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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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第四章、その4の2:エルフの長

 
前書き
 暫くぶりの投稿です。俄かに現実での事情が立て込んでおりまして投稿が滞っておりました。この事情は未だ尚継続中のものであり、これから先も暫くは投稿周期が不安定になるものかと予想されます。
 申し訳ありませんが、何卒御了承のほどを宜しくお願いいたします。  

 

 白い陶器のカップに注がれた薄緑の湖面。白い湯気と香りを昇らせるハーブティーである。口に含むだけで、その軽やかな味わいが肩と手首に溜まった凝りを解し、頭のイライラを消してくれるような感じがする。政務の疲れを解す、一時のオアシスである。

「・・・もう夏も終わりか」

 中庭の木のベンチに座りながら、コーデリアは空を見上げて呟く。昨日の雨跡はからっと晴れており、薄い雲を靡かせるだけに留まっている。雨露は丁寧に整えられた庭草や花々に輝き、時と共に宙へと戻り、地面に吸い取られているようであった。
 ソーサーにカップを置いた時、ふと、傍に控えていた侍女が近付いてきて彼女に囁いた。 

「ドルイド大隊長が此方に」

 コーデリアがふと面を上げると、中庭を横切るようにハボック=ドルイドが近付いてきて、敬愛を込めた一礼をした。

「コーデリア王女殿下。殿下にお伝えした事が御座います」
「なんでしょうか、ハボック殿」
「先刻、クウィス領に居る友人から文が届きました。『調停団は無事にエルフ領内に入り、エルフの街に着くであろう』との事。おそらく、今日の昼過ぎには街に着くかと」
「・・・そうですか。それを聞いて安心しました」

 小さく笑みを浮かべて息を漏らす。心よりの安堵を感じ取り、ハボックもまた柔らかく笑んだ。

「御友人は皆無事である事でしょう。アリッサ殿は当然として、キーラ殿や侍女の者も。そして貴方が慕うケイタク殿も」
「・・・怒ったりは、しないのですか?」
「?」
「私がケイタクさんを慕っている事です。王女と騎士の階級を越えて、彼に心を奪われている事に。・・・他の方には余り良い目で見られないのですが」
「それは初耳で御座います。例えば誰が貴女の事を?」
「・・・令嬢の方々など」
「なるほど。ですが気になさらぬ方がいいですよ。彼女達は貴女に妬いているのですから。あの方々が欲しい物を貴女が独占しているのです」
「それは?」
「ケイタク殿の心です」
「ふふ・・・だと思った」

 軽妙な一句に軽やかな笑い、コーデリアは一口茶を啜った。ほんのり薫る苦味もまたこの茶の良き所である。味わいと冗句を愉しみつつも、コーデリアは困ったように眉を緩い八の字にした。

「ちょっと誇らしい気もしますけど、肩身が狭くなった気がします。最近、皆の視線が余所余所しくなってきた感じがするんです。視線がどうも、遠い何か怖いものを見るような感じで、変な気分です。何時からでしたっけ・・・そうだ、憲兵の監視機関を作ろうと提案した時からでした」
「おや、あれは貴女が提案されたので?」
「いえ。実際はレイモンド執政長官とブルーム卿の案に、私が修正案を提示しただけです。その案が会議で採択されて、今は卿がそれを推し進めていると聞いております」
「・・・なるほど。通りでブルーム卿が熱心に計画を練っているわけだ。・・・あの案、私の見立てによれば後一月も満たぬうちに施行されますぞ。一行政計画としては異常な早さだ。卿の熱心さが伝わってくる」
「そんなに速いのですか?」
「はい。その通りですよ、王女殿下。卿は役人達を馬車馬の如くこき使うのが趣味で御座いますから」
「まぁ、手荒な趣味です事」
「はっは、男たる者、憧れる姿ですよ」

 黄色のコスモスが咲く枝に小さな芋虫が登っている。緑の体をくねくねと身動ぎさせながら、少しずつ花に近付こうとしている。時折中庭を擦り抜ける風に身を揺らされているようだが、幾つもの足は枝から離れそうにもなかった。

