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逆さの砂時計

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オペラセリアのエピローグ 1

 正直、レゾネクトの涙を見るのは、少しだけ腹立たしい。

 だって、アルフ達を殺したのは、レゾネクト本人だ。
 『鍵』が伝えてきた通り、私達の対応が間違っていたのだとしても。
 そうさせてしまった原因が、私達の言動にあるのだとしても。
 レゾネクトがアルフ達や多くの生命を殺してきた事実に変わりはない。

『貴方が泣くのは卑怯だ。三人はもう、感情を表すことさえできないのに。貴方がそうしたくせに、貴方はそれを続けるのか。これから先も、ずっと、そうやってのうのうと生き続けるのか!』

 …………違う。
 そうじゃない。
 解ってる。

 レゾネクトは今、この瞬間にすべてを認め、受け入れた。
 自分が何をしたのか、何を失ったのか、何をすべきかを理解して。
 これまでとこれからを全部、自分自身で背負った。

 あれは死を送る涙だ。
 決して、自分の気持ちを誤魔化したり、正当化する為の涙じゃない。
 私に、あの涙は否定できない。
 悔しいと思っているのは生き残った私であって、アルフ達ではないから。

 アルフ達の心の内は、私にだって語れない。
 死者の立場になったつもりで、彼らが失った未来を語るなんて。
 そんなのは、八つ当たりめいた生者の傲慢なんだわ。

 その点、クロスツェルとレゾネクトのやり取りにも、微妙に引っ掛かりを感じるけど……何故かしらね?
 クロスツェルに対しては、憤りをぶつける気になれない。
 むしろ、彼を通してアルフ達の思いを伝えられている錯覚すらした。

 アルフリード。
 貴方が遺した『生きて』という言葉を、私はどこまで守れるのかしら。

 何度も何度も投げ出そうとした。
 『鍵』だって結局、自分から死を選んだのよ。
 私は私の心を、自分自身でくり返し殺してきた。
 これからも絶対にそうしないとは言い切れないわ。
 たとえ目の前に何よりも大切な、かけがえのない娘が居るとしても。

 いいえ、だからこそ。
 貴方の言葉は、とても、重い。

「みゃいみゃ」
「ティー」

 フィレス様の背後でレゾネクトを睨んでいた私の視界に、可愛い声で鳴くゴールデンドラゴンの子供がひょこっと顔を覗かせた。
 ティーは首を小さく傾げてから、私の顔に、すりっと頬を寄せてくる。
 柔らかな(たてがみ)が、ちょっとくすぐったい。

「みょみょにみゅみょう。いにゅみに」
「! ……ええ、そうね。今の世界じゃ、私達は異端どころか争いの火種になりかねないし、どうしたって、人間の世界には身の置き場が無いものね。ティーと一緒に、そちらへお邪魔しても良いかしら? リースリンデ」
「へ? ああっ、はい! もちろんです! 泉はいつだって、聖天女様達を歓迎します!」

 ティーと私の視線を受けて、クロスツェルから少し離れた所を飛んでいたリースリンデが嬉しそうに寄ってくる。
 でも、やっぱりゴールデンドラゴンは怖いのね。
 ちょっとだけ引き攣った硬い笑顔が、失礼かもだけど微笑ましい。

「ありがとう。では、お言葉に甘えて、しばらくの間はお世話になるわね」
「にゃあ!」

 ティーを左肩に、リースリンデを右肩に招いて、それぞれの頭を撫でる。
 それからもう一度、辺りをゆっくりと見渡した。

 数千年の時間を経て再生した森。ただ転がり朽ちるだけの、瓦礫の山。
 恋に夢見る幼い(かんなぎ)が育った家の跡地。
 友人とも、仕える者達とも、約束を果たせなかった神殿。

 何もかもすべてを失くしたと思っていた私の目に映るのは、愛しい娘と、彼女を愛する人間の男性と、新しく正統なる女神。かつては宿敵同士だったゴールデンドラゴンと精霊。
 そして、元魔王。

 レゾネクトを、世界への干渉から退けた今。
 本当なら、アリアを神々が眠る世界へと導いて、扉を閉めさせるべきだ。
 私はその為に、この場所でずっと、彼女の訪れを待っていたのだから。

 でもクロスツェルが言った通り、アリアにも私にも償うべきものがある。
 本当に、彼女の気持ちや将来を思うのなら…………

「……違うわね。これは、償いを言い訳にした、私自身の願望だわ」
「にゃー……」

 神々に対する、何度目かの重大な裏切り行為だとしても。
 アリアの成長を、この目で見守りたい。
 今度こそ傍に居て、貴女を護りたい。
 もう二度と、一人きりにはさせたくない。

