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逆さの砂時計

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くらすちぇんじ・まりあさま

「あら、可愛い」

 着込んだばかりの服を見下ろし、スカートの裾を摘んで一回転してみる。
 膝丈の裾に花柄のレースをあしらった、薄紅色の袖無しワンピース。
 胸元に大きめのポケットを二つ外付けした、長袖の白い上着。
 膝上までを覆う白いストッキングに、飾り気が少ない赤い革靴。
 昔とは素材が全然違うのか、湿気が籠るような肌触りは少し気になるけど。
 金髪青目の美少女がこの衣装で赤い髪飾りを付けていたら、それはそれは素敵な画になりそう。

「現代の服飾品にはいろんな形があるのね。今まで一般人の服を着た経験はなかったから、ちょっと嬉しいわ。リースリンデにも似合いそうよ?」

 着替え終わるのを待って、私の頭上にふわりと翔んできた小さな精霊。
 私の全身を見下ろした彼女は、なんとも複雑な表情で浅く頷いた。

「装飾品に興味はありませんが、聖天女様にはよくお似合いだと思います。買ってきたのがベゼドラというところは、なんとなく微妙……ですけど」
「そうね。不機嫌が服を着て歩いてるみたいだったから、多少の嫌がらせは覚悟していたのだけど。この程度の皮肉で済んで良かったわ」

 フィレス様達が本格的な行動を始める前。
 私が着る為の服を一式揃えて欲しいとお願いした時に、ベゼドラが見せた壮絶なまでの苦々しい表情を思い出して、クスッと笑ってしまう。

 今にも誰かを殴り殺しそうな凶悪な目つきで、子供の規格……
 しかも少女向けの物を、下着も含めて買い求める、全身真っ黒な青年。
 彼を見た瞬間の、店員さんの恐怖と疑念はいかほどだったか。
 きっと、あらゆる意味で戦慄しただろう。
 仕方ないとはいえ、双方に申し訳ないことをしてしまったかしら?
 私が自分で買いに行ければ良かったのだけど。

「皮肉、ですか?」

 きょとん、と瞬くリースリンデを手のひらに迎え。
 反対の手でそっと頭を撫でる。

 彼女には私の記憶を見せてないから、意味が解らないのは当然。
 薄紅色は、私にとってたった一人……だった、今でも大好きな友達の色。
 二度と見られない、懐かしいリボンの色。
 あえてこの色を主体に選んできた辺りが、八つ当たり精神の表れね。

 でも、本当に変わってるわ、ベゼドラ。
 ()()は、ロザリアの件とは直接関係ないのだし。
 断ろうと思えば断れた筈なのに。

 ロザリア以外は心底どうでもいいから、やれと言われればやる、か。
 どうでもいいから、全部を無視する。
 とならないのは、クロスツェルの影響?
 それとも

「確かに。動物の耳を真似て作った被り物を用意するなんて、とんでもない皮肉ですよね。聖天女様の頭に猫の耳を乗せるとか、ふざけてるわ。いえ、それもお可愛らしいですが」

 あ。
 こっちのことだと思ったのね。

 服と合わせて頭に被っているのは、上着と同じ素材と色で作られている、猫の頭部を象った帽子。
 首筋まで隠せる後頭部の覆いに、ピンと立った三角形が二つ並ぶ頭頂部。
 聴覚を伴わないこの耳に、何の役割があるの?
 それに、顔の横から肩にかけて垂れている紐も、不思議な存在感だわ。
 先端に丸い飾りが付いたこれ、結べば良いの? 垂らしておけば良いの?

 いつか人里へ降りる必要が出てくるかもと考えて、髪や目の色を隠す為にお願いした被り物だけど、現代人の感覚ではこんな擬似物が一般的なの?
 でも、擬似にしては、本物の猫とはだいぶ様子が違ってる。
 白目が無い縦長の黒い目とか、笑ってるようにも見える口元? とか。
 ひげの位置も、普通は目の真下には無いわよね。
 角度次第でそう見えるとしても、こんなに太くはない筈。
 左右に三本ずつしか無いのも不自然。
 多少省略してたり、本物らしさを横に置いてるとしても。
 これ、猫が笑いながら頭に噛みついてるように見えるんじゃない?
 猫に噛まれたい欲求でもあるの?