「皆が余所余所しいと申されましたが、私には一つ、その理由がわかるかもしれません。それは皆が貴女の姿に、此処には居ない、第一王女の姿を垣間見たからでしょう」
「・・・そう、なのでしょうか」
「きっとそうです。令嬢の方々というよりもその親御の方々は特に、貴女以上に第一王女を畏れ、敬っておりましたからな。噂は蜘蛛の糸のように、下へ下へと降りてくるのです。そして親子共々、王国の女神を畏敬するのですよ。・・・そしてブルーム卿もまた、その姿に憧れた者でありました。改めて申し上げるのであれば、第一王女は本当に、素晴らしい方でありました」
「・・・私、あの人に近付いていけるかな」
「きっとそうなります。貴女は、民草を牽引する女神になりますよ」
「そんな大層な人にはなれないですよ、私なんて。・・・でも、姉さんの代わりにならなれるかもしれません。姉さんのように皆を奮い立たせて、勇気を与える。それで喜んでくれたり、助かる人が居るなら、私はそうなりたいです」

 呟きにも近い言葉であるにも関わらず、どうしてか、ハボックの胸には泉のように感慨が沸き起こっていた。愛娘の成長を見届ける父の如きそれにも近い感情である。小さくも愛らしき少女が目の前ですくすくと育っていると実感して、誇らしくも寂しいような気分を抱くのである。
 コーデリアはカップに残っていた最後の一口を飲み込み、迷いの無い瞳を騎士に向けた。ハボックははっとしつつも、その内心を表情には出さなかった。

「そろそろ政務に戻らなくては。御話をして下さって有難う御座います」
「いえいえ、これも王女殿下のためで御座いますから。・・・ああ、そういえばもう一つお伝えしたい事が」
「?」
「実は北嶺への伝令として、ミシェルとパックを派遣する事になっているのです」
「あの方々を?」
「ええ、監察官を通じて此方の意向を伝えるためです。クウィス領内に着いたら一方を現地に留まらせて、もう一方をエルフ自治領へ向かわせます。
 それでなんですが・・・北へ赴かせるついでに調停官の方々に宛てた手紙も持たせようかと、ミシェルらは考えているようですぞ。何せ彼らが運ぶのですから、他の誰も中を検める心配はありませんからな。・・・如何思われますか、王女様?」
「如何も何も・・・素晴らしい事だと思います。出立の準備が出来ましたら私に声を掛けるよう二人に言っておいて下さい。渡すものがあると」
「承知致しました」

 王女はソーサー付のカップを侍女に渡すと、小さく綺麗な礼をしてハボックに別れを告げて宮廷へと戻っていく。ハボックも王女の背中が去っていくのを眺めていき、そして踵を返して己の居るべき場所へと向かっていった。芋虫は枝を伝い、今は花弁に口を付けているようであった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 優しき木漏れ日の中、慧卓ら一行は緑の絨毯を踏みしめていく。馬車の車輪では感じられぬ土の柔らかさと硬さ、重なった葉の厚み。気温も温かなもので、毛皮の服も要らないのが心地良い。近衛騎士の白いマント、騎士の茶のロープが絨毯を掠めている。針葉樹の細長い体が数えられぬほど空へと伸びて、枝葉はまるで階段のように段を重ねて繁っていた。陽射に照らされながらリスが木の実を探し回っているのを、パウリナは好奇の瞳で見詰めている。
 
「・・・タウン、というよりもうヴィレッジだな、これは」

 慧卓は一人そう呟き、足を踏み入れたその場所をそう呼称する。高床式の古めかしい木造の住居が木々の合間に建ち、物によっては小さなツリーハウスも建っているようだ。梯子やロープの類が掛けられていないのは、「木を登ればいいじゃない」の論理が罷り通っている事に他ならない。住居を守るための柵は無く、とても開放的な印象を受けるものであった。今は昼時を間近に控えているため、炊事の煙が彼方此方から炊かれている。
 そのためか、慧卓らが見かけるエルフというのは子供であったり、或いは若い男が多かった。細長耳の者達はゆったりとした地味目のロープと脚絆を着用し、ひそひそと顔を合わせて慧卓らを窺っている。馴れ合おうという気は感じられず、排他的な色を出している。一方で子供と言うのは純粋であり、まるで面白い虫を見るかのように好奇に満ち満ちた目をしている。ある者は年長者の窘めも聞かず、パウリナと好奇の睨めっこすらする始末であった。

