つぶやき

海戦型
 
暇潰24
弓矢で太陽を9個破壊した羿(げい)とかいう伝説的アーチャーがいたらしいです。ただしすごく薄幸だったようですが。中国神話では太陽は神様の子供という扱いなんですね。

 ※ ※ ※

 彼女は7歳の頃には既にベルガーとして覚醒していた。
 ――普通のベルガーは10歳前後が覚醒のタイミングであるにもかかわらず。

 彼女は9歳の頃には既に世界でも数えるほどしかいない能力強度3に達していた。
 ――世界には3どころか、2に踏み入ることも出来ないままのベルガーなど大勢いるのに。

 彼女は15歳の頃には自分の能力を成長させることを止めていた。
 ――既に、彼女に勝利できるベルガーなど存在しないに等しかったから。

 そして今、彼女はお金と結果を得るために個人経営の何でも屋で力を振るっている。
 あらゆる誘いを「面倒だ」と切り捨て、あらゆる厄介事をその力で押しのけて、彼女は今ここにいる。
 他人にとっては違っていても、彼女にとってはただそれだけの話だった。強いて言うならば、その職場に金とも地位とも名声とも違う「何か」を見出したからだろう。

「これはあくまで法師の手伝いだからアンタたちの悪行につべこべ言う気はないけど……追うならアタシの裏をかいて見せなさい」

 場を支配するような少女の眼光が身を竦ませた。
 洪水より頭一つ以上は小さいその小柄な体躯から発される威圧感の何と大きなことか。

 彼女の背中から紅蓮の炎が立ち上り、蛇のようにうねりながら彼女の背後で橙色の球体を形成。まるで地上に出現したそれを背負っている姿は太陽の化身にさえ思えた。
 中国神話では、十あった太陽のうち九つを弓の名手がうち落とし、今の太陽が残ったとされている。だが――ああ、先人は何という思い違いをしたのだろうか。

 太陽とは、人が何とかしようなどと考えてはいけない程に雄大で、抵抗の如何などという人間的な視点で語れるような次元の存在ではなかったのだ。

 上方をモノレールが通過する。そのことに気付いているが、体は一寸たりとも動かなかった。
 洪水にとってもしも唯一幸運なことがあったとしたら、それは彼が感じた「格の違い」が、「虎顎の誇り」を上回っていた事だろう。もしも彼が無謀にもこれ以上彼女に抵抗しようとすれば、彼は夏の炎に寄せられた虫のように無意味に焼尽していただろうから。

 永遠とも思える刻が、洪水の中で流れた。
 かいた汗すらも蒸発させるその熱量に、指一つ動かせなかった。
 洪水では、地上の太陽には勝てない。

 やがて、少女は疲れたように溜息をつくと、振り返って呟く。

「さて、法師たちはもう天専に着いた頃だと思うからもう動いていいわよ?」
「ッ!!かはっ!はぁ……はぁ……」

 そこに至って洪水は漸く自分が呼吸を止めていた事に気付き、肺に酸素を送り込んだ。既に場を支配する熱は風に乗って霧散し、潮の臭いを含んだ空気が肺を満たす。

 ――動けなかった。虎顎エージェントの、この僕が。

 師父の為なら命をも捧げると誓った僕が、たった一人のベルガーを退ける事を完全に放棄し、ただ無意味に目標を見送った。湧き上がる屈辱が身を焦がす。
 誇りを掲げながらも全うできなかった屈辱。自身が完全なる敗北を喫した屈辱。仲間に想いを託されながらも何もできなかった屈辱。師父の求める理想を実現できなかった、屈辱。その屈辱がたった一つの事実を告げていた。

 敗北と、任務の失敗。

 それをもたらした少女は、何でもないように方向を変えて既にその場を遠ざかろうとしている。
 洪水はその背中に、何一つ声をかける事が出来なかった。

「……………任務、失敗。撤退する」

 手のひらに爪が突き刺さるほどに握りしめられた拳を下げ、洪水は逃げた。
 二度と忘れることのできない屈辱と、おのれの未熟を胸に秘めながら。



 = =



 翌日、警視庁異能課――

「かーっ……くたびれ損の骨折り儲けたぁまさにこの事だっつーの!」

 後始末の書類に追われながら、大蔵警部はヒステリックな悲鳴を上げた。

 結局、虎顎の幹部他エージェントの大半は既にあの会社を離れ、確保は出来なかった。異能課はあくまで証拠集めが目的だったので追跡には参加していなかったが、公安五課がトチったせいで大手柄にはならず、ただ単にやりたい放題やられただけに終わった。

 株式会社ボーンラッシュが虎顎の設立した会社であったことを知っていた者は殆どおらず、知っている連中も見捨てられた末端で事実上の収穫はゼロ。一応は人体実験の証拠を確保したものの、御上からの圧力がかかって一般に公開するのを止められた。
 それもそうだろう。日本国内で海外マフィアが人体実験を行っていたなど社会に公表できるわけがなく、しかも逃げられた上に証拠品も雀の涙となれば、世間から批難の声が上がるのは必至だ。

 当然ながら部下には散々愚痴をぶつけられたが、それ以上につらい思いをしていたのは大蔵だ。

 公安五課の隊長からはネチネチとした嫌味を受け取り、上層部の方々からは「何処から情報を取り入れたかは知らないが、公安と対立するような真似をして足の引っ張り合いなど言語道断」とこっぴどくしかられ、手柄はない癖に始末書は書かされるという完全な空回りに終わるという現状に至っている。
しかも町中にも虎顎らしきベルガーが出ていたせいで別の課からも相当責め立てられた。
 尤もそれに関しては「高価な対ベルガー装備のために豊富な血税を貰い受けている各々方に手助けは不要と判断した」と嫌味を言い返してやったのだが。異能課を貶めて今までどれだけ予算を増やしたのかは知らないが、顔を真っ赤にして唇を震わせながら帰っていく様は見物だった。

 ただし、全くの無駄足だったという訳でもない。
 少なくとも、虎顎の脅威が日本にとうの昔に及んでいたという事実は少なからず警察に緊張を走らせた。末端の連中から国内での具体的な密入国、物資輸送ルートの情報も聞けたし、公安への牽制にはなった。

 それに、法師を通してではあるが天専に貸しを作ったのは大きい。いずれカードとして使えることになるだろう。大蔵は転んでもただでは起きない男。転んだふりして拾えるものは拾っているのだ。
 そんな自分の上司のせせら笑いを見て、部下の玉木と水無月はひそひそ会話する。

(隊長、わるーい顔してるでシ。今度はどんな悪巧みしてるんでシかね?)
(上司としては頼もしくもあるが……カズ坊に悪い癖が移ったら嫌だな)

 今日も異能課は大忙しだ。