つぶやき

海戦型
 
暇潰8
あー寒くなったせいか体調が……今日は早めに寝よう……

※ ※ ※



 アビィを助けるために法師たちがやるべきことは大まかに分けて3つ。

 ひとつ、虎顎の連中にアビィを諦めさせる、若しくは諦めざるを得ない状況に追い詰めること。
 彼女を殺すために必要な手間が、放置することのリスクを大幅に上回るような状況を作ってしまえば、向こうも無理して彼女を殺そうとはしない筈だ。つまり彼女が大きな勢力の庇護下にあることを証明してみせたり、逆に相手側の勢力に壊滅的な打撃を与えてしまえばいい。

 ふたつ、アビィを住民登録して日本国籍にし、日本国民としての地位をはっきりさせること。
 彼女はほぼ確実に国籍や戸籍がないだろう。だが虎顎が国籍を偽装して彼女を中統連の国民であるという嘘をでっち上げてしまえば、警察としても不法入国者であるアビィを中統連に送り返さざるを得ない。それより前に日本政府側でこの子を抱え込む。何せ強度3に到った能力者だ。事情を離せば頼まれなくたって日本人にしたがるだろう。

 そしてみっつ、これが一番重要なのだが――

「他の条件を満たすための前提条件として、アビィを守り通す必要がある。最優先事項だ。衛、今日ばかりは食費を気にする必要はないぞ」
「それはそれは、良い事を聞いた。さて、ついでに散り散りになってる事務所の他のメンバーにもメールで伝えておくか。確かティアは都内での仕事だったはずだし、葉菜子もその気になれば1時間で戻って来れるだろう。公太郎は流石に無理だろうが頭数は多い方がいい」
「だな。さて、住民登録は市役所でいいか?」
「いや、いっそ『天専』に駆け込んだ方がいいのではないか?あそこなら顔見知りもいるし色々と都合がいい」
「お、その案いただき!確かにあっちなら政府より確実だ!」

 大蔵の兄さんと電話を終えた俺達は早速行動を開始していた。
 彼女の護送ルートの確保。彼女と意識結合(ユナイテッド)をした際に割り出した敵本拠地情報のリーク。その他諸々の手回し。アビィは特にすることがない上に話について行けないのかしきりに頭の上にクエッションマークを浮かべている。

「『天専』行きのモノレールの発進時刻は確か今からそう時間がない。相手もおおっぴらに動いてるわけでもなさそうだし、さっさと乗って天専までいっちまおう」

 財布などの簡単な手荷物をポケットに放り込んで立ち上がり、アビィの手を引く。

「……っと、念のために仕込んでおくか」
「こちらは準備いいぞ。天専の方にも簡単にだが事情を送っておいた」
「それじゃ、さっさと行きますか!」

 俺はアビィの手を引いて事務所のドアを開けた。



 = =



 通常の人間には知覚しえない微量の匂いが、この世界には溢れている。
 排ガス、埃、土、草木、体臭、etc……それらの臭いを追跡するのは昔から警察犬などの特権であった。だが、ベルガーの中にならばそのような能力を持った人間がいても不思議ではない。例えば、大気を操る能力者は、能力強度が2に達すると、副次的に大気の分析能力を得るとされている。

 嗅覚に頼るのではない。大気の成分をデータ的に分析、知覚して、そのなかでの特定臭気を割り出し、追跡を続ける。虎顎に所属する異能使いのエージェントとして今まで散々続けてきた習慣と彼のが師父と敬愛する上司の指示に従い、彼は当の昔に素体(アビィ)の追跡を開始していた。
 命令では素体を「必ず生け捕りにする」ようにきつく言われている。
 それが師父の望みならば、それを遂行する。そしてそれを邪魔する人間は存在する意味がないため排除する。

 彼は今までそうやって任務をこなしてきた。
 全ては己の恩師の夢のために。
 毒素まみれの鉱山から命からがら逃げだして、家族も何もかもを失ったあの日から、彼は野良犬だった。その野良犬を人間にまで押し上げ、ベルガーとしての才能を見出してくれたのが師父なのだ。