「おい、さっさと行くぞ」
「あ、はーい。じゃまたねー」
「・・・ばいばい」

 可憐な返事に可憐な笑みで返し、パウリナは列へと戻っていく。慧卓が通り過ぎるツリーハウスを仰ぎながら呟いた。

「よくこんな場所に住めるよな」
「ケイタクさん、本人達の前で言ってはなりませんよ?」
「重々承知しています。俺はあくまでも脇役ですから。・・・いやぁ、アリッサさんが心配だ」
「大丈夫ですよ。あの件以降、心が落ち着いていられる様子。イヤミや皮肉一つ言われたところで如何こうする方ではありません」
「寧ろそうなったらヤバイよね」
「聞こえてるぞ」

 凛々しき睨みに肩を竦める。やがて彼らが目指していた建物が近付いてくる。外観自体は他のそれと似たような造りであるが、唯一違う事に、警備の者が建物への小さな階段を守っている。厳しき面構えに鋭い槍は、王都の衛兵と同じ雰囲気を醸していた。
 建物の入り口に、一人の老エルフが立っている。蛇のような赤い瞳に他を嫌うかのような派手な赤い衣装。賢人イル=フードが其処に居た。

「・・・よくぞ、遥遥遠く王都から参られた、調停官殿。賢人会の長老、イル=フードだ」
「・・・お会い出来て光栄だ。マイン王国北嶺調停官、アリッサ=クウィスだ」
「同じくマイン王国北嶺調停官補佐役、ケイタク=ミジョーであります」
「うむ。補佐官殿も良く来られた。どうぞお二方、中に入られよ。そこでゆっくりと話をしよう。・・・他の方々は私の従者が案内しよう。体を休められる場所にな」
「お気遣いに深く感謝する。・・・では皆、また後でな」
「はい。向こうでお待ちしていますね」

 キーラが頭を垂れて、一向は従者の案内の下に離れていく。パウリナが軽やかに手を振るのに笑みを返して、慧卓は幕を潜りながら建物の中へと入っていく。イルは藁椅子へと二人を案内した。

「掛けてくれ」
「失礼する」「失礼致します」

 繊細な編目をしたその椅子に座って思う。見かけによらず、かなり座り心地の良い椅子である。馬車によって傷みつけられた尻が癒されるかのようだ。 

「どうか楽にしてくれ。茶は出せんがな」
「其処まで気を使ってくれなくても構わんさ」
「ふむ、そうか」
「・・・会談は、ニ=ベリ殿も含めて行われると思っていたのだが」
「奴の名を出さないでくれ。今はその名を聞くだけで感覚が鋭敏になる」
「す、すまない」

 待ち望んでいた会談は、どうにも悪天候が予想されるようなスタートである。それに拍車を掛けるかの如く、イルは本心を隠さずに慧卓らに聞こえるような声で言う。

「このような情勢下に王国が手を出してくるとはな。王宮は余程己の利を叶えたいと見える」
(・・・イルめ。牽制にしては強すぎやしないか?こんな事したアリッサさんも強気に出るしかないじゃないか・・・)

 ちらと彼女を窺うと、案の定、近衛騎士は険しき顔付きをしていた。どこか不満を滲ませながらもアリッサは安らかな声色を取り繕う。

「イル殿、我等は王宮の特使として此処に来た。国王陛下の下賜によってな。陛下の御心を恐縮ながら述べさせていただこう。・・・王国は北嶺での紛糾の拡大を望んでいない。望むべくは平穏だ。我等調停官はそのための手助けが出来ると確信している」
「確信するのは勝手だ。それに、貴殿らの真意はもう読めておる。事態の趨勢がどちらかに転ぶか見定める心算だな?趨勢が覆せぬタイミングまで、真の言葉を潜めている心算なのだろう?」
「な、なんの事か理解しかねるが?我等は偽り無く、エルフの民草に本当に平和な生活を送って欲しいとーーー」
「人間がエルフの政に口を出すなっ、無礼者!」

