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逆さの砂時計

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対峙

 腕の中のアリアが、膝から崩れ落ちた。
 俺の足に寄り掛かってから ぐらりと傾き、そのまま地面に横たわる。

 意識を手放した、か。
 無駄なことをする。

 だが、これで十分に理解できただろう。
 現状を引き延ばしても、新たな犠牲を大量に生み出すだけ。
 大切なものを切り捨てる覚悟でもない限り。
 どう転がろうと、お前は俺との契約を果たすしかないんだよ。

 そうして、最後の力を解き放て。
 天に属する女神として覚醒するんだ。
 俺に、声を聴かせてくれ。

「お前の背に顕現する翼は、マリア以上に白く美しいのだろうな」

 片膝を突いて、アリアの頬を濡らす涙を指先で拭う。
 元々白い肌が青みを帯びて、今にも死を迎えそうだ。
 心が折れるだけで、生命力が消え去るのなら。
 アリアはとっくの昔に死んでいたかも知れない。
 どこまでも哀れで、どこまでも愚かな女。

「クロスツェルはしばらく俺が預かる。殺しはしないさ。お前次第だが」

 アリアを見下ろしつつ立ち上がり。
 崖先に放置しておいたクロスツェルの体を、この世界から吹き飛ばす。
 アリアやロザリアが目覚めても、決して追跡できないように。
 二人が知りえない場所へ。
 ついでにアリアも、陽光が満ちる草原へ飛ばした。

「さて、望み通り遊んでやろうか。イタズラ好きの困った女神と悪魔には、少し強めの仕置きが必要だろうが」

 崖の際に立って軽く地を蹴り、垂直に落下。
 俺を弾き返すように下から吹きつける風が、月桂樹の葉をくわえた水鳥のペンダントを奪い去ろうとする。
 だが、これが俺から離れることはない。
 崖下に群生する木の先端に靴裏が触れる直前で、空間を移動した。



「ふぅ……」

 明るい陽光の下。
 本日何度目か知れない、一休みの息を吐いた。

 どうにもこうにも、この世界は知識として学んでいた以上に広すぎる。
 眼前の風景は息を飲むほど美しいが、それをのんびり観賞する暇は無い。
 休憩を挟んで、用が済んだらすぐに次へ移動しなくては。

 しかし、この『サクラ』とかいう木が集まった森は、なんとも不思議だ。
 年に一時期だけ薄紅に色付く可憐な花が咲く植物だとは聞いていたが。
 実際にこうして見ると、想像以上の幻想的な空気を感じる。
 師範が物凄く好きそう。

「花弁を持ち帰っても、師範は喜ばないかな」

 自分の目で見て、自分の手で触って。
 自分の心で感じることに、無類の喜びを見出だす人だから。
 本当に見たいと思ったら、どんなに時間が掛かっても自分の足でここまで来るだろう。
 その行動力には敬服するばかりです、師範。

 泉を離れてから、大体一ヶ月が過ぎた。
 ベゼドラさんが各宗教団体の後ろ楯を抑え終わった頃だ。
 急伝を使っていれば、そろそろ各国王室の決定第一報が、アリアシエルに届いてる筈。これでより一層の自粛を議会なりなんなりで可決してくれれば良いのだけど。
 後はもう、各地で各宗教の一般信徒達が起こすかも知れない小競り合いや乱闘騒ぎを止めてもらうだけだが。
 ベゼドラさんにとっては多分、この辺りが一番難しい。
 手加減とか一切しなさそうだ。
 間違っても、誰一人として死傷者を出さないでいただきたい。
 話がややこしくなるので。

「それにしても、一ヶ月……か」

 私達が気配を消して動いているからとはいえ。
 レゾネクトの反応がまったく無いのは意外だ。
 読みが外れたか?

