『外伝:紫』崩壊した世界で紫式部が来てくれたけどなにか違う
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【視点転換】帰還の為の免罪符-伍-
潜入作戦とは間違っても素人がやるものでは無い。もちろん、図書館を経営しているマスターとサーヴァントやミリオタの振りをしている傭兵を名乗る戦闘員とそのサーヴァントも含まれる。
足音は勿論、衣服を擦る音すら耳のいいものには聞こえる。その為サーヴァントは霊体化させて、マスター二人は音のでにくい、手と足を同時に出す歩き方で建物内を歩く。会話は念話とハンドサインのみ。特殊部隊のソレを想像するかもしれないが実際のそれとは天と地ほどの差がある。
一応自分はバックワームの効果で熱源センサーや電磁センサーを誤魔化せるが葵はそうはいかない。
「(さっきも思ったんですけどかなり錆び付いていますね)」
葵が念話でそこにいる全員に語りかける。
念話は本来サーヴァントとマスターが契約のつながりとして持つだけのもの。マスター同士が話す時には使えない。はずなのだが、どうやらそういう技術があるらしい。エインヘリアルの技術部は本当に変態揃いだ。
出来れば川本という名前の傭兵を見つけるために声を出したいところだが敵が多い現状、こちらの位置がバレるようなマネはしたくない。
そんなことはさておき、葵の言う通りこの工場はいくらなんでも錆や汚れなどボロボロにも程がある。勿論世界が崩壊した影響で化け物共に蹂躙された可能性もあるがそれにしても今にも崩れそうな程にボロボロだ。そしてそれがギリギリで立っている。普通ならこんなところを根城にしようなど化け物達でも考えない。こんなところで戦闘なんてすればすぐ腐った柱に攻撃が当たって建物が崩れる。
「(ああ。歴史は浅く、崩壊したその日まで稼働していたと聞くっすけど..これではまるで本当に放置されてきたようっす。恐らく雨漏りが原因と思われるんすけど)」
崩壊したその日までここでは社員がせっせと働いていたのだろう。たった一瞬で、そんな日常が無くなるとも知らずに。
工場は化け物に襲われたのか何に使っていたのかすら分からない機械は倒れて漏れたオイルに血が混じっているものが長い時間により乾いている。下手に触ってもいいことは無いのでその機械を迂回するように歩く。
「(床が落ちないように気をつけろよ)」
アタランテが霊体化しながらも言う。霊体化したサーヴァントは基本的に何かに干渉することは出来ないので音を鳴らしたり、何かを壊したりすることもない。その為、基本的に周囲の警戒と足場の確認をするにはもってこいだ。何より1番後ろにいるアタランテは目も鼻もいいので陥没しそうな穴などは即座に見つけられる。
電気の明かりが無い暗がりを歩いていく。できるだけ音を消しているので水が水たまりに落ちる音すら聞こえる。匂いもほとんどない。
その中で一際強い匂いを感じた。鼻の中を突き刺すような攻撃的な匂い。鉄の匂いに近いがそれは。
「(了解...っと、アタランテ)」
「(ああ、血の匂いだ。距離からしてさっきの子じゃないな。確認するか?)」
アタランテに確認を取ると予想通りの返答が帰ってきた。一応最初に潜入した時に子供の死体を見つけたがアタランテ曰く、それとは違うらしい。
もしその死体が先程の子供と同じようか状態なら何らかの儀式の可能性も有り得る。自分はそこまで詳しい訳では無いが、死体をいくつか置くことで触媒とする...なんて儀式があるかもしれない。自分とアタランテは詳しくないが専門家などが見れば分かるかもしれない。
その為東洋の魔術とも言える陰陽術に詳しい紫式部について来て欲しいがそこにあるのは死体の確率が高い。マスターである葵から離す訳にも行かないし、だからと言って葵も一緒について行く訳にはいかないだろう。
「(勿論。葵は...大丈夫っすか?)」
「(大丈夫)」
しかし葵は肝の座った瞳でこちらを見ている。死体に見慣れている、とでも言いたいのだろうか。