 余りにも強気な言動に、慧卓は目を瞑りたくなった。最早友好や穏便などという言葉は微塵も出る余地が無い。エルフ側からの極めて挑発的で攻撃的な言動に、王国の代表を自負するアリッサが、その重責を全うせんとばかりに言動を激しくする。

「・・・これは一体何の冗談だ、イル殿。我等は友好的なーーー」
「駄目だ駄目だ!これは我等の問題なのだ、調停官よ!王国が手を出すなど断じて許される事ではない!まして貴殿は近衛騎士ではないか!言葉で無理と悟れば武を以って語るのは目に見えている!!」
「言い掛かりは止めて戴きたいっ!貴殿は自らの言葉で、調停を受け入れるという決定を心算か!」
「私は認可しておらん!それもこれも全部ーーー」
「俺のせい、とでも言いたいのかね?」

 鶴の一声にも似た落ち着いたものに三者は顔を向ける。此処まで見てきたエルフとは一風変わってその壮年のエルフは、逞しき肉体を鎖帷子で遠慮なく覆って明るい緑の外套を羽織っている。また腰には二振りの剣が挿されており、その風体や鷹のような顔にも似て威厳のある感じを醸し出していた。男を見てイル=フードが、苦手な食べ物を見た時と同じように唸りを漏らした。

「・・・ニ=ベリ・・・」
「イルよ、少しは落ち着いたらどうだ?直ぐに興奮するのは年老いた身体には悪い影響しか与えん」
「ちっ、ごちゃごちゃと・・・」
「ついでに言えばだがな、決定を下したのはお前でも俺でもない。賢人会の総意だ。お前とそのシンパだけが反対していた、そうだったな?」
「っっ・・・聞いて居ったのならそうと言わんか・・・」

 ぶつぶとしながらも、イルは先程とは打って変わって不承不承にも語気の荒さを治めていく。この壮年のエルフは老人にとっていたく苦手な相手であるらしい。

「会談に遅れた御無礼をお許し戴きたい、調停官殿。自分はエルフ自治領防衛隊の大将をしている、ニ=ベリと言うものだ」
「・・・調停官のアリッサ=クウィスだ。此方は補佐役のケイタク=ミジョー」
「どうぞ、宜しくお願いします。・・・入ってきてくれて助かりました」
「入らなければ、貴殿らは王国に帰っていただろうからな。そうなれば全てがイルの思うがままだ。なぁ、イル?」

 そう言われたイルは何も言わず、不機嫌な面構えを崩さない。彼にとってみれば面白くない事態であるが、慧卓にとっては一先ずの安堵を覚える事態である。会談すら出来ない状態になっては調停官の調停足る所以が無くなってしまうからだ。面子丸潰れの左遷コースだけは何としてでも避けたかった。
 ニ=ベリはもう一つ空いていた藁椅子にどさりと座り込み、落ち着いた口調で続けていく。

「先ずは賢人会の総意として伝えておきたい。此度、この自治領まで馳せ参じてくれて、少なくとも私を含めて、賢人会の者達は安心している。我等保守派と改革派の対立は勢いを増し、此処タイガの森以外では、まともに話し合う場すら無くなってしまった」
「それほどまでに、事態が切迫していると?」
「情けない事だが、事実はそうだ。我等首脳陣は何とか会談を出来るのだが、下の連中は顔を合わせた途端に罵詈罵倒の嵐だ。刃傷沙汰になるのも、無理の無い話しといえよう」
「すまないがその者達にもっと自省してくれるよう厳しく言ってくれんか?此方の国境線にも荒事が起こるようになって、最近では臣民の生活にも悪影響が出ている。非常に困っているのだ」
「出来る限りそうするが、春先までは消えないものだと思ってくれ。そう簡単に治まるものではないからな」
「我等が此処を去るまで、か・・・期待しよう」

 アリッサも一先ずの矛先を治めたようではあるが、イル=フードとは口を開く気はないようであり、彼には目もくれていない。俄かに空気が悪い気がして慧卓は気付かれぬよう頸下を緩めた。

