逆さの砂時計
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Side Story
共に在る為に
俺とあいつは、気が付いたら一緒に居た。
あいつの母親が、小さいあいつを俺の両親に託して村を出ていってから。
俺の家でずっと、家族として一緒に育ってた。
一緒に居る月日が長かったから、俺の中でそれは『当たり前』の日常で。
あいつにとっても、この日常が『当たり前』だって、決めつけてたんだ。
『当たり前』なんて、あっさり壊れるものだとも知らずに。
朝、自室で着替えてから一階に降りて調理場を覗けば、トントントンと、まな板を叩く包丁の規則的で軽やかな音が聴こえてきた。
この包丁の音って、なんか良いよなあ。根菜スープの甘い匂いもふわりと鼻をくすぐって、空腹に悶える腹の虫を刺激する。あー、腹減ったー。
「おはよう、母さん」
「おはようじゃないわよ! この、ぐーたらウェルス! とっくにお日様が顔を出してるんだから、早く畑へ行きなさい!」
「ふぇーい」
スープを煮込みながらサラダも作っているのか、千切りにしたキャプスを金物のボウルに移して、植物油とセサムを念入りに混ぜ込んでる。
この分じゃ、今日の朝食も質素だ。野菜しかない食事ってやつは、まるで自分が草食動物にでもなった気がして滅入っちまう。
が、食べられるだけマシってもんだ。
やる気はまったく出ないけど、仕事だけはしとかないと食いっぱぐれる。
「コーネリアは? 部屋に居なかったけど」
「湖へ水汲みに行ってるわよ。アンタ、少しはあの子を見習いなさいよね。毎日毎日よくもまあ、そこまでだらしなくいられるものだわ。コーネリアは太陽が昇る前に起きて、しっかり働いてくれてるのに」
おっと、ヤバい。
母さんのお説教は一度始まると長いんだよな。
ここで捕まったら昼飯まで抜かれかねん。
「明日は頑張って早起きするよ。んじゃ、後で」
「その『明日』とやらは、いつになったら来るのかしらね。まったく」
イライラしながら新たな野菜をまな板に乗せてるトコ悪いけど。
早起きする明日なんて、永遠に来ないかも。
朝はどうしたって眠いじゃん?
視界も狭くなるってのに、暗い中であくせくしたって危ないしさ。
畑が丸ごと逃げるでもあるまいし、ソコまで焦る必要もないだろうに。
「遅いぞ、ウェルス! 早くその辺のトマルを収穫して、荷車に積め!」
「へーい」
家から少し離れた場所。
山の斜面を利用して作られた畑に着くなり、父さんに手袋を投げられた。
顔面にぶつけるのはやめてくれ。結構痛い。
俺達男は五歳になると、以降は夜明け前に畑を手入れしなきゃならない。
土を耕すとか、種をまくとか、収穫するとか、野生動物を退治、もしくは捕獲する為の網を張り直すとか、とにかく仕事量が膨大で。
一息吐けるまでには、どんなに速く済ませても四時間は掛かる。
その間、女は水汲みやら朝食の支度やら掃除洗濯やらを担当してるけど。
力を使うのなんて、水汲みくらいじゃん?
楽そうで羨ましいね。
「ウェルス。お前もあと五年で結婚するんだ。そろそろしっかりしないと、相手の女に逃げられるぞ」
「結婚、ねえ」
俺達の村では、男女揃って十三歳の誕生日に結婚相手を決められる。
俺とダチ二人には同い年の女子が一人もいないから、あぶれてる年上から選ばれるみたいだって、前々から聞いちゃいたけど。
実感が全然湧かないんだよなー。
いや、女の裸体には興味あるけどさ。
それは鑑賞物っていうか、見るだけで良いっていうか。
「でも、キマリゴトじゃん? 逃げようがないでしょ」
「わかんないぜ。女ってのは、嫌がる時はとことん嫌がるからな。それこそ死に物狂いで村から逃げ出すかもよ」
面倒くさいなあ。長い物に巻かれておけば楽なのに。
どうして女って、無駄に偉ぶる上に、自己主張が激しいんだろ。
ホント、意味不明。
「あー、ツマンナイ。」
赤く熟れた実をうっかり潰さないように手で支え、軽い力でもぎ取る。
それだけの作業を、区切りがつくまで延々とくり返した。
「ウェルス! 遊びに行こー!」
「うーい。今日は何すんだ?」
「湖の近くで面白いモンを見っけたんだ。ソコ行こうぜ!」
家へ帰って朝食を済ませたら、次に待つのは材木集めと薪割りだ。
俺とダチ二人は、それぞれ一定数を確保した所で、片付けもそこそこに早々と戦線離脱した。
俺と二軒隣の家に住んでるトーマと、その隣の家に住んでるクレイとは、村に三人しかいない同い年の男同士、仲が良い。
コイツらと遊ぶ時間は、他のなによりも楽しくて。
宝探しみたいな周辺探索には、毎日わくわくしてる。
「こら、アンタ達! 遊ぶんなら仕事を終わらせてからにって、ちょっと、止まりなさい、クレイ! 危ない!」
「ぅわ!?」
野菜てんこ盛りの籠を両腕で抱えてる近所のおばさんから逃げようとしたクレイが、前方に居たコーネリアの背中にドンッとぶつかった。
体が軽いコーネリアはあっさり吹っ飛ばされ、顔面からすっ転ぶ。
なんだ、コイツ? 朝食の時も家に居なかったのに。
どうしてこんな村の入り口近くで、一人でボーッと突っ立って……
じゃない!
