逆さの砂時計
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孤独を歌う者 4
私が私になって数年間、いろんな場所を渡り歩いてて気付いたんだが。
そこが裕福な街でも寂れた下町でも、人間の生活にはそれなりに共通する規則性ってものがあるらしい。
朝になると水を汲みに行ったり、洗濯物を陽光に当てて乾かすだろ?
陽が沈む頃になると何をするにも不便だから、大抵は寝床に戻りたがる。
暗くなったほうが好都合な輩もいるけど。
そいつらはそいつらで、また別の規則性を持って動いてる。
まあ、この辺はどうでもいいんだ。
要は、同じような時間に同じような行動をくり返す奴らがいるって話さ。
そう。主婦が朝方を中心に忙しく動き回るように。
職人が毎日、同じ時間に仕込みを始めるように。
私が見てきた限りじゃ、多くの子供は何故か、昼過ぎから夜の間に大人を困らせる言動をしたがるんだよ。
多分、子供の精神面が一番活性化してて、親しい相手と一番多く触れ合う頃合いだからってのもあるんだろう。
この時間帯に外をてけてけ歩いてると、どこからともなく飛んでくるのが
「どうしてこういうことするの、この子は! ダメって言ってるでしょ!? 何回言えばわかるの!!」
この、定型文的お決まりの叱り文句。
ほとんど毎日、それぞれ別の母親が。
よくもこれだけ一言一句違わぬ怒鳴り方をできるもんだと感心してたよ。
実際に怒られてる場面も見かけたりするんだけど……まあ、大体の子供は「ああ。またやるぞ、こいつ」って、傍目に判るんだよな。
なんでか?
だって、その母親
どうして? って訊いといて、答えを聴こうとしてないもん。
子供達は明らかに納得いかないって顔して、親が見てない場所に苛立ちをぶつけてる。
『ダメだからダメ』が親の主張なら。
『何がダメ? どうしてダメ?』が、子供の疑問なんだろう。
だから、何度でも同じことをくり返してくり返して、何がダメなのかを、周りの反応から探ってるのかもな。
大人にしてみれば、自分で考えさせることが重要って方針もあんだろ?
でもさ。
本当に、子供に考える機会を与えてんの?
頭ごなしにどうして? とか訊いても、子供は答えにくそうだったけど。
一度だけ、「へぇー」って思ったやり取りがあったんだ。
「楽しかった?」
「うん」
「どんな風に楽しかった?」
「えっとね……」
「……そっかあ。じゃあ、あなたがそれを誰かにやられたら、どう思う?」
「……やだ!」
「なら、私がそれをあなたにしたら? 私が別の誰かにそれをされてたら、どう思う?」
「やだ! ぜったい、やだあっ!」
「嫌なんだね。……私も、嫌だなあ。私もあなたと同じで、それをされたらすごく嫌だなあ。悲しいなあ」
「じゃあ、もう、しない!」
「ありがとう。嬉しいな。あなたがそうしてくれると、私はすごく嬉しい」
つっても、まあ。
子供の頭じゃ、悪気が無くても無意識に同じことをくり返しそうだけど。
あの母親はきっと、その都度それをされると悲しいって子供に訴える。
そうやってくり返し『何がどうしてダメなのか』を考えさせようとする。
あの時は、すんごく面倒くさいコトしてんなあって遠巻きに見てたけど。
今になってみるとさ。
向き合うって、そういうことなんじゃないかと思うんだ。
だから。
「呼んでも、良いか?」
涙色の目が、両腕を伸ばす私を、階段の下方から見上げてる。
最初は意味が解らなかったみたいだけど。
少し間を置いてから、ぎこちなく頷いた。
「ベゼドラ、お前は席を外してくれ。母さんの近くに男が居ると、視覚的にややこしくなる」
右隣に居るベゼドラの聞こえない文句は無視して、とりあえず違う空間へ放り込んでおく。
代わりに、蒼の女神が支えてる母親……母さんを両腕の中に引き寄せた。
自分ではちゃんと立てないのか。
転けそうになりながら、私の肩に寄り掛かる。
「ぅ、わ……っ」
私より少し高い背。
女性らしい豊満さを描く体の曲線、なのに、腕は私よりもちょっと細い。
病的に白い肌は触ると滑らかで、顔を掠めた長い髪は、途方もない年数を閉鎖空間で過ごしていたわりに傷みもなく、さらさらとして柔らかい。
簡素なボロ着の隙間に見え隠れする跡は……
ま、誰がどうしてたかなんて、想像するまでもないわな。
でも、不思議と何の臭いもしない。
生物としての要素が極端に稀薄、とでも言うのか、そんな感じ。
この人が、アリアを産んだ母親。
私の……母さん……
…………めっちゃ、軽っ!
羽毛か!?
この体は羽毛で出来てんのか!?