「アリッサ殿、一つ聞きたいのだが」
「何かな?」
「答え得るのであらば答えて欲しいのだが、貴女はエルフに何を望む?」
「何をと?無論、平穏だ」
「平穏か。確かに素晴らしい答えではあるが、それはあくまでも、騎士アリッサ=クウィスとしての答えだろう?一人の人間としての貴女は何を望んでいる?」
「哲学的な問いは止めとけ、ニ=ベリ。所詮は人間なのだぞ、浅はかな答え以外出る筈も無い」
「その浅はかさに人間の深い意思と感慨が込められているのだ。お前とて知らない筈は無いだろう?」
「ふん、どうだかな」

 はぐらかすように排他的な姿勢を崩さぬ老人に溜息を隠さず、ニ=ベリは再びアリッサへと視線を戻す。

「アリッサ殿、どうか聞かせてもらえるか?貴女の想いを」
「・・・・・・難しい質問だ。私は此処に座る以上、騎士として、調停官として己を律せねばならない。そう信じているのだ。この姿勢を簡単に変える事は出来ない。
 すまないが、今すぐに答えを申し上げるという事は出来ない。だが何時の日か、私が王都へ帰るまでには必ず答えを出そう。それが一人の人間としての、今の私の答えだ」
「ほら見ろ、煙に巻いてきおったわ」
「・・・答えを出さないと言うのも貴女の意思だ、私はそれを尊重したい。だが五ヵ月後までには答えを出して欲しい。冬の霜が払われる頃に、我等エルフは賢人会議を開く。私とイルはそこで、エルフの大義を決める心算だ」
「エルフの、大義?」
「そうだ。エルフの民がどちらの旗を掲げるか。それを武ではなく、言論によって決めるのだ。それが我等首脳陣の最初で最後の役割だと思っている。貴殿ら調停官にもそれに参加してもらい、一票を投じていただく」

 唐突な宣告に王国側の二人は一瞬固まるも、目線を合わせて小さく頷き合った。アリッサは厳然とした面持ちで言う。

「承知致した。我等調停官はその賢人会議において、公正に、そして明白に我等の立場を主張するために、一票を投じさせていただく」
「感謝する、調停官殿。・・・もっと話したい所ではあるが、貴方達は余りこの建物に長居をしない方がいい。私の部下は、貴方達が此処に入っているのを良い目で見ていないようだったからな」
「入る前に言って欲しかったよ」
「はは・・・すまないな。・・・では、またの機会に話そうぞ」
「夜は戸締りをしっかりとしておけ。警備の者も深く信用するなよ?分かるな?」
「・・・根は、随分と深いようだ。充分気をつけようぞ。・・・ケイタク殿、行くぞ」
「承知致しました」

 二人はそっと立ち上がり、先程以上に気を配りながら入り口へと戻っていき、振り返って凛々しく礼をする。

「ではこれにて、イル=フード殿、ニ=ベリ殿」
「失礼致します」

 慧卓が先に出て、アリッサが後に続く。警備の者達が鬱陶しがるように視線を向けてくるも、二人はそれをいざ知らず、エルフの従者に従って仲間の下へと案内されていく。
 屋内に残された賢人と将軍は、先までの態度を変貌させていた。まるで王国の者に見せていた態度など仮初のものであるといわんばかりに、親しげに顔を見合わせている。

「・・・どう思う、あいつらを」
「・・・政治には疎そうだが、理性を優先させているのは理解できる。王国の立場というのを理解しているようだ。それ以上は分からん。・・・だが強硬的な態度を取られるよりは、かなりましだと思うぞ」
「同じ意見だ。私から見た感想だがな、アリッサ殿にはかなり期待できそうだ。冷静で、忠実な王国の輩。それでいて我等にも一定の配慮が出来るであろう知性も窺える。あれを上手くコントロールすれば、王国から過剰な手出しは避けられるだろう。
 彼女は私には外交をする気があるようだからな。彼女は私に任せておけ」
「では私はあのケイタクとやらを何とかするかな。あの若さにしてはかなり落ち着いているようにも見えた。貴様と同じように期待も出来るが、油断は出来ん」
「そうかそうか。では、老輩の御手並みを拝見するとしようか。果たして文化人上がりの口舌の輩がどこまでやるか楽しみだ」
「見ておれよ。・・・貴様とのケリを付けるのに、横槍など要らぬからな」
「ああ、そうだな」