「現代人の感性は独特ね」
「人間そのものが変なんです。何がしたいのか、さっぱり解りません」
「この装飾に関しては、私にも解らないわ。狩りで獲た毛皮を服にしていた部族の名残、ってわけでもないでしょうし」

 昔の人間にとっての猫は、大地にあっては農作物の守り神、海にあっては船の守り神と崇められた、聖なる生き物。
 それを狩る部族なんて、どの国、どの大陸にも存在しなかった。
 少なくとも私達、天神(てんじん)の一族が生きていた時代では。

 ああ、神聖な生き物の力にあやかろうとして……る、とも、思えない。

「謎ね」
「はい。意味不明です」

 そういえば、先日まで現代の王都に居たと言ってたっけ。
 きっと、不思議な物事をたくさん見てきたんでしょうね。
 精霊には受け入れがたい物事を。

 目が据わってるわよ、リースリンデ。

「みゃいみゃ!」

「きゃあ!?」

 突然、右肩にズシッと重いものが乗ってきた。
 仔猫を思わせる、ちょっと高めの愛らしい鳴き声の主に目を向けると。
 彼は黒い縦筋が入った金色の目で私の顔を覗き込み、頬をすり寄せた。

「びっくりした……どうしたの? ティー」
「にょにょみょうにゃにゃっにょうにょみゃあうにゃ、みゃいみゃ」
「まあ……。ふふ、ありがとう。他でもない貴方にそう言ってもらえると、もっと嬉しくなるわ」
「みみみゃみょおみょおにゃわいいにゃわにゃ」
「そう? 自分では普通だと思ってた」
「にょんにゃうにょわにゃい」

 くるくると喉を鳴らして寄り添うティーの仕草は、まるで本物の猫ね。
 金色の(たてがみ)が柔らかくて、くすぐったい。

「…………」
「あら。まだティーが怖いの? リースリンデ」
「……いえ……」

 ティーと(たわむ)れてる間に、私の手から離れたリースリンデが。
 『疑惑の眼差し』を体現しつつ、宙に浮いてティーを見下ろす。

「目の前で起きたことですし、状況はきちんと理解してるつもりですけど、やっぱり複雑な心境です。本当に、バルハンベルシュティトナバール様とは別個の存在なんですよね? そのドラゴン」

 精霊族のかつての天敵、太古の支配者『ゴールデンドラゴン』は。
 リースリンデの言葉に、くわあ~っと、のんびり欠伸(あくび)を返した。

「そうよ。厳密に言えばティーとは違う。でも、ティーの記憶を持ってる。だから、貴女を襲おうとはしてないでしょう?」
「にゃうにょうにゃみ」
「ですって」
「すみません。何を言っているのか、さっぱり解らないです」
「ににゃわにゃいにゃ」

 肩に乗ったまま呆れた息を吐く、(ふくろう)ほどの大きさの彼は。
 フィレス様の『言霊』で在りし日の姿(ただし復元可能な規格)をとっても愛らしい形で取り戻した、元、黒い本。

 遥か昔も昔……私が生まれるよりずっと前の時代に絶滅した筈の天敵が、現代になって突然現れたんですもの。
 リースリンデが戸惑うのも無理はないわ。



 話は、フィレス様達が水鏡(みかがみ)の泉を離れるちょっと前。
 ベゼドラに買ってもらった服を私が受け取った時点まで(さかのぼ)る。

「ところで、この本は何?」

 ベゼドラが投げ渡してきた黒い表紙の本を掲げて、彼を見上げると。
 不機嫌絶頂な紅い目が私を一瞥(いちべつ)して、ふいっと顔を逸らした。

「ティーの日記だ。俺はもう読み終わったから、お前の好きにしろ」
「ティーの日記?」

 『扉』である私がティーの家で過ごしたのは、ほんの数時間程度。
 彼が日記を書いていたなどとは、当然知らなかった。
 片目を奪ってしまったし、それ以降は書いてなかったんだろうな。
 と思いつつ、私のこともちょっとは書いてあるのかな?
 なんて、気になって開いてはみたけど、文字が古すぎて全然読めない。

「かつて神々が使っていた神聖文字……よね? これ。私の時代でも読める人間はいなかったのに、よく現代まで残ってたわね」
「雪山の廃屋で拾った」

 雪山の?
 ティーに拾われた時の山は、どちらかといえば暖かいほうだったのに?

