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逆さの砂時計

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生の罪科 3

 ハーネス大司教が亡くなり、コルダ大司教が立ち。
 プリシラやアーレストとの関係も、微妙に変化した。
 それによって、私を見る周囲の目や態度も変わったようだ。
 穏やかで、少し……
 いや、かなり、険しくも厳しい経験を重ねた年月が通り過ぎ。
 私は東区にある教会を預かる神父になった。

 東区には、私の他にも数百名の神父が居る。
 しかし、そのいずれとも顔を合わせる機会は無さそうだ。
 私には私の担当域内を整える責任がある。
 ここには荒くれた人間が多い。
 それだけ、迷い苦しむ人間も多いということだ。
 女神アリアの教えが導きになれば良いのだけど。

「神父様がいらしてくださって、本当に良かったですわ」

 数年を掛けてようやく慣れた教会の正門前。
 荒れた下町では考えがたいほど品が良いご婦人に微笑まれ。
 私もにっこりと微笑み返す。

「ありがとうございます」

 いつからだったか明確ではないが。
 私の人間に対する姿勢もはっきり変わった。

 以前は、教えられたことをそのまま広めれば良いと思っていた。
 女神アリアの教えを知れば、誰でも変わるだろうと。

 人間を見ているようで、見ていない。
 なんとも押し付けがましく無責任極まりない自分が、こんな風に他者から感謝までされるようになったのは。
 間違いなく、猪の皮を被った大型の犬猫科性動物二名による間接的指導のおかげだろう。
 平手打ちまで食らったのは、バザーの時一度きりだったけれど。
 二人の言動に教えられたことは少なくない。
 おふざけは、手本とか指導とか関係なく、純粋に遊んでいた気もするが。

 どうか、司教になったプリシラが、落ち着いた聖職者になりますように。
 切実に。
 本当に、切実に。
 ええ、まあ……無理でしょうけども。

「散策してきましょうかね」

 帰宅されるご婦人の背中を見送ってから、下町を歩き回って様子を窺う。
 これは、ここに来てから身に付いた習慣みたいなものだ。

 教会内に居るだけでは、誰の助けにもなれない。
 この町の人間を知り、生活を知り、関わりを持つ為に。
 自分で考えて、自主的に始めてみたこと。

 『クロスツェル』が辿った道にプリシラ達が居なければ。
 きっと、こんな行動はしてなかった。
 思い付きもしなかった。
 やはり、二人の存在は大きい。

「うぁっつつつ……、いってぇえーっ」
「……?」

 裏路地を、どこへともなく歩いている最中。
 ふと、手前の曲がり角から聞こえてきた声に足を止め、首を傾げる。

 だいぶ把握してきた場所で、聞き覚えがない少女の声。
 ずいぶん、がさつな言葉遣いだ。
 浮浪児が怪我でもしたのか?
 なんとか住宅地としての体裁を保ってはいるものの。
 この町の衛生状態は良好とは言えない。
 傷が付いたのなら、早く手当てしないと。

「大丈夫で す……か……」
「ふぉえ!? うわ、やっば!」

 角を曲がって一番に視界を染めたのは。
 少女の手が放った、柔らかな薄い緑色の光。
 木箱に座る少女の足裏は確かに切れていて。
 鮮やかな赤い滴りが、少女の足下に落ちていた、……のに。

「あああ~もう、私のバカーッ!」

 光が消え。
 血が消え。
 傷が消えて。
 頭を掻きながら全力疾走で立ち去る少女の後ろ姿を、茫然と見つめた。

「……アリアさ、ま?」

 白金色の髪。
 薄い緑色の虹彩。
 傷を癒した光。
 すべて……すべてが、女神アリアそのもの。

 いや、でも待て。
 彼女は幼い少女に見えた。
 髪は短くなかったか。
 着ていた服は傷んで裾がほつれていたし。
 靴は片方しか履いてなかった上に、穴だらけだった気がする。
 女神アリアの肖像とは、全然違う。

 でも。

「綺麗だ」

 今まで会ったどんな人間よりも、ずっとずっと綺麗だ。
 彼女は何?
 彼女は誰?

 女神アリアに、よく似た少女。
 貴女は 誰?



「待ってください! もう少し話をっ……」
「うだああああっ! ウザイ、ウザイ、ウザイッ! こっちに用は無いって言ってんだろうがあ!!」

 偶然会う。逃げる。追いかける。見失う。
 捜す。会う。逃げる。追いかける。見失う。
 ちょっと会わなくなる。偶然会う。逃げる。追いかける。見失う。
 ほとんど毎日、同じことのくり返し。

 彼女は浮浪児だ。
 それも、記憶を失っているらしい。
 名前を尋き「んなモン無ぇよ!」と叫ばれた瞬間の衝撃は忘れられない。

 彼女はきっと、女神アリアに遣わされた聖女だ。
 でも、何かがあって、記憶を失ってしまった。
 自分の役目と立ち位置を忘れて、一人きりでさ迷っている。
 だから、あんなにもボロボロになってしまったのだ。

