチ、返しますね」
「いえいえ、いいですよ。愉しい芸を見せていただいた御礼に、其方を差し上げます」
「えっ!?で、でも、悪いですって・・・」
「受け取って下さいな。私の御礼の気持ちですから」
「そ、そうですか?じゃぁ、有難くいただきますね」

 思わぬ贈り物に慧卓は胸を弾ませて、大事そうに服のポケットへと仕舞い込む。それを送ったコーデリアの笑みは正に太陽のように曇りの無いものであり、贈呈の気持ちに嘘偽り、社交辞令の無い、本心によるものだと理解出来る。それがまた慧卓の若々しい心を動揺させるのである。
 気恥かしさを抱きながら慧卓はアリッサの天幕へと赴いて、その内に入ろうとしたが、それよりも前に全身を凛々しい銀鎧に身を固めたアリッサが現れた。腰に差した一振りの剣や背に靡かせる外套も相俟って、まさに騎士の王道を行くかのような晴れ姿に見えた。歩いてくる此方に気付いたアリッサに、慧卓は剣を差し出す。

「アリッサさん。剣を返しに来ました」
「ああ、預かろう。・・・おや、コーデリア様はなぜ彼と一緒に?」
「少し、彼の粋な小芝居を拝見しておりました」
「?芝居、とは?」
「深く追求しないでください。恥ずかしいので」
「はぁ・・・?」

 訝しげに首を傾げる彼女に、コーデリアは再び笑みを口元に湛えた。向けられる疑問の視線に恥ずかしくなり、慧卓は言葉にし難い微苦笑を湛えてそっぽを向く。その視線の先で煙っていた炊事の煙が途中から千切れて風に乗っている。白い残滓が幾秒か宙を泳いでいたが、まるで青空に吸い込まれるように立ち消えとなってしまった。出立の時は間近となっている。

 
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