逆さの砂時計
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孤独を歌う者 5
これは遥か昔、不思議な力が世界中に溢れていた頃のお話。
破壊と殺戮を振り撒き、あらゆるものから魔王と呼ばれた者がいました。
世界を護る神々は一人の男性に勇者の称号を与え、魔王退治を命じます。
勇者は信頼する仲間達と共に魔王へと挑みましたが、退治には力及ばず。
異空間への封印に成功したものの、勇者達は全員殺されてしまいました。
────これが、事実。
自分自身が何なのか解らないまま、長い時をさ迷い続ける者がいました。
自覚なく世界を壊す彼を止める為、神々は彼の許へ強き人を遣わします。
ですが、神々に選ばれた人間とその仲間達は、迷い続ける彼の問いかけにしっかりと答えることができず、殺されてしまいました。
けれど。
初めて自身に伸ばされた手を、言葉を、想いを。
彼は、確かに受け止めようとしていたのです。
受け止めようとして、でも、強き人達は既にいません。
伸ばし返そうとした手を傷付けられ、反射的に殺してしまったからです。
強き人達の死を哀しんだ彼は、その記憶を永遠に眠らせると決めました。
それが、自身に手を伸ばしてくれた人間達の最後の望みだったからです。
たとえその記憶が、彼に心を教えてくれた、ほぼ唯一の宝物だとしても。
だからこそ。
大切なものを失う痛みを知って欲しいと望む者達の遺志に従ったのです。
────それが、真実。
事実も真実も変えようがない、背負うべき過去。
彼と彼女の選択も、ある意味正しい終結の形なのでしょう。
ですが。
二人共、重要なことを忘れてはいませんか?
あの日、マリアがブローチの宝石の中に閉じ込めた空間。
今は薄い緑色の淡い光に照らされている玉座の間を見渡す。
石造りの静かな屋内で、階段の下方にはウェルスとコーネリアが。
階段の上にある玉座には、アルフリードが眠るように座っている。
だが、仮初めの器だけがあっても、アルフリードは戻らない。
コーネリアにも、ウェルスにも、二度と会えない。
マリアがアルフリードに見せていた笑顔は、俺には決して見えない。
それが、俺のしたこと。
だから、この空間は、あの日に還る。
勇者一行を殺した、俺が壊した、あの日に。
「おやすみ。アルフリード、ウェルス、コーネリア……マリア」
死は死に。
灰は灰に。
事実は事実に還す。
玉座に、階段に、さらりと落ちる三人分の白い灰。
ここにはもう、俺とマリアの二人だけ。
記憶にある、どの笑顔よりも優しい微笑みを浮かべて眠ったマリア。
彼女の体を強く抱きしめてから、左手をその胸元に翳す。
俺の手のひらと彼女の体の間に現れた、薄い水色の『結晶』を掴み。
手の中で、砕く。
これで、俺は一人に戻った。
もう、俺が生まれてきた理由も、生き続ける意味も、探す必要はない。
魔王は勇者達と共に死んだ。
この空間も記憶も俺も、全部消える。
アリアが受け継いだ俺の力を使って、ブローチを『扉』のマリアに返し。
本体に戻って、マリアの器を抱きしめたまま、目蓋を閉じた。
「これで良い」
「あまり、言いたくはなかったん、ですが……。バカですか、貴方は」
「…………?」
崩壊を始めた空間が、開いた視界に色彩を変える。
青い空。繁る森の緑。
散乱する石の塊。ひび割れた石床に描かれている翼の紋様。
空間から追い出した筈の連中が、俺とマリアの器にしがみついた女神を、円く取り囲む。
ここは……かつて天神の一族を置いていた神殿か。
「本当、人の話を、全然……聴かな……ぐっ」
「クロスツェルさん!」
フィレスに肩を支えられながら、口元を押さえて膝を突くクロスツェル。
酷い顔色だ。
堪えているのは胃の内容物か、それとも血液か。
尋常ではない量の脂汗が、額から顎へと伝い落ちている。
「お前が時間を止めて、アリアが俺達を連れてきたのか。余計なことを」
クロスツェルから女神へと目を移せば。
純白の翼を背負って小刻みに肩を揺らす女神は、十代のあどけなさを残す少女の姿から、成熟した女性らしい姿へと変貌している。
体の主導権をアリアに返したのか、アリアが咄嗟に動いたのか。
全身、態度から伝わる雰囲気も、ロザリアのものとはまるで違う。
「……余計なこと? 冗談を言わないでください。貴方達、意外と物忘れが激しいですね。仕方がない。理解するまで、何度でも何回でも丁寧に教えて差し上げましょう」
呼吸を整え、コートの袖で汗を拭いながら立ち上がったクロスツェルが、フィレスに「大丈夫です」と言って、俺の傍まで一人で歩み寄ってきた。
クロスツェルの右手がすぅっと上がり。
派手な破裂音の後、少し遅れて、俺の左頬にじわりと熱が滲む。
「痛いですか?」
「……いや」
物理的な痛みは、あまりない。
だが、仕草で次の挙動は予想できたのに、何故か驚いている自分が居る。
「そうですか。まあ、良いでしょう。では本題です。少々苛立っているので一息に並べますが、決して聴き逃さないように、お願いしますね」
深く息を吸って、吐いて、また吸って……
ぴたりと止める。
金色の目が俺をまっすぐに見て、にこっと笑った。
「確かに私はロザリアの隣に居られるならそれ以外はどうでもいいですし、過去の因縁にも興味はないと言いました。ですがそれは、過去のしがらみを貴方達の死で精算して良いという意味ではありません。
私が何の為に、貴方達と友好関係を築こうとしたと思っているんですか?