 それが、私のわがまま。
 だから。

「アリア。私は、ティーやリースリンデと一緒に、『水鏡(みかがみ)の泉』へ行くわ。貴女達も、時々で良いから顔を見せにいらっしゃい」

 私の本体をどこかの空間に封印してくれたアリアに歩み寄り。
 精一杯、両腕を伸ばす。

 こういう時だけは、低い背丈が憎いわね。
 実の娘の肩すら抱き寄せられないなんて。

「…………はい。ありがとうございます、お母さん」

 察してくれたアリアが、軽く膝を曲げて両腕を伸ばし。
 ティーとリースリンデを潰さないように、私を抱きしめる。
 この光景、第三者には、私とアリアが逆の立場に見えるんでしょうね。
 アリアが母親で、私がアリアの娘で。
 
 でも、良いわ。やっと会えたんだもの。
 誰にどう見られるかなんて、気にしているだけ勿体ない。

 アリアをきつく抱き返し、緩やかで柔らかくて繊細な細糸を撫でる。
 髪質はアリアのほうが猫毛に近いけど、髪色は私の白金色とそっくりね。
 わずかな刺激を含んだ甘さは、白百合の香りかしら?
 信仰の象徴に選ぶだけあって、外見にも内側から滲み出てる雰囲気にも、よく似合うわ。

 でも、あの象徴花、まさかレゾネクトが選んだんじゃないでしょうね?
 クロスツェルの教会でも、なんか妙にベタベタしていたし。
 何かしらの手を出した後だったりとか……

 あ。
 いえ、ダメダメ。
 せっかく、こうして触れ合える機会を得たんだから。
 殺伐としてる場合じゃないわ!

 ゆっくりじっくり存在を確かめてから、互いに微笑み合って、離れる。

「アリアとロザリアをお願い、クロスツェル。ついでにベゼドラの見張りもしておいてくれると嬉しいわ。あの悪魔は天然なのよ。その分タチが悪い」
「天然、ですか?」

 不思議そうに首を傾げるクロスツェル。
 彼と対照的にリースリンデが「うん、天然(ボケ)ですよね」と力強く同意する。

「他者への、無自覚で全開かつ無防備な好意。彼、物凄く人懐っこいの」
「えええええ────っ!?」

 飛び跳ねるほど驚いてるけど。
 貴女も相当、彼に懐いているでしょう? リースリンデ。

「ああ、確かに。そういうところ、ありますよね」
「そうでしょ? またロザリアに甘えようとしたら、全力で止めてあげて。キリが無いから」
「承知しました」

 くすくすと肩を揺らして笑うクロスツェルに、私も笑みが溢れる。

 やっぱり、ベゼドラよりもクロスツェルのほうが頼りになるわ。
 彼が生きている間は、そんなに心配する必要はなさそうね。
 問題は、その後がどうなるか、だけど。
 ここまで追いかけて辿り着いた彼らだもの。
 絶対、悲しいだけの終わりにはさせない。
 私はロザリアの母親として、三人を…………
 いいえ、四人を信じよう。

「フィレス様。今回は、いきなり巻き込んでしまって、すみませんでした。貴女のご協力に、深く感謝します」

 ティーを落とさないように頭を下げると。
 本物の女神は「いえ。お役に立てたなら良かったです」と笑ってくれた。

「地元は飛び出しましたが、私の仕事の本質からは大きく外れてませんし。ああ……ですが、師範とアーレストさんには、一度ご挨拶していただけるとありがたいです。お世話になった方々ですし、当事者でないと説明が難しい詳細も報告しておきたいので」
「わ」

「アーレスト!? アーレストってまさか、アリア信仰に勤めている神父の『アーレスト』ですか!?」

 ……「分かりました」、と答えるつもりだったのに。
 激しく動揺したクロスツェルの声で阻まれてしまった。

「はい。私のこの力はアーレストさんに覚醒させていただいた物なのです。そういえば、お二人はご友人でしたね」
「ええまあ、友人というか、なんというか。そう、ですか。アーレストが」

 大丈夫かしら?
 疑惑と焦燥が混じった顔色は、膝を突いていたさっきより数倍青白い。

「では、泉へ向かう途中で伺います。フィレス様もお戻りになられるなら、とりあえずお送りしますが。クロスツェルも行く?」
「いえ! お誘いは大変ありがたいのですが、私はバーデルに戻らないと、渡国許可や入街許可の問題がありますので!」

 間髪を容れず、右手を上げてスパッと断るクロスツェル。
 空間を移動するのだから、立ち入り許可には影響しないと解っている筈。
 よほどアーレストさんに会いたくないのね。

