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逆さの砂時計

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正義なんて存在しない

 案の定、会議は右へ左へ迷走を重ねて、深夜のうちに一時解散となった。

 到着早々にまとまる話じゃないのは、その場の全員が察していたからか。
 皆さんの素早い退室ぶりには、(いさぎよ)さすら感じたね。
 それぞれ、神殿内に貸し与えられた宿泊室へと案内されて。
 翌日正午からの仕切り直しを通達されたよ。

 で。長旅の疲れか、ベッドで横になったらあっという間に夜が明けて。

 午前中に神殿の外周でも散歩してみようかなあ~と思って部屋を出たら。
 神殿の正面入り口で、タグラハン大司教とばったり出会(でくわ)した。
 彼は、小麦色の肌を真っ白な法衣で覆い隠し。
 毛髪を剃り上げた頭部に、法衣とお揃いの真っ白な帽子を乗せている。
 紫色が混じる青い虹彩は、夕陽が落ち込む寸前の空のようで美しい。

「やあ、タグラハン大司教。昨日はお疲れ様。君も散歩かな?」
「やあ、コルダ大司教。君のおかげでお腹の辺りが氷のように冷たくてね。体内の換気がしたいのさ。まったく。いきなり教皇猊下に喧嘩を売りつける真似はやめてくれないか。君の隣に居るといつかとばっちりを受けそうで、少しも落ち着けないよ」
「おや、何の話だろう? 私は、まだ年若いテネシー大司教が過去の過ちをうっかり踏襲(とうしゅう)しなければ良いなあと思って、ファーレン大司教の意見に()()同意しただけだよ?」

 猊下に喧嘩を売るだなんて、そんな……ねえ?

「はあ……お願いだから君まで古めかしい(たぬき)(きつね)にならないで欲しいな、コルダ大司教。ただでさえ手を焼く毎日でもう、体内中がねじれてよじれて痛苦しいったらないのに」
「それは良くないな。新鮮な空気をたっぷり取り込んで気分を変えようか」
「ああ。今日が晴天で嬉しいよ。これで雨だったら滅入(めい)って仕方ない」
「そうだね。今日はとても良い天気だ」

 護衛の付き添いを断りつつ、二人で広々と開放的な正面入り口を抜け。
 眩しい陽光に照らされた、鮮やかな緑色の庭園を見渡してみる。
 神殿の正面入り口から正門まで一直線に繋がる白い石畳。
 その両脇で、左右対象に敷かれた芝生。
 建物に沿う形で等間隔に植えられている常緑樹。

 うん。
 規模が桁違いなだけで、基本アリア信仰の建築物はどれも似ているね。
 赤や白の花が咲いた低木も可憐だ。
 アルスエルナの中央教会(うち)との違いは、主に噴水の有無かな。
 アリアシエルは世界随一(ずいいち)の参拝者数を誇るからねえ。
 道の途中に噴水なんか置いてあったら、通行人や馬車の邪魔になる。
 管理も手間だし、絶対に必要な物でもないから設置しないんだろうけど。

 「おはようございます」、「こんにちは」、「ごきげんよう」。
 正門を過ぎるまでに、挨拶を何十回交わしたのかな。
 参拝者の皆さんは今日も、おそらく昨日も、その前もずっと、この神殿で女神アリアに祈りを捧げている。
 十歳にも満たないだろう子供が、母親に手を引かれて嬉しそうにしている様子などは、実に微笑ましい光景だ。

「ねえ、タグラハン大司教。今日みたいなお天気の日には、お弁当を片手に持って高原でお散歩とか良いと思わない? 暖かい陽射しと強すぎない風が心地好いからって、昼食後に寝転んで、そのままお昼寝しちゃったり」
「高原? この辺りだと、アレンドラ高原とか?」
「そうそう。今の時期なら、いろんな小花が咲いていると思うんだ」
「小花を眺めながら昼食かあ……うん。悪くないね」

 気分良く正門を出ると、目の前には半円状のちょっとした広場がある。
 敷地全体に石畳を敷き詰め、所々に女神像や動物を象った石像を配置。
 広場の中心には、石造りの時計台をモニュメントとして設置し。
 その足元の花壇に、色とりどりの多種多様な花を植えて。
 更にその周りを水路で囲んだ、都民達の憩いの場所だ。

