逆さの砂時計
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Side Story
無限不調和なカンタータ
断言する。
優れた音感覚を「絶対音感」と称するならば、この世界を作った創造神はその真逆。
『絶対音痴』であると。
「あー……頭割れそう」
何処へ行っても何を聴いても、ぴーひゃらぴーひゃらぴよぴよぷっぷくぷーと、騒々しい事この上無い。
生物達が鼓動を鳴らし、声を発し、息をし、活動する度に重なり合う不協和音。
これを美しいとか旋律とか表現しちゃってるヤツらは、きっと耳が捻れて捩れて美醜の区別も付けられなくなってるんだわ。いっそお気の毒とお悔やみを申し上げたいくらいに。
中でも、人間が出す怪音は酷いなんてものじゃない。
規則性も何も無く、大きくなったと思ったらパタッと止まったり、静かだと思ったら金属を爪で引っ掻いたような音を突然高々と響かせたり。
死際に立てる「ザザーッ」って音も何なの? 岩礁に打ち付ける波音や、薄くて少し柔らかい紙を揉みしだいてる音にも聴こえる。
あれだけは、何度試してもいまだに発生源が判らないのよね。目に見えるものが要因じゃないのかしら。
どっちにしても、あまり心地好くないのは確かだけど。
「何処かにもう少しまともな音は無いの? いい加減、気が狂いそう」
ねぇ、創造神とやら。アンタの中途半端な作曲の所為で、私の耳が大迷惑を被ってるわ。なんとかしなさい早急に。私が胸を患ってぶっ倒れても、アンタは責任取らないでしょ。放置主義の卑怯者め。
「「あぁ……頭が痛い……」」
…………ん?
今の、私の呟きとぴったり重なった声は何? 人間?
此処は人里離れた深い森のド真ん中。人間も悪魔も滅多に来ないし、獣が彷徨いてる割りには常時薄暗くて比較的静かなほうだから居付いてるのに……また邪魔な音が入った?
「どんな顔して戻れば良いんだろ」
高所に伸びる太い枝に任せてた体を起こして、足下を覗き見れば……やっぱり、人間の男だ。
しかも、なよなよでひょろひょろな体型のクセに、出してる音は耳障りな低音。
「はー……」
「……。」
……私、人間の愚痴と溜め息って、死ぬほど嫌い。
なに、あの不愉快極まる雑音は。
吐くなら私を見習って、誰も居ない所でして頂戴。耳に入った瞬間、どうしようもなく殺意が湧くのよ!
って、あっちは私が頭上に居るなんて知らないか。
でも、私を苛つかせたのは事実よ。
ムカつくから殺してやる。
「ふぁい!?」
立ち上がって空中に身を踊らせ、枝葉を散らしながら男の目の前に片膝で着地。
右手で貫こうと構えつつ、目線を間抜け声の獲物に合わせ
「うあ綺麗ぇ……」
「ッ!?」
自分を真っ直ぐ見返す真ん丸な金色の目に驚いても、本気の動作は急に止まれない。
勢いはそのままで指先がふにゃんと丸まり、結果。
「っい……ったあぁぁい!」
「ふぎゅうぅ」
私の拳と体当たりを喰らった男が仰向けに倒れ、ついでに私まで男に乗っかる形で一緒にひっくり返ってしまった。
「な、なんなのよ!? あんた!」
ガバッと上半身を起こせば、どうやら心臓を狙った私の手は、男の腹に打撃として入ったらしい。着古され、多分此処に来るまでの間に汚れまくったのだろうぼろ服が、そこだけ奇妙によれてる。
気が抜けた所為もあるんだろうけど、よく見ると思ったより背が高い。目測を誤ったのか。
「ぐげふ! かふっ……いっつつ……」
苦しげに咳き込んで……あ、虹彩が涙で潤んでる。金は金でも、ハチミツ系の澄んで滑らかな金色なのね。
いや、それはどうでもいい!