 二人はそう笑みを交えながら、調停の輩には出さなかった茶の用意をし始めた。エルフ民族が大事にする、季節の果物の果汁を落とした茶である。生産した物の中でも最上級のそれを誇らしげにカップの中へと注ぎ、二人はその新鮮でさっぱりとした味わいを喉へ流していった。
 一方で王国の二人もまた、賢人らと同じような行動を取っていた。いわずもがな、密談であった。

「どう思う、あの方々を」
「・・・どうにも態度がはっきりし過ぎていて、逆に怪しく感じました。悪化した情勢を話し合いで何とかしたいとは言っておきながら、イル殿はやけに俺達に攻撃的ですし、ニ=ベリ殿はとても協力的だ。二人して態度が反対的過ぎる。あの態度の反発のしようは俺には不自然に思えます。もしかしたら二人は、裏では手を組んでいるかも」
「我等の心中を探り、利用するためにか?それは幾らなんでも邪推だろう。政治的に勢力的にも対立しているのだぞ。手を組むというのはあり得ん。外交に頼らず、内輪で何とかできるという確信が彼らにはあるのだろう」
「そ、そうですよね・・・。でもなぁ・・・」
「邪推を掘り返しても仕方の無い事だ。次の事を考えろ」
「次といいますと?」
「五ヵ月後の賢人会議までに、他の賢人達の協力を取り付けるのだ。王国にとって有益な決定を出すためにも、より多くの賛同者が必要だ。どっちのエルフを切り捨てて、より多くの利益を取るか。その選択を確かなものにするための最善手だ。
 エルフからどう思われようが、我等の態度は貫き通さねばならん。そうでなくては北の影響が強くなってしまい、王都にまでそれが及んでしまうやもしれん。・・・王女殿下に心労を掛けさせるような真似は私はしない」
「それは俺とて同じ事。コーデリア様には、平穏無事であって欲しいですから」

 前を行くエルフの従者は密談を聞いてはいるだろうが、それを口にする頃には十中八九死去する羽目となるであろう。要らぬ恨みを買うのなれば外交官の案内という重役は務まらないだろう。

「後で地図を広げてみよう。そうすれば自ずと答えは出て来る」
「了解です」
「・・・詳細な地図持ってるか?」
「・・・・・・借りて来ますね」
「急げよ」

 元来た道を急いで戻っていく慧卓を見遣りながら、アリッサはとっとと歩を進めていく。己に集中するエルフの民草の視線がどうにも威圧的に感じられ、臆する事無くとも、やけにむず痒く感じるのだ。己を律すると決めたからには先ずは心を落ち着けなければと、アリッサは従者の案内の背中を追って行く。



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 エルフの建物の一つで、へぇへぇとばかりの江戸っ子口調の平謝りが聞こえる。調子の良い声色を繕いながら一人の若い人間が地図を抱え、それに向かって衛兵が呆れ混じりに言葉を返す。口元は俄かにカーブを描いていており、若人はそれに気付いてか口元のそれとは裏腹に瞳は全く笑っていなかった。
 心温まるような一幕を遠目から、それも一軒の建物の幕の内から覗く瞳があった。瞳の数は四つであり、一方は興味深げに、一方は敵愾心を燃やしている。その二つの影、若き人間とドワーフは口々に言う。

「・・・矢張り追ってきたようだな、あいつ」
「あの餓鬼か?知り合いか?」
「王都でやり合った仲だよ。度胸が据わっているのが気に入らん」
「へぇ・・・?」

 瞳の一方、チェスターは気に食わぬといった様子で悪態をつく。その一方のアダンは、面白がるように付き合いが長くなりつつある相方を見詰めた。視線の変化に気付いてチェスターは瞳を細める。

