男女美醜の反転した世界にて
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反転した世界にて1
朝。携帯電話のアラームで起こされて目が覚める。すごく嫌な予感がした。
時間を見る。Oh……。
昨日と全く同じ時間だ。あれだけ早くに就寝したというのに、僕の身体は一体どんだけ睡眠時間を要求すれば気が済むのか。
リビングでパジャマを脱ぎ捨てて、洗面台へ。手早くシャワーを浴びる。
そしてさっさと着替えることにする。
「――むむむ?」
――Yシャツのボタンを留めていると、何やら違和感。
なんだか胸元がムズムズする。むず痒いというかなんというか、微妙に気持ち悪い。
虫刺されかなにかで、かぶれてしまったのだろうか? それか、十一時間も寝ていたので床擦れか何かを起こしたか。
なんにせよ、原因を調べようにも、時間は有限だ。この程度なら意識しなければ何ともない。
リビングへHalo降下(気分)。食パンと牛乳をセットで摂取し、洗面台へ。
いつも通りブサイクな自分へのあいさつと歯磨きを済ませた。
……お弁当は、昨日作ったちらし寿司を解凍して詰めていけばいいだろう。生ハムがヤバいかもしれないけど、たぶん大丈夫。
昨日よりも早く家を出る。この具合なら走っていけば多分間に、――あ。
……今日は体育の授業がある日じゃないか。昨日は疲れていたので、明日の用意もそこそこに就寝してしまったのだ。
タンスから体操着を準備する。
――半ば遅刻を覚悟しつつ、それでも急げば電車に間に合いそうというのが運の尽きだった。
◇
やっぱり、今回も駄目だったよ……。
体操着くらい、前日に用意しとけってんだよまったく。
昨日と状況を同じくして、ぎゅうぎゅう詰めの電車内。
僕は電車が嫌いだ。満員電車なんか憎んですらいる。故に、遅刻本望の覚悟で、もう一本電車を遅らせてやることも考えた。
それでも、本当に遅刻してしまって、クラスメイトからの注目を浴びている時の気まずさと比べれば、まだマシに思えるのだ。……誠に憎むべきは、満員電車なんかではなく、我が心の矮小さなのかもしれない。
「……?」
しかし、今日の電車はなにやら様子がおかしい。
昨日とは打って変わって、今日は何故だかやたらと女性が多いのだ。間違えて、女性専用車両に乗ってしまったのではないかというくらいに。
――……、というか、隣の車両には男の人しか乗っていないところを見るに、マジで間違えてるのかも。
いやいや、あり得ない。女性専用車両の乗り込み口は常に決まっているし、僕は電車に乗るときは、男性(なるべく怖くなさそうな人)の後ろを狙って並んでいる。何故かって勿論、このようなことがないようにだ。
とはいえ、前を除いて後左右、どこもかしこも女性ばかり。
どちらにせよこれは現実。前方には扉。
自意識過剰かもしれないけれど、物凄く注目を浴びている気がする。自意識過剰であってほしいと思うんだけど。
時折聞こえてくるヒソヒソ声も、僕のことではないと願いたい。けれど、思い込もうとすれば思いこもうとするほど、都合の悪い方向にしか考えられない。
……こういう時は、現実逃避をしてしまおう。いつもみたいに素敵なお嫁さんとの新婚生活を妄想するんだ。まず、昔から女ながらにガキ大将だった幼馴染との婚約の約束を思い出すところから――。
「……ん?」
「――、はぁ」
妄想の世界へと没入しようとしたところ、
なんだろう、後ろの人が、やたら僕の尻を上下に擦ってくる。
荷物でも取り出そうとしているのか、モゾモゾと。
しかし生憎、僕も限界まで扉に体を押し付けているような状態だ。申し訳ないけれど、気の使いようがない。
「……はぁ、はぁ」
徐々に、上下運動がエスカレートしていく。
そんなに急かされても、これ以上は僕にはどうしようもないんです、ごめんなさい。
痺れを切らしたのか、後ろの女性は僕の両脇に手を通して、あろうことか抱きついてきたではないか。
ふにょふにょと、背中に柔らかな感触。――は、感じないぞ。仮に感じていたとしても、それはわざとじゃないし僕のせいでもないぞ。
……なにかおかしい。後ろの女性は、本当に下にある荷物を取ろうとしているのか? そして、さっきから執拗に胸筋を撫でられている気がするのだけど。
それにさっきから、首筋に生温かい吐息が吹き付けられているのだけど、これって……。
「……ふ、ふひ……、はぁ、ハァ……」
「!!」
え、痴漢? 僕痴漢されてるの!?
