逆さの砂時計
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オペラセリアのエピローグ 4
まただ。
ウェーリの時と同じ。
目と鼻の先に居たのに。手が届く距離に居たのに。
私の手は、また、届かなかった。
クロスツェルが世界の時間を止めて。
この体の時間を動かした直後に、アリアの意識が飛び出して。
そうやって結局、二人がレゾネクトと母さんの本体を助け出したんだ。
私はバカみたいに叫んだだけ。
ウェーリもクロスツェルも。
瀕死だったベゼドラも。
レゾネクトも母さんも。
私じゃ、誰一人助けられなかった。
あれだけ偉そうに啖呵を切っておいて、このザマだもんな。
手が届く範囲に居る奴すら、今の私には助けられないんだ。
情けねぇ…………
「って、人が真剣に悩んでる時に欲望まっしぐらかよ! てめぇの脳内にはそれしか詰まっとらんのか!! いったいどこまで阿呆を極めるつもりだ!? 付ける名前もネタ切れ起こすぞ、いい加減!」
体をべったりくっつけてたベゼドラを、テキトーな場所へ吹っ飛ばして。
すっかり禿げ上がった地面に靴裏を降ろす。
アイツ、また私を力で拘束しようとしてただろ。
本当に少しも懲りないな!
煩悩の化身め!
「お前もだぞ、アリア! アイツに体を預けるとか軽率なことすんなよ! 被害を受けるのは私なんだからな!?」
(ごめんなさい。彼にも迷惑を掛けてしまったのは間違いないし、少しなら大丈夫だと思ったのよ)
「認識が甘い! アイツはなあ、ほんのちょっとでも隙を見せたら透かさず襲ってくるケダモノなんだぞ!? 理性とか躊躇は小指の爪の白い部分ほども無いんだからな? まともな対応なんて、蟻に対してより期待すんな!」
(…………蟻?)
「働き蟻のほうが、アイツの何千・何万倍も理知的だ」
(そう……なの、かしら……?)
「そ・う・な・ん・だっ! お前には人を見る目が無さすぎる!」
(……自覚はしてる)
「なら、今後は迂闊に他人と接触しないでくれ! 特に、アイツはダメだ。次に似たような状況を作ったら、入れ替わり拒否するからな! 直に苦痛を味わえば、いかに自分が能天気だったのかを思い知るだろうさっ」
(……ふふ。気を付けるわ)
「? なんだよ?」
ついさっきまで内側で放心状態だった私を心配してたクセに……なんだ?
妙に楽しそうっつーか、嬉しそうに笑ってる。
(なんでもない。ただ、貴女がベゼドラと再会する前提で話しているから。遠ざけるわりに、愛想を尽かされたりはしないんだって、信じてるのかな、と思っただけよ)
「は?」
(私には、人間として誰かにそういう感情を抱く余裕が無かったから、よく分からないけど。たった一人を想い続けるのも、誰かに想われ続けるのも、精神的に負担が大きいのではない? 好意を寄せてくれた相手がいつまでも自分を想い続けてくれるなんて、普通なら信じられないんじゃないかしら)
いや、お前が『普通』を語るなよ。
全方位規格外生命体。
(貴女は、ベゼドラも好きなのね)
「よし。お前ちょっと大きめな病院へ行ってこい」
(無理)
「だろうともっ!」
ちくしょう! 体が一つしかないのは不便だ。
ツッコミも入れられん!
(クロスツェルとベゼドラと貴女、三人で一緒に居ても良いと思うのに)
「お前、レゾネクトに子供を産めって言われて、嬉しかったか?」
(…………いいえ)
あー、良かった。ここで頷かれたらシャレにならん。
「つまりはそういうことだよ。
万歩・億歩譲って仮に万が一私がベゼドラに好意を持ってるとしてもだ。アイツは私の人格や感情を無視した行動を取り続けてる。
好きな相手になら、何をしても良いのか?
好きな相手になら、何をされても赦すのか?
