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逆さの砂時計

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Side Story
  無限不調和なカンタータ 3

「ふぁああ~……あふ。んー、よく寝た」

 枝に座ったまま上半身を伸ばして、はふぅ……と一息吐いた。
 片方ずつ肩をぐりぐり回しながら周辺を見渡せば。
 月明かりに辛うじて輪郭を浮かべてる黒い森や、白むにもまだ早い漆黒の空が、穏やかな静寂の中で鎮座してる。

 このくらいの時間……いつもだったら、鳥が寝ていても聴こえるわずかなざわめきでイライラしてたのに。
 こんなにもすっきりした寝覚めは久しぶり。
 熟睡できてたのかしら?
 だとしたら、昨日までと今朝の違い、『カールの歌』の影響ね。
 音の書き換え効果は、思ったより長時間持続するんだわ。

「良いじゃない。こういうのが欲しかったのよ、私は」

 雑音が少ない朝は、頭痛も無くて気分爽快。
 自然と溢れた笑みで、カールが寝てる一段上の枝を見上げ

「…………っ!?」

 心臓が激しく飛び跳ねた。
 なに、あれ。
 両手両足を枝から落として、腹だけで引っ掛かってる?
 死んでるんじゃなさそうだけど。
 だらだらと揺れてる手足が、風で飛ばされてきた洗い物みたい。

「なんつぅ格好で寝てんのよ……」

 昨夜は確かに座らせてやった、筈。
 両足は投げ出してても、上半身はちゃんと幹に預けてた。
 つまり、この姿勢はカール自身で選んだもの。
 仮に寝相だとしたら、寝てる時のほうがよっぽど器用だ。

「つくづく残念度ばっかり上げるヤツ」

 起こすにはまだ早いが、万が一窒息死されても困る。
 実際、逆さまになってる顔はちょっと苦しそうだし。
 仕方ない。

 立ち上がってカールの隣へ跳び移り、背中を軽く叩いてみる。
 反応が無い。こいつも熟睡してるのか。

「眉を寄せつつ熟睡ってどうなのよ。いろいろ間違ってるでしょ、あんた」

 しかし、この状況で抱え上げたり、無理矢理起こして驚かせた挙げ句に、うっかり落下されても、それはそれでまた困る。
 自分で覚醒してもらわないと。

「人間は木の上じゃ寝ないしね。寝床を確保するまでは手伝ってやるか」

 私が人間の為に歌うなんて、他では絶対ありえないんだから。
 良音を持って生まれた己の幸運に感謝しなさい。

「ゆらゆら、ゆらゆら、木々に大地に揺れる
ひらひら、ひらひら、風を映して
君よ今この朝に、その陽光をまといて
弾むような旋律、奏でたまえ」

 その場に膝を下ろして座り、語り程度の大きさで音を紡ぐ。
 大声で歌うと反響しちゃうからね。
 カールの耳にさえ入れば良いんだし、せっかく静かで落ち着いてる時に、余計な雑音まで起こすのは本意じゃない。

「「ゆらゆら、ゆらゆら、輝きは悠久に
ひらひら、ひらひら、永遠詠う」
 ……おはよう、グリディナさん」

 もぞ……と動いたカールが、私の歌に続きを重ねた。
 さすが、腐っても元楽師希望者。
 寝起きで腹を圧迫した状態でも、発声は余裕か。

「おはよう、カール。寝覚めは快適かしら?」
「うん。ちょっと息苦しいけど、頭はすっきり冴えてるよ。いつもはもっとぼやぁってしてるのに。これって、グリディナさんの歌のおかげ?」
「そうよ。人間の頭の奥に一定の振動……この場合は『波』と表現するのが適切ね。それを与えると、対象の意識を緩やかな速さで覚醒させられるの。逆に眠らせることもできるわよ」
「すごい。熟達した楽師にもできないよ、そんなこと」

 そりゃそうでしょうね。
 私は『音』特性の悪魔だから、呼吸同然に扱えるけど。
 そこいらの人間程度じゃ、『波』を意図して操るなんて、絶対に無理。

「あんたなら、その気になれば使えるわ」

 昨日の時点で既に使ってるし。

「え? 無理だよ。僕の歌、グリディナさんほど綺麗じゃないもん」

 ……これよ。
 この自信の無さが、滅茶苦茶腹立たしい!
 てか、『波』に必要なのは『正確な波長の把握と適切な発声』であって、歌そのものが綺麗に聴こえるかどうかは関係しないっての!

 ああもう、無自覚男め!
 その背中、踏んづけてやろうか!!

「それより、グリディナさんて本当は有名な楽師なの?」

 は?

「悪魔が人間の職に就くとでも?」
「でも、今の歌って結婚式用の祝福の歌だよね? 王族とか貴族みたいな、限られた偉い人に贈られる祝詞で、各神殿の関係者以外には秘匿された歌」
「あら、そうなの? 私は偶然聴こえてきた歌をなんとなく覚えただけよ。意味なんて知らなかったわ。起こすにはぴったりな言葉並びなのに、残念。あんた、結婚とは無縁そう」
「婚約者なら、村に居るよ」

 なぬ!?
 こんな、将来性がまったく見えない男に嫁ごうとする女がいるなんて!

