つぶやき

海戦型
 
暇潰26
最近、二次創作の書き方忘れてきました。ちょっとマズイかも?

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 日本近海――海上自衛隊の警戒の目を潜り抜けたその潜水艦は、密かに中国本土へと航路を向けていた。

 暗い海の底を国籍不明の潜水艦がうろついているなどぞっとしない話だが、それは確かに存在する。周辺の海では冗談交じりに「幽霊鯨」と噂されているそれは、実際には中国マフィア『虎顎』の幹部が持つ「個人の所有物」。ソナー、アイテール探知などの様々な警戒網を突破できるようにカスタマイズされ、その幹部の独自理論で設計されたワンオフ艦。

 その最新技術の塊の内部では、十数名のクルーが緊張した面持ちで初老の男に報告を行っていた。その表情は緊張に加えてどこか恐れを含み、声はかすかに震えている。

「――結果として先行した大風、洪水両名は任を果たせず、我々の回したフォローも失敗に終わりました。素体は既に天専の庇護下に落ちたとみて間違いないでしょう」

 そう言い終えて、報告したエージェントはその初老の男――師父と慕う男の言葉を待つ。
 師父は彼らに背中を向けたまま、しばし沈黙したが、やがて重い口を開く。

「その大風と洪水は……今は?」
「大風は日本のベルガーに後れを取って敗れた後、アライバルエリア内の無許可医に預けられているのを洪水が発見しました。この状況下では本人の傷もあって動かす方が危険と言う事で、洪水と他数名を日本に残しています」

 師父は再び沈黙した。その背中を見るエージェントたちの緊張も頂点に達する。
 師父は優しく、人が良い。マフィアより学校の教師でもしていた方が似合いそうな程に善の思考を持ちながら、子供のように純粋に夢を追いかけている。そんな人物だ。他者を叱責したり個人的な私情で部下を処罰したりはしない。
 そのように情深く理想高い彼だからこそ、周囲は彼を虎顎の次期首領に祀り上げようと誓っている。

 だが、彼らは知っている。彼は純粋すぎるが故に、時折抱く負の感情の扱いに慣れていない事を。
彼がいかに優しかろうと、自分たちがどれほど信頼を得ようと、どうしようもない事態が存在する事を。

 かつて、師父は失態を冒したエージェントにねぎらいの言葉をかけながら――何の前触れもなくその頭蓋を握りつぶしたことがある。
 
 余りにも奇妙で恐ろしい、まるで手だけが悪魔に憑りつかれたように、子の頭をなでるような自然な動きでその悍ましい光景は起きてしまった。滴る血液と落ちる肉片。頭蓋から零れ落ちる――
 言うまでもなく潰されたエージェントは即死だった。
 彼の直属エージェントの中でも最強と謳われた者だった。
 大風、洪水兄弟に戦い方の基礎を教えた偉大な戦士だった。

 死んだエージェントを見た師父は一瞬ポカンとして、まるでその行為を自分がやったとは思っていないかのように自分の手を見た。そして、漸く自分の手が血塗れであることを認識した師父は、声を殺して静かに泣きながら殺してしまったエージェントに謝り続けた。
 自分が目の前で殺した子に首を垂れ、何度も何度も。本気で子の死を悼んでいるにも拘らず、決定的に歪な姿だった。

 師父は自分でも全く意識していないほどに、普段は苛立ちや怒りと言った感情を表情の奥底に仕舞い込んでいる。自分自身が損な感情を抱いているという事実すら見逃しそうになるほどに自然に、だ。そして時折それが、破壊という名で表層化する。
 一種の精神疾患か、抑えられない衝動のようなものなのだろう。自分の内部に負の感情を溜めこまないために、身体が勝手にそれを外に吐き出しているのかもしれない。あるいはそれが師父の持つベルガー能力だと言うものもいるが、真相は分からない。
 分かったのは――彼を苛立たせると誰かが死ぬ、もしくは重傷を負うかもしれない、という恐怖だけだった。個人的信望と暴力による支配の二層構造――故に、有望なエージェントが殺されないように、替えが効かない能力者は師父からなるべく離れた位置から報告することになっている。

 そんな事態が起きたでも、師父は恩師であり仕えたい人なのだ。
 そのようなカリスマがあるのだ。だから、その道をなるべく失わないように彼らは敢えて大風たちを日本に残したとも言える。

 やがて、師父はゆっくりと振り返った。
 その表情にあるのは――ただ、この無事を知った安堵。

「よかった……姿を見せないものだから日本の警察に抑えられるか殺されてしまったのかと冷や冷やしましたよ。それでは今回の任務での死者と再起不能者はゼロですね?」
「え……は、はい!」

 朗らかな笑みだった。少々面喰いながらも、エージェントは内心でほっとする。この調子なら何とかなりそうだ。周辺からも小さな安堵のため息が漏れた。

「幸い、皆の八面六臂の活躍のおかげで警察の動きを完全に封じ込める事が出来ました。おかげでAVIEシステムも無事ですし、システムはアビィだけが適応する者ではありませんからね。今回はそれでよしとしましょう」

 AVIEシステムに組み込む素体としてアビィは理想的だった。だが、だからといってアビィでしかシステムを成立させられない訳ではない。ここは無理をして目先の宝を拾うより、将来的な可能性にかけた方がいい。幸いにも素体は「取り返しのつく失態」だった。

「大風は前から根を詰め過ぎる悪い癖がありましたからね。日本の内情を探るついでにゆっくりと療養し、不要な騒ぎは起こさないように伝えておいてください」
「明白了!」
「では……私は少し休みます」

 そう言うと、師父はエージェントに下がってよいと手を振って自身のデスクに向かい合い――ベキリ、と何かが破壊される音が部屋に響いた。
 師父はキョトンとした顔で自分の手元に目をやり、おや、と気の抜けた声を漏らす。

「おや……またやってしまいました。ああ、デスクと一緒に書類も何枚か破壊していますねぇ。我ながら嫌になりますよ、とほほ………」

 手に平に広がる、最早元々はどういう物質だったのかも分からないほどに圧縮された滓(かす)を見つめながら、師父はため息をついた。
 エージェントたちは背中から溢れる冷や汗と悪寒に身を震わせながら、運命の神に心底感謝する。

(ぎ、犠牲者が出なくてよかった……!!)

 マフィアと言う組織は、たとえどんな善良な人間がトップに立とうとも命懸けである。