 助けなければ。
 この綺麗な少女を放置してはいけない。
 助けなければ。

「とにかく、教会へ来てください!」
「嫌だ! 断る! 帰れ! ハウスッ!!」

 ……また逃げられた。
 しなやかで素早い動きは、まるで猫だ。
 吊り目気味なところや全身の毛を逆立てるが如く威嚇する様は、人間には決して懐かない、気高い野良猫を思わせる。

 だけど、彼女は猫ではない。
 傷は癒せても、怪我をしないわけじゃないのに。

 彼女の噂は時々耳に入る。
 どこかの商品を盗んだ。
 どこかの大男と言い争ってた。
 裏路地で突然消えた。
 どこかで楽しそうに笑ってた。
 聞くたびに、何故か私のほうが落ち着かなくなる、彼女の言動の数々。
 いつか取り返しがつかない事態に陥るのではないか。
 説教の間ですら、気が気でない。
 彼女を助けるにはどうしたら……

「おい」
「え」

 声に驚いて振り返れば。
 前方へ逃げた筈の少女が、いつの間にか背後に立っていた。
 声を掛けようとして、掴まれた左腕に喉が詰まる。

「あ」

 袖をめくられ、手首の外側に彼女の右手が翳され、光が零れ落ちて。
 追いかけている途中で付いたらしい傷が、すぅ──っと消えた。

「…………っ」

 こんな……袖で隠れる程度の小さな傷に気付いて、戻ってきたのか。
 あれだけ嫌だと逃げていたのに?
 嫌なことをする人間の、こんな小さな傷を心配した?
 こんな、私の。

「ありがとう、ございます」
「あ、後は知らん! 知らんからなっ!」

 付いて来るなよ、ばーか! と。
 赤面で言い捨てて、またも走り去る少女に笑いが込み上げてきた。

 なんだ、彼女は。
 なんなんだ。

「ふ、ふふっ」

 なんて綺麗で、なんて可愛らしい女の子なのか。
 温かい。
 優しい。
 浮浪児としては、レスターと同じことをしている筈なのに。
 彼女の行為を責める気にはなれない。

 彼女は違う。
 悪じゃない。
 真性の善だ。
 見た目以上、力以上に、心が綺麗だ。

「だからこそ、彼女をこのままにしてはいけない」

 助けたい。
 彼女を助けたい。

 ……でも、何故かな。
 追いかける時間が少し、楽しくなった。



 分からないもので。
 楽しい時間は、それからわりとすぐに終わりを迎えた。
 割れたガラス瓶を刺された時は、さすがに痛かったが。
 彼女の、ロザリアの手を、離さなくて良かった。

 ロザリアは教会に居る。
 もう、彼女が容赦ない飢えや、無慈悲な暴力に曝される心配はない。

「これ……? マジで、これを着るの?」

 手渡した純白の袖無しワンピースを掲げて。
 ロザリアは、どこか不満そうに顔を歪めた。
 これは、彼女の普段着が少ないのは可哀想だと通いの信徒達に指摘され、それもそうかと追加で購入した物だ。
 ロザリアの好みが分からないので、無難そうな物を選んだのだけど。
 やはり飾りが一つも付いていないのは、少々味気が無さすぎるだろうか。

「これじゃあ汚れがめっちゃ目立つ。掃除の時とか、いちいち着替えろっていうんじゃないだろうな? だとしたら、時間と作業着の無駄だぞ」

 なんと。ロザリアは合理主義だった。

「汚れたら洗えば良いのですよ。気になりますか?」
「そりゃ、こうまで白いのが汚れるのは、ちょっとなあ……」

 しかも、考え方がとても繊細だ。
 あまり誉められたものではない口調や仕草も、おそらく男性からの暴力に対する防衛策が習性化したのだろう。
 ご令嬢の振る舞いを教えたら、案外あっさりと身に付けるかも知れない。
 などと、思っていたら。

「ま、いっか。汚さんように、できる限り気を付けて着るよ。ありがと!」

 にかっと、満面の笑みが咲き誇った。

「……はい」

 必要ない。
 彼女はこのままで良い。
 彼女には、ご令嬢のような慎ましい微笑みよりも、無邪気で汚れ無い子供そのものの鮮やかな笑顔が似合う。
 もっと見たいな。

「なんだよ」
「え?」

 …………え?
 どうして、ロザリアに向かって手を伸ばしてるんだ?
 私は、何を……?