人間基準の生物学に照らし合わせた場合、貴方達はまだ死んでませんし、死んで終わらせるとか、最悪すぎて吐き気がします。
貴方達の行為によって、世界はもう滅茶苦茶にされていますし、なによりアリアを産ませて産んで放置した挙げ句利用して「はい、さよなら」って、人間的な考え方では、そういうのを『外道』って言うんですよ。
知ってますか? 知ってますよね。
数千年もの間ずっと、全世界を傍観していたんですから。
その上「諦めましたごめんなさい。死ねば良いんですよね、さようなら」とか、自己陶酔も甚だしい自分勝手極まりない結論を赤の他人や実の子供に押し付けるのはやめてくれませんか。
育児放棄に、人格否定に、存在否定。
どこまで有権者としての責任に蓋をすれば気が済むんですか。
生物は、玩具や食事があれば勝手に育つってわけじゃないんですよ。
過去を大切にするのは結構。過去に犯した罪なら罰は背負って当然です。
ですが、それを加害者の死で贖えると思うのは、感情的かつ即物的にしてあまりにも愚かしい。浅はかだし、傲慢にもほどがある。
そんなことで気が済むのは、むしろ加害者である貴方達だけでしょう。
現実逃避という卑劣な手段で被害者から目を逸らさないでいただきたい。
貴方達は命が尽きる瞬間まで生きて生きて生きて生きて、その間ずっと、被害者達に罵詈雑言を浴びせかけられ続けるんです。
被害者達の怒りをぶつける標的として、永久に存在し続けるんです。
もちろん、反論も反撃も許されませんよ。
友人は得られるでしょう。でも、心地好い居場所はどこにもありません。
助けを求めたって友人も誰も助けないし、求めることすら許されません。
精一杯、喪失感と無力感と不信感と孤独に打ちひしがれてください。
それらはすべて、貴方達が被害者に与えたものですから。
死が苦痛の対価とか、生命を舐めるのも大概にしてくださいね。
本当に腹立たしい。
生も死も救いなんかじゃないんですよ。
未来を託すとか、貴方達に都合が良すぎる責任転嫁は迷惑極まりないのでお断りします。
自分の行動の結果は自分で受け止め、責任は自分で取りなさい。
……ああ、長すぎて頭に入ってきませんか?
では、もっと解りやすく、簡潔にまとめましょう」
アリア以外の呆気に取られた視線が集まる中、クロスツェルは笑みを深め
「『生きて』」
マリアの記憶に刻まれたアルフリードの最後の笑顔が……喪われた筈の、太陽ほどに眩しい金色の笑顔が、クロスツェルの穏やかな笑みに重なった。
「お前は……誰だ?」
「私は私です。他の誰でもありません。私なんかより気にするべき相手が、すぐそこに居るでしょう。いつまで彼女の存在を無視し続けるんですか」
クロスツェルの静かな目線が、震えている女神を示す。
うつむいているアリアに目を向ければ。
ぼたぼたと音を立てて落ちる透明な雫が、三人分の衣服を濡らしていた。
「アリア」
俺の声に反応したアリアの肩が、ぴくりと小さく跳ねる。
「…………もう、嫌、なの」
喉が引き攣っているのか、アリアの声が絞り出したように掠れている。
平穏な世界を望んでいながら、結果的に真逆の道を進ませた愚かな娘。
それでも、世界の命と未来を懸命に護ろうとしていた、偽りの創造神。
「せっかく仲良くなった動物……も、人も……みんな、死んで、しまうの。殺されて……! もう、もういやっ! 誰も殺さないで! 誰もそんな風に死んでいかないで! 貴方達まで私の前で殺し合わないでよ、お母さん……お父さん!!」
勢いよく上げた顔は、元が誰かも判らないほどの悲痛に歪んでいる。
俺の力に気付いてから常に平静を装っていた賢さや健気さは残ってない。
「殺し合っているように見えたのか?」
「お母さんを殺そうとしてたじゃない! お父さんも! 自分を殺しそうになってたじゃない! やめてよ! 私が二人を殺すなんて、絶対に嫌!!」
……ああ、そうか。そういう見方もあるのか。
俺から受け継ぎ、俺が使っていたとしても。
アリアとの契約で得た力は、アリアの物であることに変わりはない。
広い目で見れば、アリア自身が俺達を殺すことになる。
「嫌か?」
「嫌よ! 当たり前じゃない!」
「……そうか」
人間年齢で言えば、大人と呼んで当然の域を遥かに超えているのに。
アリアはまだ、小さな子供のようだ。
嫌だ嫌だと、駄々を捏ねて泣き喚く姿は……よく、似ている。
「当然か」
「そうよ! 当たり前よ!」
「……そうだな」
当然と、当たり前。それぞれが示す意味はズレているんだろう。
だが、不思議と噛み合う。
それが微妙に可笑しくて、ほんの少し口角が上がった。