 だから彼は人間の首を撥ねる事を躊躇わない。

 足音が聞こえ、ドアノブが回るその瞬間を、男はずっと建物の外で待っていた。
 銃は使わない。素体を傷付けるリスクが大きくなる。
 故に愛用の小刀で確実に致命傷を負わせ、速やかに素体を回収する。
 それで彼の任務は仕舞だった。

「それじゃ、さっさと行きますか!」

 呑気な日本人がドアの外に、素体を連れてのこのこ現れる。その瞬間を――男は、天井にある金具を掴んで天井に張り付きながら待っていたのだ。ご丁寧に、彼女の能力の有効範囲外ギリギリで。
 油断した男は余りにも隙だらけで、素体を傷付けるリスクなど微塵も感じられない。男は音もなく手を金具から離し、口に咥えていた小刀を落下しながら握る。顔が映り込むほどに研ぎ澄まされた無銘の刃が煌めいた。

 左足のつま先を器用に金具にひっかけ、それを軸に振り子のように体を下す。
 落下の瞬間がスローモーションのように見えた。
 小刀は狙いすましたように、丁度、男のこめかみを貫くように振るわれて――

(――死ぬがいい)

 一閃。

「あ、え……??」

 そのまま、男のこめかみを綺麗に貫通した。
 最早生死を確認するまでもないし、部屋の内部にいたもう一人の『女』を警戒する必要もない。
 軸にした足を金具から離し、無理なく余暇に着地したと同時に素体を見る。目の前の光景が信じられないように瞳孔を開いた素体の首筋に鋭い手刀を叩きこみ、瞬時に意識を飛ばす。これで素体は無力化できた。後はこれを連れ帰るだけだ。

こ れで師父の夢がまた一つ叶う――そう思って頬をほころばせた顔が、凍りつく。

「これは……そんな馬鹿な!?」

 彼の異能がつい先ほどまで感知していた、先ほど殺したはずの男の臭いが、その場から消失している。
 冷静でいた筈の彼がほんの一瞬だけ冷静さを失った。
 あり得ない、確かに小刀を射しこんだ手応えがあった。
 あれは殺したはずだ。瞬間移動の異能であろうが肉体を再生させる異能だろうが、瞬時に脳を破壊されれば何も出来ずに死ぬはずだ。
 なのに、何故――

 そこに至って男は、大気に乗って微かに聞こえた物音に気付いた。
 足音、3つ。場所はおそらく建物の裏口。
 一体何者だ。この建物には3人しか人間はおらず、一人は殺し、もう一人はこの手に捕えた筈では――

「……………まさかッ!?」

 男は素体を抱えたままに建物内に土足で侵入し、窓の外を見た。
 窓の外には殺したはずの男と、室内にいたであろう女。
 そして、素体と全く同じ姿をした少女が走っていた。

「なんだ、あれは……?では、こちらの素体は!?」

 声を荒げて確保した素体を見た彼は、自らの顎をかみ砕かんばかりに歯を食いしばって憤怒の感情をむき出しにした。
 確保した素体が、目の前で淡い薄緑のアイテールと化して大気に崩れ去っていく。
 殺したはずの男の方を改めて見やれば、その場には一滴の血すら残らずに自分の小刀が転がって光を反射するばかり。

 幻覚か、分身か、若しくはそれに類似する異能によって造られたダミー。
 まんまと引っかけられた――その事実に気付いた男は、頭に血を登らせて吠えるように叫ぶ。

「おのれ……この僕を嵌めたな……!師父の夢に立ちはだかったな!?この、日本人がぁぁぁーーーーッ!!!」

 瞬間、事務所の全ての出入り口がシャッターで封鎖され、室内に睡眠ガスが噴射された。

「馬鹿が見る逃走者(ブタ)のケツ、ってね。日本を舐めすぎだぜ?」

 以前にトラブルが起きた際に衛が同僚と共に事務所に仕掛けたトラップの遠隔起動スイッチを握りながら、法師はしてやったりと笑った。