「アリア……!」
「!」
あ、そうか。
こっちの母親は、私が『ロザリア』だってことを知らないのか。
んー……仕方ない。
ここで私が自己主張してても意味は無いからな。
必要なのはそこじゃない。
首に巻きついて震え泣く体を抱き返し、背中をぽんぽんと軽く叩く。
少しの間そうして……それから、母さんの震えが急に大きくなる。
「……そん、な……っ」
「大丈夫か?」
少し体を離した母さんの目を間近に覗いて、確かめる。
顔色が最悪だ。
薄い水色が、ゆらりと不安定に揺らぐ。
でも、迷いは見当たらない。
「……ありがとう。もう、大丈夫。貴女が教えてくれたから、理解したわ。何もかも……全部……」
「ん」
「アリア……私の可愛い娘。私の涙。こうして会えて、話せて、良かった。一人きりにして、ごめんなさい……!」
もう一度、ぎゅうっと強く抱きしめられる。
……温かいなあ。
私は母さんが思ってるアリアじゃないけど、良いかな?
ちょっとだけ、こうしてても良いかな?
「『扉』。来て」
私を抱えたまま、母さんの右手が幼女を招く。
幼女を見れば……大きな目からボロボロと涙を溢れさせ、ぐしゃぐしゃに歪んだ顔が、私の体に激突してきた。
小さな体で、短い両腕を私の腰に回して、叫ぶように泣いてる。
えーと。
いやまあ、一応、どっちも母さんだからなあ。
絵的にどうなの? とは思うけど、これはこれで良いか。
「……アルフリード?」
大きいほうの母さんが。
私の背後でレゾネクトと話してるクロスツェルを見て、首を傾げる。
私には見えてないが、クロスツェルはどうやら仕草で否定したらしい。
「そう」
母さんは「そうよね……」と呟いて、少しの間うつむいてから。
「レゾネクト」
薄い水色の目を、クロスツェルに頭を抱えられてるレゾネクトに向け。
その姿をまっすぐに見つめる。
レゾネクトも、母さんの声に反応したのかクロスツェルから離れた気配。
至近距離で使う場合も、遠見って言うのかな?
解らんけど、上から覗く感じで状況を探ってみる。
「貴方に、お願いがあるの」
「……願い? お前が? 俺に?」
驚いてるっぽい表情のレゾネクトに、母さんはそっと頷いた。
そして
「壊して」
空気が音を立てて固まる。
幼女までがピタリと泣きやんだ。
壊してって……え?
なにそれ、さすがに予想外なんですけど!?
ここに来て、それ!?
「…………いやだ」
レゾネクトが首を振る。
信じられない言葉を聴いたとでも言いたげに、ぶんぶんと横に振る。
母さんは、レゾネクトをじっと見てる。
「嫌だ!!」
レゾネクトの全身から、薄い緑色の光が滲み出す。
同時に、私を襲う虚脱感。
この野郎……力を持っていくなっつーのに!
「にゃあう!」
「! ティー!」
幼女が焦って振り向いた先で、金色の飛行物体が ひゅん! と旋回。
口をパクパクと動かして、レゾネクトが発する力を食べてる。
「レゾネクト」
ふっと、母さんの体が、私の腕の中から消える。
直後、バカ親父が息を詰まらせた。
「ごめんなさい。私達は、間違えていたのね」
レゾネクトを正面から抱きしめる母さんに、レゾネクトが、泣き出した。
一粒の涙を頬から顎へと伝わせて、泣いてる。
「アルフリードは、貴方が欲しかった答えを確かに知っていたのに、私達のせいで伝え方を間違えてしまった。私達はただ、こうしていれば良かった。最初から、こうするだけで良かったのね」
「離せ!」
「私は貴方を赦さない。絶対に何があっても憎み続けるし、アルフリードを殺した貴方を殺してしまいたいと思ってる。だから、壊して。それが貴方に求める、私達からのお願い……『罰』。壊して、レゾネクト」
「…………っ!!」
幼女が私から離れた隙に、二人を振り返れば。
実際に見るレゾネクトの涙が増えてる。
苦しそうに、辛そうに、歯を食い縛ってる。
「レゾネクト」
薄い水色と澄んだ紫色の眼差しがぶつかり合う。
訪れる、長い長い沈黙。
先に折れたのは。
「…………け」
「?」
レゾネクトが顔を逸らして、床を睨みつける。
何を言ったのか、聞き耳を立てようとした瞬間
「貴様ら全員、ここから出ていけ────っ!!」
レゾネクトの怒号を合図に、景色が変わる。空気が動き出す。
……レゾネクトに、弾き飛ばされた。
「ここは、神殿?」
青い空。
揺れる草木の緑。
穏やかな風。
地面を覆い、散乱する、石床や石柱の残骸。
ほとんど覚えてなかったけど、間違いなく、私が私を自覚した場所だ。
「本当に、また来ましたね。あ、リース。お久しぶりです」
クロスツェルが周囲を見渡して……何か居るのか?