違うだろ。そんなの、どっちもただの自己満足だ。
どっちも向き合ってないし、どっちも互いを認めてない。
都合が良い偶像を押し付け合って都合が良い埋め合わせをしてるだけだ。
本当の意味で視線が合わない奴と一緒に居たって、空々しいだけ。
アイツが飽きて離れるんならそれまでだし、一緒に居たいんなら、尚更、今は突き離して気付かせるべきだ。『私はお前の人形じゃない』ってな」
これは、他人との付き合いや、好き嫌いに限った話じゃない。
お前の願いにしてもそうなんだぞ、アリア。
何でもできるからって、何でもして良いワケがない。
できたとしても、やっちゃいけないことがたくさんあるんだ。
お前はその一線を、レゾネクトの誘惑に……
自分自身の願望と弱さに負けて、踏み越えてしまった。
だから、護りたいものの為に護りたいものを犠牲にして、一方的な制圧に自分を責めながら、捧げられる感謝で苦しむハメになるんだよ。
悪意と殺意と暴虐の結晶みたいな悪魔を相手にしてさえ、消滅させた後は延々と謝りながら隠れて泣き伏せちまう小心者なのにさ。
「ベゼドラが私の何を見て、何を求めてるのかは知らないが、私はアイツに私の意思を認めて欲しい。言葉を交わす前に体を狙ってくるうちは、絶対、傍に居させない。拘束なんざもっての外だ」
見上げるでも、見下ろすでもなく。
寄り掛かるのでもなく、誤魔化し合うのでもなく。
一緒に居るなら『対等』が良い。
互いを認めて励まし合い。
時に外れそうな道を叱って、叱られて、喧嘩もして。
それでも、最後は笑いながら肩を叩き合える関係が良い。
理解者で、好敵手で、協力者で、仲間が良いんだ。
もしかしたら、すごく難しいのかも知れないけど。
そうあろうと努力もせずに、最初から諦めて付き合っていくくらいなら、いっそ、すっぱりきっぱり離れたほうが良い。
顔も見えない、声も聞こえないくらいの距離を置いたほうが良い。
でないと、どっちにとっても、いつかは負担になると思うから。
「あの駄犬が私の言葉を一つでも受け止められる相手になったら、私だってちゃんと考える。でも、今のアイツじゃダメだ。……っていうかさあ」
(?)
「冷静になってみろ。お前は知り合いでも、私は最初ベゼドラの本当の顔も知らなかったんだぞ? 通りすがりの他人にいきなり知り合い顔で地下室へ監禁された挙げ句、問答無用でヤられまくり。こんな状況で、相手に純粋な好意を持てるヤツがどこに居る? しかも、その後も追いかけてくるとか。気持ち悪いを通り越して、恐怖から来る寒気すら感じてるんだが。私は」
(…………………………………………。)
ああ。
気まずい沈黙が、むしろ嬉しいよ。
人間期間短めなお前でも、少しは私の気持ちが解るんだな。
そーだよ。
クロスツェルとの繋がりやお前の記憶が無かったら、顔も見たくないし、声も聴きたくないくらい、全身全霊で嫌悪してたっつぅの。
いやもう、嫌いとか憎いとか、そういう負の感情さえも乗せたくない。
ヤツの全身を余す所なく縄でぐるぐるに巻いて縛って。
先端を崖先に打ち込んだ杭に固定して。
本体を崖下に突き落として。
無様に吊るされ、風に揺れる様子を高笑いしながら存分に見下ろして。
気が済んだら、そのまま放置して記憶から抹消したいね。
じゃあ、元々知り合いだったら良いのか?
とか、んなワケあるか。
断・然! お断りに決まっとるわ!
「これでも最大限の譲歩はしてるつもりだけど。私はどこかおかしいか?」
(……不思議には思ってる。それでも嫌ってる感じには見えないから)
「別に好意を否定する気は無ぇもん。好きだって言うなら、ありがとよって笑ってやる。そこまでなら私だって悪い気はしないし。ただ、好意を口実や言い訳に利用する言動や態度が気持ち悪くて許せないだけだ。言っただろ。欲しいなら欲しいなりの相応しい態度を見せろ、ってさ。アイツに、それができるかどうか。巻き込んじまった分は待っててやるのさ。仕方ないから。ちゃんとできたからって、こっちが受け入れるかどうかは別問題だがな!」
待てと伏せを覚えればエサが貰えると思うなよ、駄犬め!
「私より、お前はどうなんだよ」
(……なにが?)
「すっとぼけるな面倒くさい。ベゼドラにも言葉で誤魔化そうとしただろ。他でもないこの私が、解っていないとでも?」
アリアの表情がどんより曇る。
本性の片鱗に触れれば、コイツほど分かりやすい奴もそうそういない。
我ながら単純というか、なんというか。
「私はクロスツェルと一緒に行くって決めた。でもお前はまだ、誰も何も、レゾネクト以上には選べてない。こんな状態のままで、私がクロスツェルと一緒に居て良いのか? って尋いてるんだ」
(クロスツェルには幸せになって欲しい。それも私の本心よ。だからこそ、貴女に委ねたの)
「違う。クロスツェルじゃなくて、お前のこれからをどうしたいのか、だ。あのなあ、アリア。私はお前を責めてるんじゃない。レゾネクトと直接顔を合わせるのが辛いって言うんだったら、クロスツェルが生きてる間くらいは寝かせといてやるぞって話をしてるんだよ」
(!)
