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胡蝶の夢

作者:兎崎
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胡蝶の夢

 波間に浮かび、ずっと漂っていた。
 どの位そうしていたのだろうか。
 ふと沈みそうになり、慌ててもがくと急に視界が傾く。
 はっとして顔を上げると先ほどまで眼前に広がっていた海は跡形もなく消え去っていた。
 見慣れた自分の館の一室で、書き物の途中で書架に凭れて寝てしまっていただけのようだった。

「……寝て、しまったか」

 酷薄そうな薄い唇から独り言を呟き、意識を戻した毛利は改めて室の中を見渡す。
 幸いなことに夢を見るほど微睡んでいても蝋燭を倒したり、硯の墨を零すような失態はしないで済んだらしい。
 ただ、書きかけの書類の上で肘をついて寝てしまった為、紙を一枚無駄にした。
 勿体ないが下敷きにすればいい。
 皺になった紙は除け、新しい用紙を取り出すと書きかけの書類を全て書き終える。
 ほぼ終えていた頃居眠りしてしまった為、そんなに時間を掛けずに終わらせることが出来た。
 座り仕事で凝り固まった肩を解して部屋から外の月を眺め、おおよその時間を計る。
 館は既に静まり、音と言えば松明の火が爆ぜる音と弥山の奥で獣が遠吠えをする鳴き声だけである。
 長いこと居眠りしていたのだろう。
 秩序を重んじ、堕落を嫌う毛利にしては珍しいことだ。
 織田が去り、豊臣も去って、瀬戸内を挟んだ隣国の長曾我部も停戦条約に従って今は大人しくしてくれている。
 それでも民同士の漁場争いは続いている為、時折流血沙汰になり、戦事以外はアテにならない長曾我部は頼らず、四国の民まで毛利のところに直訴にくるが、それにしたって戦に比べれば楽な仕事である。
 目下のところ、中国を侵す勢力がないのが気の緩みに繋がっているのだろう。
 要するに暇なのだ。
 外で五位鷺が鳴く声がする。
 もう一度肩の凝りを解すと、書架の上を片付けて毛利は立ち上がった。
 ふと潮の匂いが鼻を擽り、彼の意識が外の物音に向けられる。
 今宵は風が強く吹いているらしい。
 毛利が夢で海に浮かんでいたのも恐らく風が運んできた潮の匂いのせいだろう。
 風に揺られ、ぶつかり合う竹や笹の物音に混じって、遠く、海の方角から微かに笛の音色もする。
 聞き覚えのある曲だ。
 まさかと思うと同時に、またかとも思った。
 庭へと続く廊下に出てみると、視界に弥山の黒い影が映る。
 今が季節の山桜が山肌をぼんやりと白く染めていた。
 花びらは風に運ばれ、麓の毛利の館の庭まで雪のように舞い落ちる。
 はらり、はらりと翻りながら落ちる花びらに笛の調べが重なり、その幻想的な美しさに思わず目を細めた。
 美しく澄んだ、人の奏でる音色とは思えない神秘的な音色である。
 古に博正の三位が朱雀門で聴いた鬼の笛の音もこんな音色を奏でていたのではないかと思わせる。 

「鬼は鬼でも、今宵の鬼は生き血が流れた鬼だがな」

 言葉とは裏腹に毛利の表情が和らいだ。
 あの野蛮でがさつな男のどこにこんな繊細な感性が潜んでいるのだろう。
 澄んだ笛の音は毛利の普段熱することの余りない冷えた心も揺さぶり、憐憫を掻き立てた。
 無視しても良かったのだが。
 居ても立っても居られず、羽織る物を引っかけて、履き物を履き、庭へと出てしまった。
 辺りは暗く、視界は悪いが、煌々とした月が毛利の行き先を照らしている。
 敷石の上に落ちる花びらを踏みしめながら、海沿いまでの道を歩いて行った。


 春とは言え、夜はやはり気温が低く、肌寒い。
 薄い寝衣の上に一枚絹の着物を肩に羽織っただけの身に寒さが浸透してくる。
 幾度か風に羽織り物を飛ばされそうになりながら、目的の浜へと辿り着いた。
 毛利の予測通り、笛の音は浜から流れてきていた。
 砂浜に打ち捨てられた朽ちた小舟の上、腰掛ける見慣れた背中が目に入る。

