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『外伝:紫』崩壊した世界で紫式部が来てくれたけどなにか違う

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【視点転換】帰還の為の免罪符-拾伍-

目の前の相手には、未来を見ようとする意志がない。彼は今だけしか見ておらず、その先がどうなっても預かり知ったものではないと思っている。
 しかしその闘志は自分より上、数値として表すことは難しいが数倍と思えるほどのものだ。

 何より恐ろしいのが、それほどの闘志がどこから出ているのかが分からないことだ。見た目もかなり不気味だが、それよりまるでホラーゲームの怪異のように、その正体が分からないのが恐ろしい。

 しかし彼を蹴り倒した感覚は未だに痺れた脚に残っている。彼は殴れば死ぬ。それだけはわかる。逆に言うと、それだけしか分からない。
 あの光の刃は出せるのか、出せないのか。
 何発殴れば死ぬのか。
 放っておいた場合何時間後に息絶えるのか。

「はぁ...」

 息を短く吸って右足を前に進める。足の裏が大地である砂粒を押し潰して凝縮されていくのを感じながら右膝を曲げて体勢を低くする。
 それと同時に亜音速で放たれる一閃。黒塗りされたようにも見える刃が自分の過去を斬った。しかし現在位置を通ることは無い。

 たった一瞬の立ち会い。刀を振るった彼にはもう、対抗手段がない。

「もらった──」

 右足の裏が砂を後方へ弾いていく。その代わりに身体を大きく前に突き出していく。その距離はゼロ距離とも言える。間違いなく拳の有効範囲だ。

 突き出されるのは左手の拳。全身の体重を乗せた勢いの乗った一撃。突き出された時に身体が浮き上がったこともあり、左手の拳は、確実に彼の残った右頬を捉えた。魔力も余裕も何も無いがそれは確かに自分が出せる最大限の力であると言い切れた。

 筈だった。

 しかし迷いなくまっすぐと突き出された拳は彼が動かした左手に受け取られる。
 ドッと、汗が穴という穴から吹き出していく。力を込めた一撃が受け止められた、と言うだけではない。体重の乗った一撃を受け止められた事で身体を敵に預ける形になってしまう

「───っ!」

 自分には亜音速の一撃を防ぐ術はない。一度それを振られたら自分は死ぬだろう。それだけは絶対に避けなければならない。

 ほぼ反射的に左脚に力が入る。地面を勢いよく蹴りつけてどうにか引き剥がすかしようと身体を跳ねさせるが彼は膝を砕かれているのにもかかわらずこちらを掴んだまま離したりしない。

─殺られる。

 死という恐怖が身体に染み込むようについている。動こうとしていた体が驚くほどピクリともしなくなり、全身の力が抜けていく。

 そこから現実に戻したのは自分が何より信頼する愛する者の言葉だった。

「葵様!」

 彼に紫式部の術が命中する。意識が抜けてきていたのでなんの術を使ったかすら見えなかったが彼は無言でこちらを睨み続けている。

 しかし、同時に左手が緩んだ。

 今度こそ、両足で地面を蹴り上げて彼の拘束から脱出する。それと同時に自分の右腕があった場所に通り過ぎる剣閃。
 先程の一撃も明らかに右腕を狙っていた。
 狙いは令呪か。

「ありがとう香子。助かった」
「いえ、来ます!」
 
 紫式部に礼を言うのと同時に紫式部の顔色を確認する。ただでさえキツイ状態で術を使ったのだ、顔色は悪い。恐らく高度な術式を使ったのだろう。それでも彼は一瞬怯む程度だった。思わず自分が挑んでいる相手との差を思い知らされる。ここまで倒されて尚、それだけの力がまだ残っているとは。
 そこまで考えた時に、嫌な気配がして本能的に後ろに飛び退く。生存本能が掴んだ『死』の予感。それに驚いて前を向くと目の前に彼が飛び出てきた。

「くっ、あっ!」

─遅い。
 そう言われた気がした。

 右手の甲に刃が突き刺さる。紫式部との繋がりを持った令呪が、血で汚れ、見えなくなる。
 それより強いのは明確なまでに洗練された『痛み』だった。ただのケガとは訳が違う。貫通はしなかったが、冷たい刃が腕の神経を切り落とす痛みは声に出すことも出来ない。

「─────!!!」

 喉が切れそうな程の絶叫。しかしそれが声となり出てくることはなく、痛みのあまり膝が笑い、その場に膝をつく。
 戦闘意欲が一瞬にして薄れ、血が手の甲から溢れ全身を汚していく。
 彼は突き刺した瞬間に刀を離したのか刀がその場にカランと音を立てて落ちる。

「葵様!」
「葵!」

 香子の言葉も聞こえにくくなってきた。
 全身に力が入らない。痛みのあまり、現実と夢が混ざっているのを感じる。

─その夢の中で、家族がいるのを見た。
 人間同盟なんかに入ることなんてなかった、そもそも世界が崩壊していない時の家族。なんてことは無い。特に変わったことのない家族だった。