「あんまり長くないけどな。どうせ、現実からは逃げられやしない。本音を片付ける時間を作ったって、誰にも怒られねぇよ。そういう空白だったら、逃げ出すのとは全然違うし、卑怯とも違う」
(でも……)
「クロスツェルのことは気にしなくて良い。事あるごとに誰かの願望を拾い集めていちいち自分を壊してたら本末転倒だろう? お前も、私も、自分がしっかりしなきゃ話にならない。その為に必要な休憩ってヤツだ。無理矢理私に付き合うか。少し休んで自分を立て直すか。お前が、この場で決めろ」
私の腕は短くて、隣に居る誰かの体も抱えきれない。
どれだけ必死に伸ばしても、小さくて非力な両手じゃ、何も掴めない。
けど、このまま見逃して見過ごして諦めるのも腹が立つくらい嫌なんだ。
だから、届かなくても伸ばし続ける。
届くまで諦めたりしないって、私はそう決めた。
なら、お前は?
お前はこれから、どうしたい?
(……ありがとう、ロザリア)
長い長い沈黙の後。
うつむいてたアリアがゆっくり顔を上げて、力なく微笑んだ。
本当に、指先で軽く突けば崩れ落ちそうな、弱々しい微笑み。
夜の獣道を歩いて歩いて、ようやく小さな灯りを見つけて。
安心感と喜びと極度の疲労が一度に放出されたみたいな、情けない顔だ。
(ほんの少し、クロスツェルが倒れる前には起きるわ。それまでの全部を、貴女に押し付けても良い?)
「寝たきゃ寝ろっつったのは私だ。こういう場合は、押し付けとは言わん。だが、感謝は忘れないように」
(ふふ……、ええ。忘れたら凄まじい勢いで怒鳴られてしまいそうだもの。目を覚ましたら、またお礼を言うわ。……少しの間、お願いします)
自分自身に頭を下げられるってのも、なんか奇妙な感じ。
まあ、出来が悪い姉だとでも思えば、違和感ばかりでもなくなるか。
「任せとけ。お休み、アリア」
(お休みなさい、ロザリア)
アリアが目蓋を伏せてすぐ、気配がぷつんと途切れた。
意識の空間を閉ざしたから、私でも簡単には起こせないだろう。
今のうちに爆睡してりゃ良いさ。
起きれば今度こそ、自分の罪悪と真っ向から対峙しなきゃいけない。
コイツが本当に苦しむのは多分、その先だ。
「さて、と」
右手で頭をがしがしと掻き。
どんだけ熱中すればここまで毟れるんだ? と。
感心せずにはいられないほど濫立してる草塚の森を見上げた。
「この辺でいいか」
手近にある塚を一つ適当に選んで、おりゃーっ! と蹴り飛ばす。
千切れた葉っぱが風に乗ってぶわっと舞い散り。
土に触れた端から、元通りの生きた姿を取り戻していく。
厳密に言うと、この草はよく出来た作り物で、生物とは違うんだけどね。
他の塚も次々と勝手に倒れ、草原は見事復活を遂げた。
「世界の全部をこんな風に簡単に直せるなら、誰も苦しまないんだろうな」
現実では、何も直せない。
目に見えて触れるものも、目に見えなくて触れないものも。
壊れたら、失ったら、消えたら、二度と元通りには戻せない。
だからこそ失くせば悲しいし、一つ一つを大切に守りたいと思うんだ。
私も…………
「……って、いかん。クロスツェルを置き去りにしたままだった。そろそろ拾ってやらないと」
蒼の女神達も移動したみたいだし、今は廃墟で一人ぼっちだよな。
寂しさのあまり、いじけてたりしないか?
なんて冗談を考えつつ『遠見』を使って。
「…………────!?」
見えた光景に、心臓がピキッと音を立てて凍り付いた。
少しずつ、落ち着いた色調へと変化し始めてる空。
東に向かって薄く伸びながら黒く染まりだした木々の影。
石床の上に仰向けで倒れてる、両目を閉じたクロスツェル。
その顔色は、生物とは思えないほど、白い。
……嘘……だろ?
まさか、そんな筈……。
だって、まだ、ちゃんと……
今のお前とは、ちゃんと話してな………っ
「…………クロスツェル────っ!!」
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