逆さの砂時計
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Side Story
無限不調和なカンタータ 2
すべての葉っぱが枯れ落ちてる、白っぽい古木が一本。
私の目の前で、ミシミシと悲鳴を上げながら倒れていく。
腰ほどの高さから上下二つに折れたそれは。
目に見える速さで、ゆぅう──っくりと傾いたにも拘らず。
何故か、断裂させた張本人……カールの背中に、ドサッと乗っかった。
「いったたた……あ、見て見てグリディナさん。完全には折れてないから、今回は挟まっただけで済んだみたい。今度は自分で出られそうだよ!」
カールは、よいしょっ、よいしょっと、地を横に這いつつ古木の根元へ、もう少しで抜け出る所まで移動した。
が。
「はぎゃっ!」
起き上がろうと、姿勢を変えた瞬間。
薄い皮一枚で繋がっていた幹に思いっきりぶつかってとどめを刺し。
両手両足を反り返らせる無様な格好で、呆気なく潰された。
「……よく分かった。『不器用』はあんたの特性だったのね。おめでとう。人間に特性が無いというこれまでの世界的常識は、あんたの存在をもって、見事に覆されたわ。第一発見者の栄誉は、今日からあんたのものよ」
「あうぅ~~」
陽が沈む前に肉食獣避けの柵だけでも作っておけと言ったのに。
この男ときたら、夕暮れ時になってもまだ伐採すら終わらないなんて。
このままの進行速度じゃ、裁断を始める頃には真夜中よ?
非力な人間のクセに、危機管理とか甘すぎでしょ。
呆れて物が言えない。
「このくらいのことも満足にこなせない体たらくで、よくもまあ、これまで無事に生きてこられたわね。楽器以前の問題じゃない」
カールの横幅くらいしかない胴回りの古木を、片手でひょいと持ち上げ。
積んでおいた他の木の上に放り投げる。
これで通算四本目。
そのすべての古木の下敷きになったカールのボロ服は、枝に引っ掛かり、小石で引き裂かれ、地面ですり切れ、防御能力を完全に喪失してる。
もはや服の体裁すら保っているとは言いがたい。
ボロを通り越して、ズタボロだ。
「また、グリディナさんに除けてもらっちゃった。ごめんね、ありがとう。うん、村の皆にも、毎日笑われてたよ。お前は村を出たら一年以内に死ぬ。というか絶対自滅する。生活能力無さすぎて手の施しようがないんだから、頼む。ジッとしててくれ。って」
村人達、苦笑しながら苦悩してたんだろうなあ。
体を起こしながら笑ってはいるけど、所々赤く染まった布の隙間から覗く白い肌は、浅い切り傷と刺し傷だらけだ。
筋肉の無さや色白さが、妙に痛々しい……
って!
悪魔に同情なんかさせないでよ!
腹立つわね!
「でも、村を出てから六年は経ってるし。案外なんとかなるものだね」
周りがなんとかしてやってたのよ、絶対!
「なんとかなるとか、なんとかなったってのは! なんとかしようとしてるヤツか、なんとかしようと手を尽くし続けてきたヤツの言葉でしょうが! 自分の不器用さに甘えて、いつまでもヘタレてんじゃないわよ!」
「! …………」
「なによ?」
「ううん、ちょっと驚いただけ」
手に付いた砂埃を払い落とす私を、立ち上がったカールが凝視する。
それから パッとうつむいた。
「そんな風に僕を叱ってくる相手、今まで一人もいなかったから。そうか。甘えてるのか、僕」
自分でやらなきゃいけないことを前にしても現実逃避を続ける程度には、甘えてんでしょうよ。
そこには気付かなかったのか。
「師匠達は私に、よく頑張ったと何度も仰ってくださったけど、あれは」
「厄介払い。もしくは、頑張る方向を著しく間違えてたあんたへの慰めね。あんたは全般で不器用なんだから、まずは自活能力の向上を図るべきだわ。よたよた歩きのヒナがある日突然一人前に翔べると思う? 飛び上がっても即落下して、打ち所によっては、そのままおしまい。ま、あんたはそれでも良いんだろうけど?」
「…………」
積んだ木を無言で見つめるカールは、さて、何を考えているのやら。
とりあえず、今の言葉で大体の事情は読めたわ。
こいつの自信の無さは、周囲がこいつの成長を諦めたせいね。
筋金入りの不器用さに付き合い切れなくなって。
面倒事を避ける為、我が身可愛さで無理矢理黙らせようとしてたんだわ。
こいつ自身は、どんな形でも立ち向かおうとしてたんだろうに。
周りが安易にそれを否定したせいで、努力の価値観を見失ってる。
お前には何もできないんだって、カールの心に失望を植え付けやがった。
ったく、ものぐさ共め。
せめて歌への意識だけでも、長所として伸ばす工夫をしときなさいよ。
せっかくの快音が濁ったら勿体ないでしょうが!
