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逆さの砂時計

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解かれる結び目 16

 それからティーは、私が落ち着くまで何も語らず、傍に居てくれた。
 いつしか泣き疲れて眠ったアリアを蔓籠(つるかご)へ戻し、テーブルの上に乗せ。
 壁沿いにあるクローゼットから取り出した白っぽい手拭(てぬぐ)いを、テーブルの片隅で桶の水に浸して軽く絞り、それを私に差し出す。
 感謝を告げて受け取り、顔を拭うと、()れて荒れた目元が少し痛んだ。

 思えば、レゾネクトに捕まってからずっと泣き続けていた気がする。
 涙という物は、そう簡単に涸れたりしないらしい。

「お主ら勇者一行が異空間へ吹っ飛んだと噂が立ってから、大体二ヶ月から三ヶ月になるかの? 我はあまり人間世界と関わらぬ故、正確ではないが」

 つまり、アルフ達が殺されてから少なくとも二、三ヶ月は経ってるのね。
 闇に囚われていた感覚があまりにも長かったせいで。
 ()()なのか、()()なのか、受け止め方に迷う。

「魔王の気配が消えたと、人間共も悪魔共も、ずいぶん騒がしい。お主も、当分は表に出ぬほうが良いぞ。厄介事に巻き込まれるでな」
「厄介事、ですか?」

 椅子に座り直したティーが、顔色を窺うように私の目をじっと覗き込み。
 何かを言おうとして……
 やめた?

「今は静養に専念するが良い。体は治せても、心の整理は容易くないでな」
「いいえ。私が今必要としているのは、休息ではありません。アリアを護る手段を迅速に考案する思考能力です。あの男は、この世界に自分を呼べと、そう言っていました。私にその力は残っていませんが、アリアの力はきっとそれを可能にしてしまう。アリアの力を、どうにか隠し通さなくては」

 冷静になる為の時間は充分に与えられた。
 気を失う直前に聴いたレゾネクトの言葉をよくよく思い返せば。
 あの男は、自力ではこちらに戻ってこられないと、自身で告げている。
 私に声を届けた理窟までは解らないけど。
 少なくとも、レゾネクト本体が空間を越えることはできないんだわ。
 アリアが『空間』の力で干渉してしまわない限りは。

「ふぅむ……。確かに、魔王云々(うんぬん)を除いて考えても、アリアの力は現時点の我らを遥かに上回っておるからのぅ……。放置していては幼さ故の無自覚で何をしでかすか分からぬ。通常であれば、新神(あらがみ)の力は自意識が育つまで親が抑制なり制御なりしておくものだが、この場合は少々難しい」

 アリアの力は大きすぎる。
 私の手には負えないほどに。
 だからこそ、考えなきゃいけない。
 どうやって護り、どうやって生かすのかを。

「方法はあるが…… ?」
「? ティー?」

 座ったままアリアのほうへ顔を向けたティーが、じっと籠を見つめる。
 何が…………

「……──っ!」
「これは……、ほんに困ったのう。あまり勧めたくない手段だったのだが、そうも言っておれぬようだ」

 立ち上がったティーが、アリアの頭上に手を(かざ)した瞬間。
 ティーの手を()()けるように、バチッと音を立てて火花が散った。
 その透き通った色彩に、ティーの表情が少しだけ曇る。

「ああ……!!」
「落ち着け、マリア。戻せば良いのだ」

 翳したままのティーの手から虹色の光が降って、小さな体を包み込む。
 いつの間にか目を覚ましていたアリアは、無言のうちに再び眠った。

「お主に声とやらが聴こえた理由は、恐らく()()であろうな。生来の性質で受け継いだ力のみならず、我の力をも取り込んでおるし。仕方あるまい」
「え!?」

 ティーの、時司(ときつかさ)の力を取り込んでる!?
 アリアが!?