ちっさいのが飛び回ってるみたいだけど、よく見えん。
虫か?
「ここに居るのはロザリアさんとティー、マリアさんとクロスツェルさんとリースさんと私……、ですね。アルフリードさん達とマリアさんの本体は、玉座の間に残されたのでしょうか」
女神が一同を確認する。
私もぐるりと視線を泳がせて、頭を掻いた。
「みたいだな。あのバカ親父、どういうつもりだ?」
他の連中はともかく、私まで追い出した。
数千年も待って手に入れかけた材料を、今になって手放すとか。
母さんの何を映して、こんな行動に出やがった?
「本当に勝手すぎる奴だな! ムカつく!!」
遠見は……
あ、まだ繋がる。
母さんはレゾネクトに抱きついたままだ。
何か話してる?
「これが……、お前の答えなのか……」
レゾネクトの表情からは、すっかり覇気が無くなってしまった。
こうさせたのは、私。
いいえ、私達。
貴方は最初から、私達を敵だとは思っていなかった。
貴方はただ、私達に問いかけていただけ。
自分は何者で、何故ここに居て、これから何をどうしたらいいのかと。
そう、尋ねていただけなのに。
確かにそう感じ取っていた筈なのに。
それでも私達は、世界を破壊する魔王として、貴方を警戒していた。
どこの誰が。
抜き身の剣を構えながら、敵意が滲む表情で迫りくる相手を……
その手を、言葉を、好意的に受け入れられるというのかしらね?
貴方が私達に牙を剥くのは当然だった。
あの時も、そうさせたのは私達だ。
私達のほうが、間違えていた。
「そうよ、レゾネクト。これが私の答え。貴方が何故、何の為に、今日まで生きてきたのか。何故私達と戦ったのか。それはね。
『勇者一行を殺す為』よ」
勇者一行は、あの時に死んだ。
アルフリードも、ウェルスも、コーネリアも。
そして私も、レゾネクトとアリアの契約を知って狂った瞬間に、死んだ。
ここに居るのは亡霊。
過去に生きていた、ただそれだけの、屍。
「死を迎えた者に未来は無いの。子供達の幸福を願って祈って消えるのよ。死者である私達は、あの世界に居てはいけない。だから貴方の手で壊して。終わらせて。過去は過去に。未来は子供達へ託して。私達の望みを叶えて、レゾネクト」
レゾネクトは、幼い子供だった。
言葉よりも何よりも、まずは態度で示すべきだったのに。
アルフリードだけが、目の前に居る『レゾネクト』本人を見ていたのね。
だけど、噂に聴いた『魔王』とその所業を見ていた私達のせいで。
私のせいで、最後の最後に間違えてしまった。
「マリア……!」
レゾネクトが私を抱きしめる。
私に笑って欲しいと、壊したくないと願ってくれたのは。
誰かじゃなくて、きっと貴方自身ね。
ごめんなさい、レゾネクト。
アルフリードの強さが私達にもあれば。
貴方も私達の仲間になれていたかも知れない。
でも、それは過去の話。
私達は貴方に殺されたの。
事実は事実のまま、貴方に映す。
「さようなら、魔王レゾネクト」
せめて間違えてしまった分だけは、貴方の想いに心から応えようと思う。
貴方が望んでくれた本当の笑顔を……遺すわ。
「ありがとう」
「母さん!」
冗談だろ!?
母さんは死んでなんかない!
今、この瞬間も生きてるじゃないか!
せっかく会えたのに、殺されてたまるかよ!!
「母さ……!」
「ロザリア!」
空間を跳ぼうとして、弾かれた。
吹っ飛びそうになった体を、クロスツェルの腕が引っ張って支える。
レゾネクトが、移動を妨害してる。私達の介入を拒絶してる。
なんで。
なんでだよ!?
私達を利用してでも、母さんに笑って欲しかったんじゃないのかよ!?
「レゾネクト!」
私の声に応えるように、若い姿のレゾネクトが神殿の中心に現れた。
「『扉』のマリア。これを、お前に返す」
「!」
幼女に向けて差し出したのは、いつからかレゾネクトが当たり前に首から下げていた『月桂樹の葉をくわえてる水鳥を模した』銀色のペンダント。
幼女の手に収まった途端、それは形を変え。
母さんの目と同じ色の宝石が付いてる、片翼型のブローチになった。
幼女の顔が、驚愕に染まる。
「この空間だけは、壊すぞ」
言うなり、宝石がピキッと音を立ててひび割れ……粉々に砕け散る。
「……っあ……ああっ、うああぁああああ!!」
遠見で繋がっていた空間が。
母さんが。
レゾネクト本体が。
壊れ……っ……
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