こんなドジと鈍さのお手本みたいな男じゃ、投げ出したくなる気持ちは、とーってもよく解るけどっ!
「とにかく、今日はもう暗いし、柵作りは明日に回しなさい。で、今からはこれを食べる準備」
「これ? ……って、動物!?」
カールの足元に放り投げたウサギの死体は。
カールがちまちま木を切ってる間に、私が狩ってきたモノ。
かつて私が殺した人間の所有物だった伐採道具を両手に握り。
顔に ぎゃあ と書いて、全身を竦ませるヘタレ。
この反応……まさか、狩りの経験すらも無かったとは。
「びびってんじゃないわよ! 私は必要ないにしても、あんたは食べなきゃ飢えて死ぬでしょうが。自分で捌いて、自分で焼いて、ちゃんと食べるの。早くしないと、血の匂いに釣られた大型肉食獣達が集まってくるわよ!」
「で、でも」
「あんた、肉を食べたコトないの?」
「……城下街で、何度か……」
「捌いた経験も無いのね……」
顔面蒼白になって力無く頷くカール。
あんたはいったい、どこの箱入り娘だ!?
こいつ、本当に『村』の出身なの?
狩りと採取は『村』の人間にとって必要最低限の生活術でしょうに。
「仕方ない。今回だけは、一緒に捌いてやるわ。ちゃんと見て覚えるのよ。でないと、その口の中に血を抜く前の生肉を無理矢理詰め込んでやるから。急いで枯れ枝を集めてきなさい」
「わ、わかった」
怯え、ためらいながらも、木々の影に溶けていく背中を見送り。
深いため息が溢れ落ちた。
人間の男って、もっとふてぶてしくて図太い生き物じゃなかったっけ?
死んでも良いとか言っといて、なんなのよ、あの線の細さ。
頼りなくて、情けなくて、みっともない……のに。
歌は良いのよ。歌だけは。
詐欺でしょ、あれ。
なよなよでひょろひょろの根性無しが、どうし……
あ。
しまった。
「あいつ、逃げるかな?」
小さな動物を解体するのは可哀想とか、怖くてできないとか言いそうだ。
「んー……」
逃がすつもりは無いけど、ちょっと様子を見てみようか。
戻ってくるなら、宣言した通り歪んだ自意識を実力に見合うまで徹底的に叩き直してやる。
けど、ここで逃げ出す小物なら、自由意思なんか要らない。
普段は『音』で操っといて、歌わせる時にだけ解放すれば、こんな茶番に付き合う手間も省けるし。
人間は短い年数しか保たない脆弱な玩具。
有効に活用してあげなくちゃね。
私があいつに惜しむのは、あの歌声だけ。
ようやく見つけた私の快音。
さあ、カール。
あんたの答えはどっち?
「ごちそぅさま、でした……っ」
辺りはすっかり真っ暗。
パチパチと爆ぜるたき火を挟んで、私の正面に座ってる男は。
号泣しながら食事を終えた。
「うっざ……」
律儀に枯れ枝を抱えて戻ってきたのは良しとして。
その後のウザさは常軌を逸してた。
涙が止まらないだけなら、まだマシ。
火を起こす時にも「ごめんね」を延々とくり返し。
本格的に解体作業を始めたら、頭の天辺から足の先まで汗だくになって、石像みたいに硬直しやがった。
最後まで目を逸らさずに吐き気も堪えた点は、ちょっと見直したけど。
多分、見慣れた肉塊になったのだろう瞬間「うわああぁぁん!」などと、すぐ隣で泣き喚かれてみなさいよ。
本気で殴りたくなるから。
「グリディナさんも……ありがとう、ござい……ました……っ」
顔を真っ赤に染め、荒れた目元を手首でゴシゴシと拭ってはいるが。
涙が切れるまでには、相当な時間が掛かりそう。
どこまで情けないのよ、この男。
「僕達、人間は……こんな風に命を奪って、生きてるんだ……」
「そうよ? 人間は偉そうに、他者の命を踏みにじる悪魔は滅びるべし! とか言ってるけどね。私から見れば、自分の糧すら自力で獲れないヤツが、テーブルに足乗っけて何言ってんだかって感じ。他人任せに慣れた人間と、多くは単独主義で、自分の糧は自分の力で得ている悪魔。どっちのほうが、より生き物らしく、よりまともに生きてんのかしらね?」
おっと。カールが相手じゃ、皮肉になっちゃうかな。
涙目のまま、茫然と固まってしまった。
でも、これは私の本音。
私の耳目には、悪魔より人間のほうがよほど醜悪に見えるし、聴こえる。
人間は、集団生活で身を護る手段を得た代わりに、生物としての生き方を忘れたんじゃないかしら?