「よく聴け、マリア。我とお主の力で、アリアの力を封印する」
「力を、封印?」
「お主の『空間』を司る力でアリアの力の領域を囲い込んで閉じた後、我が『時間』を司る力で、その『空間』の時を止めるのだ」
「……っ!? 無理よ! 片翼を失った今の私じゃアリアの力には及ばない。ティーだって、時間を止め続けるのは辛いって!」
「制御するのは辛いが、力をアリアに留めれば問題はない。そうだな……。『空間』を布袋、『時間』を紐と考えれば、解りやすいか? 瀕死の状態で紐を持ち続けているか、どこか適当な場所へ結び付けておくか、の違いだ。お主が『空間』を作るだけ作って放置できるのと同じ。その代わり、これは一度しかできぬ。いつか何かのきっかけで、紐が弛んだり解けたとしても、我にはどうしようもない。……お主には、これを返そう」
「……私の翼? と、羽根?」

 私が座っているベッドの下から、ティーが何かを取り出した。
 それは、レゾネクトに折られた私の片翼と、アルフが使った羽根。
 レゾネクトが使えないようにって、念の為に持ってきてはいたけど。
 今更、これをどうしろと?

「手で持て。そう。しっかりな」
「!」

 私の腕の中で、翼と羽根が虹色の光に包まれて……消えた?
 違う。私に戻ってきた。
 力の一部として、私の中に戻ったんだ。
 ティーが翼と羽根の時間を巻き戻して、私に繋げた。
 翼と羽根が形を失い、欠けていた力が私に戻ってきた。

「今の我では、完全には戻せぬがの」

 翼と羽根は、力として私の中に戻ってきただけ。
 片翼は具現せず、失われたままだ。
 でも、全部じゃなくても戻った。

 今なら。今の半端で不安定なアリアなら、私でもなんとか抑えられる。
 それに、多分……もう一度、()()()

「封印はレゾネクトとアリアの接触を回避する為の一時的な措置。その上、封印している間のアリアは人間同然だ。レゾネクト以外の脅威(きょうい)に対しても、人間と同様に無力となる。それは理解しておけ」

 一時的。いつかは解けてしまう。
 いつか必ず、アリアとレゾネクトが力で繋がってしまう。
 そうなったら、この世界は。アリアは。

「やっぱり、そうするしか、ないのですね」
「恐ろしいか」
「はい。でも私は、大切なものを二度と失いたくない」

 ベッドから下りて蔓籠(つるかご)の前に立ち、眠っているアリアに手を翳す。

 可愛いアリア。
 私の娘。
 たとえ、ほんの少しの間だけだとしても、人間として、生きて。
 私も、生きる努力はするから。
 貴女と生きる為に、頑張ってみるから。

「ごめんなさい、アリア」

 アリアの内に大きな力を感じる。
 それを包み込む想像をする。
 『空間』も祝福も、私達に連なる力はすべて、丸く閉じ込める。
 そして、ティーが『空間』の時を、止めた。
 背中の翼が消えた今のアリアは、無力な人間の赤子と変わらない。

「せめて、アリアに自我が芽生えておれば、すぐにでも神々が眠る世界へと道を示してやれたのだが。それまでに決着をつけるほうが()()現実的だな」

 私達の封印はきっと完璧じゃない。
 何がきっかけになって、いつ弛むか知れないと考えれば。
 この状況でアリアの自我を育てるのは好ましくない。
 アリアの危険は生涯続いていくんだ。
 根源を絶たない限り、これから先、ずっと。

「行くぞ、マリア」

 アリアが眠る籠を左腕に抱えたティーが、右手を私の肩に置く。
 行くぞ……って、瞬間移動をしろってこと?