確かに彼女は覚悟が出来ている人間である以上、死体を見たこともあるかもしれない。原型が保っていない酷いものから死んでいるとは思えないほど綺麗な死体まで。だから大丈夫だと言うのは嘘ではないだろう。
その時、胸の中に何かがグサリ、と音を立てて突き刺さるような感じがした。驚いて胸の位置を触るがしかし実際は何も突き刺さっていない。魔術による攻撃か、とも思ったがそれは違う。
「(祐介...?)」
「(無理しなくていいっすよ。かなりグロいっすから。様子だけ見てくるんで周囲の警戒だけお願いするっす)」
「待てっ、マスター!」
不思議に見ている葵を置いてその場を走る。最初は何かが自分を尾を引くように重かった足が少し踏み出せば軽くなった。
何故、こんな選択肢を取ったのかは分からない。普通に考えれば置いていった方が問題だろう。どうせ死体だ。出来ることなんて何も無い。ならば放っておくのが正しい。むしろここで離させること自体が敵の狙いという可能性もある。それでも、なにか理由のない感情だけで、自分の足は快調に動きだした。
◇◇◇
真木が走り出す。決して追いつけない背中ではない自分も走れば一秒とかからず抑えられる。しかし、彼の走る理由が分かっているからか、自分はその一歩を踏み込むことすら出来なかった。
彼の背中が遠ざかっていく。どうせ二、三分で戻ってくるだろうが、まるでこれが永遠の別れのように見えた。
彼の独断行動のせいで潜入作戦も全て水の泡、とまではいかないが崩壊した。まだ敵兵は見えないため見つかっているかどうかは不明だが、見つかりやすくなったことには変わりない。マスターなら、並大抵の相手でやられるようなことは無い。そのため、守ることを考えて動けばこちらもそこまで危険ではない。
「悪いな。マスターを、怒らないでやって欲しい」
もう念話を使う必要性が無くなった為実体化して姿を現す。それに習うように紫式部も実体化する。今回の場合下手に霊体化して数を隠すより実体化して葵を守ることに集中した方がいい。
「怒るって言うか...ちょっと驚きはしたけど」
確かに知らない人目線で考えてみればちゃんと作戦考えて会議までして行ったのに始まってすぐにそれを放棄する、だなんてまるで料理を作っても食わずに捨てるようなものだ。意味不明、と判断されても仕方ないしそう思うのは当然のことだ。
「まぁ、マスターはああいうところがあるからな。...マスターは負い目があるんだよ。『この世界に化け物がいるのは俺たちのせいだ』と、よく言ってた」
遠い日を見つめるように目を細める。仕方ない、と言えばその通りだ。あの場に今の真木がいても何も変わらなかっただろう。そもそも真木がどれだけ強かろうとあの戦いに参加していなかった以上本来なら真木が悔やむことではない。しかしそんな理論は真木にとっては関係ない。
真木にとっては救える方法がありながらもそこで失敗した、というのは強い罪悪感を感じさせる。
感じる必要のない感情で苦しめられるのは同じだ、と人類最強に言われたことを思い出す。感じる必要のない、と言うのは反論したが、確かに苦しめられているのは変わらない。簡単に言えば考えすぎなのだ。
「え?それってどういう...?」
「何、昔の話だ。マスターが来るまで少し昔話でもするか」
驚く葵と紫式部の顔を見て少し気付く。そういえば真木には同年代の友人の大半が殺されているという過去がある。そんな彼にとって、彼女達は良い友人になれる関係だろう。となれば彼女達が彼のことを知っておくのは悪くは無いはずだ。周りに敵がいないかを確認して近くの機械に腰を下ろす。それに習って近くのものに葵と紫式部も腰を下ろす。
「私もマスターも実際に見た訳では無いのだがな。この世界がこうなってから3ヶ月後の事だ」
彼女達も知っておいて損は無い話ではあるがこれは彼女たちに対してあまりいい印象を与えないだろう。最悪の場合、ここで全てを投げ出す、なんて可能性もある。だから出来るだけ言葉を選ぶ必要がある。
「この世界の元凶と交渉、もしくは撃退して世界を救おうとした男がいた。深澤浩二という男で彼は...そう。とある魔術師の、弟子だった。いや、弟子と言うより協力者というのが正しいか」