 広場と広場を囲む居住区との境でずらりと並ぶ、緑豊かな木々の下。
 金属製のベンチに腰掛けて語り合う人々は皆笑顔で、とっても楽しそう。

「なら、お弁当の中身はサンドイッチが良いな。半生スクランブルエッグとキュウリの相反した食感がたまらないよね」
「ええ? すぐに食べるのならともかく、外出用で半生はいただけないよ。傷みやすいし、衛生上よろしくない。じっくりと火を通して辛味料と混ぜたゆで卵がレタスのしゃきしゃきした食感と奏でる調和こそ、サンドイッチの醍醐味(だいごみ)じゃない?」
「じっくり火を通したら黄身の食感が悪くなるじゃないか。サンドイッチは手軽さと食感が命なのに」
「手軽さと食感が大切なのは分かるけど、やっぱり食べ物は安全に美味しく頂きたいじゃない。お腹を壊したら元も子もないよ」
「美味しく食する為には必要な手加減だよ、半生という調理方法は。なに、早めに食べてしまえば問題ないさ」
「早めって、散歩の途中か目的地に着いてすぐ休憩も挟まずに食べようってこと? 疲れた状態でお弁当を食べるのは苦しいなあ。ゆっくりのんびり、空気ごと味わおうよ」
「そこまで急いで食べなきゃ傷むってものでもないだろうに。安全ばかりを優先してたら、何を食べても美味しくなくなるよ?」

 昔と違って、現代の食物品質は格段に向上してるんだから。
 気にするだけ勿体ないよと呆れる友人。

「むう。でもね、タグラハン大司教」
「ちょっと待った。この話は後にしよう、コルダ大司教」

 正門の外側を右手沿いに歩いて角を曲がった先で。
 神殿を守る外壁に背中を預けてしゃがむ青年を見つけた。
 見るからに薄汚れてくたびれた白いシャツと、関節部分が摩擦で白っぽくなっている青いズボンと、所々に穴が空いている傷んだ皮靴を履いた彼は、何かを呟きながらボサボサの短い黒髪を左手で掻きむしっている。
 地元民……ではない、かな? かと言って、観光客でもなさそう。

「どうかなさいましたか?」

 ただならぬ気配が漂う青年に、タグラハン大司教は躊躇(ちゅうちょ)せず声を掛けた。
 周りは緑葉が繁る木々に囲まれていて、近くに他の人影は無い。
 目につきにくい場所ってほどでもないけど……
 通行人の皆さんは、異様な風体の青年を避けていたのだろう。
 日常生活ではなかなか見かけない雰囲気だし、怖がるのも無理はないか。
 その点、私達は慣れているからねえ。ためらう理由は無い、けど、も。

「たん……異端、殺す……殺す殺す殺す殺す! 我ら以外はすべて邪教! 我らの神こそ、唯一にして絶対! 魂を害悪で満たす邪悪な愚か者共め! 消滅をもって罪を浄めるが良い!!」

 うん。なんとなく予感していた通り。
 青年が怒気と喜色を孕む顔を振り上げて。
 無防備な友人の腹部を狙い、体当たりするように右腕を突き出した。
 その手には、朝の陽光を弾く鋭い刃物。
 包丁、かな?
 気付いたタグラハン大司教が半歩下がり。
 彼の手前で、私が青年の腕を右脇に抱え込んで止める。

「……!?」
「物騒だね。包丁は調理台の上でこそ真価を発揮する物。外で振り回しちゃいけないでしょう? 一応聞くけど、怪我は無い? タグラハン大司教」
「おかげさまで無傷だよ、コルダ大司教」

 青年がありえないものを見る目で、私とタグラハン大司教を凝視する。
 老人にちょっと避けられたくらいで、そこまで驚かなくても。

「なっ、なにすんだよクソジジイ! 離せ、汚らわしい!」
「口の利き方がなっていませんよ、青年」

 逃れようと必死にもがく青年の顔を覗いて。
 タグラハン大司教がにっこり微笑んだ。
 青年の凶悪な目つきが、更にキツくなる。

「やかましい! 邪教徒に払う敬意なんざ持ってねぇわ! 今すぐ死ね! くたばれ、悪魔!」

 やれやれ。本当に口汚い青年だ。
 (ののし)る言葉が格好いいとでも思っているのかな。
 小物感丸出しで、こちらが恥ずかしくなるくらい、みっともないよ?