「──長曾我部」

 声の届かない距離を保ってしばしその場で佇み、夜空に浮かぶ月と笛の音、そして海に向かって笛を吹く男の背中を眺めて過ごした。
 チリチリとした焦燥感。
 得体の知れない憎悪入り混じる複雑な感情。
 鼻の奥が熱くなり、息苦しくなった毛利は密かに吐息を漏らした。

「長曾我部」

 今度は聞こえるように声を掛ける。
 途端に笛の音が止み、暗がりの中、彼が振り返る気配がした。

「よう、毛利」

 毛利の存在に気付いた長曾我部は砂浜を横切り、此方へと近付いて来る。
 風が強く吹いていた。
 長曾我部が腰に巻いた絹の布地が風に躍って翻り、毛利が肩に羽織る着物も飛ばされそうになる。
 顔にかかる煩い髪をかきあげ、耳に掛ける毛利の仕草を見て、何を思ったのか長曾我部が大きな口元を綻ばせた。

「その躯の線とか堪らんな。今すぐにでも脱がせたい」

 下卑た笑みを浮かべる長曾我部に軽蔑の眼差しを送り、わざと素っ気なく、色気のない会話を投げ掛ける。

「何故、居る」
「そりゃあんたに会いに来たに決まってる」
「停戦の合意の条件は貴様がこの安芸の地に足を踏み入れぬことと決めた筈。忘れたか、長曾我部よ」

 閨で交わる時間以外はいつも毛利の態度は素っ気ない。
 分かってはいるが、偶には甘えてしなだれかかる毛利を見てみたい。
 長曾我部がそう願うことは別に罪でもないだろう。
 思うだけで口にするほど愚かではない。

「今夜の俺は長曾我部元親って名前を一時的に捨てたのさ。酒に酔ってふらりとここを訪れたただの笛吹きだ」
「戯言を」
「酔っ払いだと言ってるだろ。真顔で返すのは野暮ってもんだ」

 風がまた毛利の羽織った着物をはためかす。
 でも今回は自分で押さえる前に長曾我部の腕が伸びて毛利の肩に戻してやった。
 ついでとばかりに彼の身体を自分の方へと引き寄せ、肩に羽織った着物ごと抱き締める。

「離せ」
「言うだけ無駄だ。俺が酔ってる時にのこのこ近付くあんたが悪い」

 そのまま屈み、毛利の目を覗き込むと長曾我部は彼の顎を掴んで肉の薄い唇に口付けた。
 渇いてかさついた唇が毛利の口先に触れる。
 ガサガサしていてけして感触は良くない筈なのに、背中に震えが走った。

「止めろ」
「あんたの止めろと離せはいつも形だけなんだよ。たまにゃ別の言葉で誘ってくれねえかね」
「長曾我部……っ」

 荒れた唇とは裏腹に、長曾我部の口の中は温かく湿っていて滑らかだった。
 吐き出す呼吸ごと飲み込まれ、蠢く舌が中を弄る。
 互いに身体が冷えていたが、密着した箇所から熱が生まれ、二人の間の吐息も温まった。

「いい匂いだ。あんたを思い出す時、いつもこの匂いが恋しくなる」

 会う度同じことを言ってるのはどちらだと思ったが、毛利の髪に鼻をすり寄せ、犬のように匂いを嗅ぐ長曾我部を見るのも悪くはない。
 延ばし放題で手入れをしていない髪といい、この男は本当に大きくて人懐っこい陽気な犬そのものだ。

「どうだ。このまま俺と一緒に土佐に帰るってのは」
「貴様がそうしたいのならば」
「ほう。珍しい」

 貴様を屠り、四国を中国へ組み込む為。
 それを口にするのはさすがに不粋だから代わりに今一度口付けを交わそうと目線で長曾我部を誘った。

「貴様がここに残ると言う手もある」
「魅力的なお誘いだが、かわいい子分どもよりあんたが一番大事な訳じゃない。残念だがあんたの身柄はここへ置いて、俺が会いたくなった時にまた海を渡って訪れるとしよう」

