つぶやき

海戦型
 
暇潰5
 
 衛の見る法師の顔が見えてくる。
 法師の言葉もまた、聞こえてくる
 そして、衛の言葉も自分の声のように聞こえてくる。これで、盗み見の準備は整った。

『ティアか葉菜子がいれば風呂の面倒まで見れたんだがな』
『俺ならいけるぞ?一応実家で男でも女でも生きて行けるよう訓練させられたからな』
『俺のお前を見る目が決定的に変わりそうだからやめてくれ』

 衛の見る法師の頭を抱えた姿がイメージで伝わってきた。
 網膜ではなく脳そのものに情報として伝わるが故に、この『覗き見』には視覚的な過程が存在しない。近くにいさえすればその人間が見る景色がすべて見える。大人たちに押し込められていたあの建物では射程距離が屋外まで届かなかったが、この事務所全体くらいの範囲は読み取れる。

『そう引くな。ちょっとしたジョークだ』
『常に真顔だからジョークかどうか伝わらないんだよ、お前の場合!』

 先ほどまで優しく接してくれていた人の本性が、そこには見え隠れする。疲れた顔でこちらに指を差している法師は、先ほどまでアビィが接していた彼とは全く違う面が浮き彫りになっていた。彼のその一面を見たというそれだけでは人物を判断する材料にはならない。だから、じっと見つめる。アビィの目の前では見せなかったその姿の中に、自分にとっての真実が隠されている。
 大人たちに閉じ込められていた頃はこれしかやることがなくて、この『覗き見』で得た情報しか話の種が無かった。しかし、孤独に耐えきれずに大人に話しかけては適当にあしらわれ、後になって大人たちはアビィが『覗き見』をしている中で気味悪がるのだ。何も情報を与えていないのになぜそこまで知っている、と。

 その頃は、人の表層意識をのぞき見れることをそれ程特別な事だと思っていなかった。いや、自分の力の特異性は知っていたけれど、実感として抱いてはいなかった。だから、何故話をしたら大人たちがこちらを気味悪がるのかが理解できていなかった。

 頭の中を覗かれる不快感を知ったのは、それから暫くしての事だった。それは自分の感じたものではなく、共有した相手の思考の中から読み取ったもの。怯えと不快感の入り混じる濁った煙のように頭に纏わりついた。あんな思いを伴う行為をしていたのかと理解した頃には、もう自分の本心を外に出すことはしなくなっていた。

 嫌われるのが怖いから。
 ただ、それだけのシンプルな理由。
 独りぼっちの子供には十分すぎる理由だ。
 それでも、こんなことをしないと私は相手の事を理解できないから――

(他の人は、こんな能力なしにも生きていけるのかなぁ)

 いつだって、アビィを動かしていたのはそんな浅はかな羨望だ。



= =



「しかし、どうだったんだ?依頼内容は」
「や、これから話すべきことを話そうって時にお前が帰ってきたから、まだだ」
「事情くらいは聞いたんだろ?」
「まぁな………大陸の方では未だによくある、ベルガーの拉致と不法労働……で済む話でもなさそうなんだよ、これが」

 衛の瞳から見えている法師の顔はいたって深刻だった。
 短い間の会話ではあったが、得られた情報は意外に多い。仮にもアライバルエリアで何でも屋をやっている身なのだから、察しが悪くてはやっていけない。

「ベルガーを利用した大規模犯罪。か、それの類似だろうな。単純に交渉相手の頭を覗いてうそ発見器みたいなこともやらされてたみたいだが、ともかく彼女はそういうダーティな仕事に付き合わされたんだろう」
「なるほど……中統連あたりの非合法組織だな。身寄りがないのをいいことにベルガーを下らん理由で支配下に置く。あの下衆な連中のやりそうなことだ」
「全くもって胸糞悪いな。でも、そういう連中に限って厄介だ。彼女の周囲にベルガーがいなかったのも、多分ベルガー同士で手を組んで反逆されるのを避けるためだろう」

 世界人口に対してベルガーの絶対数は圧倒的に少ない。世界中のベルガーをかき集めても、おそらく1万人程度しかいないはずだ。
 そしてベルガーは仲間意識を持ちやすい傾向にある。
 そもそもベルガーは、より正確に言い表せば「アイテール特別適応能力者」。数十年前に発見された、大気中を漂う再生可能な新世代エネルギー『アイテール』を取り込んで異能として利用することが可能になった人間を指す。故にアイテールの流れには敏感であり、互いの纏うアイテールの流れを感覚的に捉えていることがある。
 法師にとってそれは、一応乗り越えたとはいえ未だに忘れる事の出来ない過去を思い出させるものだった。

「まぁ、今はそれはいいや……それよりアビィだ。警察に渡そうかとも思ったが、話を聞いてて事情が変わった」
「というと?」
「彼女、『強度3』に至ってるぞ。自分と他人ではなく、他人と他人の意識を複数繋げるところまでコントロールできるそうだ」

 これには衛も驚いたのか、顎に手を当ててふむ、と唸った。
 日本の警察は優秀だ。だが、法師達から言わせてもらえば人材確保に関してはグレーゾーンに位置している。つまり、公権力を利用した強引な手を使う。特にベルガー、それもテレパスなどの感応型能力は慢性的に人不足であり、そんな警察に取って彼女の能力は喉から手が出るほど欲しい筈だ。

「なるほど、それは警察には渡せない。そこまで利用価値のある孤児など、連中なら嬉々として自分の手駒に出来るような教育を施すだろう」
「彼女がとにかく安全に過ごしたいって言うなら、正直警察の方がいい。でも、一度警察に渡せば教育内容をあっちに掌握される。子供は親に従って、あっという間に警察以外の将来が見えなくなるだろう」
「………かつて、親父が俺の将来を護衛者として決定付けようとしたように、か」

 衛の父親は皇家に仕える護衛者の家系だった。だが彼はたった一度の失敗から護衛者の任を降ろされ、家名を汚した。そしてその泥を拭い一族が力を失っていない事を示すために、衛を護衛者として育て上げた。
 衛は今でこそ護衛という仕事にやりがいを感じているが、学生時代は自分が何のために護衛の技術を持っているのかさえあやふやに思っていた。そんな彼としては、警察に受け渡して将来の視野を狭める事はさせたくなかった。

「だから、そんな思いは後の世代にさせたくないだろ?衛もさ」
「年寄り臭い事を……だが、そうだな。散々縛られてきた人生なのだろう?そろそろ世間を学んで将来を考えるくらいの自由は持っていていい。俺達にはそれを手伝う力と伝手がある」
「そうだな――だから」

 法師はいったん言葉を切って、バスルームの方を向いた。

「聞いてるんだろう、アビィ?後は君の選択次第だ」

 アイテールの流れで、彼女が衛に干渉しているのは直ぐに分かった。衛も気付いていて、今まで黙っていた。何故なら隠す必要はないからだ。依頼者に判断材料を十分に与えたうえで、判断を求め、その判断が一度下ればそれを全力で遂行する。

「俺達、何でも屋だからね。君の望むものを言ってごらん?」