 数千年前は、悪魔達の悪行を利用して女神を立てたらしいが。
 現代この世界に、彼らほど分かりやすい『人類の敵(あてうま)』は存在しない。
 ならば、対立する人間を同じ方向へ導く為に手っ取り早い方法は何か? と考えた時。
 あえて戦争を引き起こそうとしてるんじゃないか、と思い至った。
 それを女神アリアが、人間には絶対に不可能な力、しかも、当事者全員に利益をもたらす形……単純で分かりやすいのは怪我人の即時回復とかかな?
 で止め続ければ、一度や二度では傾かない認識も、徐々に変化していく。

 人間は、圧倒的な何かを持つ者に、いろんな意味で弱いから。

 つまり戦場は、恐怖であろうが、嫌悪であろうが、歓喜であろうが。
 大勢の人間に鮮烈な印象を植え付ける為の『創造神アリア再臨』の舞台。

 一度壇上(だんじょう)に上がった主役を途中で下げるのは至難の技だ。
 過去に栄光を掲げた者の再登場となれば尚更。
 だから、とりあえず戦争の指揮者兼資金源となりうる権力者を黙らせて、舞台が整うのを邪魔してみたのだけど。

 まあ、たとえ外れでも、争いを防げば無用な負傷者を出さなくて済むし。
 女神アリアが救いの手を差し出す機会も、わずかながら減らせて。
 彼女への信仰心を助長する心配もしなくて良い。
 結果として、この行動は無駄にならない。
 多分。

 問題があるとすれば、肝心の二人が現れてくれない一点だ。

「私のほうが無駄骨にならなければ良いんだけど」

 呼吸を整え、翼を広げて語りかければ。
 応えた風が木々の間を駆け抜けて、見事な花吹雪を披露してくれた。
 これで、レゾネクトはこの地を荒らせなくなった。
 と、思う。

 レゾネクトの特性が未知数である以上、『言霊』がどこまで有効なのか。
 本当のところ、絶対に大丈夫だって確信は持てない。

 辛うじて希望を繋いでいるのは。
 「私には力が効かなかった」という、レゾネクト自身の言葉だ。
 私が潜在的にでも神の力を持っていたせいなのか、他に理由があるのか。
 結構重要な手掛かりになりそうな気もするのだが。
 私が自分自身を把握しきれてないせいで、判断材料としては弱い。

 それでも今は、私には力が効かないらしい事実と、そこから推測する私の『言霊』と、彼の『謎の力』との相性の悪さ。言葉を通してくれるもの達の意思を信じるしかない状況だ。
 我ながら心許ないな。

 ……愚痴ていても仕方ない。
 とにかく、レゾネクトが現れるまで考えつく限りの妨害工作を続けよう。

 広げたままの翼をはためかせて、遥か上空へと翔び上がり。
 山脈を彩る薄紅色の絨毯を視界の端に捉えながら、次の場所へ向かう。

 サクラの森の周辺は人間が少なくて助かる。
 万が一にも、私が飛翔する姿を見られていたら……

「っ!? ぅわっ」

 真正面から突然、薄い緑色に光る矢が飛んできた。

 現れてくれたのはありがたいが、これはちょっと、前触れが無さすぎる!
 避けて落下しかけた姿勢をなんとか立て直して、飛来元に顔を向けると、まるでそこが地面であるかのように直立で浮いてるレゾネクトが居た。

 さすがは魔王。
 重力は完全無視ですか。

「ずいぶん、いきなりですね」
「お前の望みに合わせたつもりだが。鳥は弓矢で落とすものだろう?」
「なるほど、私は狩りの獲物だと。相変わらずの悪趣味で!」

 腰に下げた剣を抜き、レゾネクトめがけてまっすぐ飛びかかる。
 一ヶ月の間、ほとんど毎日翔んで移動していたおかげで、空中の動きにもだいぶ慣れたが。
 なんと言っても、相手は真性の人外生物。
 刺突も斬撃もすべて、軽々と余裕たっぷりに避けられてしまった。

「悪趣味、ね。それなら、お前はどうなんだ? フィレス。アリアシエルを中心に無数の結界で世界を丸く囲って、俺を追い込もうとしていただろう。漁師の真似事かと思ったぞ」

 レゾネクトの腕が、私の腕を捕らえる為に動く。
 咄嗟に翼で弾き、再び距離を置いた空中で身構える。

 早速、師範の教えが活きたな。
 近距離では捕まるし、遠距離では矢が来るし。
 この戦闘、実に際どい選択を迫られそうだ。

「私は網より針派なんですけどね。貴方は釣られてくれそうにないので」
「旨い餌が付いていれば、呼ばれてやるさ。お前に、釣り道具ごと喰われる覚悟があればな」
「ご冗談を!」