「なんだ、その目は」
「お前、意外に良い目が出来るじゃないか。ヴォレンドの本を見てた時よりも、断然その方が良いぜ」
「・・・私の本命はあくまでも狂王の秘宝だ。それ以外に目移りはせんよ」
「・・・どうぞ、御茶です」

 後ろから蚊の鳴くような声が聞こえてアダンは振り返る。一人の可憐な少女が盆に御茶を載せてやってきたようだ。ふと、少女が足元をふらつかせて盆を斜めにしかけるが、咄嗟にアダンが助けたために事無きを得た。

「おいおい、大丈夫かい?」
「申し訳ありません・・・目が見えぬものでして」
「あ、ああ。別にそういうのを責める心算は無いんだけどよ・・・」

 少女は恥ずかしがるように盆に載った御茶をアダンに押し付ける。

「すみません・・・失礼します」
「あっ・・・」

 薄暗い室内の中を少女は踵を返し、どこか危うげな歩き方で消えて行った。

「なんか心配だなぁ、あの嬢ちゃん」
「・・・目移りしないでくれよ、アダン殿」
「わ、わかってるって」

 そう言いつつもアダンの瞳には純粋無垢な心配の念が満ちており、若き人間は小さく息を吐く以外に出来る事等無かった。外の諍いの声は既に無くなっており、鳥の囀りのように舞い降りた一時の見物は消え失せ、再び何をするでもない暇が生まれてしまった。此処に篭る以上、己のする事と言えば読書と軽い肉体の鍛錬のみである。
 チェスターは読破手前の本棚へと向かい、窓の光を頼りに本の捲って閲覧していく。芋虫の生態など鼻から興味は無かったが、何も見ないよりかはマシなのであった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 一人の少年が気を張り詰めていた。大きく腕を開いて弓に矢を番え、その弦をきりきりと引き絞っている。将来の有望さが窺える美顔は常以上に緊迫し、後ろから注がれる視線を気にしないとばかりに眼前の目標を睨んでいた。

「・・・すぅ・・・はぁ・・・」

 深い呼吸をする。雲渡る空は茜を帯びてきて、風は俄かに強めである。弓を引くタイミングを少年は石の如く窺っていた。
 そうこうして、一瞬、太陽が雲間に隠れたと同時に風の鳴りが治まった。少年は疑いも知らずその一瞬を掴み、矢をひうと放つ。矢は音を裂くような高調子を響かせながら、狙い定めた藁人形の、腕を掠めて地面に虚しく落ちていった。
 背後から苦笑交じりの息が漏れるのを聞き、その少年、ミルカは忌々しげに目を遣った。苦笑を浮かべた騎士トニアは、彼に向かって言う。

「・・・また失敗だな、ミルカ」
「練習すれば上手くいきますよ」
「それは少なくとも今日ではなさそうだ。もう大分日が暮れてきている。・・・だが教授する時間はありそうだ。貸してみろ」

 城壁の向こう側に向かって沈み込んでくる太陽を見て言うと、トニアはミルカが持っていた短い弓を受け取り、筒から一本矢を抜き取って弦に構える。丁度人差し指の上の辺りから鏃が出る形だ。

「それほど力を入れずとも、この弓であれば矢は飛ぶさ。伸ばした腕と並行するように弦を引く。矢筋を通すんだ」

 そう言いながら藁人形へと狙いを定め、手首ではなく、肩と肘を上手く使いながらトニアは弦を引いた。上から見れば真っ直ぐに引かれている事が分かるだろう。

「引いた時は体はぶれては駄目だ。力が入らなくなるし、弓の正確さが欠けてしまう。必ずイメージするのは・・・一直線だ」

 トニアはそう言って、一瞬息を詰まらせると、軽く引き手の力を抜いた。途端に弓から矢が放たれ、先の一矢以上の鋭さを保って宙を裂き、藁人形の股間に真っ直ぐ突き刺さった。余談ではあるが、人形の頭部と胴体には的が飾られており、既に幾本かの矢が刺さっているが、股間はこれが初めてである。

「・・・あー、今のは痛い」
「いや分かりますよ、馬鹿にしてるんですか?私、こう見えて男ですよ?」
「男の寝台に潜り込むの奴がか?」
「執政長官を愚弄しないで頂けますか・・・?」
「悪かったな、お前の親代わりを愚弄して。暫くは控えておこう」
「暫く・・・?」