深澤浩二。エインヘリアルの前身となる組織を作った、つまりこの日本にいる優れたマスター達をすぐさま手中に収めて、世界を救おうとした一人の男。未だにこの世界で人が化け物に対して対抗策を出せるのは彼の功績と言っても過言ではない。
功績を挙げればキリがないとすら言われる物腰柔らかな人物だったらしい。人類最強の兄貴分にして真木や他の人間を絶望からすくい上げ、戦う足を作った。
ただ一つ、彼に難点があるとすれば、その魔術を教えた協力者が彼とは真逆、世界の敵とすら言われる人物であるということだけ。
「魔術師?この世界がこうなった直後に?」
葵が出したのは純粋な疑問だ。
世界が崩壊し、化け物とサーヴァントが同時に世界に降り立った瞬間、世界が切り替わったことにより、多くの人間に魔術回路がつけられるようになり、マスターの権利、学習能力のせいで低レベルなものとはいえ、魔術が使えるようになった。
逆に言えばこの世界が崩壊するまで、魔術は理論として成り立っていなかった。ただのオカルトのひとつとしてあっただけ。それを使えたなんてそれこそ本当に気の狂ったカルト集団だと思うだろう。しかしそんなことをわざわざ口に出して言うとも思っていない。
「いや、どうやらマスターはこの世界がこうなる前からその男は魔術が使えていたと言っていた。少し信じるのは厳しいかもしれんが、それでもしないと話が釣り合わない」
そして現実は非情だ。この場合の魔術師は世界が崩壊する以前から他の魔術師と同じように、否。それとは文字通り次元の違う魔術を使っていた。
その事実から恐らくその魔術師の名前に気づいたのだろう。紫式部の顔色が一気に白く、青くなる。
「...まさか」
大きく開かれた瞳がこちらをじっと見ている。その瞳は思い違いであってくれ、と言っているようにも見える。しかし残念ながら彼女の思う人物と正解の人物は同一人物だ。
「香子?」
対して、その男の存在を知らない、紫式部から聞いていないのだろう。葵は様子の変わった紫式部を見てこちらと見比べるように首を動かす。
紫式部がマスターに伝えないのは別に不思議なことではない。彼女なりに余計なお世話情報を与えるべきではないと思ったのもあるだろう。それに何より、下手に首を突っ込むとこの世界の元凶に殺される危険がある。守ろうとするなら下手に言うべきではない。
「...いえ、問題ありません」
「紫式部がこうなるのも無理はない。その男は」
心配するマスターを落ち着かせるように紫式部がゆっくりとした口調で言う。予想通りの反応だ。自分も記録という形で見た時は彼女と同じような顔をした。
一度軽く息を吐いて体を落ち着かせる。葵も察しがいいのか落ち着いてこちらを見ている。
思い出すのはこの世界に召喚された時に植え付けられた記録。現世に召喚されても不自由がないように聖杯などから与えられる基本的な知識。その中にそれはあった。
ある者は言った。
─彼は人の愛を拒むもの。神の愛を拒むもの。拒み、違反し、蹂躙していく。真実の愛も、偽りの愛も全て変わらず尊いものから踏み潰していく。
─貴女の愛はとても素晴らしい。とても尊いものだ。だからこそ殺さなければならない。ソレは世界に不要なもの。この世界全ての悪性。
─その名を聞くだけで貴女は殺意と共に闘志が湧き上がるでしょう。それは正しいこと。ソレが世界に存在することを許してはならない。子孫の一人も残さず刈り取るべき。いいや、殺さなくてはならない。塵芥も残すな。
気持ち悪くなるほどの意味のわからない憎悪と怒りの感情。愛を知り、守ろうと考えれば考えるほど得られる力と出会ったことの無い人間に対する殺意。
それは最早自分という存在を削り取られるようにも感じる。そんな恐怖を感じさせる男。それこそが深澤浩二の協力者であり師である男。
その名は─
「天王寺達也だからな」
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