神聖さをかなぐり捨てて泣きじゃくるアリアの頬を、左手で包み込み。
「契約を、上書きする」
薄い緑色の閃光が、アリアと俺の体から渦を巻いて立ち昇り、空を穿つ。
波紋を描いて世界中へ拡がったそれは、アリア色の淡く光る雪となって、柔らかく舞い落ちる。
「新しい契約だ。お前は世界に償い続ける。贖罪方法は自分で考えろ。俺はお前を影で支えよう。創造神アリアは伝承と宗教にのみ姿を残して消える。どうしても護りたいのなら、手が届く範囲だけ。背負える分だけを背負え。欲張るなよ、アリア」
「レゾ……」
信仰心で力を高める仕組みを壊した。
今後は信徒がどれだけ増えても、力の増幅はされない。
「……はい」
アリアが頷いた瞬間、光る雪は完全に消えた。
現状は一切変えないままで残す。
こうしておけば、アリアは自分の過去と向き合い。
世界を見守っている限り自分の過ちを受け止め続けることになるだろう。
俺もアリアの嘆きを見届け、そうして『扉』達の怒りを受け止め続ける。
「『扉』のマリア。この器も、お前に返す。『鍵』のマリアが望んだ通り、『鍵』の意思は破壊した。今後お前には関わらないと『鍵』の意思に誓う。元に戻りたいなら戻すが」
ブローチを両手に乗せて、じっと俺を見ていた『扉』のマリアは。
しばらくの間アリアの様子を見て、それから、首を横に振った。
「いろいろと問題を放置しちゃうけど、仕方ないわね。アリア、貴女に私の本体を預けます。私はフィレス様に造ってもらったこの体があれば良いわ。どうしようもない何かが起きた時にだけ、私を呼び戻して。貴女ほどの力は無いけれど、何かの役には立つかも知れないわ。それに……」
「それに?」
『扉』のマリアは、一旦言葉を切り。
幼い自分の体を見下ろしてから俺を見て、半眼になる。
「守備範囲外でしょ?」
………………信用はされていないらしい。
これも当然だな。
だが。
「外見はどうでもいい」
鼻で笑ってやったら、ひっ! と肩を竦めてフィレスの背中に隠れ。
猫のように牙を剥いて、シャーッ! と威嚇してきた。
なるほど。
マリアにはこんな一面もあったのか。知らなかった。
アルフリードの記憶にも無い表情だ。
猫耳と仕草が妙に似合っていて、面白い。
「ならば俺もこの体をマリアとは別の空間に封じよう。一緒にしておくのは『鍵』の望みに反するからな」
「レゾ」
心許ないと顔に書いたアリアを見下ろし。
マリアの器と一緒に、腕の中に閉じ込める。
「俺はお前と共にある。必要があれば、いつでも呼べ」
ともすれば、こうして二人を抱いていたのはアルフリードだった。
その可能性を潰したのも俺だ。
栓無い思考だが、考えないのも……違うのだろう。
「これで良いのか?」
クロスツェルに目を向けても、微笑みは変わらない。
自分で考えて決めろと言いたいらしい。
真意を探ろうとその目を覗くが、ついさっきまで橙色に近く見えていた虹彩はもう、クロスツェルの金色に戻っている。
しかし。
「最後にもう一度尋きたい。お前は、何者だ?」
ロザリアが起こしてからのクロスツェルは、何かが違う。
拭えない違和感がある。
探ろうとしても、空気を掴むのに似て、空振る感覚。
「私は私です。かつてはアリア信仰で女神アリアを崇めていた神父であり、今は、愛する女性との約束を果たす為、もう一度ロザリアと向き合う為に、他のすべてを捨ててここまで来た、ただのわがままで無職な人間の男です。名前はクロスツェル。他の何者でもありません。強いて答えるとしたら……
『彼女』から伝言を預かった天の御使い、とかですかね?」
「『彼女』?」
首をひねる俺にクロスツェルは頷き、空を仰ぎながら、告げる。
「ごめんねえ。でも、それは自力で見つけ出して欲しいな。これから始まる世界のどこかにあると思うんだ。そうだ! 宝探しをしてみてよ。君が君を見つける瞬間を楽しみにしているよ。頑張ってね、私の鏡……だそうです」
「……!」
これは、あの時聴こえなかった言葉の続き。
刹那、記憶を駆け抜ける、俺自身の問いかけ。
『俺はこれから、どうすればいい?』
「はっ……なんだそれは。結局、『あれ』が一番、無責任じゃないか」
マリアの器をアリアに預け、空いた右手で自分の額を覆う。
「そうですか? 私には、貴方の独り立ちを願う親心に聴こえましたよ」
「解ってる」
『あれ』が俺の内に遺していた言。
多分、今だからこそ、理解できる。
だから……永遠に喪った者達に涙を流すのは、これが最後だ。
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