 からかうような笑いを聞かされて、ミルカは嫌気が差したかのように顔を顰めた。慧卓の友人というのはどうしてこうも一癖、二癖のある人間が多いのか時々疑問に思う。この騎士も然り、馬鹿な兵士二人も然り。そして熊のような騎士団長然り。

「お前ら、喧嘩はいかんぞ。騎士ならば、文句は剣で語るものだ」
「・・・出ましたね、化け熊」
「ふむ、遂に私も化け物扱いか。もっと早くに言われてもよかったのだがな」

 特にこの人物、屈強な魔獣すら御し得そうな程の巨漢、熊美は個性を極めていると言ってもよかった。仲が良くなると本来の口調に戻るというのだが、はっきりいってそのままでいて欲しい。舞台劇の山賊の棟梁にも似たごつい顔で女の言葉を面と向かって喋られた日には、はっきり言って卒倒しても可笑しくないものであった。

「ミルカよ、手数は増やしておいた方が良いぞ。お前は体躯が小さいし、膂力も無いのだからな。機敏さと機転の良さで攻めるしかあるまいて」
「知ってますよ。だからこうやって闇討ちの訓練をしてるんです」
「まったく、本当にこの子は性格が悪いですよね?そのうち弓に名前をつけて溺愛するんじゃないのかと心配でなりません」
「あー・・・もしつけるなら『アイリーン』は止めておけ。不吉の名前だ」
「そもそもつけませんからっ!!なに考えてるんですか、二人とも!?・・・はぁ、ケイタクさんって、よくこんな方々と一緒に居て胃もたれ起こしませんよね」
「こんなって・・・私、そんなに悪い女ですか?」
「笑みを浮かべながら言う台詞ではないぞ、それは」

 トニアは小悪魔と形容するに相応しき意地の悪い笑みを浮かべており、熊美はそれから視線を離してミルカを見て、俄かに目を細めた。

「・・・ミルカ、手を出せ」
「大丈夫ですよ、何ともありませんから」
「いいから、出せっ」

 強引に彼の手を顕にする。血豆が掌の彼方此方に出来ており、幾つかは血を滲ませている。ただの弓の訓練にしては、それも剣が本来の得物である若い騎士の鍛錬にしては度が過ぎている。

「やり過ぎには注意しておけ、馬鹿者。剣が持てなくなるだろうが」
「ポーションと軟膏がありますからすぐに治りますよ」
「それと同じ台詞、今度何か事件が起こった時にも聞けるといいのだがな?・・・まぁ、何はともあれ鍛錬に集中するのは結構だ。ほれ、担いでやるぞ」
「そこまで大事ではありませんっ。自分で歩けます」
「遠慮しない方がいいぞぉ、ミルカ君?」
「っ、担ぎたいならこれでもどうぞっ!!」

 ミルカは無理矢理に熊美の手に己の弓矢を預け、ずんずんと宿舎の方へと戻ってしまった。年頃の少年のプライドを、些か刺激しすぎたようだ。

「全く、本当に素直じゃないな」
「あの年頃の男の子というのは難しいですぞ」
「私もそうだったのだが・・・どうにも記憶が無いなぁ・・・。やれやれ、年を取るものではないな」

 本当に困ったように口元を歪める熊美を見て、トニアはけらけらと笑みを零す。何とも人事のような浮かれ気分な態度に、熊美は微苦笑を浮かべて茜空を見やった。遠く輝く金色の空に、幾重に渡って薄い雲と色濃くなっていく藍が層を重ねており、まるで鳥の尾のように一つの雲が靡いている。夜の紫を帯び始める空には一番星の輝きと、月の照りが早くも現れており、未だ沈まぬ太陽とそっと目を合わせている。この広場に留まらず、白銀の王都中ではきっと茜色に通りが染まり、路地や影は闇のように身を潜めるのであろう。
 数羽の鳥の群れが空を渡り、からからと乾いた声を響かせた。秋は、そう遠くない所まで近付いていたのだ。
 
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