「どこへ?」
天神(てんじん)の一族が守護していた神殿。お主の家だ」

 神殿。
 懐かしい、黄寄り黒寄り白寄りと、様々な緑色に囲まれていた純白の……

「あまり見せたくはなかったがの。とりあえず、神殿の祭壇へ跳べ」
「? わかりました」

 目蓋を閉じて思い浮かべる、神殿の祭壇。
 代々の(かんなぎ)達が、神々の託宣を授かっていた場所。
 ステンドグラスを透過した美しい光彩と。
 精緻(せいち)に描かれた壁画が、静かに見守っている空間。
 ティーのこじんまりとした家から、広い屋内へと移動して。

 簡易なローブの裾が。長い白金の髪が。
 ()()()()()()()()()()()()()()()

「? 『風』?」

 違和感に誘われて開いた視界に飛び込んできたのは。
 火の粉を舞い上げて燃え盛る炎のような夕暮れ色に染まる、一面の
 …………瓦礫(がれき)の、山。

「……どうして?」

 私は神殿の祭壇に、屋内に移動した筈。
 なのに、見渡す景色は荒れ放題で。
 遠くに見えるあれは、壊れた噴水?
 その向こうには、何も無い。
 枯れ折れた真っ黒な木々と、あちこち抉り取られた地面が。
 西の果てへと沈みかけた真っ赤な太陽に、照らされている、だけ。

 足下にあるのは、崩れ落ちた石壁と、折れて転がった石柱。
 辛うじて形を保っているのは、頑丈な石床で……

 ここは、ドコ? こんな場所、私、知らない。
 私の家は、こんなんじゃ……っ

「神々が世界を渡ってすぐ、悪魔共が束になって、神殿を強襲したらしい。奴らにしてみれば神々も魔王も己を抑圧する存在故、解放の宴には丁度良い標的だったのだろう。我は、間に合わなかった」

 膝から力が抜ける。
 粉々に砕けた壁画の一部が、突いた両膝を少しだけ傷付けた。

「生き残った人、は」
「おらぬ。騎士も神官も、その他の官人も皆、例外なく殺された」

 ……誰も、居ない?

 コーネリアもウェルスも、アルフリードも失って。
 帰る家すら……友達の一人すら。
 私には残されていなかったのか。
 
『君の気持ちを預からせてもらう』

 泣きそうな苦笑いで応えてくれたエルンスト。
 貴方に結んだ薄紅色のリボンは、もう二度と。
 この目で見ることさえ、叶わない。

「…………────っ!」

 湧き上がる感情のまま、圧縮した『空間』の玉を無数に作って爆発させ。
 私自身を中心にして、瓦礫を放射状に弾き飛ばす。
 石床に描かれた翼の紋様が。飾り物より役立たずな天神(てんじん)の一族の御印が。
 紅蓮に燃える空の下へ曝される。

「どうすれば、良いのですか?」

 両手で顔を覆い、うつむいたまま為すべきことを問う私に。
 ティーは黙って石床の中心を指した。
 開いた指の隙間から、それを確認する。

 ここに、アリアの為の道を残せという意味か。
 私達がいなくなっても、神々が眠る世界へと繋げられる導き……(きざはし)を。

「お主の力で、この床と我の眼球に意識を籠めよ。ちと痛むが、我慢せい」

 足元に蔓籠(つるかご)を置いたティーが。
 吹き飛んだ瓦礫の中から、尖った石を適当に選び、拾ってきて。
 自身と私の右手首を深く切る。
 傷口から溢れ出た二人の鮮血が、石床にパタパタと滴り、混ざり合う。

 痛みなんか、とっくに振り切ってる。
 私に残された唯一のものを護る為になら……ティー。
 貴方の力だって、遠慮なく利用させてもらうわ。

「神々が眠る世界への(きざはし)には(かんなぎ)である私の意志を刻む。貴方の眼球には私の罪悪感とアリアへの思いを刻ませて」

 ティーの虹色の目が、睨むような私を静かに映してる。

 酷い顔ね。刃のように凶悪で、泥沼みたいに醜悪な顔。
 自分にこんな表情があるなんて思わなかった。
 今にもティーを刺し殺してしまいそう。

「哀れな娘よ」
「哀れみは要らない。優しさも必要ない」

 そんなのじゃ結局、誰も救えなかった。

 皆、いない。
 優しい人達は、優しかった人達は、誰一人残っていない。
 触れたくもないものばかりが、私の世界を侵食した。

 私が大切に思えるのは、この世界でただ一人、アリアだけ。
 私のアリアだけ。

 『時間』の力が一番強く残っているティーの眼球に、私の力を込める。
 力で取り出して、私の意識で覆い尽くす想像をする。
 ティーの『時間』に、私の『空間』を重ねる。
 石床にも力を残して、思いを刻む。