 大きく羽ばたいて、薄く伸びる雲を蹴る。

「『風よ、水気よ、うねり乱れ吹き荒れよ。眼前の破壊者を弾き飛ばせ』」

 振り上げた剣身に、水分を含んだ風が絡みつく。
 巻き上げた強風を刃に乗せ、レゾネクトに向けて思いっきり放つ。
 轟音と共に圧が走り……衝突する間際、彼の姿が ふっと消える。
 空間を移動したか。
 ならば当然

「後ろ、でしょうね」

 前転の要領で体の上下を反転、翼を閉じて急降下。
 頭から地面へ落ちていく中、空を蹴飛ばす靴先にレゾネクトが見えた。
 空振りする彼の腕を確認して翼を広げ、一気に上昇する。

「『広がれ、拡げよ。我が声、我が意思。我らの糸をここに繋げよ!』」

 『言霊』を紡ぎながらレゾネクトに突進して。
 その腹部があった場所を薙ぐ。

 うん。
 当たるほうがおかしいんだと思っておこう。
 彼は幻影。彼は幻影。

「……マリアと合流したわりに、お前達は気配を消す以外の、特別な対策をしていないのか。本気で戦うつもりがないなら、何故俺を招き寄せた?」
「必要ないからですよ。貴方には今ここで退場していただく! 『風よ」

 翼で空気を叩いて数歩分後ろへ退き、剣を掲げ

喧騒(けんそう)

「    」

 …………は?

 え、なに?
 声が、出ない?
 集まり始めていた風が、音も無く散っていく。

「!」

 そうか、これか。
 マリアさんの仲間コーネリアさんが、急に喉を押さえて崩れ落ちた理由。
 レゾネクトは今、魔王の特性である『謎の力』を使った。
 最悪なことに、私にもしっかり効いている。

「冷静だな」

 刹那の戸惑いを衝くように伸びた腕を紙一重でかわし、剣を構え直す。
 意外そうに誉められても嬉しくはない。
 呼吸は……できているな。
 声は、

「おかげさまで」

 ちゃんと出る。
 一瞬だけ作用したのか?

「元人間が、よく使えている。良い声だ」
「ええ……良き師範と良き教師の指導で、三日三晩、発声練習と音階矯正(きょうせい)、腹筋と背筋の強化に努めていましたから。数少ない長所が一つ増えました。人前で自慢しようとは思いませんが」
「勿体ないな。俺ならもっと自由に歌わせてやれるのに」
「この一件が片付いたら固く封印するつもりなので、謹んでお断りします」
「それは残念」

 愉しそうに笑いながら残念と言われても。

「で? 特別な対策はなく、お前の『言霊』が効かないことも実証した。『扉』のマリアは戦力にならないだろうし、ベゼドラは今別の大陸に居る。お前一人でこれからどうする?」

 ふむ。
 どうするかと尋かれると、実は少し困っていたりする。
 初撃を受けてすぐに嫌な予感はしたのだが。

 多分、アリアは来ない。
 私が助けられた時の状況を再現できれば良かったんだけど。
 そう上手くはいかないらしい。
 が。

「ご存知の通り、私は元々非力な人間なので。『言霊』が使えないのなら、使えないなりにお相手願うだけです」

 想定外のことでいちいち足を止めていては、戦いなど乗り切れない。
 両手で柄を握り、規則的な呼吸で心を静め。
 目の前の敵にひたりと切っ先を合わせて、睨む。

「剣、か」

 目蓋を閉じたレゾネクトは、何事か思案する素振りを見せた後。
 開いた視界に私を見据え、笑みを消した。

 危険だ。何かを狙っている。
 脳と心臓に、「今すぐ下がれ」と信号が送られてくる。

「…………すぐには死んでくれるなよ?」

 冷酷に歪んだ目元と口元。
 これまでにない強烈な殺意。
 心臓がバクバクと悲鳴を上げる反面、全身の血液が凍る。
 早く逃げろと訴える、自分の生存本能。

 だが。

「死ぬ気なんて、少しもありませんよ」

 それこそ、望むところだ。


 
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