なんてこった。痴漢の加害者にだけはなりたくないと、常日頃電車に乗るたびに神様にはお祈りしていたけれど。
誰が加害者になりたくないからって、被害者になりたいとなんて考えるんだ! 今すぐ宗派を乗り換えてやる。
「――あわわ、あわわわ……」
恐ろしい。
後ろを振り返る余裕なんぞあるはずもない。とにかく電車が早く止まってくれることを祈る。
痴漢されるというのが、こんなにも怖くて声もあげられなくて、そしてひたすら情けなくなるものだとは、想像もできなかった。
――ジッと扉の窓ガラスを見つめていると、痴漢の顔がそこには映っていた。
「!?」
めがっさ美人だ!
あと、これって痴漢になるのかな? 女の人の痴漢って痴姦でいいのかな。痴女……とは言わないと思うけど、痴男に該当する言葉ってあるのかな。変態とか? しっくりこない。
などと冷静に考察している場合ではない。
……っていうかこの女の人、昨日の帰りに痴漢されたと騒いでいた女じゃないか。
昨日の彼女は、OL風のスーツをキッチリと着込んでいた記憶があるのだけれど、今日は胸元を大きく広げて着崩して、随分と扇情的な格好をしていらっしゃる。
それでも昨日の今日のこと、あれだけの美貌を見間違えようはずもなく。
「ふぅ……、フフ、……ハァ……ッ」
窓ガラスにて尚も中継されている女性の表情は、昨日の見た怒り心頭といった面持ちとは違って。
何かこう、余裕のない笑顔に、興奮と焦燥をごちゃ混ぜにしたような。客観的に見たらテンパりまくっているのに、自分では『私は冷静だ! 慌ててなどいない……ッ!!』と確信しているような、そんな顔してる。
――どういうことだろう。
痴漢された腹いせに、される側の恐怖を世の男共に知らしめようと復讐心に燃えているのだろうか。
恐ろしい。恐ろしいが、お姉さん、めっさ美人ですやん。
ご褒美にしかなりませんて。
――などと言えるほど剛毅な男は、ぼっちなんてやっていないだろう。
恐怖七割混乱二割、あとの一割はご想像にお任せする。
「ハァハァ……、――? あれ……」
「……?」
む? 美人の痴女お姉さんが何かぼそぼそ言ってるぞ?
「……うそ、やっぱりこの子、ノー……、……ないっ!」
「?」
「さ、誘ってるのね、誘ってるんでしょ!?」
「ひっ!?」
先ほどまでは、もみもみさすさすだったのが、にぎにぎなでりなでりに変化した。往復速度と拘束力も二倍くらい。
触れられている部分から妙な不快感と刺激を感じ始めたあたりで、ようやく僕は本能的に本格的に、身の危険を察知する。
――女の人の手が、ついに股間へと触れようとしたその時。
火事場の馬鹿力が発動し、幸運の女神が僕に味方した。
「ひぃっ!!」
「きゃっ」
全身をよじって女の人の腕を振りほどいた瞬間、まさにそのタイミングで、たまたま電車が停車して扉が開いたのだ。
僕は韋駄天の如く、ホームから飛び出した。
混み合う駅構内から改札までを、掻い潜るように走り抜けて、通学路までトップスピード。
――息が切れてきた頃合いに、恐る恐る後ろを振り向く。
僕の珍行動を不思議そうな顔で眺めている人が何人か見受けられるものの、さっきの女性の姿は見つからなかった。
「――……はぁ~っ」
減速して、大きくため息をつく。今ばかりは、周りの視線も気にならない。変な脳内物質が分泌されているのかも。
落ち着くと、身体ががくがくと震えていた。
「は、辱められてしまった……」
まさか自分が痴漢(?)の被害者になってしまうなんて。
でも僕、男なのに。
心臓バクバク。汗だくだく。肩で息をしながら、僕はその場にへたり込んでしまいそうになるのを男の意地で我慢して、歩き出す。
「うう、トラウマだ。僕はもうお婿にいけないんだ……」
――欲情していた女性の顔を思い出す。
細く繊細そうな指先が全身を貪るように撫で回していた感触と、背中に押し潰れんばかり押し付けられていた乳房の柔らかさも、鮮明に残っていた。
「……」
興奮した。
今になって思うと、やっぱりご褒美だったかもしれない。
「おーい、拓郎」
聞き覚えのある声がしたと思うと、その声の主は小走りで僕の方に近づいてきた。
「……荒井くん、おはよう。――イ、イメチェン?」
大きな声を出さなかった僕を褒めてほしい。