「あれから何をしていたのかしら、ティー」

 彼の物と聞いては、棄てるのもためらわれる。
 でも、私が持ち歩くには大きいし重いし……
 と悩んでいたら、フィレス様が

「では、本に自立してもらいましょうか。『刻まれし記憶、綴られし想い。時空を越えて留めた、その(かたち)。籠められたすべてを、己の思考の糧として、己の言葉と語る姿に、成れ!』」
「えっ!?」
「はあ!?」

 『言霊』がとんでもない力だとは、私を具現させた時点で解ってたけど。
 まさか、本のような物体を可動体に変容させられるとは思ってなくて。
 私もベゼドラも、フィレス様の言葉に肝を引っこ抜かれた。
 そして、ぽんっ! と軽い音で変身したのが

「みゃ?」

 トカゲにも(わに)にも似た黄金色の体に蝙蝠(こうもり)みたいな羽根を備え、頭頂部から首筋まで伸びる金色の(たてがみ)をふさふさと揺らす、二足歩行も可能な卵型の、丸っこいゴールデンドラゴン。
 ちなみに、彼の姿を見た瞬間のリースリンデは、花園の中を絶叫しながらすごい勢いで逃げ惑ってた。

「表紙の感触からして、何らかの生き物の皮を利用しているのだろう、とは思ってましたが、これは……ドラゴンの子供でしょうか? 可愛いですね」

 あ、そうか。表紙の皮。
 元生物だったから、『言霊』が通用したのね。
 と、納得していたら。
 ベゼドラが「可愛いか? ただのデブだろ、これ」と言って、思いっきり頭に噛みつかれてた。

「みゃいみゃ」

 自らで考え、動き、声を発するようになった元日記は。
 私と目が合うなり、肩に飛び乗って頬を寄せてきた。

「え? ああ、ティーの日記。()()()()()()()()()()()と言ってましたね。やっぱり、私のことも書いてあったのね? だから私の名前を知って……」
「「「え?」」」
「え?」

 一同に不思議なものを見る目で首を傾げられた、その理由はとても単純。
 彼の……竜族の言葉は、私以外の誰にも理解できなかったらしい。



「にょにょにょうににょみゅみゃみゃにゃみゃ、にゃえみょにゃにゃみゃえみゃにょにゃにゃ」
「私だって、今は何もできないわ。でも、ベゼドラが頑張ってくれてる間にいろいろ考えておかなきゃ」

 本当なら私が背負う筈だった役目を、後世の人間に押し付けてしまった。
 せめて、私にもう少し力が残っていれば、違ってたかも知れないのに。

「あの、聖天女様? それなんですけど……あんな作戦で本当にアリア様が現れてくださるんでしょうか? 仮に現れるとしても、魔王レゾネクトだけなんじゃないかと思うんですが」

 ベゼドラがこれからすることは、一応リースリンデにも話してある。
 ずっと心配そうな顔をしてたのは、この作戦のせいだったのね。

「それで良いのよ。むしろレゾネクトが現れてくれないと困るわ。その為にベゼドラを酷使するのだから」
「いえ、ベゼドラはどうでもいいんですが」

 自身の顔の前で右手をパタパタと振るリースリンデ。

 不思議ね。
 精霊にとっては人間も悪魔も等しく忌み嫌う存在なのに、リースリンデはベゼドラを嫌ってる感じじゃない。怖がっている様子もない。
 人間的にいえば、喧嘩(けんか)友達? の感覚なのかしら。

「レゾネクトとアリアは繋がってる。昔レゾネクトが利用していたものを、今度は私達が利用させてもらうだけよ」
「はあ……」

 レゾネクトがこの作戦に気付いたら、きっとベゼドラを狙ってくる。
 フィレス様のほうに来ても構わない。
 私にさえ来なければ、次の手は打てる。
 考えなきゃいけないのは、作戦遂行中の私の身の振り方だ。

『アルフリードのバカの遺志なんざ、どこぞの海にでも棄てちまえ。二度とくだらない失態見せんじゃねぇぞ、聖天女』

 本当に。なんてくだらない失態だったのかしら。数千年を経た今になって自分が犯した最大の(あやま)ちを指摘されるなんて、情けない。
 でもね、ベゼドラ。
 私はもう、それを過ちとしてすんなり受け入れているの。
 アルフリードの影響なんて、私には欠片も残ってないと思うのよ。

 愚かだった。本当に。
 あの瞬間の選択には、後悔よりも怒りが沸いてくる。
 何もかもを失ったのは、皆に甘えてばかりいた私への罰ね。
 今度は……今度こそは、あんな無様な醜態(しゅうたい)を曝したりしない。
 アリアだけは絶対に譲らないわよ、レゾネクト。

「みゃいみゃみゃ、にゃえにゃみゃみょみょう」
「ありがとう、ティー」

 もう一度頬をすり寄せてきたティーの頭を撫でて、微笑む。

「……本当に、何て言ってるんだろう……?」

 怪訝な表情でポソポソと呟くリースリンデにも微笑み。
 今なお明るい空を見上げた。

 半分欠けたままの太陽が、私を白く照らしてる。
 その強い陽光こそが、色濃い影を生み出しているのだと。
 太陽自身は知っているのだろうか。


 
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