「急に変な事言わないでよ! おかしな力の入り方した所為で手が痛くなったじゃない!」
「え。あ、えーと……ごめんなさい」
「謝るの!?」
「自分の所為なら謝るのは当然だと思うけど、何か?」
「何か? じゃない! 私は今、あんたを殺そうとしたのよ!? 此処は恐怖に引き攣った顔で「悪魔ー!」とか叫びながら逃げるのがセオリーってもんじゃないの!?」
少なくとも今まで殺してきた人間は全員そうだったのに、綺麗って何、綺麗って。
この場面で私に賛辞を寄越してどうすんのよ!
「はあ……それならそれで良いかも知れない。もうどうしていいのか判らないし、君みたいな人……悪魔だっけ? に、殺してもらえるなら、人生最後に潤いがあったって言うか」
ハチミツ色の目に自嘲を浮かべてふいと横向いた白い顔を、麦色の短い髪がサラリと撫でた。
こいつ……
「止めた」
「は?」
すっくと立って膝を払う私を、間抜けな男が見上げる。
「死にたがりを殺してもつまらないもの。どうしてこの私がくだらない消失願望を叶えてやらなきゃいけないのよ、鬱陶しい。獣の餌にでもなれば? この辺り、夜になれば肉食動物がいっぱい現れるから丁度良いわ。動物の血肉になれば、無駄に溜め込んだその生命力もきっちり活用されるでしょうよ」
たまに居るのよね。こういう、無気力の塊みたいな人間。
哀愁背負って「自分、もう無理なんです……ふふ」とか、莫迦じゃないの? 羽虫が耳元で飛んでるのと同じくらい目障りで耳障りだわ。
こういうのとは一切関わりたくない。
「あー……別に、死にたい訳ではないよ。そうなるならそれでも良いかってだけで」
「つまり死にたがりでしょうが」
「いや。これはただの現実逃避」
「自覚してんのかよッ!」
本当になんなの、こいつ。私のほうが調子を狂わされてる。
嫌だわ。放っておくんだった。
「実は僕、楽師になりたくて上京したんだけど、その道では有名な奏者達に「逆天才と讚美するに価する清々しいまでの不器用さ故に努力の掴み所を見付けようがなく、可哀想だが絶対不可」と真顔で同情される始末で。村の人間の反対を押し切った手前、手ぶらで帰るのも躊躇われて……こうして途方に暮れてる次第なんだ」
「どんだけ不器用なのか、逆に気になるわ! てか、よくそんな、腕と呼べるモノ一つ持たない状態で飛び出せたわね!?」
「仕方ないよ。楽器なんて、上京するまで一度も触ってなかったし」
意味が解らん!!
「楽器を。一度も。触った事すら無いのに? 何故、楽師!?」
「……村が、寂しかったから」
体を起こしてよれた服を整えた男は、再度目元に自嘲を浮かべて胡座の姿勢を取った。
「僕の村は子供でいられる時間がとても短い。でも、娯楽や気休めになる物が全然無くて。朝も昼も夜も働いてばかりで、皆何処か辛そうなのに解消する術が無かった。だから僕が楽師になれば、少しは楽しくできるかもって思ったんだ」
「で。結果が「帰れ」なワケね」
「厳格で知られる巨匠に土下座付きで泣き謝られてしまったら、さすがに引き下がるしかないかと」
人間の文化にあんまり興味は無い。でも、こいつが知的生命体として絶望の極致に居るのは判った。
ある意味凄いわぁー。無いわぁー。
「歌は褒められても、演奏できなければ楽師にはなれない。残念だよ」
「歌?」
「うん。それなりに歌えたから巨匠も一度は私を弟子にしてくださったし、楽師を選んだのもこれがあればこそで」
歌、ねぇ?