この時間に荒井くんとエンカウントすること。これ自体は別に珍しくもなんともないことだ。昨日も会ったし。
しかし、その荒井くんが眼鏡をかけずに登校してくるというのは、僕の高校生活史上初めてのことだった。
しかししかし、その程度のことでは僕もここまで驚きはしない。
「あ、わかる? イメチェンってほどでもないけど ちょっと毛先を揃えてきたんだ」
「ちょっと毛先とかそういうレベルじゃない気がするけど」
何の冗談か、荒井くんは髪型をツインテールにして登校してきやがったのだ。頭の両側面にぶら下がる髪束を指先で弄る荒井くん。男子にしては長めで細くて女みたいな髪質だなと思っていた(僕も人のことは言えない)けれど、髪型までそれに合わせることはないんじゃなかろうか。
それともツッコミ待ちなのか? だとしたら、ちょっと振りが高度すぎて対応できない。
「そういう拓郎は、こういうの無頓着だよな。お前も一端のボーイなんだからもうちょっと気にした方がいいぜ」
「……荒井くんがそういうならそうなのかもね」
荒井くんの、ある意味堂々とした態度。
あまり深くは聞くなっていうことかもしれない。罰ゲームか何かか、突っ込んだ質問をして逆鱗に触れられても困るので、そっとしておくことにする。
「それより、今朝はどうしたんだよ? すごいスピードで走ってる男子がいるなと思ったら、拓郎だったから。慌てて追いかけたぜ」
「あ、うん。……ちょっとね」
まさか、痴漢されたなどと言えるはずもない。
信じてもらえるはずはないし、よしんば信じられたとしても、何のメリットもない。不名誉極まりないだけだ。同情されたって嬉しくもなんともないし。
ここは適当にごまかすことにする。
「可愛い猫がいたから、追いかけてたんだ」
「そ、そうか。随分と必死な顔で追いかけてたもんだ……。猫も災難だな」
訝しげにしながらも、これ以上は追求せずに並んで歩き出す。
「……」
「……お」
すると、荒井くんがなにかを発見。
進行方向より十二時の方向。
男子の一団――いつも荒井くんとつるんでいるグループが、こちらに向かって手を振っている。
だけど、荒井くんは微笑んで手を振り返すだけで、その場から動こうとはしなかった。
「……あれ? 今日はいつもの男子たちと一緒に登校しないんだ?」
いつもだったらこの辺りで荒井くんとは別れて、一人で校舎にまで向かうことになるのだけど。
僕の質問に対して、荒井くんは逆に不思議そうな顔で首を傾げて、
「……なんだよいきなり。いつも一緒に登校する男子って、おまえだろ?」
「え……?」
当たり前のように言ってのける荒井くん。不覚にも、ちょっとだけときめいちゃったじゃないか。
流石はツンデレの素養を持つ男。侮れない。
実際のところ、たまに一緒に登校することはあったけれど、それでもいつもなんてことはないのだが。僕なんかの好感度を上げて何の意味があるのだろうか。
荒井くんの顔をじっと見つめる。
「荒井くん……」
「ん? ……どうしたよ」
(*´∀`)→(・∀・)
ときめいていた心が沈静化した。眼鏡レス+ツインテールな荒井くんのそれは、相当な破壊力を持ったブサイク顔だった。
「なにやってんだか。ほら、早くいこうぜ、予鈴鳴っちまう」
「うん」
駅から高校までの道のり。
その間、むすっと黙り込んでいるのも悪いと思ったので、適当に話しかけてみる。
「今日はメガネ、かけてないんだね?」
「あん? 俺、基本的にコンタクトだぜ。眼鏡なんて滅多にかけないよ」
「……そう」
『ていうか、学校で眼鏡かけてるところ見せたことあったっけ?』、と。これまた逆に訝しげな表情で問い返す荒井くん。
ほんの少しだけ、不機嫌そうな顔。『いつもかけてるじゃろがい、このメガネ魔人』などと言い返すこともできず、言葉を濁すことで事なきを得る。
なにが逆鱗に触れてしまったのかはわからないけれど。怖いので深く突っ込まない。
僕の悪い癖だとは自覚しているけど、場の空気を悪くするよりはましだと思う。どうせ空気なんて読めないんだったら、口数を減らす――ないし口を閉じておけばいいのだ。
僕なりの処世術。――処世できているかどうかは、甚だ疑問ではあるけれど。
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