 彼らがそこにいる。代わりというか紫式部の姿は、そこにはない。
 自分が無くした大切なもの。代わりに紫式部という大切なものは得られたけど、だからといって失ったことそのものが無くなるわけじゃない。
 幻影はこう言いたいのだ。「お前はこっちの方が幸せだろう?」と。

「私は後悔なんてしていない」

 幻影に、強く言い放つ。
 家族は人間同盟のせいで狂ってしまった。サーヴァントを悪魔と言い、差別し続けた。弱かったから、それしか手段はなかったから。そんなことは無い。あの近くには、親切なマスターの人達がいた。マスターじゃない人もいた。彼らが《《それ》》しか見なかっただけのこと。
 そもそも紫式部を悪魔と言い放つ彼らとは縁を結びたくもない。
 残念ながら家族との縁は切れた。

 しかし、本当にそうだろうか。後悔の一つも、本当にないのだろうか。だって家族だ。
 母さんは自分の腹を痛めてまで、自分を産んでくれた。こんな歳になるまで、必死に育ててくれた。そこに愛があったのはちゃんと感じていた。
 父さんだって、他の人間同盟の人間が自分に暴力を振るった時、その人間に対して怒ったのだ。サーヴァントに対する怒りはあっても、マスターに対する怒りがあっても。娘を見捨てる気にはならなかった。

 そんな家族を、裏切って、一時の快楽に身を任せて。挙句もう一人の人格に押し付けた。
 そんなことをして、本当に後悔はないのか?

「だとしたら言おう。君は《《間違っている》》。確かに家族も他人だ。喧嘩したり、分かり合えないこともあるだろう。しかし赤の他人では無いのだ。彼らは貴女を愛している。戻って来て欲しいと、心から願っている。それに貴女は、たった一度の空想の快楽に負けた。それは、本当に、いい事なのか?」

 幻影が言う。
 紫式部は、空想の存在。崩壊世界となったから会えたし、繋がることも出来た。しかし過去の人の影法師という点と今を生きる人間という点ではどうしても大きな差が生じる。

「愛があればいい。そんな言葉で逃げては行けない。それなら彼らが愛した貴女はなんだ。貴女は過去の貴女すら裏切ったのだ」
 
 うるさい。うるさい。うるさい。

 そんなことは無い。紫式部は、私をおもってここまで来てくれた。そこに間違いはない。悪いのは、私が愛した彼女を受け入れられない家族の方だ。娘の好き嫌いぐらい、受け入れられないのに、私だけを求めるな。それはただのワガママだ。

「それこそワガママだよ、レディ。貴女は大人だ。家族に全て委ねろとは言えない。しかし、彼らの気持ちを汲んでやることも、考えなかった。深層心理の中で、貴女はこう言ったのだ。」

「家族なんて、私の愛を認めない家族なんて。必要ないのだ」

 哀れ、哀れ。なんと哀れなことだ。これでは悲惨すぎる。差別に侮蔑。力による略奪に耐えしのぎながらも、娘のことを思った家族にこの仕打ちか。
 
「私は、私は───」
 
 本当にこれでよかったのだろうか。

 薄れた意識が、夢と現実をひっくり返しているようで。今目の前にあるものが、夢なのか現実なのかも分からない。
 けど、そんなことどうでもいいのかもしれない。自分は家族を見捨てたんだ。なら、見捨てられても文句は言えない。愛を裏切ったんだ。なら、裏切られても文句は言えない。

 だからきっと、これは私にとっての、報いなのだ。
 瞼が急に重くなる。これで眠ったら、私はもう戻れないと知りながら、それには抗えない。当然だ。快楽に負けるような人間が、睡魔に勝てるものか。
 このまま眠ってしまえば楽になる。またこうしてそれを繰り返す。ただ、それだけだ。源葵という人間は、それで。終わりなんだ。

「違う。君は強い。だって、今までずっと、戦い続けてきたじゃないっすか」

 パリン。バリバリバリバリ!

 世界が割れる。世界を覆っていた大砂漠が風に巻き上げられる。まるで巻物を巻いていくように。

「な───に───!?」

 彼の声が、普通の人間のように聞こえる。驚きのあまり、普通の人間に戻ったのか、それとも自分の耳がおかしくなり、そう聞こえただけなのか。
 そんなものはどうでもいい。
 全身に力が入る。そして刀が刺さっていた右手もいつの間にか元に戻っている。その代わりに握られている一本の手槍。

─迷うことは無かった。

 身体が自然に立ち上がる。彼の身体が揺れ、輪郭がぼやけているが、手槍を指すべき場所は、もう決められている。

「ああああああああぁぁぁ!!!」

 喉を潰すような絶叫。それを自分が放っている。おかしくなる。いや、もうおかしい。けど、それでもわかることがひとつある。

 過去に引っ張られてばかりでは、未来に進めないということ。

「葵っ!君はっ!」

 バランスを崩して倒れそうになる彼に覆い被さるように身体を預ける。巻き上げられた彼の体に吸い込まれるように手槍が入り込む。そしてそれが彼の体を貫通するのは、当然の事だった。