「私は、そうしてもらえると助かりますが。少々、お時間を頂けますか? 考えなければいけないことがありますので」
「急ぎではありませんから」
「ありがとうございます」

 姿勢良く一礼したフィレス様は両手を組んで、うーんと唸り始める。

 人間として生まれ、最近まで人間として生きてきたというフィレス様。
 赤子時のアリアと同様に翼や力を封印しても、以前の暮らしはよく続いて十数年程度だろう。
 他者に殺されるか、力が底をつくまでは無限に近い歳月を生き続けるし、一定以上は老化しないから、今の人間世界では人里に定住するのも難しい。
 とはいえ、いきなり姿を消しても様々な問題が残る。

 もしかしたら彼女をこそ神々の元へ送り出すべきなのかも知れないけど。
 それを決めるのは私ではないし。
 すべての可能性を提示しても、最終的に選び取るのは彼女自身だ。
 ゆっくり、しっかり考えていただこう。
 後悔だけはしないように。

「レゾネクト」
「?」

 涙を拭って私を見下ろすレゾネクトに、片翼型のブローチを掲げる。
 一度は自分の意思で手放した上に、壊してとまで願ってしまった物だし。
 本当は、こんなことを言って良い立場ではないけれど。

「私の記憶を読んで知ってると思うけど、このブローチは大切な友人からの贈り物だったの。今まで護っててくれて、返してくれて、ありがとう」
「…………ああ」

 レゾネクトはちょっと驚いた顔をして、それから にこっ と笑う。
 初めて見る笑顔だ。無知な子供のものとは違う無邪気な笑顔。どことなくアルフの笑顔と重なるのは、彼もアルフの言葉を受け継いだからね。
 ここまで来るともう、苦笑するしかない。

 あ、笑顔で思い出した。
 そういえば。

「ねえ。初めて会ったあの時、コーネリアと何を話していたの?」
「あの時? ……ああ、あれか」

 レゾネクトの腕がコーネリアの体を貫いた、あの瞬間。
 音を遮断していたから、私には聞こえていなかったのだけど。
 レゾネクトとコーネリアは、何か言葉を交わしていた。
 しかも、コーネリアは笑ったのよね。
 何故か、間違いなく笑いながら答えていた。
 冷静に考えなくても不思議な光景だわ。

「貴様が死んだらウェルスは生きる理由や意味を失くすのかと尋いてみた。コーネリアの答えは、死ぬんだから生きてるワケがないだろ、だ」
「………………………………」

 『だから、ウェルスを殺したの?』
 とは、今までの流れからして、尋くまでもない気がする。

「なによ、それ」

 もう本当に、笑うしかない。

 ウェルスとコーネリアは、最後まで()()だった。
 多分、私達四人が揃っていた川沿いで、二人は約束していたんだ。
 死ぬ時は一緒に、って。

 二人が、何かと話題にしていた子供達を想っていなかった筈はない。
 二人の表情は、最後の一瞬まで諦めてなかった。
 それでも死が訪れるなら、それも二人で分かち合おうと。

「うらやましい生き方。やっぱり二人は私の理想だわ。私には眩しすぎる」
「死にたいのか?」
「いいえ」

 露骨に曇ったレゾネクトの顔を見上げ、大袈裟な勢いで首を振る。

「二人みたいにはなれないから、理想なのよ」
「そうか」

 今度は嬉しそうに、ふわりと微笑む。
 アルフリード達の死が、この男性をここまで変えるなんてね。
 こうして直視していても、まだ信じられないわ。

 私の内に巣くった憎しみも殺意も、簡単には払拭できないし。
 いつか忘れる日が来るとか、そんな風には全然思えない。
 でも。

「さようなら、まだ何者でもないレゾネクト。良い旅を」

 私は今も生きている。
 アルフの願いを抱いて、これからも笑いながら生きていく。

「さようなら、かつて聖天女と呼ばれていた(かんなぎ)マリア。穏やかな日々を」

 貴方も生きていく。
 アルフの遺志を受け継ぎ、取り戻せない想いに苦しみながら生きていく。

 今度はアリアを哀しませないでちょうだいね。
 この先、貴方に関わることで泣かせたら、問答無用で張り倒すから。
 覚悟してなさい。



 さようなら、大好きだった人達。
 これからのことは、何一つ、確かな約束などできないけれど。
 私は私で、進めるだけ進んでみよう。

 銀製のブローチを胸元で握りしめてから、ふと見上げて、気付く。
 ああ、なんて綺麗。

 太陽が半分欠けた空に、陽光を映した月と星がうっすらと輝きだした。


 
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