「痛っ」

 私が左手で、青年の腕の関節を軽く打ち、包丁を叩き落とした。
 それだけなのに、痛いって。
 君、自分の痛みは訴えるのに、誰かへの殺傷行為には容赦ないんだねえ。
 包丁なんか刺したら、痛いじゃ済まないよ?
 解ってる?
 解ってるよね。
 『死ね』って叫ぶくらいだし。

「これは没収させていただきます」

 タグラハン大司教が包丁を拾ったのを確認してから、青年の腕をひねって背中に回し、体の正面を壁に押し付けて固定する。

 うん。だから。
 この程度で痛いとか言われてもね。

「くそ! 邪神の使い魔共め! 我が神パトラ様の天罰を受けて滅びろ!」

 ああ、なんだ。
 小物感丸出しじゃなくて、正真正銘の小物なのか。
 この様子だと、単独犯かな?
 こんな、見るからにぼろぼろになってまで……可哀想に。

「信じる神教の重役が、アリア信仰に改宗しようとしてるんだね? それがどうしても気に入らなくて、私達を襲おうとした?」
「改宗だと!? ふざけるなッ! 人類の未来を憂い、救おうとなさっていたお優しい天子様を洗脳しやがって! 破滅の使徒め。そんなに滅びたいならお前らだけで勝手に死ねよ!! 世界を巻き込むな!!」

 世界救済、か。
 神と付く者の教えって、多少の差異はあっても行き着く先は()()だよね。

 近い将来、未曾有の大災害が起こるから、私を信じなさい。
 信じた者だけが、浄化された世界で清く正しく新しい未来を築くのです。

 転じて、言うことを聞かない人間は邪悪。というより、単に邪魔。

「ねえ、君。パトラ神の教義を一言で教えてくれないかな」
「はああ!? なんでお前らなんぞにいぃってててっ!! 分かった、話す! 話すから!!」

 軽く力を入れただけなのに。

「至高神パトラ様は、我々に試練を与えたもうた。曰く、生きるとは忘却の罪を咎めるものであり、我らはパトラ様の御手により存在を赦された事実を忘れている罪の子。現世においてパトラ様のご加護を、かの御方に誠心誠意仕える役目を思い出した者は、死後パトラ様がおわす浄土世界へ招かれる。約束の日までに覚醒した魂のみが、パトラ様の下で永遠の安寧を得るのだ」

 やっぱり、そんな感じかあ。
 で、夢見る少女の瞳で、うっとりと語ってもらってなんだけど。

「全然、一言じゃないね?」
「一言で伝えられるわけないだろ! 神の教えは、紙一枚に収まるような、そんな浅いもんじゃねーんだよ!」
「言葉の浅深軽重(せんしんけいじゅう)や真偽は結局、受け取った側の人間が自分の都合と願望と偏見で解釈して定めるものだよ。放った側がどんな思いを込めていてもね」
「なっ!?」

 包丁を持ったタグラハン大司教が数歩下がって、青年から刃を遠ざける。
 暴れられても面倒だし、まだ解放はしないよ。

「パトラ神の教義を教えてくれたお礼に、女神アリアの教義を教えようか。私はね。実のところ、どこの誰がどんな宗教に入信してもしなくても良いと思ってるんだ」

 青年の動きが止まる。

 ああ、そうしてくれると助かるな。
 年を取るともう、足とか腰とか肩とか、痛くて痛くて。

「人間は信じたいものを信じて生きれば良いんだ。でも、それを自分以外の人に強要するのは間違いだと思う。信仰は、個々が生きる為の支えと導きの一つであれば良いんだよ。まあ……ちょっとばかり神聖を過信気味だった我々の代理人様は、その辺りで大失敗したんだけど」