「? 変な顔。熱でもあんの?」

 背伸びした彼女の瞳に、目を真ん丸にした自分の顔が映る。
 額に ぴた と当てられた手の柔らかさで、体が竦む。

 なんだろう、このむず痒さは。
 肩から上が物凄い高速で小刻みに振動してる……みたいな錯覚。
 頬が、熱い。

「い、いえ。なんでも、ありません、よ?」
「ふぅーん? 一応言っとくけど、お前が病気になっても看病はしないぞ。どうも私は、そういうのが苦手だ。自力で治せよな!」

 また。
 にかっと笑う。
 ぱしぱしと私の背中を叩いてから、ワンピースをクローゼットにしまう。
 その姿を見て、胸の奥にふわりとした温かいものが灯る。

 …………危険だ。

 私は、彼女に触れようとした。
 善を殺した、この手で。

 忘れてないか?
 私は、『レスター』が犯した罪を償う為に生きている。
 『クロスツェル』は戒め。
 生涯を女神アリアに捧げると誓った、罪人の名前だ。
 よりによって聖女に触れたいなど、ありえない。
 ありえてはならない。

 また、殺すつもりなのか! 私は!!

「……病気ではありませんよ。大丈夫です」
「なら良いけどなー」

 祈ろう。
 私の願いは、彼女の幸福。善の幸福。
 どうか、ロザリアの笑顔が途切れることなく続きますように。



 …………声が、聴こえる。
 日に日にはっきりと言葉を紡いでいく、欲に(まみ)れた汚らわしい自分の声。
 ロザリアに触れたいと。
 ロザリアを抱きしめたいと渇望する、どこまでも醜い自分の声。
 ロザリアが無邪気に笑うたび濃くなる、膿にも似たドロドロの感情が。
 滲んで、積もって、私の器を埋めていく。

 ああ……。
 私は結局、どれだけ名前を変えても、罪を償おうとしても、罪人なのか。
 中央教会の同僚達は、何一つ間違っていない。
 私は汚らわしい。
 魂から既に存在を誤っている。

 女神アリアよ、早く私を浄化してください。
 私から、ロザリアを護って。
 今度こそ、善を救って……早く……!

『苦しいか』

 ……苦しい。
 もう、嫌だ。

『逃れたいか』

 笑顔が見たい。
 ロザリアの笑顔を、全部私に向けて欲しい。

 ダメだ! 彼女を殺してしまう!!

 でも、嫌だ。
 あんな風に誰かと親しむロザリアの姿は、もう見たくない。
 私だけを見て。
 私だけに笑って。

 どこまで罪を重ねれば気が済むんだ、私は!!

 でも、私は……

『その悩み、俺が引き受けてやろう』

 ……引き受け、る?
 罪を……この、どこまでも腐りきっている魂を?
 ……それは……

 それもまた……罪であると、しても……
 ならば……、どうか……

 ロザリアを、私から、護って。

 私には、もう 耐えられ ない 。

 どう、か  ロザ リア を  たす け  て



 早朝の教会。
 意識は、はっきりしている。

 隣で眠っているのは、私と契約した悪魔ベゼドラ。
 私の欲をすべて引きずり出して、そして、女神アリアを。
 ロザリアを、この体で、汚した。

 汚した。
 傷付けた。

 あの、無垢な少女を。
 崇めるべき絶対の女神を。

 汚らわしい、この体で……っ!

「ぐっ……ぅ……」

 泣いていた。
 ロザリアはずっと泣いていたのに!
 何故、くり返した!?
 今度こそ……クロスツェルとして、今度こそ善を助けたいと!
 あれだけ思っていたのに!!

「お母さん、テオ……私は……僕は!」


『クロスツェル』


「…………────っ!?」

 声が、聴こえる。
 私に語りかける、静けさと穏やかさの中に悲しみが宿った、女性の声。
 ロザリアの……アリアの、声?

『クロスツェル』

 どうして?
 私はベゼドラを利用して貴女を傷付け苦しめ貶めた、(いや)しい悪だ。
 その私に何故、そんな声が聴こえる? 幻聴?

 でも。

『クロスツェル……。死なないで……お願い』

「……アリア?」

 優しい声が聴こえる。
 そよ風がふわりと髪を撫でるように。
 そして。


『…………死ぬな。絶対に! 死ぬな!!』


 幼い声が激しく胸を叩いて、風と共に消えた。

「ロザリア……」

 取り残された静寂。

 私に……生きろ、と?
 お母さんとテオを殺し。
 たくさんの生命を奪い。
 貴女を汚して殺しかけた私に。
 それでもまだ、生きろと?

 何故、と問いかける寸前、記憶の片隅に甦った少女の怒声。

「…………そう、か。私は、何も伝えていなかった」

 逃げた。
 自分の罪を口実にして、ロザリアから。
 ロザリアへの想いから、逃げていた。
 ロザリアはそれに怒ったんだ。

 必要なことだったのに。絶対に守らなきゃいけないことだったのに。
 何よりも大切にしなきゃいけなかったのに。

「ロザリア……私は、貴女を……」

 どんなに汚れていても。
 いつか罰で殺されるとしても。
 この気持ちから目を逸らしてはいけなかった。

 約束したじゃないか。
 ロザリアを導くと。
 あの約束だけは、命に代えても果たさなきゃいけない。

 ロザリア。
 そして、アリア。
 貴女を、もう一度捜しに行く。
 世界という名前の裏路地に、きっと貴女を見つけ出す。

 そして、伝えよう。
 ごめんなさいと、それから……


 貴女だけを、愛している と。



 
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