つぶやき

海戦型
 
暇潰6
「俺達、何でも屋だからね。君の望むものを言ってごらん?」

 アビィは出てこなかった。ただ、扉の向こうから感じるアイテールの流れが乱れたのは直ぐに分かった。まさか気づかれておるとは思わず動揺したのかもしれない。
 しばしの沈黙を置いて、もどかしいほどにゆっくりと扉が開いてアビィが顔を出した。
 戸惑いがちなその表情には、信用と不信の間で激しく天秤が揺れ動く。今日初めて出会い、まだほんの数分しか行動を共にしていない相手だ。信を置くには尚早すぎるが、のんびり事を構えるには余りにも余裕がなかった。彼女は今、選択を迫られているのだ。

「これから言う内容、信じてもらえるかどうかは君次第だ。何ならその能力で俺と意識を結合して真偽を確かめたっていい」
「俺もだ。もとより嘘などつく気はないがな」

 笑顔を崩さず自然体で、でも伝えるべきことはしっかりと。依頼者は切羽詰まっていることもある。だからこそ、冷静でも優し過ぎてもいけない。自然に考えられる雰囲気が、相手に論理的な思考を行わせるのに重要だ。

「君は今、3つほど選択肢がある。一つ、何でも屋『カルマ』に正式な依頼を申し込んで埒を開けること。一つ、治安維持組織である警察の庇護を受けること。一つ、……諦めること」
「…………」

 アビィは何も言わずに、半開きの扉から身を隠すようにこちらを見ている。

「俺達は君の依頼を受けてもいいと思っている。ここで君が助けを求めないというのならばそれまでだが、困ってる人間を放っておくってのは俺達の流儀にそぐわない。それが子供なら尚更だ」

 座っていたソファから立ち上がり、ゆっくりとアビィの方へ歩み寄る。アビィは少し身を引いて扉の向こうに後ずさりしたが、逃げはしなかった。
 選択しなければ未来はない。だからこの選択から逃げてはいけない事を本能的に察知しているのだろう。

「警察に逃げ込めば、ひょっとしたら俺達より安全かもしれない。但し、君はその異能の力を警察に求められるだろう。生活は保障されるが、何かと制限を受けるだろうね」

 警察はまず間違いなく彼女を自分の組織に取り込もうとするだろう。ここ数年の警察によるベルガーの人材スカウトは、その能力が有用であればあるほどに強引になってきている。特に意思決定能力が弱く親のいない孤児は、洗脳の域に達するほどだ。
 当の本人たちはやりがいを感じているのだろうが、傍から見れば思想の強要によって出来上がった操り人形にしか見えない。それが幸せだとは、少なくとも俺には思えない

「諦めたら……それまでだ。君にはなんの可能性も残されない。やりたいことを口に出す事さえしなければ、望む結末なんて得られはしないだろう。でも、アビィ。君は諦めるにはまだ若すぎる」

 諦めるのは、逃げて逃げて逃げ切れなくなったその時だけだ。でも彼女はまだ逃げてはいない。
 求める目的がある。願望もある。命にしがみつくガッツがある。
 彼女の目の前まで移動して、床に膝をついて彼女の目線に合わせ、俺は再度問いただした。

「アビィ、君はどうしたい?」
「………ノリカズさん。最後に、確かめさせてください」

 扉が開きアビィがこちらに向かって両掌を伸ばす。両掌は俺の頭を掴むようにそっと包み、近付いてきたアビィと俺の額が触れる。


 アイテールの淡い緑の光と共に、頭に膨大な情報が流れ込み、同時に流出する。
 意識結合(ユナイテッド)だ。彼女の力の最も基本的な部分、意識の共有。


 その中で、俺は感じ取った。


 アビィは他人と意識を結合させることをとても恐れていたんだ。

 彼女は軟禁状態にあった施設で、自分が殺されることを知った。死ぬ――全思考と生命活動の停止。その恐ろしさを彼女は知っていた。今までに意識を共有してきた全ての人間がそれを普遍的に抱いていたからだ。