「前を見て走れよ、クレイ! 危ないだろ! 大丈夫か、コーネリア」
トーマとクレイを押し退けてコーネリアの前に回り込み、手を差し出す。
鼻は少し赤くなってるが、怪我は無さそうだ。
良かった。
「大丈夫。ありがとう、ウェルス」
「お前も来るか? トーマが湖の近くに面白い物を見つけたんだってさ」
物のついでだ。
立ち上がって膝に付いた砂を払うコーネリアにも、誘いをかけてみる。
が。
「トーマ? ……誰?」
「え」
きょとんとした表情で俺達三人を見比べ、首を傾げたコーネリアは
「ごめん、やることがあるから」と言い残して、立ち去ってしまった。
「なんだアイツ。つまんねーの。行こうぜ、ウェルス」
「あ、ああ……」
村の外へと、トーマに腕を引っ張られながら、ちらりと振り返る。
コーネリアは、家に帰ったのかな?
あいつ、トーマの顔もクレイの顔も、本当に知らないって感じだった。
どうして? 俺達三人は毎日、家の中でも外でも会ってるのに。
確かに、コーネリアとは面と向かって話してなかったと思うけど。
俺と同じ村の、俺と同じ家で一緒に暮らしてるアイツが、俺のダチを全然知らないなんて、そんなバカな。
でも……
「ごちそうさまでした」
両手を合わせたコーネリアの言葉で、ハッと我に返る。
あれ? 俺、いつの間に帰ってきたんだ?
しかも、夕飯までしっかり食べ終わってるとか、なにこれ怖い。
「ウェルス、皿を貸して」
「ん? はい」
コーネリアが差し出す手に、空になった皿をひょいと乗せる。
一通り集めた食器を少ない水で洗い、丁寧に拭いてから棚へ戻す。
それが終わったら、今度は米を炊く下準備を始めた。
こうやって改めて観察してみると、結構忙しく動き回ってるんだな。
俺とも、両親とも、あんまり話してないし……
……って、え?
ちょっ
「コーネリア!?」
コーネリアがザルで米を掬ったと思ったら、いきなりバタッと倒れた。
慌てて駆け寄り、横向きに倒れた体を抱き起こす。
「…………え!?」
熱い。
なんだこれ!?
コーネリアの体が、めちゃくちゃ熱い!?
「どきなさい、ウェルス! アンタは触っちゃダメ!」
母さんがコーネリアを抱え上げ、一階にある両親の部屋へ運んでいく。
母さんの肩越しに少し見えたコーネリアの顔は、ありえないほど真っ赤に染まって、すごく苦しそうに歪んでた。
「父さん……あれ、何? あいつ、どうしたの!?」
「落ち着けウェルス。俺は医者を呼んでくる。お前はここを片付けるんだ。いいか? お前が慌てたって、何も解決しない。お前はやれることをやれ。分かったら動け!」
「父さん!」
玄関扉を開いた父さんは、月が光る夜の闇へ溶けて消えた。
母さんは、部屋に入ったまま出て来ない。
俺は……
そうだ。
俺が慌ててたって、どうしようもない。
物置から箒を持ち出して、床に散らかった米粒を集める。
おかしいな。
どうしてこんなに集まりが悪いんだ? 大した量じゃないのに。
「コーネリア……」
汗が滲んでて、息苦しそうだった。
触れた熱を思い出すと、俺の手まで熱くなったみたいに震える。
大丈夫、だよな?
父さんが医者を呼んでくるって言ってたし、母さんが看てるから大丈夫。
大丈夫だ、きっと……。
「手は尽くしました。これで治まらなければ、残念ですが」
「そんな! なんとかならないのですか!?」
「彼女の体力次第、と言いたいところですが、今回の場合は過労が病を引き込んでいます。こんなに体を酷使した子供なんて、聞いたことないですよ」
「コーネリアは辛いとか苦しいとか、一言も……こんなになるまで、一言も言ってくれなかったなんて!」
「心配をかけたくなかったのでしょう。とにかく、今は見守るしか」
「コーネリア……ああ……! ごめんなさい、ごめんなさい!」
軽く開いた扉の奥。
眠るコーネリアの周りで、父さんと医者が泣き喚く母さんを慰めてる。
コーネリアが倒れたのは、過労が原因の病気。
体を酷使したせい。
酷使って、なんだ?
