弓子、受難の十字架
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第2章 陵辱
蘇我の森の広場には、T字の形をした鈍い銀光を発するエジプト十字架があり、白く瑞々しい全裸の少女が結わえ付けられていた。少女の全身を透明なゼリー状の物質がベールのようにうっすらと覆っていた。そのベールが時折、生き物のように
うごめいていた。
-人形?
そう思えるほど少女は幻想的に儚げで美しかった。
「う、うう…ああ、ああ…もうやめて…許して…思い出したくないのに…」
だが、その心身は、こみ上げる良心の呵責(かしゃく)と愛する者を喪失したことの苦しみと悲しみの感情と淫らな快楽に責め苛まれていた。
――小原先生も、魔界との戦いの犠牲者の一人だったんだわ。中島君のお母さんだって、悪魔が心を支配していたのに違いない。
それを私が殺してしまった……!私はもう、人殺し…!――お父さん…お母さん…―――(弟の名)ちゃん…ごめんなさい…許して…助けて…わたしを一人ぼっちにしないで…。
●弓子の受けたPTSDは、本来ならば安静な状況でのカウンセリングを受ける必要があるほどのものだったが、それが今の彼女には癒しどころか、記憶が薄れる暇(いとま)さえ与えられず、逆についさっき体験したばかりのような鮮明さで繰り返し想起させられていた。
奈良や札幌での、父や母や弟との暖かな日々の思い出から一転して彼らのの無残な死の光景に変わり(弓子の鼻腔には血の匂いが、両手には血の感触が鮮やかに再現されていた)。
母「ゆみちゃん助けて・・・」
父「東京になんか来なければ、こんなことには・・・」
弟「おねえちゃん、痛い、痛いよぅ・・・」
血に塗れた異形の小原が嘲笑をあげる。
「彼と出会わなければ、お前も家族も幸せに暮らせたものを。」
――そんなことないわ、そんなことは・・・。
燃え上がりながら踊る中島の母親。そして弓子の耳元で、幾重にも反響し続ける中島の告発の言葉…。
中島「弓子……君は、ぼくの母さんを……。」「なんて取り返しのつかないことをしてくれたんだ…」「君の家族も君のせいで死んだんだ…」
――言わないで、中島君――
肉親を皆殺しにされ、中島の母を手にかけた弓子に向けて発せられたそれは、間違えようのない非難の意志表示だ―
それらの生々しいヴィジョンが、セトとイスマの魔術によってフラッシュバックで蘇り、何度もリフレインさせられ…深く傷つけられた彼女の心に逆らいがたい後悔と罪悪感と喪失感を突きつけ、責めさいなみ奈落へと突き落とす。それが止むと・・・
「嫌っ、いやぁ…もうわたしの頭に入ってこないで…そんなこと、嘘よ…本当のはずないわ…恐い、こわい…」
●あまつさえ忌まわしい宇宙的知識がテレパシーによる幻視の形で弓子の意識野に刷り込まれ始める。
正常な世界の常識。それまでの人生で培われてきた健全な信念。守るべき倫理。
白鷺弓子の純真な人格はそれらの人間的な要素で築き上げられている。しかし――
諸々の禁断の書物が脳裡に出現し、紐解かれる(遠い異国の、あるいは遥か古の言葉で著されているにもかかわらず、弓子にはそれが母国語のように理解できた)。
異界の光景が映し出され、禁忌の知識が注がれる…それによって彼女が今まで信じてきた健全で善良な常識は
相対化され、冒涜され、揺さぶられ、覆され、崩され、否定され、彼女の外に押し出されて薄れていく…
弓子の心は恐怖に慄く。感情でそれらを嘘だと否定しようとするが、彼女の聡明な知性は不幸にもそれらが真実だと理解してしまう…宇宙の真の姿に対する絶望感が募っていく…二度と抜け出せない狂気が、迫ってくる…徐々に、
しかし確実に。それは知識による彼女の精神への陵辱である。
「そもそも君は何故、悪魔の侵略を阻止しようとして力を望んだんだい?それは君が、人間の世界と文明が、魔界よりもマシだと信じているからだ。しかし実際には人間の理性や日常など宇宙全体から見れば幻影のような物に過ぎない、と言う事が分かっているんだろ?」
弓子「言わないで、あの人の声でそんなこと言わないで、黙ってよ…!」
――私の正気が、無理矢理刷り込まれる邪悪な知識によって、だんだん侵されていくのがわかるわ。このままでは、私の心は…――
そしてその次には…
「あぁんっ、ああ、駄目っ、だめぇっ!…くうう、あぁ、あああ―――っ!」
●そして彼女の柔肌を性感帯を刺激し、淡いふくらみの乳房を揉み、固く閉ざされた処女(おとめ)の花陰を純潔が損なわれない程度に愛撫し続け、肌が泡立つような魔の快楽をあくまで生娘のまま弓子の身体に刻み込み、アクメへと導いていく。裸で
身動きを封じられ視力が衰えた分、(性感を含む)肌の感覚が敏感になった彼女に逃れるすべはない。そしてその次にはまた悲惨な記憶の強制想起が・・・。
●それらは彼女の心身への陵辱であった。十字架ごと弓子の裸身を包み込んだスライムにとって、その悲痛の感情・恐怖と絶望・望まぬ淫楽を強いられる苦しみは、実体化の糧として格好の好物なのだ。彼女の霊力であり、イザナミとの絆でもあるマグネタイトが悪魔に吸収されてゆく・・・。しかも彼女の眼の水晶体は徐々に毒液に蝕まれ、視野が混濁していく…(かって2.0だった弓子の視力は、この時点で既に0.7を切っていた)。瞳から頬を伝い落ちる清らかな涙の滴が紅く染まる時、それは…。
弓子は確かにイザナミから高濃度の生体マグネタイトを保有する神の体質を受け継いでいる。だが、彼女の心は、傷つきやすいうら若き乙女のものに過ぎないのだ。女神の加護によって狂気の症状からは守られていても、たった一人で晒されている精神への責めと肉体への陵辱によって彼女の正気度が次第に永久的狂気(カタストロフ)に向かって減少して行く。弓子は果たしてその責めに中島の救いの手が来るまで耐えられるのか………。
――いつまで続くの……この悪夢は……――
「助けて、中島君…私、このままだと、もう・・・」
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