 死ぬのは嫌だ、死ぬのは怖い。
 そんな当たり前の感情を――彼女は食事を運んできた大人の頭に意識結合(ユナイテッド)で送り込んだのだ。
 ただ送り込んだのではない。自分の異能が届く範囲全ての人間の意識を強制結合させ、自分の送り込んだ恐怖のイメージを次々に伝染させた。
 イメージは彼女の感じたその感情のままに相手に伝わる。子供心であろうとも、感じる恐怖の度合いはアビィの抱いたそれと等しくなる。
 突然脳裏に飛び込んできた『死』のイメージに大人がパニックになった瞬間を縫ったからこそ、彼女は建物から脱出できたのだ。

 恐怖は他の人間の頭に飛び移り、強制的に恐怖させられる感情が更なる恐怖を産む。増大された恐怖は連結させられた意識の中で加速度的に膨れ上がり、彼女を捕まえるだけの余裕を残す大人は残されていなかった。
 その阿鼻叫喚の光景を見て、感じて、アビィは否応なしに思ってしまったのだ。

『大人の言うとおり、私は化け物だったんだ』

 全部はこの能力の所為だ。
 これがあったから閉じ込められて、これがあったから生かされた。
 これのせいで化物呼ばわりされて、これが原因で殺されかけた。
 こんな能力を持っている私がたとえ外に脱出できても、どうせまた同じことが繰り返されるだけなんじゃないのか?こんな能力でしか相手の本心を確かめられないのに――相手から感じる心はいつだって自分への拒絶。

 そんな無情な現実が――彼女の意識が生み出した壁が、彼女の意識結合(ユナイテッド)を緩ませた。追いかけてきたあの黒服は、その時に恐怖の連鎖から解放され、慌てて追いかけてきたのだ。黒服のあの大人が抱く感情は――やはり、能力を持った相手への恐怖と拒絶だった。

『でも、能力を持っている人ならひょっとして』

 その力の存在を知っても拒絶しない2人の大人に出会った。
 自分なんかよりよほど変わった力を持っているのに、世の中で普通に暮らしている人だった。そんな人たちに――内心では、とても憧れていた。

 だからこそ、これ以上期待を裏切られるのが嫌で疑ったんだ。もしも能力を使って確認を取った時にやはり2人に拒絶されたら、と、その確認を取るのがどうしようもなく怖かった。これほどまでに他人の意識を確認するのが怖いのは初めてだった。逃げてしまいたかった。

 でも、羨望は捨てられない。

 まだ、外の町をちゃんと見ていないのに。
 着たことのない服を着て無邪気に喜ぶ暇が欲しいのに。
 まだ、「普通」ってどんな事かさえ学んでいないのに、この自由が終わるなんて嫌だ。

『私を助けて。私に見たことのない世界を教えて。私、もっといろんなことを知りたいし死にたくない。渡せるものなんて何もないけど、この切なる願いを―――ノリカズ、私の我儘を叶えてください』

 意識が共有されているのならば、ここに問答は必要ない。既に俺の答えも彼女には届いているから。

『助けを求めて困っている女の子がいる。関わるのはきっと危険で、金欠なのに依頼料は出ない。でも俺はその女の子に俺が与えうる限りの力を貸して、行きたいところに行かせてあげたい。一方的で自分本位な欲求だが―――アビィ、俺に助けを求めてくれ』

 意識結合(ユナイテッド)が切断される。

 意識を共有していた俺とアビィの瞳からは、同時に涙が零れ出ていた。
 アビィの流した涙が俺にも、俺が零した微笑みがアビィにも。
 もう2人の間にこれ以上交わす言葉は必要ない。後ろで腕を組み傍観していた衛が、止まった2人を現実に呼び戻すように声をかける。

「交渉は終わったか、法師?」
「ああ。……依頼、承ったよ。アビィ」
「……お願いします」

 異能者はいつの時代も業(カルマ)を背負う。
 業の重さを知っているのは――同じ業を背負った者しかいない。
 だからこの店の名前は「業(カルマ)」なのだ