 ただ、アリアを護る為だけに。
 本体(わたし)が居なくても、貴女達がアリアを導いて。
 私の欠片達よ。



 見上げた空は、一日の終わりを告げる深紅色。
 だから、私達が貴女に残す言葉は紅から始まる。
 貴女の記憶に刻む歌がどうか、意味があるものだと伝わりますように。

今宵貴女に語る調べは、貴女一人に遺す音
紅染まる星空見上げ、思い出してね、愛の歌

 三人のマリアの歌が重なる。

千の輝き消え去った後に産まれ、育む貴女は
狭間で何も知らずに夢を紡いで
二度と会えない、哀の歌

 貴女は……貴女だけは、人間として、幸せに生きられますように。

迷いの森に光を照らせ、翳りは遠く時の砂へと
瞳を閉じて世界遮り、二度と会わない、愛の歌

 それでもいつか封印が弛んでしまったなら、世界樹の下へ行きなさい。
 勇者(アルフ)から受け継いだ神々の祝福を、エルフの長に気付かせるの。
 ティーが託した『時間』を司る力でなら、きっと戻せる筈だから。
 そして

光と夜の境に満ちて、巡る祈りは天の高みへ
辿れ、朽ち行く聖の先を
扉はきっと開くだろう

 いつかきっと、この神殿に来て。
 ティーの眼球で、私の『結晶(ちから)』で、『扉』を開いて。
 貴女の意思でしか、神々の世界への(きざはし)は昇れない。
 私達には、そこへ行くだけの翼が無いから。
 道を示すしかできないから。
 ここへ来て、アリア。

 決して、(レゾネクト)に囚われたりしないで!





「私は『扉』。神々が眠る世界へと、アリアを導く(きざはし)に刻まれた『扉』。マリアの本体や『鍵』である『結晶』とは、この瞬間に分離し、途切れた。でも、分かるのよ。本体は少しの間、ティーと一緒にアリアを育てていた。人間としてティーの家で過ごしていたの。マリア(わたし)はそれを望んでいたから」

 瞬間を切り取った画像の一つ一つが、ぽつぽつと黒く染まっていく。
 空間内で円舞を披露する記憶の断片に触れて、子供姿のマリアが微笑む。
 子供らしからぬ、柔らかな笑み。

「一つ確認するぞ」
「なんなりと」
「アリアは、()()()()子供だ?」

 子供マリアは ふ、と目を細めて、どこでもない場所を見る。
 遠く遠い、記憶の果て。
 今はもう、どこにも存在しない場所を。

「アルフと川辺に居た時の映像、途切れてたでしょ? その手の知識なんて全然無かったから。刺激が強すぎて、失神してたの。間抜けよね。自分から腕を伸ばしたのに」
「ああ?」
「アルフは私の気持ちに気付いてた。全部壊して欲しいと願っていたこと。諦めたかった気持ちに気付いてたのよ。バカよね。目が覚めた時のアルフの言葉で悟れた筈なのに、私ってば、まったく疑いもしなかったんだから」

 抽象的な言葉で濁すのは、コイツら神々側に共通する性質か何かか?
 ごちゃごちゃと迂遠な言い回しばっかりしやがって、マジでうっぜぇ。
 きっぱりすっきりはっきり端的に分かりやすくビシッと答えろっつーの!

「悪魔が破壊衝動に忠実な理由。それは、悪魔の多くが愛を知らないから。愛を知ったアルフは、私を()()()()()()と言ったのよ」

 目蓋を伏せて、口元だけで微笑む。
 自分自身を嘲笑うように。

「レゾネクトに犯された瞬間になって、ようやくそれに気付いた。アルフは私を愛していたから、最後まではできなかったの」
「要するに?」
「……封印する前、ティーの手を撥ね除けようとした()()()火花が答えよ」


 アリアは 魔王レゾネクトの 子供。


 
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