つぶやき

N.C
 
持論①
-Warning-
独自解釈、恣意的曲解を含みます


才能というのは器のようなもので、努力というのは水のようなもの。水を飲み干すことこそが結果である。
そもそも才能というものがなければどんな努力も意味がないし、そもそも努力をしても行動をしなければ結果は生まれえない。才能という受容器が大きければ大きいほど努力の閾値は上昇し、それだけ結果に結びつく。水を飲むのが下手な人もいるし、上手い人もいる。器の形もそれぞれで、多種多様だろうと思う。しかし努力という純粋な代物は代替も近似もない。ただ『努力』という純然たる概念が存在するのみである。
才能というのはすなわち『向上心を獲得しやすい環境』と『先天的素質』の複合作用である。そもそも先天的素質によって向上心を獲得しやすい環境が形成されると言っても過言ではない。向上心を獲得するというのは要するに『毀誉褒貶』である。褒められることと貶されることである。褒められることによってモチベーションを持続し、貶される(=欠点を指摘される)ことによってより精錬される。


まぁ、こんなところですかね。但し書きに書いてある通り、独自解釈と恣意的曲解を多分に含みますので、見る方はご注意を。