◇◇◇

夢幻召喚(インストール)!!」

 自分が変わる。異質だが、もう慣れきったものだ。魔法陣から光が満ちてその光が体全体に行き渡る。
 纏うは生物の毛皮ではなく人類がそれから身を守るために作り出された鎧。
 しかしそれは強固なものでは無い。鋼色の篭手は上腕は半分ほどしか覆っていない。脚を守る防具は太ももが露出している。胸の辺りには薄い鉄板のようなものが一枚、体に沿うように加工されているのみ。それらを緑色の布で繋ぐようにひとつの防具として代わりに首元には大きなマントをマフラーのように纏っている。

 そしてカリュドーンの猪を殺した槍は彼の背丈を超える大槍。先端には小さいが返しがついており、刺さった時に肉に強く絡みつき、肉を割かなければ抜けないようになっている。
 そして腰には大槍と比べれば小柄な手槍が掛かっている。

 サーヴァント、ランサー。
 真名はメレアグロス。

 少ない魔力が腕に、槍にと伝わる。腕が弾けそうな痛みに耐えながらその槍を高く掲げて、槍投げの要領で構える。

 狙いは二点。雷を纏うように吼えるブケファラスの脳天。それからイスカンダルの心臓。霊格。
 その二つが自分が狙うたった二つの勝利までの枷。それを一撃で、穿つ。

 二点の点を一本の直線で繋ぐのは一つのパターンしかない。投げられる槍は一本。こいつには曲がることも巨大化して二点をむりやり収めることも出来ない。
 射角、距離、立ち位置、方向、風向き。

 全てを計算し、その直後に全ての結果を吐き捨てる。こんなもの何の役にも立たない。式を特定してもそれを計算する隙はイスカンダルが与えてくれるとは思えない。それに彼の周りにいるのは彼より武勇が優れた英雄達。人としての形では、勝てない。
 しかし自分は獣。ただ一巡の本能が勝手に正答を編み出してくれる。それが正解か、求めることなんてない。それは全て、投げた後の未来が勝手に描いてくれる。

 バチバチバチ。

 三度頭を叩くように走る雷光。それが最後を決めるたった一つの答え。魔獣であり狩人であるナニかが生み出した結論。

 その間もイスカンダルは舐めていた訳では無い。彼だって当然接近する。ライダーとして当然の速度を伴って津波とかした人の波はただ一つの点を目掛けて押し寄せる。

 距離20m。

 音なんて聞こえない。そんなもの、必要ないから。

 ただ一度、それを見て肺の空気を全て吐き出した。身体が一瞬だけ、しなやかになる。

 距離15m。

 加速した馬の蹄が弾いた砂粒がこちらに届く。人の皮膚なら、それだけで傷がついたであろう。しかしその衝撃は、音よりも早く自分に相手の正確な距離を伝える。

距離10m。

 魔力が満ちた。本来なら当たるか当たらないかを放棄して考えるなら80mあっても届いた槍だ。しかし今回は投げられる距離は10mしかない。
 つまり、これが最適の距離───

「宝具、解放───!!」

─三柱の女神はそれぞれこう言った。

 クロートーはメレアグロスが高貴な人物となるであろう、と言った。
 ラケシスはメレアグロスが武勇に優れた英雄となるであろう、と言った。
 アトロポスは薪を炉に投げ入れ、この薪が燃え尽きないうちはメレアグロスは生きているであろう、と言った。

 それに間違いはなかった。彼は、高貴な人物であった。剛勇無双と呼ばれ、アルゴノーツの一人として武勇を残した。そして、その薪が燃やされるまで、死ぬことは無かった。

 彼の宝具は二つ。いずれも対人宝具である。片方は自身に、片方は敵へと向けた逸話から生まれたもの。
 一つは死を確定されたことからの因果関係による祝福という名の呪い。名を『天命受けた祝福の薪(モイライネッパーラ)』という。そしてもう一つの宝具はカリュドーンの猪を殺した逸話が昇華された対人宝具。

 名を───

神罰穿つ鏖殺の一閃(カリュドン・キリゴス)!」

 白亜の光が放たれる。
 かの腕から投げられたその槍は名を持つほど有名なものでは無い。ただ彼がそれを投げてカリュドーンの猪を殺したと言うだけのこと。だから、彼が投げなければ決して、その宝具の効果は受けられない。自身にかける宝具ではないが投影などを用いても真似出来ない。

 閃光を纏うように伸びた直線は何者にも影響を受けず、ただ放った主が望んだ方向へ吸い込まれるように入っていく。

 馬の脳を穿ち、ついでのようにその主の心臓を貫通する。
 全てが一瞬だった。
 思考する間も与えず。視認する間も与えず。ただそれが無くなると同時に、かの征服王の心の臓は風穴へと姿を変えていた。

 一瞬、征服王はこちらを見て少し、厳ついながらも幸福に満ちた笑顔を向けた気がした。まるでここでも良い好敵手に会えたというように。

 槍が役目を終えて魔力へと変わり、霧散する。それとどちらが早かったか分からないほどほぼ同時に、かの征服王が部下たちとみた心象風景は音を立てて崩れた。

─まるで、夢から覚めるように。 
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