どいつもこいつも雑念まみれに迷走しまくってて。
纏う音も、全体的にザラザラとして気持ち悪い。
そしてその音は、これから未来、確実に劣化していくと見た。
だからこそ、カールの歌は手離せないのよ。
頭痛止めとして、死ぬまで大いに活用させてもらうわ。
でも!
あれだけ稀有な実力を、いじけてしょげた態度で濁されるのは!
やっぱり、どうしても我慢ならない!
なんとしても、こいつの性根をまっすぐに矯正してやる!
「悪魔に被害を受けた人の話はたまに聞いてたけど、そか。人間が動植物を食べてるのと同じで、悪魔にとっては人間が食料なんだね? じゃあ君も、最初に人間を食べた時は、すごく怖かったでしょう?」
「……別に。私は小さい頃から命の使い方を熟知してるし、あんたと違ってためらう理由は無いの」
「命の使い方?」
「そ。他の命を喰らいながら、死にたいだの可哀想だのとほざくバカ共とはここの出来が違うのよ。ここの出来が」
右手の親指で私の心臓辺りを指し示せば。
死んでも良いと、絶賛現実逃避中のカールは、目を逸らして落ち込んだ。
「君には、人間の命を食べて……生きて、やりたいことがあるんだね」
「は?」
また何を言ってるのかと呆れかけ
「カール。静かに立って、数歩後退」
「?」
指示に従ったカールを見届けてから、たき火に砂を掛けて炎を消し。
私自身も立ち上がって、その場を数歩分離れた。
光に慣れた視界を闇が包み、炎の熱を帯びた肌に夜の冷気が牙を剥く。
遠くから聴こえてくるのは、獣の遠吠え。
近くに反響するのは、風に揺れる木の葉のざわめき。
鳥の声もする。
「グリディナさん?」
「黙って」
神経を集中させ、空高く、地中深く、前後左右の気配も慎重に探る。
特に変化はない……、か?
「もう良いわ。戻って」
「うん」
乾燥した落葉を踏みつけながら、たき火の位置まで戻るカールの足音。
他に物音がしてないかを確認しつつ、私も元の位置へ戻る。
「何か居たの?」
傍らにぼんやりと浮かぶ二つのハチミツ玉が、不思議そうに瞬いて傾く。
「……どうかしら」
獣じゃない。
なんでもないと油断させて襲う型の悪魔でもなさそう。
今この周辺に、害意を持った呼吸音は感じ取れない。
一瞬、水溜まりに足を入れたら底無し沼だった!
って感じの、物凄く嫌な焦燥感があったんだけど。
気のせい?
「ま、用心はしておくべきね」
とりあえず、カールの肩を右腕で支え、膝裏を左腕で持ち上げた。
「ふぇあっ!?」
「あんたねえ。いちいち奇声を上げないでよ。力が抜けるじゃない」
「だ、だだ、だって、この体勢は、ちょっと」
「あんたは木登りもできないでしょ。まだるっこしくて見てられないのよ」
一部の人間には、『お姫様抱っこ』とか言われてる抱え方。
女の私にやられるのは恥ずかしいとか、ゴミっぽい男の自尊心かしら?
暗闇の中でもはっきり判るほど、あたふたしてる。
「そ、そうじゃなくて、ですね!? この体勢だと、私に、その……む、む、」
む?
「む……胸が、私の体に、じかに、当た……っ」
………………………………。
「で?」
「軽く流された!? ちょっとは気にしてよ! いえ、気にしてください! 貴女、自分が女性で私は男であると、理解していますか!?」
何を言い出すかと思えば。
「あんた、女を相手にした経験も無いわね?」
「ありませんけどもっ!」
でしょうね。
ガウンの前面が鳩尾まで開いてる程度で、この慌てようだもの。
たまに目を逸らしてたのは、これのせいでもあったのか。
ちなみに。
私の両腕が塞がってる今。
カールがちょっと暴れるだけでも、上半身裸になる可能性は否めない。
「安心して。私もそっちの経験は無いから」
「どう安心しろって言うんですか!? 尚更、危機感を持ってくださいよ!」
「え? 男って皆、初物は面倒くさいから嫌がるものなんじゃないの?」
「人によりますっ! どこでそんな偏った情報を仕入れてくるんですか!?」
「勝手に聴こえてくるのよ。でもそう、個人差があるの。こう言っておけば手を出し辛いかと思ってたのに」
「からかってるんですか? 本気でボケてるんですか?」
恨めしそうな目で私を見上げるカール。
つまり、こいつの性欲には種族の境が無いのか。
ひょろいわりには旺盛ね。
「私を襲おうとするなら、血抜き前の生肉責めにしてあげるわ。これなら、その気も失せるでしょ?」
にっこり笑って、軽く跳躍する。
獣避けの為に周辺で一番高い木の太い枝へ座らせたカールは。
そういう問題なのか? と、しばらくの間、不満そうに呟いていた。
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