「不憫……」
「本気で哀れまないでくれますか。居るって言っても六年は会ってないし、多分とっくに他の人と結婚してるだろうから……。確かに、今は無縁かな。でも、無理に相手を作るよりはずっと良いよ。僕なんかを押し付けるのは、女性に申し訳ないもん」

 イラッ。

「『僕なんか』は、全面禁止!」
「ふぇ!?」
「自信が無いのは仕方ないとしても、態度に出すのは今すぐやめなさい! 卑下したって、バカ共に付け込まれるだけ! 慰めてくれる相手はどこにも存在しない! そういうの、聞いてて心底ムカつくのよ!」
「そう言われても」

 あー、うだうだとうるさい雑音。
 気分の良さが吹き飛ぶじゃないの!

「あんた、私の歌をどう思った?」
「え? 綺麗だなーって」
「なら、綺麗に歌えるこの私が保証してあげる。あんたはそんじょそこらの人間には絶対敵わない、とんでもなく良質な音で歌ってるわ。それを()()()呼ばわりするのは、保証した私の実力と経験と感性に対する冒涜に等しい。あんたが卑下するたびに、私に対して喧嘩を売ってるってことよ。ここまで噛み砕かなきゃ解らない?」
「!」
「あんたが自分自身でどう思っていようが知ったこっちゃないの。この私が認めたものをバカにしないでちょうだい! 理解したら返事!」
「はひっ」
「そして実行!」
「ど、努力しますっ」
「煮え切らないわねぇ」
「すみません」

 ふむ。
 ちょっぴりでも前向きな言葉を引き出した分、良しとするか。
 根は真面目だからこそ、自分の不器用さに辟易(へきえき)してるんだろうし。
 真面目だからこそ、明確な目標を与えてやれば、きっと転びながらでも、前へ前へと進もうとする。
 初手にしては、まずまずの感触だ。
 この調子で、うまく丸め込んでしまえれば楽なのに。

「ところで、いつまでそうしてるつもり?」
「え」
「苦しいんなら、さっさと起きなさいよ」

 一向に動こうとしない背中をペシペシ叩いて、首を傾げる。

「いや、その……、えーと」

 ぶら下がってる両手両足の先だけが心許なく宙を泳いで……
 って、まさか。

「起き上がれなくなった、とか?」
「……すみません」

 アホかあぁぁああ────ッ!!



 どうやらカールは、絶対に落ちない姿勢とやらを考えに考えた末。
 少しでも接触面積を増やそうとして、枝にしがみついていたらしい。
 落ちたら私に迷惑を掛けそうだから……って。
 自分で起き上がれなくなったら同じでしょうが!
 何の為に、私が一段下の枝で寝てたと思ってんのよ!

 ったく。
 本当、ズレてる。
 もーいろんな意味でズレまくってるわ、このおバカ。
 しかも

「……キノシュ?」

 空一面がすっかり青くなった頃。
 木から降ろしてやったカールが朝食として集めてきたのは。
 色とりどりで、なんとも野性味溢れる様々な植物。
 目を痛めそうな鮮赤色のカサが付いた丸っこい胞子菌類とか。
 冴えた紫色のネーギュっぽい物とか。
 そんなモノばかり食料認定するこいつの感覚は、あまりにも異常すぎる。

「植物なら逃げないし、動物よりは食べることに対して抵抗が少ないから。どうしてかな? 植物だって生き物なのに、殺してる感覚が薄いんだ」
「そりゃ、植物に対して固有の意思を認めてないからでしょ。その極彩色は毒入りとしか思えないから、食べるのはやめておきなさい」

 地面に積んだ植物の中から、悪魔の目にも禍々しい物体を摘まみ上げて、草むらにポイッと放る。

「意思を認めてない? あ、これならグリディナさんでも食べられる?」

 白い繊維が無数にわさっと伸びてるカリフラウもどきを、私に食えと?

「人間は、喋ったり動いたり鳴いたりするものに共感するでしょう。植物が人間にもハッキリ伝わるような言動をしてたら、動物と同等程度に罪悪感を持ったんじゃない? 抵抗しないなら何をしても良い。反抗しないんだから文句は無いだろ、ってトコかしら?
 人間同士でもよくある話よね。『イジメ』とか表現されてる、あれ。
 要は、相手の意思や生命の形を認めてない。見ようともしてない。
 自分以外は生物とも思えないし、なんなら便利な道具にしか見えない。
 認識能力が根っこから欠落してる、幼稚で無知な『自我の殺戮行為』。
 あれ、やられたほうはたまに悪魔の所業とか言ってるけど一緒にしないで欲しいのよね。本物の悪魔だったら対象の意思を尊重した上で遊ぶっての。手間暇掛けて人形を壊しても楽しくないでしょうが。私は要らないわよ」