「歌ってみなさい」
「は? えと……うん。わかった」
男の目がきょとんと瞬き……私の無言の眼光を受けて立ち上がる。
姿勢を整え、腹に手を当てて深呼吸を繰り返し。最後にすぅっと深く深く息を吸い込んで……
風が、吹いた。
「……っ!?」
なに、これ。
男の歌声が私の全身を貫いて、森全体を震撼させてる。
波……これは空気を揺るがす、澄んだ波動だ。
たった今まで不快な低音ばかり出してた筈なのに、紡ぐ歌言葉の一音一音が周囲の雑音を旋律に「書き換えてる」。
頭を痛めてた不快な音が、男の歌でがらりと変化していく。
耳の奥に高く低く響いて広がるのは、胸にも心地好い生命の和音。
それなりに歌えた? 冗談でしょ?
こんな音、特性を持たないただの人間が自然に奏でられるとは思えない。
何者なの、こいつ……!
「……こんな程度で……え? え!? ど、どうしたの!?」
歌い終えた男が、ぽろぽろと涙を溢す私を見て狼狽える。
私だって困ってるわよ。勝手に流れて止まらないんだもの。
こんな、魂に染み渡るような優しい音初めてで……心臓が強く握られてるみたいに苦しくて、痛い。
「人間の分際で……ムカつく!」
「えぇー!?」
キッと睨み付けた私に、男は慌てて「ごめん」などと謝ってくるが。
ふざけんじゃないわよ、この無自覚男!
どの世界にも無かった快音を響かせておいて、なんなの、この自信の無さは!
ありえないありえないありえない! 感性と実力の均衡が全然釣り合ってない!
宝の持ち腐れにも程がある!
「あんた、暫く此処に居なさい! その歪みまくった自意識、私が真っ直ぐに矯正してやる!」
右手の人差し指を男の胸に立てて宣言すれば、男は爪の先をじっと見て……
「君と一緒に、此処で暮らすの?」
「そうよ。不満だろうと怖かろうと知ったこっちゃないわ。私がそうしろって言ったんだから、そうしなさい!」
「分かった」
ずっこけたのは、あっさり頷かれた私のほうだ。
男はのほほんとした表情で自分の頭を掻きつつ辺りを見回し、どうやって寝ようとか、食事はどうしようとか、ついさっき殺されかけた事など歯牙にも掛けず、本格的に検討を始める。
……そりゃ、殺すのは止めたって言ったわよ? そのつもりもすっかり削がれたし。
でも、現実逃避中にしたって、幾らなんでもこの順応性は……舐められてるのかしら?
私、歴とした悪魔なんだけど……。
ズゾゾ……と、真っ黒な闇の中を不気味に蠢く「何か」が在る。
その動きは岩の隙間を這う蛇のようであり、螺旋を描いてうねる水のようでもあった。
ズゾゾ……ズゾゾ……と重音を纏った「何か」は不意に止まり、首をゆっくり持ち上げた。
厚い岩盤で覆われた頭上は、色も判別不可能な岩肌を露出しているだけ。「何か」が常時見る景色に変化は無い。
が。
「……音が……変わった……」
何処かから聴こえてくる美しく澄み渡った不快な歌声に森全体が共鳴し、歓喜の旋律を奏で始めている。空気が浄化されていく。
「気持ち悪い……。お前の仕業か……?」
最近森に居付いた音特性の美しい女悪魔は、腰辺りまで緩やかに伸ばした月色の髪を風に揺らすだけでもしゃらしゃらと涼やかな音を立てる。艶やかな桃色の虹彩を爛々と輝かせて言葉を放てば、応えた総てが陽気な音楽を形成する。
「何か」にとっては、それが不愉快だった。
だが……よく聴けば、これはあの女悪魔の声とは違う。別の何かが増えた。別の美しい何かが森を変化させようとしている。
やわやわと全身を撫でる音の気持ち悪さが、闇を愛する「何か」を異常に苛立たせた。
「……不快……不愉快……。清浄は無に……。清浄は無に……」
顔を正面に戻した「何か」は、久しく離れていた場所を目指して再びズゾゾ……ズゾゾ……と、闇の中を進む。
地中に暮らす小さな生命達を押し潰し、擂り潰し、残骸を灰に変える事もなく。
ただただ真っ直ぐに進む。
地鳴りを連想させる鈍い声を撒き散らしながら。
「消えてしまえ……美しい音など……」
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