 毛利の髪を太い指で梳き、頬を撫で、愛しそうに額に口付ける。
 こんな風に愛情を込めて触れられると、どう反応を返して良いのか分からない。
 まだ悪態を吐かれ、喧嘩を売られている方が遥かにマシだ。

「理解しがたい男だ」
「あんただって俺を微塵も理解しちゃいねえだろ。理屈は抜きでいいんだよ。あんたを憎んでいるが、心底惚れてもいる。それが分かってるから俺は細かいことは気にしない」

 再び口付け、毛利の頬の肉を摘まむと、振り解かれる前に長曾我部は彼の身体を離した。
 このまま抱き合うのかと思っていた毛利は拍子抜けになり、目の前の男の顔を驚いて見上げる。

「じゃあ、俺はもう行くぜ」
「何しに来た」
「あんたの顔を見にって言っただろ。顔が見られたから今宵はもう満足だ」
「………」
「正直言うと、少し身体を冷やし過ぎた。そろそろ眠いし、腹も減ったんだよ。言わせんな」
「この、うつけ」

 離れて行く身体をとっさに掴んで引き止めた。
 毛利の意外な行動に長曾我部が驚いて彼を振り返る。
 まじまじと見られることに気恥ずかしさを覚えた毛利は、長曾我部抱きつき、彼の胸に頬を押し当てた。
 確かに長曾我部の身体は冷えている。
 温めるように腕を回し、冷たい肌に吐息を吹きかけた。
 体内を駆け巡る血潮の息吹に耳を澄ませ、身体に染み付いた潮の香りを肺まで吸い込む。
 夢で見た波間が頭に蘇る。
 毛利が感じていたのは厳島のこの浜の匂いではなく、長曾我部の匂いだった。
 彼を懐かしみ、無意識に求めていたのだ。
 改めて、そのことに気付かされた。

「どうした。ひょっとして温めてくれるのか」
「貴様が……、そうしたいのなら」
「今夜のあんたも少しおかしいな。月にでも酔ったのか」

 腹部に廻した毛利の腕に長曾我部の手が重なり、温もりに包まれる。
 夜の暗闇は都合の悪いものから目を逸らすのにちょうど良い。
 だから、こうして抱き合える。
 きっと長曾我部もそうなのだろう。

「我も、少し酔っている」
「嘘付け。あんた酒呑まねえだろう」

 明るく笑う長曾我部の声につられて毛利の口許も緩んで無意識に微笑んでしまった。

「今の表情、ますます惚れそうなんだが。どうしてくれる」
「貴様の好きにすれば良い」
「言い換えれば、俺の好きにして欲しいってことか。あんたいつも堅っ苦しいことばかり言ってんだから、言葉は違わずに正しく使えよ」
「詰るだけならもう良い。帰る。二度と来るな」
「いや、やります。抱かせてください」

 冗談半分で追いすがる長曾我部に笑い、差し出された腕の中に大人しく戻る。

「あんたのその着物、敷物にしてもいいか? 」

 良いかと聞かれれば駄目だと返したくなるが、毛利にとっても異論はない。
 今宵は、この男が欲しいのだ。
 宝石のように愛でられ、慈しまれたい。
 確かに今夜の毛利はどうかしてる。
 毛利が頷くが早いか、長曾我部は彼の肩から着物を奪うとそれを下に敷いて彼の身体を横たえさせる。
 首筋に長曾我部の唇が触れると背中をゾクッとした戦慄が駆け抜けた。
 愛撫もそこそこに性急に脚の間に手が滑り込んでくる。
 閉じて防ごうとしたが、性器を掴まれ、もみ込まれると息が上がって声が漏れてしまった。

「口でしてやる」
「……待て…、長曾我部……っ」

 待てと言って待つ筈がない。
 足首を掴まれ、大きく開かれた脚の間に長曾我部が顔を埋め、直接舌を這わせてきた。
 湿った口内に導かれ、濡れた舌が毛利の先端に巻き付く。
 声を殺そうとしても乱れた息まで整えるのは無理だった。
 唾液が絡む水音が聴覚を刺激して、毛利の口から喘ぎを誘う。