 アリア信仰の教典だって、最初から最後までしっかり読み通してみれば、素人にも見抜ける矛盾で満ちている。
 元々あった不調和なのか、時代とやらが生んだ歪みなのかは知らないが。

 要するに。
 最初からにせよ途中からにせよ、どこかで曲がる程度のものなんだよね。
 でも、歪んだものがすべて誤りか? と言えば、案外そうでもない。
 歪んだ教えに心を救われた人間だって、たくさんいる。

「君達がパトラ神を唯一絶対と崇めるように、私達は女神アリアを信じる。それで良いじゃない。便宜(べんぎ)上異端や敵対組織と表現するのは仕方ないけど、思いと願いを共有しなければ、手を取らなければ殺すべき敵って考え方は、とても寂しい。終着点が違っていても良いよ。未来への選択と結果が後悔を招くとしても。それらは、すべての生命に与えられた自由だ。無理矢理手を引っ張る必要はないし、救えなかったと無力を嘆かなくてもいい。行く先を妨害し合っても虚しいだけだよ?」

 純粋な救済を目的としてる場合の話だけど。
 お金と権力と暴力が何より大好きな、エセ宗教団体もあるから困るよね。
 というか、宗教に限った話じゃなくて。
 一定以上の集団になると、自分が審判者(正義)って人間、必ず出てくるよね。
 あれって、なんなんだろうねえ。承認欲求の類いなのかな?

「私がアリア信仰を選んだ理由はね。数ある宗教団体の中で、唯一、教義に『寛容(かんよう)』を見出だしたからだよ。ほらね。たった一言だ。この一言こそが、人間に最も不足している要素だと思わない?」

 敵は受け入れるな、滅ぼせ、抹消しろ。
 ああ本当に、なんてバカバカしい。
 受け入れがたいのは、その狭量(きょうりょう)

 あらゆる生物は、独自の都合で生きている。
 神様だって、きっとそう。
 完全無欠で絶対的に正しいものなんか、この世界には存在しない。
 だからこそ。

「折り合いとか中間を、もっと大事にしようよ。せっかく語り合える知能を持って生まれたんだし。パトラ神の天子様と女神アリアらしき人物がどんな対話をしたのかは分からないけど、彼女が本当に本物のアリア様なら、多分洗脳はしてないと思う。偏った物の見方じゃなく、より広い視野を持とうとしたんじゃないかな。結果君達から見れば裏切りでも、もっと多くの人間を救おうとしているとは思えない?」

 推測でしかないけど。

「……はっ! なんだお前ら。偉そうに高僧服なんか着て、大層な不信心者じゃねぇか。結局、本当は何も信じてないから、そんなクソたわけた妄言を吐けるんだろうが。胸クソ悪ぃジジイ共が! 正しき神は、パトラ様のみ。罪人と語り合え? 折り合いを付けろ? バカバカしい! どんだけ脳みそイカレてんだっつーの! 死ね!」

 やっぱり、最後は『死ね』になるんだなあ。
 タグラハン大司教に目線を送れば。
 彼は、仕方ないねと両肩を持ち上げて応えた。

「そう見えるんなら、それで構わないよ。見方を変えろなんて傲慢(ごうまん)(はなは)だしいことを言うつもりはない。でも君は今日、人間にとって明確な罪を犯した。それは反省しなさいね」
「は!? 何が罪ぃ……っつ」
「刃物なんか振り回してたら危ないでしょ? 殺人未遂は立派な罪だよ」

 青年の両腕を強めに押さえて、その首に自分の左腕を回す。
 このまま都市警団に引き渡して神殿へ帰ろう。
 気持ち良い散歩が台無しだよ、もう。

「ああ、そうだ。君にもう一つ尋きたいんだけど」
「っんだよ!」
「サンドイッチの卵は堅焼き派? 半生派?」

 わずかに目を見開いた青年は、体をブルブルと震わせ。
 信じられないと顔に書いて。

「パンなんて、そんな頭にも体にも悪いモン食えるか!」

 と、大声で叫んだ。

 うーん……そうきたかあ。


 
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