朝早く起きて、水を汲んで。
毎食後、手伝う程度に皿を洗ったり片付けしてた、だけじゃないのか?
どうしてその程度で過労になるんだ?
「あいつ、いったい…………まてよ?」
そういや俺、あいつと同じ部屋で寝起きしてる筈なのに、あいつより先に起きたことが一度もない。
水を汲んでる姿も見たことはないけど、母さんが料理を主にしてるなら、四人分の水を毎日用意してるのは、あいつじゃないのか?
飲む用の瓶は、朝になるといつもいっぱいになってた。
それに
「……………………っ!」
もしやと思って外に出てみれば、薪割り場が綺麗に片付けられてる。
深く考えてなかったけど、毎回毎回投げやりに使ってる筈のこの場所が、毎日さっぱりしてたのはどうしてだ?
父さんや母さんはそれぞれ、別の仕事で手一杯だし。
今じゃ、ここは完全に俺専用の仕事場と化してるんだぞ?
あの二人が黙って綺麗にしてくれるわけないじゃんか!
「…………あ……あああ!」
昼前に、やる事があるって言ってた、あれは……
あいつ、俺が投げ出した仕事を全部肩代わりしてたんだ!
自分の仕事をしながら、俺がサボって楽した分も全部背負ってた!
多分他にも俺達が気付かなかった小さいことや大きいことを、たくさん。
そのせいで……!
「……いやだ……」
俺が、自分の仕事をちゃんとしなかったから。
俺のせいで、あいつが倒れた。
ずっと一緒に居たコーネリアが、俺のせいで、死ぬ。
そんなの、嫌だ!!
「ウェルス!? アンタ、こんな夜中にどこへ行って」
「良いから! この薬草を、あいつにあげて! コーネリアを助けて!」
夜の林に飛び込んで、滋養に富む薬草を掻き集めた。
夜は危険な獣が多いとか、枝や葉っぱで体中に傷が付くとか。
そんなことはどうでもいい。
コーネリアが居ないとダメなんだ。
あいつが居ないと、俺は『当たり前』の日常に居られないんだ。
絶対、失くしたくない!
「コーネリアを助けて! 助けてよ!」
「ウェルス……」
父さんに頭を撫でられながら、疲れて眠るまで泣き叫び続けた。
俺はバカだ。
正真正銘のバカ野郎だ。
楽な仕事なんか、あるわけがないのに。
自分の仕事が一番面倒で辛いとか、そんな筈ないのに。
自分が手を抜いたら、抜いた分は自分以外の誰かがやるんだって。
どうして、そんな基本的なことも解らなかったんだ!
「ごめん……ごめんな、コーネリア……っ」
ちゃんとするから。
俺、これからはちゃんとするって、約束するから。
お願い、起きて。死なないで。
俺の傍から居なくならないで……っ!
「あなた! コーネリアが!」
朝。
母さんの悲鳴で飛び起きて部屋を覗けば、寝てた筈のあいつが居ない。
あんなに熱かった体を埋めてたベッドなのに、触ると冷たい。
どこへ……
「そうだ! 昨日、あいつが立ってた場所!」
「ウェルス!?」
家を飛び出し、村の入り口まで全力で走る。
ああ、やっぱり居た。
寝着姿のコーネリアは、湖を。
その向こうの世界を、村の外へ出るでもなく、ジッと見てる。
急激な運動と焦りで爆発寸前の心臓を抑えつつ近付いても、反応が無い。
俺に気付いてないのか?
……違う。
俺を見る気が無いんだ。
俺でも、俺の両親でもない何かを、こいつはずっと待ってる。
この場所で待ち続けてる。
昨日も、多分その前も、その前の前も。
ずっとここで……
「なにを待ってるんだ?」
感じたままの問いに、コーネリアは
「わたしのじかんを待ってるの」
やっぱり、俺を見ようともせずに答えた。
「わたしを作ったじかんを待ってるの」
「…………っ!」
耳が赤い。まだ熱が下がってないんだ。
なのに、家を出て。
こいつは多分、本当の家族を待ってる。
自分を置いて出ていった母親の帰りを、ここでずっと待ってたんだ。
「お前……」
俺の家で、俺と同じ部屋で、同じ時間を過ごしてるんだと思ってた。
けど、違った。
体を壊すくらい俺達に気を遣って、遠慮して、距離を置いて。
……一人……だったのか……?
一緒に育ったと思ってたお前の心は。
最初から、この村のどこにも無かったのか?
そんな……そんな寂しいのってないだろ。
俺がここに居るのに。
お前を捨てた母親なんかより、俺のほうがずっと長く一緒に居たのに。
俺を見てよ。
薄情な母親なんかより、ここに居る俺達を見てよ。
ねえ、コーネリア。
こんな所で、一人ぼっちにならないで。
一人ぼっちなまま死んでしまわないで。
俺達の傍に居て、俺を見てよ、コーネリア……!
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