「……ん…っ、……く…っ…、」

 ちゅくちゅくと音を立てて舐め回され、舌で抜かれた玉茎はすっかり勃ち上がり、先端から滲む先走りが糸を引いていた。
 そこを長曾我部のかさついた指で擦られると堪らなく腰が振れてしまう。

「俺のもあんたの唇で触れてくれ」

 普段の毛利ならその言葉を聞くだけでも怖気が震えて目の前から長曾我部の存在を消したくなるところだが、今日は彼も少し狂っているようだった。
 言われた通りに唇を開き、男臭い臭いを放つ長曾我部の股間に顔を近付ける。
 幾たびも肌を合わせながら、彼の男根を目の前にしたのは初めてで思わず気が引けてしまったが、長曾我部に出来て自分に出来ぬことはないと気を奮い立たせて舌を這わせてみた。
 塩っ気があるだけで特に不快な味はしない。
 それより舌で触れた性器が熱く膨らみ、反り返る硬さに頭が痺れる感覚がした。
 自分の舌の動きに合わせて長曾我部が感じ、腰を震わせる姿を見たことに満足感を覚えてしまう。
 どちらともなく唇を近付けて、舌を弄り、口腔内を貪り、肌を触れ合わせた。

「好きだぜ、毛利」

 感情に任せて口走る長曾我部に乗せられて、毛利も自分もだと応えてしまう。
 口にしてからしまったと我に返って否定しようとしたが、長曾我部にはしっかりと聞かれてしまっていた。

「なんだって、もう一度言って見ろ、ほら」
「……喧しい」
「生涯俺だけだと誓え。言えたら抱いてやる」
「貴様がだろう。誰にものを申しておる」
「ったく、可愛くないねえ」

 可愛げないのは長曾我部も同じだ。
 言葉遊びも飽きたのか、毛利の中に長曾我部が入ってくる。
 何度彼を受け入れようと最初の痛みはなかなか慣れるものじゃない。
 毛利を気遣うように最初は緩慢に、やがて亀頭で抉るように前立腺を突かれると、徐々に毛利の息も上がり、肌も汗ばみ始める。

「……ああ……っ、ちょ…、曾我部……っ」
「ほんと可愛いぜ、あんた。責任取ってくれよな」
「……なに…を」
「あんたじゃなきゃ勃たねえんだよ。いや、勃つことは勃つが、誰を抱いても味気ない。俺にゃあんたのこの尻が一番相性いいらしい」
「……愚弄を……っ、」
「愚弄なんてしてねえだろ。あんたを誰より愛してるって……、言ってんじゃねえか」
「だ…まれ……ッ! 」

 激しく突かれて声も出なくなった。
 小刻みに動かれると何も考えられなくなる。

「……ああ…っ、……ん…っ、……く、来る……ッ、……長、曾我部…っ」

 馴染みの感じが内部を襲い、毛利の身体を駆け巡る。
 体内で蠢く長曾我部のモノを締め付けて、彼の身体に爪を立て、しがみついた。
 抱き返して来る腕の強さに気が狂いそうになる。
 長曾我部の様に言葉に出しはしないが、毛利にとっても彼は他の誰にも代え難い存在だ。
 こんな風に抱き合い、嫌悪を抱かずにいられる相手などこの先も現れない気がした。
 しがみついた長曾我部の肩越しに見える傾いた月に、変わるに変われない自分を重ねて毛利は見ていた。
 日輪の申し子と太陽を信望しているが、日の光を持つのは長曾我部の方なのかも知れない。
 毛利はけして彼とは一緒の空には昇らない。
 対岸の存在である月の方なのだ。

「……長曾我部…、手を」

 呼び掛けに分かっていると言いたげに長曾我部が指を絡めて来た為、堪えきれない感情が毛利の中に溢れ、彼の肩に顔を埋めながら、震える身体で精を吐き出した。


「じゃあな。今度は昼に会いに来ることにする」
「そう度々来るなと申しておるのだ」
「ははっ、終わった途端にそれかよ。まあ、いいさ」

 東に向かう長曾我部の小舟は昇って来た太陽の白い光に包まれて黒い影となって消えて行く。
 胡蝶の夢のように霧散して、溶けてなくなる想いの残滓だけが毛利の手の中に残った気がした。

20150829
 
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