 怪しげな物を選別したら、ほとんどが毒性植物だった。
 どうして、この瞬間に生きていられるんだ、こいつ。

「え、じゃあ食事はどうするの? でも、グリディナさんも初対面で突然、僕を殺そうとしてたよね。意思を認めるどころか、会話も無かったのに」
「気が向いた時に少し喰えば、しばらくの間は何も必要ないの。一応、火は通しておきなさいよ? それは、あんたのため息が物凄くウザかったから。この世界のため息全部、消滅すれば良いのに」
「うん。野生の植物は、果物以外そのまま食べるなって言われてるし、加熱処理はするよ。グリディナさんの前では、ため息も禁止なのか」
「物分かりが良くて嬉しいわ」

 昨日集めた枯れ枝に着火。
 採りたての植物を焼き始めるカールに優しく、にーっこりと微笑む。
 枝に刺した植物を見つめる顔が妙に赤いのは、たき火のせいかしら?



 朝食を済ませて、伐採を再開。
 必要数を揃えた所で昼食にして、それから延々と裁断。
 全部の作業を一人でやると張り切ってはいたけど。
 予想通り、今夜も寝場所は木の上になりそうね。

「むふぎゅ!」

 はい、合計百八十九回目の転倒ー。

「丸太切りしてる最中で前面にすっ転ぶ人間なんて、そうそういないわよ。力の入れ方がおかしいんじゃないの?」

 それでいて、伐採道具で顔ざっくりは避けてるんだから。
 不器用が二周半して、実は器用なんじゃなかろうか。

「自分では、教えてもらった通りにしてると思うんだけど。できてないから転ぶんだよね。あはは……情けないなあ」

 体中に付いた木屑を払うカールの顔は、笑ってるのに笑ってない。

 ふぅん? ちょっとずつだけど、思考が現実に傾いてきてるわね。
 でも、自己認識で折れて逆戻りはいただけないわ。

「情けなくても良いから、情けないなりに必死で続けなさい。ここで挫けて無力に嘆いても、後でもっと情けなくなるだけよ。それはもう、惨めすぎて泣けるくらいにね。『一番ダメな奴』の典型を教えてあげましょうか?」

 近くの木の枝に寝そべって片手をブラブラさせてる私を。
 瞬いたハチミツ玉が見上げる。

「自分を『ダメだ』『無力だ』と評しつつ、改善行動一つしようとしない、改善を考えることすらしない、自己陶酔型の甘えん坊よ」
「自己陶酔」
「そ。どこの誰にだって、出来不出来はあるし、向き不向きもある。そんな当然の前提もそっち退けで、『皆にできることが自分にはできない。自分はなんて情けないんだ』とか、他人をバカにしてるわよね。産まれたばかりの赤子に狩りができる? 料理ができる? そんなモノは大なり小なり適性と経験と反復学習の積み重ねでしょう。飽厭(ほうえん)を理由に途中で投げ出した奴が、何を身に付けられるっていうのかしらね? バカバカしい。
 インコみたいに「できて当然。できない奴は無能」って空っぽなセリフを連発する第三者も、結局それが言いたいだけのノータリンばっかりだしね」

 せっかく身に付けた能力だって、放置すれば錆びる一方。
 だからこそ、あんたの無自覚は許せないの。
 私の頭痛を抑えられるのは、目下あんたの歌しかないのに。
 卑小な心根で潰そうなんて、私に対して迷惑よ。

「グリディナさんって、僕より人間っぽいかも」
「失礼ね! 純血統の悪魔に向かって!」
「ごめん。僕なりの称賛のつもり」

 手の甲で頬を拭ったカールが、可愛らしくにこっと笑う。

 …………ん?
 いやいや。
 男に可愛らしいとか、おかしいでしょ自分。

「うん。できなくてもやらないと、木にも失礼だよね」

 お。反応が良くなってる。
 自分でやることの意味に気付きだしたかな。
 真剣な表情で道具を握り直して、木と向かい合った。

 良いわ。その調子よ、カール。
 頑張って自立して。
 主に、私の頭痛を癒す為にね……って

「カール!」
「う、ぶぐぅっ!?」

 枝を飛び降り。
 今まさに裁断を再開しようと構えた背中へ ドカッと体当たる。

「みぎゃぁああ!?」

 地面に重なって伏せた二人の目の前に。
 体当たりの勢いで吹っ飛んだ伐採道具の薄刃が落ちてきた。
 でも、それは問題じゃない。

「グリディナさっ……、胸! 少しは気にしてくださいってば!」

 そっちでもない!

「性欲は横に置いときなさい! 急いで立って!」
「え?」

 跳ね起きて後方を振り返れば、地面に黒い穴がぽっかり空いていた。

「あ、な?」

 のそのそと立ち上がったカールを背に庇い、身構える。

 ……どういうこと?
 この気配は……


 
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